崩壊‐10
法王庁を妖精王庁という名前に変えました。全話通して法王庁は妖精王庁に変わっています。
この日の昼頃、フェアリープラント社のビルに守護騎士の一人が現れた。守護騎士とは妖精王庁の中で神殿騎士団を纏める役を担っている者たちで、全部で四人いる。全員が武を極めていて、更に妖精使いとして高い資質まで合わせ持つ、一騎当千の騎士たちだった。プラント社に来たのはその一人でシュリ・オウミと言い、刀剣の達人であると同時に、レッドダイヤモンドのコアを持つフェアリーを連れていた。大規模な神殿騎士団の将であるのに、お供はその一体のフェアリーだけだった。
カーラインは部下から守護騎士が来たことを聞くと、どうして妖精王庁の騎士が来たのか全く思い辺りがないので訝しんだが、すぐに取り次ぐように言った。その時に一緒にカーラインの自室にいたシャイアは、興味をそそられて話の邪魔をしないように出ていくふりをして、廊下で守護騎士が来るのを待った。間もなく彼女等は鉢合わせた。凛々しき姿の守護騎士が、シャイアとコッペリアの前で思わず足を止めた。二人の乙女は黙ってお互いを見ていた。シュリは東洋系の流麗な乙女で、右耳にだけあるレッドダイヤモンドをあしらったピアスが目立っている。長い黒髪は朱色のリボンでポニーテールにまとめ、襟の立った黒い制服と黒いマントを身に着け、腰にはもう少しで床に付きそうな程に長さのある刀を差していた。美しい娘だが、それに似合わず黒い瞳が放つ眼光は鋭く隙がなかった。一緒にいるフェアリーの方は主と似たような恰好をしていたが、赤い髪を黒いリボンでポニーテールにしていて、制服も赤く、白いショートマントには咲き誇る曼珠沙華の絵柄が入っている。更に背中にはミニサイズの刀のようなものを付けていて、マントの下から見える四枚のクリアレッドの翅は少し輝きをもっていた。そのフェアリーは、レッドダイヤモンドの輝きの宿る目でコッペリアを見つめて放さなかった。
――黒妖精……これが噂の令嬢か。
緊張する面持ちの騎士に対して、シャイアは余裕のある笑みを浮べて胸の下で腕を組んでいた。その時、コッペリアが楽しそうに笑い、少しばかり攻撃的な意志を持って騎士のフェアリーを睨む。その途端に、赤いフェアリーは表情を鋭くして背中の武器に手を付けた。
「リコリス!? どうしたと言うのだ!?」
「ごめんなさいね、わたしのフェアリーが驚かせちゃったみたい」
「そんな怖い顔するんじゃないよ、流石のわたしもダイヤモンドのコアを持つ奴と戦いたいとは思わないよ」
シャイアに続くようにコッペリアが言うと、シュリは驚きを隠せなかった。
――この黒妖精、睨みを効かせただけでリコリスをここまで警戒させたのか。こいつは化物だ、それをこのようなうら若き乙女が従えているとは……。
シュリは同じ女として、シャイアに対して密かに畏怖した。
「リコリス、やめなさい。この方が我々に危害を加えるとでも思っているのか」
リコリスは主の言う事に従って、武器から手を放した。
「失礼いたしました。どうも貴方様の妖精が放つ気が強すぎて警戒してしまったようです」
騎士は頭を下げて言った。それに対してシャイアは満足した笑みを浮べた。目の前の騎士が自分に対してひれ伏した事がはっきりと分かったからだった。
「礼儀正しいのね。気に入ったわ、名前を聞かせてちょうだい」
「神殿騎士団、守護騎士、シュリ・オウミと申します」
「わたしはシャイアよ、また会えるといいわね」
「はっ、任務があります故、これで失礼させて頂きます」
シュリにとってシャイアはこの場で会っただけの人間に過ぎないが、シュリの態度は法王に対するそれと何ら変わりがなかった。シャイアから離れた後、シュリは先ほどのシャイアに対する自分を冷静に見て、少しも不思議とは思わなかった。
――生まれながらに女帝の気質を持っている御方だ、あの黒妖精が従うのも頷ける。
たった一度の邂逅で、シュリの心にシャイアの存在が深く刻まれていた。
守護騎士シュリを自室に向かえたカーラインは、乙女の騎士から伝えられら内容に愕然とする事になる。
「コンダルタ卿、貴方にはシルフィア・シューレ襲撃に関する容疑と、その学校の院長二人の暗殺に関する容疑で、連行を願いたいのですが」
「な、な、何だとぉっ!!? そ、それはどういう事だ!!?」
「たった今、わたしが言った通りの事ですが」
「全然分からん!! だいたい、シルフィア・シューレの屑どもは、すべて国家反逆者ではないか! 粛清されて当然だろうが!」
カーラインが激怒しながら言うと、騎士は訝しい顔をした。
「国家反逆者とは、何を持って言っているのですか? あなたの言い分は異常な事のように思われますが」
騎士が真面目に言うので、カーラインは急に青ざめて狼狽した。彼は王国や妖精王庁を陰で操って、シルフィア・シューレを完全に孤立させることには成功していたが、何の罪もない学校の人々を国家の反逆者に仕立て上げる事には失敗していた。彼自身それが失敗していたとは夢にも思っていなかった。カーラインが流した虚偽は、ある程度までは広まっていたのだが、反抗勢力が出てきて声を上げ、虚偽を打ち壊していたのだ。その求心力となったのが暗殺されたフィヨルドの教え子であるセシリア・メルビウスだった。セシリアは優秀な妖精使いであると同時に大貴族の令嬢だった。そして、フェアリープラントの影響力が薄い最北の街に彼女がいた事も幸いだった。セシリアは自分の通う学校の生徒を始め、様々な有識者や、正義感の強い領主や貴族にまで声をかけ、かなり大きい勢力となって動き出した。遠い北国での事だったので、妖精王庁も王国もその動きが察知できず、気づいた時には覆し様のない状況となっていた。どうしてセシリアが遠く離れたシルフィア・シューレの状況をいち早く正確に把握できたのか、その陰にはリーリアの存在があった。リーリアは、セシリアの事は知らなかったが、名門のメルビウス家が優秀な妖精使いの家系であり、代々の当主は誰もが正義感が強く悪を許さない性質であった事を知っていた。だからリーリアはセシリアに手紙を送って希望の炎を投げたのだ、その炎が燃え上がり事態を好転させることを期待しての事だった。その効果はリーリアの期待以上で、状況を激変させる程の起爆剤となったのだった。
カーラインはよく状況が把握できずに、守護騎士の前で冷や汗をかいて体を震わせていた。
「ば、馬鹿な、わたしが学校の院長を暗殺したとでも思っているのか!?」
「あなたが殺したなどとは言っておりません。二つの事件について、フェアリープラントの関わりが疑われているので、取り調べをさせて頂きたいのです」
「だいたい、神殿騎士団は管轄が違うではないか。国内の事件の解決は、王国騎士団の役目だろう」
カーラインは、どうにかして目の前の騎士を追い返そうとしていた。
「確かにおっしゃる通りです。しかし、国民の訴えは全て妖精王庁に集まってきます。多くの国民が妖精王庁に、シルフィア・シューレで起こっている異様な事件に関して訴えてきています、どうしてそんな酷い事件が起こっているのかと。人々の怒りと不安は大きくなるばかりです、原因の究明が火急になってきたので、グラムロ様からの命を受けて参ったのです」
「な、なにぃ!? あの狸めが、ふざけた事を!」
カーラインが言った瞬間、女騎士の鋭い眼光を放ち、カーラインはそれに射抜かれて息が止まった。
「大司教様を侮辱するのは止めて下さい」
カーラインはハンカチを出して顔の汗をぬぐった。もはや声も出せなかった。
「言う事を聞かなければ実力行使でも構わないと言われていますが、それは好みません。一緒に来て頂けますね?」
シュリが言うと、その近で飛んでいるリコリスが翅を広げた。四枚の翅が赤く輝くと、カーラインは恐怖に慄きながら必要以上に頷きを繰り返した。
カーラインは黒服の部下を何人か連れて、突然の出張とでもいうような体裁を整えてフェアリープラント社を出ていった。しかし、カーラインの前を行く騎士とフェアリーの存在の妙が、見ている者に出張などではない事を容易に分からせた。シャイアはビルの一室の窓から、騎士の先導で馬車に乗り込む暗い影を背負ったカーラインを見ていた。その口元には、カーラインの不幸を楽しむ歪んだ笑いが浮かんでいた。
カーラインが連れて行かれたのは、妖精王庁の神殿だった。シュリを先頭にしてカーラインは黒服の男たちに護衛されて行く。神殿を訪れていたエリアノ教会の信者たちは、カーラインたちを奇異の目で見つめていた。カーラインは神殿の一室に案内され、部下とも引き離され、狭い部屋でたった一人で待つことを強要された。やがて金髪のツインテールの妖精を連れた美しいブロンドの女騎士と一緒に、大司教のグラムロが現れた。それを見たカーラインは立ち上がって何か言いかけたが、守護騎士と妖精の存在が彼に言葉を許さなかった。女騎士の胸にはトライアングルカットのピンクダイヤモンドのペンダントが輝いていた。
「イルティス、お前はタイムと一緒に外を見張っていておくれ」
グラムロの命令に女騎士が一礼して妖精と一緒に出ていくと、カーラインは途端に憤激して、目の前のテーブルに両手をついて身を乗り出した。
「グラムロ、これはどういう事だ!」
「そう怒るでない、まずは落ち着いて話をすることだ。お前にとって状況は良くない方向に進んでおるぞ」
グラムロは大貴族セシリアの動きを伝えると、カーラインは余りの忌々しさにテーブルを叩き、凶暴な声を上げた。
「元はと言えば、シルフィア・シューレの馬鹿どもが盾突くから悪いのだ! なんで奴らの為に、わたしがこんな目に合わなければならないのだ!」
「少々やりすぎましたね、学校の院長を立て続けに暗殺し、さらにフェアリーを使って校舎を襲撃した。同じ学校でこれだけ事件が短期間に起これば目立つのは当たり前です。それでもセシリアの件がなければ何とでもなりましたが、今の状況では王国や神殿の力を使っても、もみ消す事は難しいでしょうな」
「何とかならんのか、わたしの立場が危うくなるのは、貴様やアリオスにとっても旨くないだろうが」
「分かっていますよ、だから貴方をお呼びしたのです」
「何が、お呼びしただ! 守護騎士にわたしを捕まえるように命令したのは貴様だろうが!」
「今の状況では、そのように命令しないと騎士たちが怪しみますからな。今はそんな飛沫な事を気にしている場合ではありませんよ」
常に冷静にやわらかな態度を取るグラムロに、カーラインは唾を吐きたいような気持になった。
「……で、どうする気だ?」
「そう難しい事ではありません。要は、暗殺の犯人を捕まえればよいのです。フェアリー達の襲撃に関しては、プログラムの誤りとして、プラントの研究員の一人に責任を背負わせれば良い、やり方は貴方に任せますよ。暗殺の犯人はこちらで全力を持って探し出しますから、安心して下され」
暗殺の犯人など見つかるはずはない。それはカーラインもグラムロも分かっている。グラムロの真意は適当な人間を犯人に仕立て上げて、事態を収拾するという事だった。
「後は、貴方には一ヶ月は自主謹慎して頂きましょう」
「な、なにぃ!? ふざけるな、冗談ではない! これから新しいフェアリーを世界中に売り込むという時だぞ、謹慎などしていられるか!」
「ほとぼりが冷めるまでは大人しくしていた方がいいでしょう。嫌だと言うのなら無理強いはしませんが、貴方が墓穴を掘ったとしても、神殿も王国も手助けはしませんので、それは心得て下さい」
そう言ったときのグラムロの目に、奥に隠れた魔性の部分が見えていた。カーラインは背筋に寒いものを感じて、今までの強気な態度を一変させた。
「わ、わかった、言う通りにしよう」
カーラインは悪魔のような心を持った人間だが、グラムロにはそれを遥かに凌駕する魔が潜んでいた。
カーラインとグラムロの密談から何日かして、フェアリーによるシルフィア・シューレ襲撃に関して神殿騎士団からお触れがあった。プラントの見解によると、新しいフェアリーの開発段階でプログラムにミスがあり、それが原因で起こった事件だと言う。クラインはその責任の全てを背負わされ、フェアリープラントから追放された。
フェアリープラントを出たクラインは、薄暗い森の中で空を見上げていた。強い風が吹いて森全体がわなないているようだった。エインフェリアによるシルフィア・シューレ襲撃事件の汚名を一身に被せられたクラインだったが、それに関して彼は何も感じていなかった。ただ、エインフェリアやメイルリンクを創ってしまった事による、深い罪の意識の海で溺れ苦しんでいた。レディメリーは、クラインの前に浮いていて、心配そうに見下ろしていた。やがて空を見上げていたクラインは、レディメリーを見ると、ピンクトパーズのペンダントを首から外して、金の鎖と一緒に宝石を掌に置いた。
「何してるの?」
「レディメリー、今までありがとう、お別れだよ」
「何言ってるの!!? 意味わかんないよ!!?」
微笑を浮べるクラインの瞳が輝いていた。それは深淵の悲愴が表す暗い光だった。レディメリーは本当に別れの時が来たのだと直感で理解した。そして、彼女の桃色の瞳から止めどなく涙が溢れては零れた。
「契約を解除する」
「嫌だ、嫌だっ!! そんな事いわないで、わたしのこと見捨てないでよ!!」
「レディメリー、違うんだよ。わたしにはもう、妖精使いである資格はないんだ。だから、君は新しいマスターを見つけて幸せになってくれ」
クラインが宝石を握り込むと、それが手の中で桃色の優しい輝きを放った。そして、その輝きが完全に消えて失せた瞬間に、クラインとレディメリーの絆は断たれた。契約の解除が終ると、クラインは泣いているレディメリーの首に、鎖を二重に巻きつけてピンクトパーズのペンダントを付けた。
「さあ、どこへでも好きなところへお行き」
レディメリーは涙を飛ばしながら首を何度も横に振った。
「いや、わたしはずっとクラインと一緒にいる!!」
「……いいさ、付いてくるのは君の勝手だ。いつか、きみのマスターにふさわしい人が現れるその時までは、一緒にいてやることくらいは出来るよ」
「そんな人いないわよ! クラインは少しおかしくなっちゃってるのよ、正気に戻ったら契約し直してもらうんだから!」
クラインは微笑を浮べると、それから森の中に一本走っている道を歩き出す。レディメリーはその後を追いかけていった。
シェルリはリーリアの忠告を無視して、毎日のように競技場の様子を見に来ていた。
「今日も変わったことは何もないね」
「シェルリ~、おなかすいたよぅ」
おなかを押さえて言うテスラの微笑ましい姿に、シェルリの顔に自然と微笑が浮かんだ。シェルリはリーリアには悪いと思っていたが、何もせずにじっとしていることが耐えられず、学校での様々な事件によりプラントに対しての怒りも深かった。それに少しでも学校や友達の為に役に立ちたいと思いが大きかった。
シェルリは学校に帰ると、すぐにサーヤの部屋にお見舞いに行った。サーヤは日ごとに元気を回復し、傷は完治とまではいかないが、自由に出歩くことが出来るまでになっていた。サーヤは街の様子を知りたがったが、リーリアが傷の完治までは街には行かせないと言って、サーヤを学校に押し止めていたので、サーヤは競技場の噂をまだ知らなかった。
「よかった、もう大丈夫そうだね」
「聞いてよ、リーリアがね、どうしても街に行かせてくれないんだよ。もう飛んだって跳ねたって平気なのに!」
ウィンディやシルメラと一緒にベッドに座っているサーヤがぶすくれた顔で言うと、シェルリは苦笑いを浮かべた。
「完治してないんだから、いくら何でも飛んだり跳ねたりは駄目だよ。それと、傷がちゃんと治るまでは、リーリアの言う事を聞いてね」
「ぶーっ、みんな過保護すぎるんだよ」
「サーヤはいっぱい頑張ってるんだから、休める時に休んだ方がいいと思うぞ」
シルメラが言うと、サーヤはたちまち機嫌を直した。
「ありがとう、二人にはたくさん心配かけちゃったもんね、早く傷を治さないといけないよね」
サーヤは愛おしそうに両隣に座っている妖精たちの頭をなでていた。その時に誰かがドアを叩いた。
「サーヤさん、食事を持ってきましたよ」
あまり見慣れない白衣の男がサーヤの部屋に入ってくる。男は右手に銀のトレイ、左手には布のかかったバスケットを持っていた。
「あれ、確かコックさんですよね」
「一度だけ会ったことがありましたよね」
サーヤはその時の事を思いだすと、いきなり頭を下げた。
「あの時はごめんなさい、ウィンディがパンを盗み食いしちゃって……」
「ああ、もういいんだよ、あんな昔の事はね。それよりも、君の怪我が早く治るように、特別の料理を持ってきたよ」
コックの右手にある銀のトレイの上には厚切りの食パンにビーフシチュー、チーズの塊とレタスの緑が鮮やかなサラダ、それに皮をむいたリンゴの半身があった。孤立を余儀なくされて食料不足のシルフィア・シューレでは、考えられないようなご馳走だった。
「うわぁ、すごい。でも、食料がないのに、わたしだけこんなご馳走食べられませんよ」
「実は何かあった時の為に、食材を少し隠し持っていたんだ。それで作ったものだから、気兼ねなく食べてくれ」
コックはサーヤのベッドの近くにある小さなテーブルにご馳走を置いて、それから今度は壁際の長椅子に左手のバスケットを置いて上の布を取った。その途端にフェアリー達が目を輝かせた。
「クッキーも焼いたんだ、これは妖精たちにと思ってね。さあ、こっちに来ておあがり」
ウィンディ、シルメラ、テスラの三人は、吸い寄せられるようにバスケットの近くに集まって、遠慮なしにクッキーを食べ始めた。
「コックさん、本当にありがとうございます」
「どいたしまして、早く怪我が治るといいね」
サーヤに向かってコックは満面の笑みを浮べ、銀のトレイで胸を隠すようにして言った。その時、クッキーを食べていたシルメラがスイッチでも入れるようなほんの僅かな音を聞き分けた。シルメラは瞬時に大鎌を出して飛んだ。
「サーヤっ!!!」
瞬間、部屋に爆音が轟いた。銀のトレイを突き破った鋼鉄の弾丸が、サーヤの胸に向かって飛ぶ。それと同時に、シルメラがコックとサーヤの間に割り込んでいた。弾丸はシルメラの鎌に阻まれて弾け飛び、天井を穿って穴をあけた。
「何て奴だ!!?」
コックは舌打ちの後に言って、廊下に飛び出し近くの窓を突き破って中庭に躍り出て逃走した。
「サーヤ、院長のフィヨルドを殺したのはあいつだ!」
シルメラはフィヨルドの体に染み込んでいた火薬の匂いと、今コックがサーヤを狙った銃からの火薬の匂いが同じである事を悟ったのだ。シェルリは何が起こったのか分からず呆然としていた。サーヤの方は、自分の命が狙われたにも関わらず、まったく動じずにシルメラに命令していた。
「シルメラ、捕まえて!」
「まかせろ!」
シルメラが窓から出ていくと、すぐに銃声を聞いたセリアリスとマリアーナが来た。二人に声を出す暇を与えずにサーヤは言った。
「わたしは大丈夫です! フィヨルド先生を殺した犯人がコックさんだったんです! その人は中庭に逃げました!」
セリアリスはそれを聞くや否や走りだし、ニルヴァーナと一緒に校庭に出て言った。
「ニルヴァーナ、ロジャーさんを探して」
ニルヴァーナが上昇すると、シルメラの声が飛んできた。
「見つけたぞ! 人間の足で逃げ切れるものか!」
シルメラは校庭から学校の出入り口に向かって走るコックに向かって、上空から迫っていた。そしてコックが門の前まで来た時に何故か急に止まった。突然、門から馬にまたがった数人の騎士たちが入って来ていた。コックは反転して逆に逃げようとするが、いつの間にか赤い翅のフェアリーが回り込んでいて、それを見るとびくりと体を震わせた。赤い羽根のフェアリーは背中にある刀剣らしきものを抜いた。それには鍔と柄のみしかなく刃が存在していなかった。その妙な物にコックが疑問に思う間もなく、鍔元から赤い輝きが出でて、瞬時に赤光の刀が形成されていた。それがコックの喉に触れるか触れないかの所で赤い刃が光を放つ、その状況に恐怖の余り震えている男に、騎士たちを率いて来た守護騎士シュリが言った。
「ロジャー・バランタイン、マレシュトロフ・シラク及びフィヨルド・シラク暗殺の容疑で捕縛する」
「こんなタイミングで騎士団が来るとは、はめられたのか、俺は…………」
近くまで来ていたシルメラとニルヴァーナは、上空から様子を見ていた。
「あれはトゥインクル・レスティアのリコリスだ。という事は、あいつらは神殿騎士団か」
シルメラが言うと、ニルヴァーナはそにれ無言で頷いた。
その後、騎士たちがロジャーに縄をかけている間に、校舎から学校の関係者が出てきて騎士たちの所に集まると、シルメラとニルヴァーナもそれぞれ主の近くに降りた。騎士たちに面と向かって立ったのはセリアリスとマリアーナで、リーリアとサーヤとシェルリは少し離れて見守っていた。セリアリスがスカートの袖を摘まんで礼をすると、シュリは目礼で返した。
「ロジャーさん、貴方がフィヨルドを殺したのですか?」
コックのロジャーが黙っていると、代わりにシュリが言った。
「間違いありません、この男がマレシュトロフとフィヨルドの両名を暗殺したのです」
それを聞いたセリアリスは驚くような顔をした。マレシュトロフを暗殺した者が人間ではないことを彼女は知っていた。シュリの言っている事は明らかにおかしいが、言っている当人は真剣そのものであったし、そもそも誇り高い騎士が嘘を言うとも思えなかった。セリアリスはシュリの背後に暗い影を感じた。
「今知りたいのは、この人がフィヨルドを暗殺したのかどうかと言う事です」
「そうさ、フィヨルドは俺が殺した」
ロジャーはコックに成りすましていた時の優しい青年から、殺しを苦としない暗殺者へと変貌していた。その攻撃的で陰気な表情には笑みすら浮かんでいる。
「依頼主はフェアリー・プラントの関係者ですね」
「いや、プラントなど知らんね、おれはただ金の為に殺しただけだ。ぼんくらの院長一人を殺すだけで巨額の報酬が得られる美味しい仕事だったんでね」
「あなたは、お金なんかの為に、あの人を……」
セリアリスは余りの悔しさに涙を流した。金の為にフィヨルドが殺されたと思うと、怒りと悲しみで胸が破裂しそうだった。それを見てロジャーは鼻で笑った。
「あんたはあの男を愛していたんだな、哀れなもんだ」
それを聞いたサーヤは、怒りを燃え上がらせてセリアリスの前に出てきた。
「哀れなのは貴方の方です! お金の為に人を殺すなんて、あなたほど可哀そうな人はいません!」
「驚いた、もう少しで殺されるところだった娘の言葉とは思えないな。お嬢さんはずっと前から俺に命を狙われていたんだぜ。黒妖精がいつも近くにいるから隙がなかったんだ。いつか、機会を見つけて確実に殺すつもだった。だが、何故か依頼主がお嬢さんの暗殺を急かしてきんだ、何としても今日中に殺すようにとな、そうでなければお嬢さんの命は、いつか俺に握りつぶされていただろうよ、どうだい少しはぞっとしたかい」
「話はこれまでにして頂きましょう。後の事は神殿の方で取り調べますので」
ロジャーは神殿騎士に連行された。学校から出てゆくコックの姿を見つめるサーヤの目には涙が光っていた。サーヤがこの学校に来て初めて言葉を交わしたのがコックのロジャーだった。ウィンディが勝手に厨房から持ち出したパンを食べてしまった時に見たロジャーの優しさは、サーヤの中では紛れもない真実であり、学校での大切な思い出だった。それが音を立てて崩れていくと、自然と涙が溢れていた。
それから何日かして、ロジャー・バランタインは処刑された。罪状はサーヤ・カナリーに対する殺人未遂とマレシュトロフ・シラク及びフィヨルド・シラク暗殺の罪による。それが妖精王庁から発表されると、シルフィア・シューレで起こった一連の事件から出た騒ぎは一挙に収束していった。それにより、大貴族セシリアの起こした運動も停滞を余儀なくされた。