崩壊‐6
その日の夕方ごろ、リーリアは歩いてシルフリアの王立病院に赴いた。彼女はどうしてもサーヤに言いたいことがあった。
サーヤはリーリアの来訪を心から喜んだ。サーヤの腹部の傷はまだ癒えないが、いつもの明るさを完全に取り戻していた。先刻あった非情な体験も、フィヨルドの死も、サーヤを打ちのめす事は出来なかった。その芯の強さはリーリアをも驚かせた。
「サーヤ、辛くはないの?」
リーリアは思わずそんな質問をした。
「そりゃ辛いけど、悲しんでなんていられないよ。その前にまだまだやる事があると思うんだ」
「強いのね」
リーリアはそう言うと、ふと悲しそうな目をした。
「今日はあなたに謝ろうと思って来たのよ」
「謝るって、何を?」
その時に、ベッドの淵に座っていたシルメラが空気を感じ取ってウィンディに言った。
「ウィンディ、わたし達は外に行こうか」
「あう?」
ウィンディは何で外に出なければいけないのか分からずに首を傾げていたが、シルメラはその手を引いて二人で窓から外に出ていった。リーリアの側にいたエクレアも、その後を追うように窓から出ていく。そうして部屋にサーヤとリーリアだけが残った。
「……」
リーリアは何かを言おうとするのだが思い止まる事を二度ほど繰り返した。サーヤに謝る事を躊躇しているのではなかった。サーヤを取り巻く事実の中に、認めたくないものが多くあったからだ。リーリアは自身の心にある抵抗を抑え込んで言った。
「わたしはあなたを見下しているところがあった。シャイアに言われて気付いたわ。それを謝りたくて来たのよ」
「え?」
サーヤはまるでリーリアの言う事を解さないという顔をしていたが、やがて笑い出した。それはまるで最高に面白い冗談を聞いたような笑い方で、それを見たリーリアに不思議と不快感はなかったが、どうしてサーヤがそんな風に笑うのか全く分からなかった。
サーヤは笑い終わると言った。
「リーリアはそれでいいんだよ。崇高な生き方をしている人は、時には他人がつまらなく見えることだってあるよ」
「でも、それは間違っているわ」
「間違っていても、ちゃんと気づいて今みたいに謝れるんだから大丈夫だよ。それに、リーリアのは見下しているのとは違うと思うよ」
サーヤは微笑を浮かべた。その時に、サーヤの無垢さが光となって注いでくるような感じがして、リーリアは感銘のあまり溜息をついていた。
「誇り高くて何でも出来ちゃうから、見下してるって感じる人もいるかもしれない。わたしはそんなこと思ってないよ。リーリアはわたしたちを見守ってくれる、強くて優しいお母さんみたいな存在だよ!」
リーリアはサーヤに抱きついていた。サーヤはそのリーリアの後ろ髪と腰の辺りに優しく手を添えて抱き返す。その時にリーリアは思った。本当に母のような強さを持っているのは、サーヤの方だと。妖精の為にどこまでも戦い、死ぬような目に会っても怯むことはない。その強さは周りにいる人間までも優しく包み込んでいた。
サーヤを見舞ったリーリアは、夕刻頃に自分の屋敷に続く林の中の道を歩いていた。全てを紅に染める輝きの中で、彼女は落葉を踏みながら歩いていた。エクレアはその後ろからついていたが、主の背中が寂しそうに見えて仕方がなかった。時々吹く冷たい風が落ち葉を吹き上げ、リーリアの真紅に染まる髪を攫った。その時に見える横顔は、寂しさの中に埋没しているようだった。
サーヤに会って謝っても、リーリアの気はまったくと言っていいほど晴れなかった。リーリアの心を沈ませる原因の大部分がシャイアにあったからだ。病院でサーヤを見下す傲慢さを指摘された事も衝撃だったが、その後に知った事実は更に手痛い一撃となった。サーヤを助け、いち早く病院に手配したのもシャイアで、選りすぐりの医者をたちまちの内に集めてサーヤの手当てにあたらせたのもシャイアだった。その上、シャイアがサーヤのしていることをじっと見守っていたことも分かった。
――サーヤを親友と言いながら、わたしは一体何をしていたの……。
リーリアはサーヤが倒れたあの日から、そんな自問を何度も繰り返していた。まるで自分の大切な使命がシャイアに横から攫われたような心持で、寂しくもあり、悔しくもあったし、何よりも自分に対して怒りが湧いた。
そんな気持ちをサーヤに明かせば、やはりさっきのように救い上げてくれる事は何となく分かっていた。だが、そんな安易にサーヤに救いを求める事は、リーリア自身のプライドが許さなかった。リーリアはもっと自分よ苦しめと言うように、シャイアから受けた傷と戦い続けた。
カーラインはフェアリープラント内をクラインと一緒に歩いていた。そこはエインフェリア生産の為に特別に設けられた区域で、左右の側壁に半分埋め込まれた形で、卵型の水槽に入ったエインフェリアがひしめくように並んでいた。自分の生み出した少女たちを見るクラインの顔は暗かった。
「早速、王国騎士団と神殿騎士団から注文が入ったよ。これからどんどんくるぞ、それこそ世界中から注文が殺到する。どれほどの富を得られるのか、想像も出来んほどだよ。ただ、本格的に売り出す前に、もう少しテストが必要だ。もっと実戦に近い形でな」
クラインはカーラインの話などほとんど聞く気はなかったが、その時に見えたカーラインの笑みが、まるで邪悪の色をそのまま面に出したようで、それを見た瞬間に悪い事が起こると確信させられた。
「何をするつもりだ?」
「エインフェリアどもの餌食になる格好の獲物がいてな。どの道消さねばならない者たちだ。ちょうど良いではないか」
「まさか、シルフィア・シューレを……」
「お前の職場もなくなってしまうが、その点は心配には及ばない。ここの研究員として正式に雇ってやろう」
それを聞いたクラインは、逆上して目の前の邪悪な人間に飛びかかっていた。クライン自身そんな乱暴に及ぼうなど思ってもみなかった。カーラインの残虐非道な企みを聞いた瞬間に、脳内に津波のように怒りが一気に押し寄せ、自分でもわけが分からないうちに体が動いていた。
クラインはカーラインを押し倒すと、その襟を両手で浮かんで引き上げ乱暴に相手の頭を揺さぶった。
「貴様!! いい加減にしろ!!」
普段は穏やかなクラインが逆上する様は、カーラインを恐怖させるのに十分だった。カーラインが恐ろしさの余りに悲鳴をあげると、プラント内を巡回していた衛兵の何人かが気づいて駆け寄ってくる。
「何をしているか!」
衛兵の一人がクラインを殴り倒し、それから衛兵たちは蹴りつけたり、長銃の柄を打ちおろしたりと立て続けに暴行を加えた。クラインにとっては殴られる痛みよりも、心の痛みの方がはるかに大きかった。
――わたしは取り返しのつかない事をしてしまった。
クラインが泣き出すと、兵士たちは殴るのを止めた。男が殴られて泣くなど情けない、まるで子供のような奴だと兵士たちは笑い、立ち上がって服を整え終わったカーラインも、無様と思えるクラインの姿に満足した笑みを浮かべていた。誰もクラインの心を理解する事など出来なかった。