夢幻戦役-2
シルフリアは、海岸に発展した都市で、現在ではフラウディアの中心都市となっている。交通機関といえば馬車くらいのもので、それを使うのもある程度裕福な者に限る。大抵の人々は徒歩で移動していた。港には帆船がひしめき、荷降ろしをする水夫の姿が目立つ。さらにルフリアから少し離れた高台には王城があり、そこからまた少し離れて妖精使いを養成するシルフィア・シューレがある。これらの建物もシルフリアの町並みに溶け込む古風な建造物だ。人々の暮らしはシルフリアの様子から想像できるようなつつましいものであった。
しかし、フェアリーに関する機関だけは異常な発展を遂げている。シルフリアから北に進んだ森の中にフェアリープラントと呼ばれる大規模な実験場があり、フェアリーを生み出す過程で生まれる電気の力によって、様々な最新機器が運用され、実験室ではコンピュータという奇跡の技術まで取り入れられているという話だ。街中にはプラントの運営を司るフェアリープラント社のビルもあった。その二十七階建ての円柱形をしたビルは、最先端の技術を駆使したフラウディア一の建造物であり、木造やレンガの屋敷が居並ぶ中で異彩を放っていた。
シャイアは馬車の中からビルを見ていた。シルフリアの門が近づくにつれて、ビルは存在感を膨らませていく。
―あの中にお父様を殺した犯人がいる。必ず突き止めてみせる。
シルフリアに入ると、シャイアの言っていた、フェアリーと人間の関係を、探すまでもなく垣間見る事が出来た。
シルフリアの上空には数多くのフェアリー達が飛び交っていた。幻想か楽園か、世界に迷い込んだような光景だ。それは、あくまでも表面的な世界だった。
コッペリアは呆然としている。どのフェアリーも目が虚ろで、意思を持っていない事が知れた。
「そんな……お母様の叫びは届かなかったのか……」
宙で肩を落とすコッペリアを、通りがかる人々は一人の例外もなく見上げていった。容姿が普通のフェアリーと大幅に異なっている。こういうのは、大抵は上位のフェアリーなのだ。
「ふらふらすんな、このポンコツが!」
コッペリアがその声を聞き、振り向いたとき、真紅の目がきっと鋭くなり、殺意で満たされた。
小太りの中年男が、四人のフェアリーを荷馬車に繋いで引かせていた。荷引き用のワーカーである。フェアリーたちは小さな体でありながら、一人でも牛や馬に匹敵する力があった。男は牛や馬にそうするように、持っている棒でフェアリーたちを叩いていた。
コッペリアは男の目の前に急降下した。
「なんだ、こいつは……」
男は目を白黒させていると、コッペリアは静かに言った。
「可哀想だろう、フェアリーたちを解放しな」
「な、何言ってやがる」
「開放しなければ、お前を殺す」
男は真紅の瞳に睨まれて、声帯麻痺がしたように声が出なくなった。男をそうさせたのは、今までに感じた事のない恐怖だ。
「おやめ、コッペリア」
振り向いたコッペリアは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。冷たい氷で閉ざされたシャイアの心が、哀れみで疼く。
「だって、こいつはフェアリーを家畜のように扱っているんだよ。わたし達はこんな事をするために生まれて来たんじゃないんだ!」
「言ったでしょう、あなたはきっと人間を滅ぼしたいと思うって。この男のしている事が、人間とフェアリーの関係を象徴しているのよ」
「こんなの、認めない、わたしは……」
「これが現実なの。フェアリーと人間が共存する理想郷なんて、虚妄もいいところだわ。フェアリーは人間に利用するだけ利用されて、最後には捨てられる。それだけのものよ」
そして、シャイアの言葉を体現するように、コッペリアにとってさらに残酷な現実が押し付けられた。
裏路地から出てきた数人の子供達がはしゃぎながらフェアリーを追いかけていた。ただ追いかけっこをしているのではなかった。金髪で全裸に近い状態のフェアリーは、体中傷ついていて、血を滴らせていた。子供達は、飛ぶことがやっとのフェアリーに、次々と石を投げつける。そして、一番前を走っていた男の子が、コッペリアの直ぐ近くで、フェアリーを棒で叩き落した。墜落したフェアリーは、何度か翅をばたつかせた後、それっきり動かなくなった。
これは、シルフリアの子供達が日常的にやっている遊びだった。野良になったフェアリーを見つけては苛め殺すのだ。
コッペリアの怒りは頂点に達し、人間の子供たちをばらばらに切り刻む姿が脳裏にフラッシュバックする。シャイアの厳しい視線が、それを実現する事を許してくれなかった。
「その男からフェアリーを解放しても、悪い子供達を殺しても、何も変わりはしないわ」
シャイアは、コッペリアの気持ちを見透かしたように言う。
「うう……うああぁぁっ!」
コッペリアはついに自分を押さえきれなくなり、子供達が打ち殺したフェアリーを抱えて上空に飛び上がり、色彩が蠢く闇色の翅を開く。すると、コッペリアを中心に光の波紋が広がった。波紋は町全体に行き渡るほど大きく広がって消える。その時、街中のフェアリーたちの動きが止まり、コッペリアのいる空を見上げる。
「可哀想な姉妹たちよ! いつか必ずお前達を自由にしてやる! この罪深い世界から、地獄のような世界から、その無垢なる魂を救い出す! わたしの命を懸けた約束だ!」
コッペリアは青空に向かって誓いを立てた。すると、コッペリアに抱かれていたフェアリーは、体中から光の粒を散らせて消えていく。傷ついてボロボロの体だったが、消える間際の顔は安らかだった。
それから、何事もなかったかのように、フェアリーたちは動き出し、人間に蹂躙された日常に戻っていった。