崩壊‐12
久々の更新です。
こんなに怠慢で物語をまだ読んでくれる方はいるのかしらん?
ここから物語の終焉までいっきに駆け抜けて行く予定です。
読んでくれる方がまだいるのなら、その方には心より感謝申し上げます。
この日の午後、シルフリアの街全体に落ち着きのない空気が蔓延していた。街人の様子もいつもと明らかに違っている。多くの人間が、競技場の事を口にしていた。密かに街に来ていたシェルリは、いよいよその日が来たことを悟った。
シェルリはテスラを連れて、サーヤやリーリアの役に立ちたい一心で競技場に駆け付けた。
円形の競技場の壁面に大きく開いた何か所かの出入り口は、どこも人で溢れていた。シェルリは小柄な体を人の波にもまれながら、懸命に競技場の中を目指した。テスラはと言うと、ちゃっかり上空にいて四苦八苦する主を上から眺めながら付いてきていた。
「こ、こんなに人がいるなんて、一体何が始まるんだろ、きゃっ!?」
シェルリは急に後ろから押されて小さな悲鳴をあげた。それからやっとの思いで競技場の中に入る。当然、中は超満員で、シェルリはやっとの思いで競技場の様子が見える所まで来ると上空から付いてきていたテスラが降りてきた。
「あなたは良いよね、空が飛べるんだから」
「シェルリ、潰れちゃいそうだった」
「本当に潰れるところだったよ……」
「言ってくれれば運んだのに~」
「そんなことしたら、苦労して中に入って来た人たちに怒られちゃうよ」
それからシェルリとテスラは、目下に競技場を見た。地面は土で、よく平らにならされていて、そこにはまだ何もなかった。なにが行われるのか主催者側から一切知らされておらず、全ての人々の注意が乾いた土の上に注がれていた。
ちょうどその頃、シャイアも競技場の主賓室に招かれていた。前面がガラス張りのその部屋は横に長く広々としていて、椅子やテーブル、それに上等のソファーも置いてあり、ゆったりと競技を観戦できるようになっていた。さらに中央の奥には上等な酒を取りそろえたバーがあって、高級食材と一緒に酒を楽しむ事もできる。スペースは並みの椅子席にすれば数百人分はある。そこに主催者を始め招かれた王侯貴族等の主賓二〇数人が入っていた。その時、シャイアはカーラインから王国宰相にまで紹介されていた。
「噂と言うのは当てにならぬものだな、貴方は噂よりも遥かに美しいではないか」
「ありがとうございます、宰相様からお褒めにあずかるなんて、この上ない光栄ですわ」
シャイアは宰相のアリオス・コンダルタに微笑みを送りながら言った。それだけでシャイアの美しさが輝きを放つように冴える。アリオスはそれに見とれた後、すぐにカーラインに近づいた。
「いい女だな、どこで拾った?」
「ああ? 貴様には関係のない事だ」
「相変わらずつれないな。まあいい、あの女をわたしに譲らんか? 代わりに偉大なる王国の加護を与えてやるぞ」
「ふざけるな! 誰がお前なんぞに!」
カーラインが言うと、アリオスは至極残念そうな顔をした。
「お前は大変な機会を見逃そうとしているぞ、考え直せ」
なお食い下がるアリオスに、カーラインが嫌気がさして返した。
「言いたいことはそれだけか? わたしは貴様と話などしたくはないのだ、あっちへ行け」
アリオスはようやく諦めると、あまりの口惜しさに浸かりながらシャイアを見つめた。カーラインはアリオスの言った事にどうしようもない程の苛つきを感じていた。何故かと言うと、カーラインはシャイアを自分の物だと言える立場ではなかったからだ。それどころか彼はシャイアを女神のようにあがめ、手玉に取られている。自分でもそれが分かっていているうえに、嫌と言う気持ちは皆無で、ただシャイアが側にいるだけで、自分が特別な存在という気になっていた。
シャイアを見つめる今のカーラインの目は、まるで至高の芸術品を見て楽しむかのようだった。そうして満足していると、彼ははっと気づいた。
――今日は黒妖精は一緒ではないのか。
カーラインはそれが分かったとたんに、体の奥底からどす黒い欲望が滾った。
――くそ、こんな場所でなければ、すぐにでもわたしの物にしてやるのに!
次の瞬間には、カーラインの目は獣のようにぎらついていた。しかし、人が多いこの場所でシャイアを襲う事など出来ない、蛇の生殺しという訳だった。
シャイアがガラス越しに競技場を見ていると、やがてトラックの上に蓋をするように巨大な白い魔法陣が現れた。
「あれは、何?」
そう思ったのはシャイアだけではない。闘技場に来ていたすべての人々が、白い魔法陣を見下ろして目を見張っていた。
「あれは闘魔陣だ、輝石エネルギーで形成される強力な結界なのだよ。なにせフェアリー同士の戦いだ、激しいものになるからな、フェアリーの攻撃から観客を守るために必要不可欠のものなのだ」
カーラインの説明を聞いたシャイアは、感情を殺した陰気な表情になり、再び眼下の魔法陣を見つめた。
――妖精同士の戦いですって……嫌な予感がしたからコッペリアを連れてこなかったけれど、正解だったわ。
あまりに下衆なカーラインの発想に、シャイアは怒り、そして心の底から軽蔑した。この件でカーラインはシャイアにとって復讐の対象というだけではなく、有害な汚物のような存在となった。もはや人間とも思えなかった。
シェルリの方は、何が起こるのか分からずに、魔方陣を見ていた。異様に際立つ悪い予感が少女の胸を焦がし、それに抱かれるテスラも体を震わせていた。それからすぐに少女の目に競技場に次々と放たれるフェアリー達が映る。そして、シェルリは息を飲んだ。競技場に入って来たフェアリー達に見覚えがあったからだ。彼女等はシルフィア・シューレを襲ったフェアリー達と全く同じ姿をしていた。競技場に放たれたのは、四十体のエインフェリアだった。
「妖精たちによる世紀の戦争ショーだ! さあ賭けた賭けた! 紅組が勝つか、青組が勝つか! 単勝に連番もあるよ! 妖精の能力は全て同じ、どれが勝つかは運次第だ!」
会場の端々で同じような呼びかけが起こった。それはシェルリにとって世界の終わりを目にするような戦慄を与える呪文となった。
競技場に放たれたエインフェリア達の右腕にはリボンが巻いてあり、その色は赤と青の二種類に分かれていた。エインフェリア達はプログラムされた通りに、赤いリボンと巻いた妖精と青いリボンを撒いた妖精で分かれて、二〇体ずつが向かい合う形になった。
シェルリは目の前で起ころうとしている事が夢であってほしいと願ったが、もはや疑う余地はなかった。残酷な人間たちは、罪もないフェアリー達を戦わせ、賭けの道具にしようとしているのだ。
シェルリ以外の人々は呼びかけに応じて賭けに狂奔していた。人間と同じ姿のフェアリーが戦わされようとしているのに、この人達はどうして平然としているのだろう? シェルリにとっては、この世のものとは思えない光景だった。
シェルリが慄然としている間に時間が過ぎ、ついに恐れていた時が来た。
戦闘の合図だろう、ほら貝を吹くような音がどこから響いてきた。それと同時に競技場のエインフェリアたちは動き出した。向かい合う二〇体ずつのエインフェリア達が翅を広げ、光の盾と槍を構えて凄まじい勢いで突撃していく。妖精たちの集団がぶつかり合ったその瞬間に、血煙が高く上がった。途端に観客から怒号のような歓声が上がった。競技場全体を地震のように震わせる声量の中で、心の弱いテスラは早々に目を逸らし、シェルリは卒然としてトラックの中で繰り広げられる絶望を見続けた。フェアリー達はプログラムされた通りに、互いに殺し合っていた。腹や胸を刺されて血まみれになっても、彼女等は光り輝く槍を振い続けた。青いリボンを付けた妖精の一体が槍を振うと、赤いリボンの妖精の首が飛び、赤いリボンの妖精が槍を振うと、青いリボンの妖精の腕が断たれた。血肉と体の一部が舞う中で、妖精たちは闘い続ける。首を飛ばされたりコアを貫かれた妖精たちは絶命して動かなくなり、槍を持つ右腕が使えなくなった妖精たちはどうして良いのか分からずおろおろするような仕草を見せながら、次々と討たれていった。妖精たちは人間よりも遥かに強い力を持つだけに、シェルリの目の前で展開される光景は余りにも悲惨だった。
「やめて!! お願いだからもうやめてっ!!!」
シェルリの悲愴深い叫びは、狂気に満ちた歓声に押しつぶされた。悲しんでいる者などシェルリ以外には一人もいない。誰もが妖精たちの殺し合いに狂喜し、賭け金の行方を巡って狂声を上げていた。シェルリは、この国の人間たちは、とっくの昔に狂ってしまっていたのだと理解させられた。
主賓室で妖精たちの殺し合いを見ていたシャイアは、しばらく呆然と見ていたが、耐えられなくなって部屋の外に出た。狂気に囚われた人々は、誰も、カーラインですらシャイアが出ていくのに気付かなかった。
「素晴らしい、大成功だ!」
シャイアが出口の扉に手を伸ばした時に、カーラインの喜ぶ声が聞こえた。シャイアは部屋を出た直後、吐き気を催してハンカチで口を押えた。そこへ慌ててボーイが飛んでくる。
「いかがいたしました? ご気分がすぐれないのであれば、医者をお呼びしましょうか?」
「……医者よりも馬車を呼んで頂戴、もう帰るわ」
「かしこまりました」
シャイアはボーイが呼んだ馬車で競技場から去っていった。
その後、壮絶な殺し合いの末に、赤いリボンの妖精が一体と、青いリボンの妖精3体が残った。どの妖精も体に負った傷と返り血で真っ赤に染まっていた。
誰もが青いリボンの妖精たちが勝つと思った。青いリボンの妖精たちは3体同時に、赤いリボンの妖精一体に迫った。すると赤いリボンの妖精は素早く後方に逃げる。そして、3体が重なったところに光の槍を突いた。その一撃は、一番前にいた青いリボンの妖精の胸を貫いてコアを破壊し、さらにその後ろにいた妖精の鳩尾を貫いた。それでも後方の妖精は、痛みなどないかのような無表情で、口から血を溢れさせながら突出し、赤いリボンの妖精がその瞬間に薙ぎ払うと、首が飛んで二つに分かれた肉塊が血を引きながら、それぞれ地面に墜落して転がった。
人々の歓声により一層狂気と激しさが増した。ついに一対一の戦いとなる。続いて最後の青いリボンの妖精が赤いリボンの妖精に接近してくる。二人は同時に槍を振り上げ、同時に斬り下ろした。その瞬間、赤いリボンの妖精は両足を断たれ、青いリボンの妖精は右腕が吹き飛んでいた。腕と一緒にそれに握られた槍も地上に落ちてゆく。これで勝負がついた、最後の青いリボンの妖精は、両足のない赤いリボンの妖精に胸を貫かれて絶命した。賭けに勝った者たちの嬉々とした叫びと、賭けに負けた者たちの罵倒が一つの恐ろしい狂気となってシェルリを包み込んだ。最後に残った足のない哀れな妖精は、一人寂しげに中空を彷徨っていた。その姿にシェルリは激しく胸を締め付けられ、涙が溢れて止まらなかった。
「よし! よくやったぞ、赤の一七番! 俺は絶対あいつはやると思ったんだ、おかげで大儲けだぜ!」
シェルリの隣にいた男が、狂喜乱舞してそんな事を口走っていた。それを聞いた時、シェルリの心の中にある何かが音を立てて崩れ落ちた。
――こんなのをサーヤが見たら、サーヤはきっと死んじゃう……
シェルリのサーヤが死ぬという思いは確信となって悪霊のように憑りつき、シェルリの心の深いところに根を張った。サーヤはフェアリーの為ならば命を賭けて戦う少女だ、この残酷な事実を知れば怪我を押してでも行動を起こすのは確かだろう。その点から考えればシェルリの思いはまったくの間違えではないが、それは冷静な思考から生まれたものではなかった。フェアリーの命を塵くらいにしか思っていないシルフリアの人間たちに対する怒りと悲しみが、シェルリを狂わせていた。
「サーヤを守らなきゃ……こんな酷い事、すぐに止めなきゃ……」
シェルリは観客が疎らになってきた競技場で、亡霊にでも取りつかれたかのように呆然としながら、出口に向かってあるいていく。そんなシェルリを後ろからついてきていたテスラが心配そうに見下ろしていた。