崩壊‐3
シルフィア・シューレの生徒が減ったとは言え、たった二人の教師で学校を運営していくのは並みの事ではなかった。特に食料の調達が難しい事には悩まされた。その上、残っている生徒たちのほとんどが、寄宿舎で生活しているのだ。そのせいもあって、食糧難は学園にとって大打撃だった。資金がないわけではない。それでも食料を手に入れるのが困難なのだ。それは何故か、フェアリープラントに目を付けられている者たちを、世間が受け入れなかったからだ。プラントの意志に逆らう事がどれほど恐ろしいかを、シルフリアの人々は知っていた。それでもリーリアのセイン財団からの援助があり、今までは何とかやりくりできていたのだが、それも最近は滞ってきていた。残る手段は遠くの町まで食べ物を買いに行くしかないが、フェアリープラントが何をしてくるかも分からないので、不用意に生徒を学園の外に出すことも出来なかった。
この日のディナーは、丸パンを四等分にした一切れと、一杯のミルクに僅かに野菜の入ったスープが一杯だけだった。そんな時でも、学園に残った生徒たちは自分のフェアリーと食事を分かち合い、窮迫した状況にもかかわらず、食堂には和気あいあいとした明るさが広がっていた。
「はい、テスラ、あーん」
「あ~ん」
シェルリはテスラが開けた口にパンを一切れ入れてやった。するとテスラは、美味しそうにそれを食べた。
「まずはしっかり自分が食べなければだめよ。フェアリーは食事がなくても死にはしないけれど、人間はそうはいかないんだから」
「分かってるよ。でも、少しくらいは食べさせてあげたいよ。見てるだけなんて可哀そうだもん。」
シェルリは前の席に座っているセリアリスに言った。いつもセリアリスの近くにいるニルヴァーナの姿は見えなかった。食事時になると、気を使ってマスターから離れる妖精もいるのだ。
「サーヤの様子はどうなの?」
セリアリスが言うと、シェルリはミルクを一口飲んでから答えた。
「だいぶ落ち着いたよ。怪我はまだまだ良くならないけれど、今はゆっくり休んでる。プラントの事もあるから、わたしとリーリアで順番にサーヤを見守ってるの」
「苦労をかけるわね。それにしても、大事に至らなくて本当によかったわ」
「でも、すごくショックを受けちゃって、すっかり元気をなくしちゃってる」
「仕方がないわ、あんなことがあったのだもの」
それから二人は黙ってしまった。今のシルフィア・シューレは、例え鋼鉄のような意志の強さを持っていたとしても、不安なしではいられない状況だ。ましてやサーヤが凶刃に倒れ、クラインは失踪し、リーリアも王国議員の説得に回っていて学園にはほとんどいない。現状で本当に頼れる妖精使いはセリアリスだけだった。
シェルリは心ばかりのディナーを食べ終えると、姉に別れを告げてサーヤのいる病院に行ってしまった。これでまた、セリアリスは一人で学園を守らねばならなかった。
その夜、生徒たちが寄宿舎で寝静まる頃に、フィヨルドは院長室で机に向かい手紙を書いていた。向かいのソファーにはニルヴァーナが座っていて、セリアリスはフィヨルドのすぐ近くで窓から暗い校庭を見下ろしていた。彼女は目は見えないが、その代わりに勘が鋭い。いつも何か異常がないか神経を尖らせていた。
「何をなさっているの?」
セリアリスは不意に振り向いて、フィヨルドに言った。
「妹に手紙を書いているんだ。さすがに教師二人では厳しくなってきたので、手伝ってもらおうと思ってね。妹は王国議員で忙しい身だが、優秀な妖精使いでもあるんだよ。必ず助けに来てくれる。そうすれば、君の負担も減らすことが出来るしね」
セリアリスは微笑する。フィヨルドが自分の事を考えてくれているのが嬉しかった。
フィヨルドは一息つくと、メガネを取って疲れを絞り出すように両の目元を親指と人差し指で圧した。そうしながら彼は言った。
「セリアリス、ニルヴァーナと一緒に寄宿舎の見回りをしてくれないか」
「院長がお休みになるまでは一緒にいます」
「この手紙を書き終わったら寝るよ。それよりも、生徒たちの安全が第一だ。頼むよセリアリス、君にばかり苦労を掛けてしまって本当にすまないと思っているが……」
「大丈夫よ。じゃあ、寄宿舎の様子を見てきます」
セリアリスがニルヴァーナと共に院長室を出てから、フィヨルドは眼鏡をかけて再び手紙の続きを書き始めた。
それから少し経って、もう少しで手紙も書き終わろうという時に、誰かがドアをノックした。
「うん? セリアリスかい?」
「院長先生、わたしですよ」
聞こえてきたのは聞き覚えのある男の声だった。フィヨルドはドアのところまでいって開けてやった。
「やあ、あなたは」
その瞬間に、銃声が闇夜に響き渡った。
「あ…………」
フィヨルドは撃ち抜かれた右胸を手で押さえて、今にも崩れ落ちそうな弱々しい足取りで後ろに下がった。胸から鮮血が広がって、銃創を抑えているフィヨルドの手まで見る間に赤く染まっていく。さらに立て続けに、五発分の銃声が校内に響いた。
セリアリスが銃声を聞きつけて院長室に駆け付けた時には、フィヨルドは入り口付近で血だまりの中であおむけに倒れていた。胸や腹を六発も撃たれたフィヨルドだったが、まだかろうじて生きている。鼻に粘りつくような激しい血の臭いで、フィヨルドがどんな状態なのか、セリアリスには手に取るようにわかった。そして、限りない絶望がセリアリスの身に押し寄せた。
「ああ!!! あなた、しっかりして!!!」
セリアリスは血の池と化している床に膝をついて、フィヨルドの胸を触った。すると冷たいものが手を染める。フィヨルドは霞む視界でセリアリスとニルヴァーナの姿を捉えて微笑した。その時にフィヨルドは妖精と人間の築く平和な世界を見た。
「ああ、セリアリス……君は、光だ…………」
フィヨルドは瞳を薄く開いたまま息を引き取った。目が見えないセリアリスには、フィヨルドの死が感覚として襲ってくる。あまりにも惨い運命の前に、セリアリスは血と闇の中で声を殺して涙を流し続けた。