崩壊‐4
フィヨルドの暗殺から二日後に、学園の講堂で葬儀が粛々と行われた。皆、私服で葬儀に参加した。今は形式に乗っ取った葬式をやる余裕もなかった。
セリアリスは棺桶の前に跪き、フィヨルドの髪や頬をなでた。彼は死しても笑顔を浮べていた。
「こんな時にもあなたは笑うのですね。あなたには妖精の人間の平和な世界が見えたのでしょうか……」
セリアリスは虚ろな瞳でフィヨルドに語りかける。それを見た生徒たちの絶望は深かった。
セリアリスの横に立っていたニルヴァーナが、こらえきれずに大粒の涙を流す。セリアリスはそれをすぐに感じ取った。
「ニルヴァーナ?」
「……ごめんさい……わたしは役立たず……」
マスターの愛する人を守れなかったニルヴァーナが一番苦しんでいた。それを知ったセリアリスは、ニルヴァーナを抱きしめて言った。
「あなたは悪くない! だから、そんなこと言わないで!」
フィヨルドの横たわる棺桶の周りで、生徒も妖精も涙を流し悲嘆に暮れていた。リーリア一人だけは冷静で、棺桶から少し離れたところに立っていた。
「フィヨルド先生……」
リーリアは目を閉じると、一滴の涙を零した。泣いたのはそれだけで、次の瞬間にリーリアは卑劣なプラントのやり方に怒りを燃やした。
「フィヨルド先生の死は無駄ではないわ。奴らは墓穴を掘った」
「どういうこと?」
不安げな様子のエクレアが尋ねると、リーリアは言った。
「世界はシルフリアだけではないわ。フラウディアは他にもたくさんの都市がある。奴らはシルフィア・シューレをつぶすことに躍起になりすぎて、それを忘れているわ」
その時、リーリアは講堂に入ってきたフェアリーを連れた麗人の姿に気づいた。彼女は肩から胸の辺りまでをレースが覆う長袖にロングスカートの衣服を着ていて、その胸の辺りにはエメラルドのペンダントが美しく輝いていた。一見するとシスターのように思える白を基調とした姿で、三つ編みのブロンドが背中の方にまで垂れていて、憂いの光を帯びた碧眼はフィヨルドの眠る棺桶に向けられていた。麗人の横に寄り添うようにして飛翔しているフェアリーの背中にはわずかに緑色が入っている白の翼があり、衣服の色は麗人と対になるものだが、姿は対照的に半袖に短いスカートで、少しウェーブのかかったボブの金髪に大きな瞳の色は緑だった。
「お兄様……」
麗人が言うと、棺桶の周りに集まっていた生徒たちが振り向いた。彼女が歩き出すと生徒たちは自然と道を開ける。麗人は棺桶の中の亡骸を見ると、瞳を閉じて酷く苦しいような顔をしたが、それは一瞬の事で、彼女は目を開けると虚ろなセリアリスを見て言った。
「わたしはマリアーナ・シラクと申します。フィヨルド・シラクの妹です。あなたがセリアリス・ミエルですね?」
「はい……」
「さあ、立ってください。あなたがそんな様子では、生徒たちが不安になってしまいます」
マリアーナが手を差し出すと、セリアリスはそれを掴んで立ち上がった。そうするとマリアーナは言った。
「お兄様から頂いた手紙にはこのように書いてありました。一人死に、二人死に、三人で成るのだと。父もそうでしたが、お兄様は自分が死ぬことを予感していたのでしょう。それでもこの学園に来たのは使命があったからです。それは、あなたに会い、あなたに伝えるという事だったのです」
「わたしに会いに……」
「そうです。セリアリスさん、お兄様は三人で成ると言ったのです。その三人目とは、あなたの事です。次はあなたがシルフィア・シューレの院長になってお兄様の意志を継いで下さい。わたしは副院長となり貴方を支えてゆきます。これからが本当の戦いなのです!」
マリアーナの言葉で、セリアリスも生徒たちも、瞳に戦う意思の輝きを取り戻しつつあった。
「まったく、どいつもこいつもしみったれた顔しちゃって、悲しんでフィヨルドが生き返るわけでもなし」
マリアーナに寄り添っていた白い翼のフェアリーがいきなり変なことを言いだすので、生徒たちは驚いてしまった。
「あんた、なんてこと言うのよ!」
リーリアの近くにいたエクレアが、白い翼のフェアリーの方に飛んできて叱りつけた。
「あら? どこかで見た顔だと思ったら、エクレア姉様じゃない」
「あんたさっきから気づいてたでしょ、わざとらしい!」
「エクレアの妹? という事はミスティック・シルフ」
リーリアの問いに、白翼の妖精は得意になって言った。
「そう、わたしはミスティック・シルフ、最後のフェアリー、白魔法使いのティアリーよ」
ティアリーは翼を羽ばたかせて飛び上がると、上空から生徒たち見下ろして言った。
「新しい院長の誕生したんだから、あなたたち笑いなさい。そんなしみったれた顔していたら、フィヨルドは心配で天国に行けないじゃないの」
生徒たちの何人かはティアリーの言葉に元気づけられて笑顔になった。
その夜、フィヨルドの遺体は校庭で焼かれた。世間から見捨てられたシルフィア・シューレには、葬儀屋すら来てくれなかった。しかし、だからこそ生徒たちはフィヨルドの犠牲の尊さを肌で感じる事ができた。
フィヨルドを天に誘う紅蓮の炎が闇夜に高く上がる。それを見上げていた生徒の一人も涙は見せなかった。代わりに彼らの心には、不当な権力に対する怒りと、それに立ち向かおうとする勇気に満ち溢れていた。
その頃、シェルリは王立病院でサーヤに会っていた。
「フィヨルド先生が、死んだ……」
ベッドの上で、サーヤは呟いた。すぐ近くでシルメラとウィンディは心配そうに主を見ている。彼女等はフィヨルドの死を聞いたサーヤがどうなるのか心配でならなかった。
サーヤにフィヨルドの死を伝えたシェルリはベッドの近くにあった椅子に座り、それっきり悲しみに暮れ、テスラを抱いて声を立てずに涙を流していた。そんなシェルリに向かってサーヤは言った。
「亡くなったフィヨルド先生はどんな顔してた?」
シェルリは涙を服の袖で拭いながら震える声で言った。
「笑ってたよ。あんなに撃たれたのに、すごく嬉しそうに…………」
それ以上、シェルリは声にならなかった。それを聞いたサーヤは胸の前で手を組んだ。
「フィヨルド先生、ありがとうございました。後はわたしたちが頑張りますから、見ていて下さい」
それを聞いたシェルリは涙にぬれた顔を上げた。
「フィヨルド先生は殺されたって悔いはなかったんだよ。だから笑っていたんだよ。一番怖いのは、そんなフィヨルド先生の死に、わたしたちが負けて駄目になることだよ。そうなったら喜ぶのは、フィヨルド先生を殺した悪魔たち」
サーヤの表情と穢れのない湖のように深い青緑の瞳の輝きに、自らが言う悪魔に立ち向かう強さが現れていた。シェルリは自分の悲しみを忘れて、そんなサーヤの姿に魅入った。シェルリはフィヨルドの死を知ったサーヤがどんなに悲しむものかと思っていたが、全く想像だにしないサーヤの強さを目の当たりにした。
フィヨルドの葬儀を終えた日の夜、セリアリスとマリアーナは院長室にいた。新たに院長となったセリアリスは、かつてフィヨルドが使っていた椅子に座り、その前にある机の上を手で愛おしそうになぞっていた。机の横に立ち、それを見ていたマリアーナは言った。
「兄から貰った手紙の中に、あなたの事が一言だけ書いてありました」
机の上ばかり見ていたセリアリスが顔を上げる。その動作はほとんど無意識で、彼女の耳にはマリアーナの言葉が神の啓示でもあるかのように聞こえていた。
「セリアリスは素晴らしい女性だと書いてありました。その一行はとても鮮烈でした。兄があなたの事を愛していると、すぐに分かりました。そしてあなたも、兄を愛していたのですね」
「……愛しているなんて、一言も言ってくれなかったわ。きっと、こういう事になるって分かっていたから…………」
セリアリスはついに耐え切れずに、机の上に崩れ落ちて声を上げて泣いた。今までの涙とは違う、感情を前面に現した激しい泣き方だった。マリアーナはそんなセリアリスに優しい眼差しを落として言った。
「それでいいんです。人間なのですから、悲しい時だってあります。我慢する必要なんてありません。大切なのは、その悲しみに負けない事です」
ニルヴァーナとティアリーは、少し離れたところから主たちの姿を見つめていた。フィヨルドとセリアリスが愛で結ばれたのと似たように、マリアーナとセリアリスの間には強い友情が生まれていた。二人のフェアリーはそれを感じ取っていた。
シルフリアはプラントの権威の浸透が非常に深いが、シルフリアから遠く離れた都市までは及んではいない。何の罪もない学校の院長が立て続けに二人も暗殺される。それは、シルフリアの外から見ていた人々からすれば、あまりにも常軌を逸した事態だった。この事件により、シルフリア以外の街々の有識者たちが騒ぎ始めたのだ。特に大きな声が起こったのは、フラウディア大陸の最北に位置するスノーブルグという街だった。そこにはウンディーネ・シューレがあり、かつてのフィヨルドの教え子が多くいた。その教え子の中で、大貴族メルビウス家のセシリア嬢が立ち上がり、多くの生徒たちを巻き込んで、シルフィア・シューレの暗殺事件について良く調査するように、フェアリーラント王国騎士団や神殿騎士団に対して訴え出たのだ。最初は全く相手にされなかったが、セシリアは決してあきらめずに声を上げ続けた。すると、ほんの少しずつではあるが、人々が事件に目を向け始るのだ。