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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅸ 崩壊
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崩壊‐5

 リーリアは、ここのところ学校にも行かずに手紙ばかり書いていた。もちろんそれらは王国議員に宛てたものだ。

 昼夜問わずに手紙を書き続けるリーリアの表情には疲れが滲み出ていた。それでも手を止めずに便箋に文字を走らせる。何日も同じ作業を繰り返す主を、エクレアは寝具の上にいて、じっと耐えて見守っていたが、ついにこらえきれなくなって言った。

「ねえ、いつまでこんな事を続けるの?」

 リーリアがその声で手を止めると、エクレアは飛んできてリーリアの向かう机の上に降りてきた。

「もう止めよう」

「どうしてそんな事を言うの?」

「だって、だって……」

 エクレアは主が不憫でたまらずに、涙を零しながら言った。

「もう、誰もいないんだよ。リーリアの味方してくれる人は一人もいない。セイン財団もなくなっちゃったんだよ」

 エクレアの言うように、セイン財団に名を連ねていた貴族たちは、一人残らずリーリアの元から離れてしまっていた。それでもリーリアは戦いを止めなかった。

「今必要なのは、地位でも名誉でもないわ。前に進み続ける勇気よ」

「もう止めようよ。お金ならいっぱいあるんだし、二人でどっか静かなところに行って暮らそうよ。サーヤたちも一緒に連れてさ、きっと楽しいよ」

 エクレアは必死になってリーリアを説得しようとしていた。リーリアは微笑を浮べると、エクレアの頭を撫でて言った。

「わたしを心配してくれているのね。大丈夫よ、あなたが側にいてくれれば、わたしは負けないわ。だから、そんな顔をしないで」

「リーリア……」

 エクレアは悲しみを振り払うと、いつもの強気で高飛車な態度を取り戻して言った。

「何があっても、わたしがリーリアを守るからね。安心して!」

「ええ、信じているわ」

 リーリアは、再び万年筆を動かし始める。それから、その手を止めずにリーリアは言った。

「エクレアはセイン財団がなくなったと言ったわね。でも、まだ一人だけ残っている人がいるじゃない」

「何言ってるの!? あんないかれ女、当てになんて出来ないでしょ!!」

「当てにできないどころか……」

 リーリアが言いかけたとき、エクレアが突然驚かされたようにびくつき、振り返って窓の方を見つめた。

「来る!! コッペリアが近づいてきてる!!」

「コッペリアですって? という事は、あの人も一緒ね」

「ここに何の用があるって言うのよ……」

「お茶の用意をしましょう」

「お茶の用意? 何で?」

 エクレアはリーリアを見つめて、本当に訳が分からないというように首を傾げた。

「決まっているでしょう。お客様を御もてなしするのよ」


 セイン家の屋敷の門前に、黒い馬車が止まり、ドアを開けてシャイアが出てきた。その後からコッペリアも馬車の中から飛び出してくる。シャイア前にリーリアの屋敷に来た時と同じシンプルな黒のドレスを着ていた。唯一、以前と違うのは、銀色の髪に細身のリボンを結んで飾っていた事だ。シンプルな着こなしは、シャイアの美しさをより深いものにしていた。

 シャイアは門の前に立ち、誰も迎えの者が来ないのを知ると微笑を浮べた。普通なら腹を立てるところだろうが、シャイアはまるでそれが嬉しいというような顔をしていた。

 コッペリアは主の為に大きな鉄の門を押し開ける。シャイアは鉄門にできた隙間から、まるで自分の家にでも入るような颯爽とした足取りで屋敷の庭に入った。門から屋敷に続く石畳に紅葉した葉が散乱し、庭の隅の方にも色とりどりの葉っぱが積もっていた。手入れが行き届いていないのが一目でわかる有様だった。

「ずいぶん閑散としちゃったわね」

 シャイアはいかにも楽しそうに言うと、赤や黄色の落ち葉を踏みながら屋敷の方に向かった。すると、屋敷の扉が開いてリーリアが姿を見せた。ほとんど同時に、リーリアの頭の上の方からエクレアも顔を出す。リーリアは、いつもの赤いドレスではなく、第一ボタンのところにピンクの薔薇の飾りが付いた白のブラウスに、丈が膝程の青いスカートにエプロンを付けていた。リーリアには珍しく、いつもの凛とした華やかさよりも、可愛さを強調した少女らしい姿だった。

 シャイアが近づいてくるとリーリアは言った。

「出迎えもなしでごめんなさいね。お茶とお菓子の用意をしていたの」

「ずいぶんと余裕があるのね」

 シャイアの厭味ったらしい言葉に、リーリアは微笑で答えた。それはシャイアに対する皮肉等ではなく、本当に心からお客様を迎えようという一点の穢れもない笑みだった。シャイアは少しばかり眉を顰める。自分の予想との食い違いを見て、何か気に入らないという様子だった。

「さあ、こちらにいらして、テラスにお茶の用意をしてあるから」

「なんだか旨そうな匂いがするよ」

 コッペリアは鼻をひくつかせて言うと、さっと飛んで屋敷の中に入っていった。シャイアも無言でリーリアの招きに応じた。

 屋敷から庭に突き出たような作りのテラスは全体がガラス張りで、秋の柔らかい日差しと少し物悲しい景色と一体になったような風情のある空間で、そこにはガラス製の丸いテーブルにお茶とバスケットに山盛りのクッキーが用意してあった。クッキーの匂いを追って一番最初にテラスに入ったコッペリアは、クッキーから一番近い位置の椅子に座り、テーブルの下から頭だけ出してゆっくり歩いてくる主をじれったそうに見つめていた。目ではクッキーが食べたいから早く来いと訴えていた。

 シャイアはリーリアに挑戦されているように思っていたので、相手がどう出てくるのか心の中では構えていた。リーリアとエクレアはそれよりも先にテラスに入り、エクレアはコッペリアの対面にある椅子に座って警戒した。

「どうしたの? さあ、こちらにいらして」

 テラスの入り口に立っていたシャイアは、腑に落ちないような気持ちを抱いたままテラスに入ってきて、コッペリアの隣に座った。

 リーリアは自ら紅茶を淹れて客人に振る舞う。お茶が出たのを合図に、焼き立てのクッキーを両手に持って次々に口に放り込んだ。コッペリアのあまりに爽快な食べ方に、エクレアは思わず言った。

「あんた、もう少し遠慮したらどうなの」

「はあ? フェアリーが遠慮なんてしてどうするんだい。目の前に旨いものがあったら食う。それがフェアリーってもんだろう。お前も我慢してないで食いなよ」

「が、我慢何てしてないわよ! わたしはあんたみたいに下品じゃないんだからね!」

 コッペリアに勧められたせいで、エクレアは余計に手が出しづらくなってしまった。

シャイアはその時になって、リーリアがエプロンなどを着けていた理由を知った。

「あなたが給仕に立つなんてね。メイドや執事も雇えないほど貧窮しているということかしら?」

「メイドの淹れた紅茶よりも、わたしの淹れたものの方がずっと美味しいわよ」

 質問をはぐらかすように言うリーリアに、シャイアは憮然としていた。リーリアはシャイアの気持ちを解きほぐすように言った。

「お金ならあるわ。メイドと執事には暇を与えただけよ。今いる従者はメルファス一人だけよ。彼は何があってもここに留まるそうよ。わたしの為に命を捨てる覚悟までしているみたい」

 従者が命を捨てる覚悟までしているという言葉が異様に重かった。

「メイドもなしで身の回りの事はどういているの?」

「自分の事くらい自分で出来るわ」

 リーリアはティーカップに紅茶を淹れながら言った。それから紅茶をシャイアの前に出すと、エプロンを脱いでから、エクレアの隣に落ち着いた。そこはシャイアの対面にも位置していた。

「何か話すことがあるのでしょう。そうでなければ、あなたがここに来るはずはないわ」

 リーリアが言うと、シャイアは突然、歪んだ笑みを浮べた。それは幽玄で酷く挑戦的でもあった。

「あなたの財団は消滅したわ。わたしが裏で糸を引いてそうなるように仕向けた」

「ええっ!!?」

 声を上げたのはエクレアだった。

「お前が、お前がっ!!!」

 エクレアは今にもシャイアに飛びかかっていきそうになった。コッペリアはそれに反応して、両手に持っていたクッキーを手放す。

「静まりなさい、エクレア」

「で、でも、リーリア!!」

「驚く事ではないわ。そんな事はずっと前からわかっていたもの」

 リーリアが言うと、エクレアは全身の力が抜けて絶句した。

「わざわざそんな事を言いにくるとは、いい度胸をしているわね」

 リーリアの射抜くような強い眼差しを受けても、シャイアは幽玄な笑みを崩さない。なんの事はないという心が全身にも現れていた。

「ずっとあなたが来るのを待っていたのよ。どんな顔をして、何を言ってくるのかずっと楽しみにしていたのに」

 シャイアは平然と言ってのけた。さすがのリーリアも、なんという女だと閉口した。

「ねぇ、いつごろから気づいていたの?」

「……支援者の貴族が半分ほど離れた時に気づいたわ。最初にそうだと分かった時は貴方に怒りを覚えたけれど、すぐに正す必要はないと思い直したわ」

「……何故?」

「誰もがプラントに弱みを握られて、わたしの元から去って行ったわ。守りたいものがある人は、それを守ればいい。わたしのしようとしている事は、全てを捨てて臨まなければ成し遂げられない事なのよ。その覚悟がある人だけが残ればよかった」

「そうしてあなた一人だけが残ったのね」

「メルファスもいるわ」

「あの人は従者であって同志ではないわ。残ったのは、あなた一人だけよ」

 シャイアは『一人だけ』という言葉を特に強く言った。

「わたしは一人でも戦うわ!」

 リーリアは相手を強く見つめた。そして、リーリアの覚悟が本物である事を感じ取ったシャイアの顔から笑みが消えた。その時に、反撃するようにリーリアが言った。

「あなただって一人よ。一人で戦っているわ」

「何ですって……」

「わたし達にとって、プラントが最も憎むべき相手だということは共通している。あなたがプラントと手を結ぶということは、何か目的があるはずよ」

 シャイアは黙って相手の次の言葉を待った。

「あなたは復讐しようとしているのだわ」

「……だったら何だと言うの? あなたには関係のない事よ」

「あの方は……」

 シャイアはリーリアが何を言おうとしているのか悟ると、急に激昂して立ち上がり、テーブルを思いっきり叩いた。皿の上のティーカップが倒れそうになるくらいの衝撃で、エクレアとコッペリアを驚かせた。

「あなたに何が分かるというの!! わたしは目の前でお父様が殺されるのを見たのよ!! あの男だけは絶対に生かしてはおけない!!!」

 シャイアはリーリアを睨みつけた。相手が憎くてしょうがないという思いが、言葉でいう以上にはっきりとリーリアに伝わった。

 それからシャイアは、何も言わずにテラスから出ていった。それを見たコッペリアは、まだ半分ほどバスケットに残っているクッキーを、バスケットごと持ち上げて頭の上に乗せた。

「これ貰ってくよ」

「ちょ、ちょっと、半分はおいてきなさいよ!」

「お前はまた作ってもらえばいいだろう」

 エクレアには構わずに出て行こうとするコッペリアに向かって、リーリアが言った。

「コッペリア」

「何だい?」

「ずっとあの人の側にいてあげてちょうだい」

「あいつが愛想尽かさない限りは一緒だよ」

「そうね、ずっと一緒にいられると良いわね。クッキーは持って行っていいわ」

「じゃあ遠慮なく頂いていくよ」

 コッペリアはクッキーの入ったバスケットを頭の上に乗せると飛んで出ていった。リーリアはテラスのガラス戸越しに、早歩きのシャイアにコッペリアが追いつくのを見ていた。

 落ちぶれたリーリアを嘲笑しに来たシャイアだったが、逆にやられてしまった。シャイアはリーリアを余計に憎むと同時に、自分と同等かそれ以上の人間である事を認めるしかなかった。


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