表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅸ 崩壊
52/79

崩壊‐7

 シルフィア・シューレでは一週間休校ということになっていた。それは精神的に打撃を受けた生徒たちに、心の整理をつけてもらう為の期間と言えた。

 フィヨルドが亡くなってから四日目の夜が訪れていた。生徒たちはマリアーナのお陰でいくらか希望を見出したものの、フィヨルドを失った衝撃はまだまだ大きく、そのせいで大半の者が無気力になっていた。それはセリアリスも同様で、院長になってから特に何をするわでもなく、院長の椅子に座って考え込む事が多かった。マリアーナはセリアリスが立ち直る事を信じて、セリアリスの近くにいながら余計な口出しはしなかった。

 院長室にある振り子時計が夜の九時を指し音が鳴り響いた。

「……そろそろ寝ます」

 セリアリスが言うと、傍らにいたマリアーナは会釈した。時計の音が止むと、夜が静寂を取り戻す。もう殆どの生徒が寝ているはずの時間でもあった。

 その時、それぞれ主の近くにいたニルヴァーナとティアリーが、いきなり振り向いて院長の机の後ろの壁を見詰めた。フェアリーたちの様子で、マスター二人も異常な事態が起こりつつある事に気づかざるを得なかった。

「沢山のフェアリーが近付いてくるよ」

 ティアリーが言うと、マリアーナはきっと表情を緊張で硬くした。

「数はどれくいか分かる?」

「う~ん、良くわかんないけど、5人や十人じゃないよ」

 セリアリスは黙って壁を凝視するフェアリー達を見ていた。彼女等は実際は壁を見ていたわけではなく、ティアリーの言うフェアリー達の来る方向を示していたのだった。それに気付いたセリアリスはまるでナイフでも突き付けられたようにおののいた声で言った。

「この方角にあるのは、フェアリープラント!!?」

「嫌な予感がします! すぐに生徒たちを非難させましょう!」

「今から一人ひとり起こしてたら間に合わないよ! すごい勢いで近づいてきてる!」

 ティアリーが慌てふためいて言ったとき、ニルヴァーナが院長室の扉を体当たりして開け、さらに廊下の向こう側にある窓ガラスを突き破って中庭の上空に出た。校舎から中庭を挟んだ向こう側に、生徒たちの寮があった。

 ニルヴァーナが蝙蝠のような両翼を開くと、左右の翼の前に真っ赤な六芒星が現れて回転し、そこから赤い光線が雨のように降って中庭で次々と炸裂した。その轟音に寝ていた生徒たちは驚いて飛び起き、次々と寮の廊下に出てきた。

「ニルヴァーナ、ありがとう!」

 セリアリスはそう言いながらマリアーナに手を引かれて院長室から駆け出していた。ティアリーはニルヴァーナが壊した窓から先に外に出て、生徒たちに呼びかけた。

「敵襲よ! フェアリープラントから敵がやってくるわ! みんな早く講堂に避難するのよ!」

 それを聞いた寮の生徒たちが一斉に動き出す。マリアーナはセリアリスを先に講堂に行かせ、自分は寮に行って生徒たちが混乱しないように声をかけたり、まだ部屋に残っている者がいないか各部屋を見て回ったりしていた。

 ほとんどの生徒たちが講堂に逃げ込んだ直後に、おおよそ三十体のエインフェリアがシルフィア・シューレの上空に現れた。彼女等はプログラムされた通りに、校舎から攻撃を始めた。

 夜の闇を緑の閃光が貫いて校舎の屋根を打ち抜き、その下にあった院長室で爆発が起こった。窓が内側から割れて、炎が噴き出す。それを合図にして、エインフェリアたちは次々と槍先から光線を放ち、校舎の屋根に雨のごとく降らせた。無人の校舎はそこかしこで爆発を起こして炎に包まれていった。

 マリアーナは最後の生徒を講堂に導いてから、足を止めて上空の襲来者を見た。

「見た事もないフェアリーだわ」

 今は多くを考えている余裕はなかった。マリアーナはティアリーと共に急いで講堂に向かった。

 病院で療養していたサーヤは、ティアリーやニルヴァーナよりも早くエインフェリアの存在に気づいていた。

「何だこれ、たくさんいるぞ」

 そう言うシルメラは、飛び上がって窓から夜空を見ていた。

 サーヤは近づきつつある無数のフェアリーから嫌な気配を感じた。しかもそれが、シルフィア・シューレの方に向かっている事も分かった。

 サーヤは寝衣のままベッドから飛び出して、裸足のまま病室から飛び出した。

「あ、サーヤ~」

「おい、まだ動いちゃ駄目だ!」

 ウィンディとシルメラもサーヤの後を追った。

 病院を出る途中でサーヤは看護婦に見つかって咎められた。

「サーヤさん!!? 何をしているんですか!! あなたは動いて良いような体ではないのですよ!!!」

 その声は荒く、注意よりも憤激に近かった。そんな白衣の乙女の様子から、サーヤの状態がまだまだ深刻であることが分かる。それでもサーヤは看護婦を振り切った。

「ごめんなさい!」

 サーヤは走りながら、すでに治りかかった腹の傷に違和感を感じていた。

 外に出たサーヤはシルメラに言った。

「シルフィア・シューレまで、わたしを運べない?」

「それは出来るけれど、そんな体じゃ負担が大きすぎる」

「今はそんな事を心配してる時じゃないの! お願いシルメラ!」

 いくらシルメラが心配でも、マスターの命令には逆らえない。シルメラは了承し得ない思いを顔に表しながら、サーヤの背中に取りついて、出来るだけサーヤの傷に負担をかけないようにして胸の下と腰の辺りに手を回した。シルメラが黒い翼を羽ばたかせると、サーヤの体はいとも簡単に浮いた。シルメラはいつもよりもずっと慎重に上昇して、低空で前に進んだ。ウィンディもその後に続く。サーヤが下を見ると、光を散らしたように街の明りが見えていた。

「急いで、シルメラ」

 サーヤはシルメラがその命令を嫌がるのを知りつつ言った。

「あんまり体に負担をかけるとサーヤの傷が、って言いたいところだけれど、どうせ言ってもきかないよな」

「わたしの体なんかよりも、シルフィア・シューレの方が心配だから」

 わたしはサーヤの方が心配だ、とシルメラは胸中で反論しつつ速度を上げた。やがて夜風を切るほどに速度が上がると、サーヤは今になって空飛ぶ方法を発見したことに驚き、同時に腹部の違和感が徐々に痛みへと変わっていくのを感じていた。


 エインフェリアの容赦ない攻撃は続いていた。校舎は炎上し、ほとんど大破という状態にまでなっていた。第一の目標を破壊したエインフェリアたちは、次に校舎と宿舎から少し離れた場所にある講堂に矛先を向けた。その途端に、先頭にいたエインフェリアがいきなり横に吹き飛んで校庭に墜落していった。全てのエインフェリアが目の前に来た者に目標を変更させられる。真紅に輝く双眼のニルヴァーナがそこにはいた。

 エインフェリアたちは矛先の輝く槍をニルヴァーナに向けて殺到した。ニルヴァーナは最初の刺突を避けると同時に、相手を殴り飛ばし、ほとんど同時に後ろから迫っていた3体のエインフェリアは、ニルヴァーナの翼の一振りで吹き飛ばされる。更に左右から挟み討ちに槍を突き出してきた二体の攻撃に対しては、上昇してそれを避け、同時に目にもとまらぬ回し蹴りの連続で二体を打ちのめした。夜のニルヴァーナの強さは比類なきものだが、フェアリーはマスターの命令がない限りは同朋を殺さないので、エインフェリアたちの動きを止めて時間を稼ぐ事しかできなかった。しかもその数は三〇を数え、更に天才クリエイターのクラインが生み出したものだけあって、ニルヴァーナの強烈な一撃を食らって昏倒しても、しばらくすると意識を取り戻して戦線に戻った。ニルヴァーナがいくら倒しても切りがなかった。

 やがてエインフェリアたちは、まるで事前に打ち合わせをしていたかのように戦略を変えてきた。二〇体がニルヴァーナに戦いを挑み、残りの一〇体は講堂に向かって行ったのだ。ニルヴァーナはすぐにそれに気付いたが、二〇体ものエインフェリアに邪魔されてはどうにも動けなかった。

 エインフェリアたちがニルヴァーナに槍先を向けて、同時に光線を放つ。ニルヴァーナは両翼で自らの体を包み込み、そこへ次々と光線が炸裂した。無数の爆発の後にニルヴァーナは炎と煙の中から姿を現す。無傷だが、爆発の衝撃で吹き飛ばされて、講堂との距離がかなり開いてしまっていた。

 講堂の上空に来た一〇体のエインフェリアは、槍を下に向けた。講堂の屋根の上にティアリーが立って今にも攻撃せんとする妖精たちを見上げていた。

「やらせるもんですか!」

 ティアリーが白い翼を広げて手を上げると、そこから光が広がる。千人以上を収容できるドーム型の講堂が、見る間に光の膜に包まれる。エインフェリア達が放った光線は、ティアリーの作ったバリアに阻まれて、講堂に達する手前で四散し消滅した。

 講堂の中では、バリアが光線を弾く音が響いていた。非難した生徒たちは、一か所に集まり座り込んでいた。中には恐ろしさのあまり震える者もあった。自分たちが危機的状況で有る事を全員が理解していた。その中でセリアリスの指輪のアレキサンドライトと、マリアーナのペンダントのエメラルドが燈明の役を果たすほどに眩く輝き、講堂の中の闇を払っていた。

「ニルヴァーナが苦戦しているみたい……」

「相当な数のフェアリーがいるようですね」

 眩い宝石の輝きに照らされながら、シェルリはカシミールサファイアのペンダントを胸元から取りだして見つめた。それは何の反応も示さず、黒妖精のテスラは主の胸にしがみついて震えていた。テスラはニルヴァーナにも負けない力を持っているはずなのに、その臆病さから何一つ発揮できないでいる。シェルリは優秀な力を持ちながら権力者に頭を押さえつけられた武官のような無念さを感じてしまうのだった。

 エインフェリア達の攻撃は絶え間なく続いた。夜はまだまだ長くニルヴァーナは戦い続けられるし、ティアリーの光の結界も強力だった。しかし、魔力を供給しているマスターの方は、そう長くは耐えられない。ティアリーの魔法は広範囲に及び、その分マスターにかかる負担も大きかった。

 マリアーナは生徒たちの前で眩暈を起こしてふらつく。セリアリスはそれに気付いてマリアーナの背中を支えた。

「マリアーナ、魔力を抑えないと体がもたないわ」

「生徒たちを守る為には、これ以上は魔力を抑えられません」

「このままでは、あなたはライフブレイクエフェクトを起こして死んでしまう」

「ここに来た時から死ぬ覚悟はしていました。あなたと生徒達は命に代えても守りますから」

「駄目よ!!」

 講堂内にセリアリスの叫びが反響した。生徒達は驚いてセリアリスに視線を集中させた。激しい感情を露わにするセリアリスを、生徒達は初めて見た。

「尊敬する人も、愛する人も死んだわ。その挙句に大切な友達まで……もう沢山よ!」

 セリアリスは意を決して表情を強くした。

「ニルヴァーナに攻撃させるわ」

 セリアリスが言うと、マリアーナが苦しそうに息をつきながら、友の肩に手を置いて首を横に振った。

「いかに黒妖精でも、あれだけの数の仲間を殺したら、心が壊れてしまうでしょう。あの子はあなたにとって愛すべき存在です。だから、そんな事はしないで下さい」

「なら、どうしたらいいの、わたしはどうしたら……」

「わたしの命などに構わずに、あなたは成すべき事をして下さい」

「いやよ! あなたも一緒に行くのよ!」

 セリアリスは葛藤の末にニルヴァーナを戦わせる事に決めた。

 エインフェリア達が講堂を攻撃し始めた頃、サーヤは上空で燃え上がる校舎を発見していた。

「学校が燃えてる!!? シルメラ、急いで!!!」

「わかった!」

 シルメラはサーヤの体が心配だったが、言うとおりにして急降下した。炎上する校舎がサーヤの視界にどんどん迫ってきて、すぐに惨状を理解するに至った。見た事もないフェアリー達が学校を攻撃する様は、サーヤの心を酷く痛めた。そして、そのフェアリー達と戦うニルヴァーナと、講堂を守っているティアリーの姿にも気付いていた。

 シルメラが出来るだけ静かにサーヤを校庭に降ろした。それにもかかわらず、サーヤは腹を押さえていかにも痛そうに片目を閉じていた。

 この時にニルヴァーナの両手の五指の爪が長く伸びて、校舎の炎の光でサーベルのように妖しく輝いた。今まさに、セリアリスの命令を実行せんとしているところだった。

「駄目よニルヴァーナ、この子達を傷つけないで!!」

 その叫びで、ニルヴァーナは金縛りにあったように固まり、サーヤの存在に気付いた。

 サーヤは大声を出したのが腹に響いて、耐えかねる痛みに歯を食いしばり、冷や汗を流しながら夜空を見上げた。校舎から吹きあがる炎がサーヤの目に入る全ての情景を赤く照らしていた。講堂に群がるエインフェリアたちは今もなお攻撃を続け、ニルヴァーナが相手をしていたエインフェリアたちも向きを変えて、講堂の方に移動しようとしていた。サーヤにはエインフェリア達が悪い事をするのが、彼女等のせいでない事は分かっていたが、それでも言いようのない怒りが込み上げた。それは子供の悪事に怒りを燃やす母親とほとんど同じようなものであった。

「やめなさい」

 サーヤが静かに言った。嵐の前の静けさを声にしたようだった。間近にいたシルメラとウィンディは思わず震えていた。

「あなたたち、やめなさーーーい!!!」

 それはフェアリーにとっては声ではなく、サーヤの怒が巻き起こした烈風だった。シルメラとニルヴァーナは思わずびくつき、ウィンディは自分が怒られたように思い両手で頭を押さえて縮こまる。ティアリーも驚いて守りの魔法を解いてしまっていた。それでも問題はなかった。三十人のエインフェリアはもっと混乱していたからだ。一様に虚ろで意志の宿らない目をしていた彼女等は、急に知性をもったかのように緑の瞳が輝き出し。空中で迷子になったかのように右往左往し始めた。サーヤの声によって閉じ込められていた心が解放されたのだ。

 迷走していた妖精の集団は、行く当てのない者のように、四方八方へと散り始めた。最後に逃げ出そうとしたエインフェリアは、ニルヴァーナに手を掴まれて捉えられた。彼女は嫌がってニルヴァーナの顔を叩いたり翅をやたらに動かしたりして戒めを解こうとしたが、全く無駄な行為だった。面白い事に、そのエインフェリアは暴れるだけで、もう背中に差してある槍を使おうとはしなかった。ニルヴァーナはエインフェリアの首を掴んで締め上げて沈黙させた。

 サーヤはエインフェリアが完全に四散するのを見届けると、ひざを折ってその場に倒れ伏した。

「あうう!? サーヤ!!」

「おい、サーヤ、どうしたんだ!?」

 ウィンディとシルメラが青い顔をしてサーヤの近くに駆け寄る。そうすると、二人はさらに戦慄を覚えた。サーヤは腹部を両手で押さえて苦しんでいて、掌の下から血が滲んで広がりつつあった。

「これは、やばい……」

 シルメラがどうしようと迷っていると、ニルヴァーナがほとんど無理やりにセリアリスの手を引いてやってきた。マリアーナもティアリーを引き連れて、その後から走ってきていた。

「ちょっと、どうしたのニルヴァーナ!?」

 セリアリスは驚いていたが、すぐ近くにサーヤがいる事に気づいた。サーヤの普通の人間にはないフェアリーへの愛と強大な力は、目の見えないセリアリスに、直に触れているようにその存在を示していた。

「セリアリス、サーヤが大変なんだ!」

 シルメラの涙が混じったような声に、セリアリスは自体が深刻であることを悟った。後から来ていたマリアーナが、すぐにサーヤの容体を確認した。

「出血が酷い、このままでは危ないわ」

「ああ、サーヤはそんな体で、わたしたちを助けに来てくれたのね。助けなければ、この子だけは死なせてはいけない」

 セリアリスは自分に聞かせるような調子で言った。マリアーナはそれに答えるように頷いた。

「すぐに寮に運んで治療をします。ティアリー、あなたの出番よ」

「このわたしに、まっかせなさい!」

 ティアリーは自信満々の意を自分の胸を叩いて表白した。

 シルメラはウィンディ、ニルヴァーナと協力してサーヤを寮の一室に運んだ。


 サーヤが気づいた時、部屋は窓から注ぐ温かな光に満ち溢れていた。少し前に見た燃える校舎の記憶も沸騰するように激しい傷の痛みも悪夢と思えるほど、今は安らかに時が流れていた。

「学校は……?」

「サーヤ、良かった、本当によかったわ」

 呼びかけられてサーヤは初めて部屋に多くの人がいる事に気づいた。

 サーヤが横たわるベッドのすぐ横でセリアリスが椅子に座っていた。彼女はサーヤの手を握ってじっと見つめていた。他にもリーリア、シェルリ、そして見知らぬ白衣でブロンドの女が、それぞれ従えるフェアリーと共にいた。

「みんな、学校はどうなったの? 他の人たちは無事なの?」

 セリアリスは、深く傷ついた自分の身よりも他人を心配するサーヤの健気さに涙を零した。

「大丈夫、みんな無事よ。全部あなたのお蔭よ」

 サーヤは声は出さずに安堵の笑みを浮べた。

「そんな体で無理をしすぎです。ティアリーがいなければ、あなたは助からなかったでしょう」

「わたしが白魔法で傷を手当してあげたのよ、感謝しなさいよね」

 サーヤの知らぬ女と白い翼を持つフェアリーが言った。

「あなた達は?」

「わたしはティアリーよ、そこにいるエクレアの妹なの」

 ティアリーは浮かない顔のリーリアの側を飛んでいる七色のフェアリーを指さして言った。主を差し置いて自己紹介するところが、いかにもエクレアの妹らしかった。サーヤは表情が明るくなった。フェアリーとはサーヤにとって希望そのものなのだ。一人増える度に彼女の胸に喜びが募るのだ。

 サーヤはティアリーの主の方を見た。その疑問を投げかけるような視線にマリアーナは答えた。

「わたくしは副院長のマリアーナ・シラクと申します。前に院長だったフィヨルド・シラクの妹です」

「フィヨルド先生の妹さん!?」

 サーヤはそれがフィヨルドの妹などと夢にも思わなかったので驚いた。その時に沈んだ様子のリーリアが、何も言わずに部屋から出ようとした。サーヤの無事を確認し、後は何も用はないと言わんばかりの態度だった。それに気づいたサーヤは、思わず背を向けたリーリアに向かって手を伸ばした。サーヤが声をかける前にリーリアは部屋から出ていってしまった。

「リーリア……」

「何か様子が変だったね。わたしが話を聞いてみるよ」

 シェルリはテスラを抱いたままリーリアの後を追った。


 リーリアは校庭にあるベンチに座っていた。少し前まで多くの生徒たちが妖精と戯れて遊ぶ姿が見られた場所だが、今は人一人もなく寂寥としていた。辺りの草木が晩秋い彩られいるのも手伝って、見ているだけで不安を誘われるような寂しさがあった。

 エクレアはリーリアの隣に座って、しきりに主のことを見上げて気にしていたが、何を言っていいものか迷っていた。そこにシェルリがやってきてリーリアの前に立った。

「リーリア、どうしたの?」

「…………」

 黙するリーリアの隣にシェルリは座った。それからリーリアの顔を覗いてみると、うつむき加減のリーリアの青い瞳は泣いているように輝いていて、悲しみの色が深かった。そんなリーリアの頬にシェルリに抱かれていたテスラの小さな手が触れた。リーリアは青海のように澄んだ眼をテスラに向ける。

「何をそんなに悲しんでいるの?」

 テスラが心配そうに言った。それで心が和らいだのか、リーリアは顔をあげて話し始めた。

「わたしは遅れてきた者よ。皆が危ない時に何もできずにいた。情けない話なのだわ」

「だって、リーリアは大切な用事があって遠くにいっていたんでしょ、仕方がないじゃない」

「そんな事は理由にならないわ」

「どうして? 仕方がない事だよ、そんなに自分を責めないで」

「仕方がないなんて、そんな簡単な言葉で納得したくはないわ! 二度よ、二度もサーヤが命がけで頑張っているときに側にいてあげられなかったのよ!」

 リーリアは自分に対する怒りで激しい言葉を吐いた後に、その怒りを悲愴に反転させて沈んだ。

「わたしはもうサーヤの友達である資格などないわ。シェルリも同じよ、もうわたしなどに構う必要はないわ」

 シェルリはまるで信じられないものを目の当たりにしていた。強く美しいリーリアしか知らなかったので、何がこの少女をここまで弱らせるのか全く想像できなかった。シェルリは迷いはしたが、リリーシャ・ミエルから受け継いでいる血の衝動が、リーリアの闇を打ち砕く力を与えた。

「確かに今のあなたは、わたしたちの友達じゃないわ。わたしの親友であるリーリア・セインは、もっと強くて誇り高いもの」

 リーリアはシェルリの叱責に耐える心を膝の上で拳を握りしめて表した。シェルリはテスラを脇に置いて立ち上がり、リーリアを見下ろして言った。

「なにをうじうじしているの! リーリアはリーリアの成すべきことをしていたんでしょう、それを自分で否定してどうするのよ、こんなのはリーリアじゃないわ!」

「シェルリ……」

 リーリアは母の怒りを恐れる子供のように、おずおずと顔を上げてシェルリを見上げた。

「リーリア、迷わないで、あなたは自分の成すべきことだけを見ていなければ駄目よ。リーリアの代わりに、わたしがサーヤを守るわ、絶対に約束するよ、だから迷わずに前に進んで」

「……ありがとう、シェルリ」

 シェルリが手を差し出すと、リーリアはそれを掴んで立ち上がった。シェルリの強さがリーリアの迷いを断ち切った瞬間だった。

「これで何もかも元通り、リーリアはわたしとサーヤの親友だよ。それは何があっても変わらないものだからね」

「ええ、忘れないわ。何があっても、わたしたちの友情が崩れることはない」

 二人の少女は微笑して見つめ合っていた。これ以後、リーリアが迷いを抱くことはなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ