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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅸ 崩壊
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崩壊‐1

 真夜中の学園内に足音が響く。完全なる漆黒の闇の中を明かりも持たずに歩いているのは、セリアリスだった。その傍らには、相貌を赤く輝かせているニルヴァーナが空を飛びながらついていた。

 前の院長が暗殺されたあの日から、真夜中の校舎を巡回するのがセリアリスの日課になっていた。もう数か月もそれを続けている。今の彼女の中に燃えているのは執念だ。どんなに疲れている時でも、真夜中の巡回を強行する。前院長のマレシュトロフを殺した者への怒りが、彼女を突き動かしていた。

 セリアリスは廊下に異様に響く自分の足音を耳にしながら歩いていく。辺りは普通の人間では明かりがなければ歩けないような闇だが、目の見えないセリアリスにとっては闇が深い方が逆に安全だった。歩くのに明かりなど必要ないし、炎の燃え上がるわずかな音でも感覚を阻害される事がある。

 セリアリスは二階から一階に降りて、校庭に面した長い廊下を歩き始める。廊下の中ほどまで歩いてセリアリスは足を止めた。何か普段とは違う異様な気配を感じたのだった。

「……来る」

 ニルヴァーナが言うと、セリアリスは閉じていた目をゆっくりとあけた。

「フェアリーにとって同族を倒すのはつらい事だけれど、院長を襲った者はつきとめなければいけないわ。ニルヴァーナ、やってくれる?」

 言うまでもなく、ニルヴァーナは頷いた。

 その時だった。セリアリスのいるところからずっと先の方で、窓ガラスが砕けて落ちる音が聞こえてきた。何かが窓を突き破って廊下に入ってきていた。

 暗闇の中から酷くしゃがれた赤子のような不気味な声が聞こえてくる。セリアリスはその瞬間に、異形の姿を感じて身が竦んだ。目が見えないからこそ、その異様さを余計にはっきりと知ることが出来た。

「何なの、この感じ……フェアリーなの……?」

 異形の声が急に変わり、獣が吠えるように甲高い奇声が闇を震わせる。次の瞬間、異形の気配が急激な速さでセリアリスに向かってきた。

「ニルヴァーナ、やって」

 セリアリスの左手の薬指にある指輪のアレキサンドライトが燃えるように赤く輝いた。同時にニルヴァーナの瞳も真紅の輝きを帯びる。

 ニルヴァーナは蝙蝠のような翼を開くと、恐ろしい勢いで飛び出し、前から迫ってきた異形とぶつかり合う。漆黒の闇の中でもニルヴァーナは、はっきりと異形のフェアリーの姿を捉えていた。体は普通のフェアリーと変わらず四枚の翅も付いているが、右手から腕までが異常に肥大化し、ほとんどの髪の毛が抜けおち、左目はほとんどつぶれたようになっていて、代わりに以上に大きく開いた右目は白く濁っていた。顔面に刻み付けられている表情は化け物と呼ぶにも憚られるほどに歪んでいる。それはマレシュトロフを惨殺したフェアリーだった。

 ニルヴァーナは異形が叩きつけてきた肥大化した右腕の手首を瞬間に左手で捉えて上に捻り上げ、同時に異形の顔面を右手で掴んだ。ニルヴァーナの両手が異形の手首と顔面に食い込む。異形が悲鳴をあげて暴れるが、ニルヴァーナはびくともしなかった。そして刹那、ニルヴァーナはくるりと反転して、後ろの壁に異形の頭部を叩きつける。大理石の壁が陥没すると同時に鮮血に彩られた。そして、ニルヴァーナの頬に飛んできた血が張り付いて顎の方に流れた。異形のフェアリーはもうこと切れていた。

 セリアリスが緊張がから解き放たれて息を吐いたとき、すぐ後ろの窓が砕けた。セリアリスは心が凍りつくような驚愕と同時に後ろを振り向いた。目の前に異形の存在をはっきりと感じた。二体目の異形が異様な声を上げながら、肥大化した右手でセリアリスに掴みかかろうとする。その時に、ニルヴァーナがセリアリスの頬をかすめるように擦過した。

 ニルヴァーナは蝙蝠のような翼の右翼を前に持ってきて、漆黒のマントで身を包むような恰好で主に迫った異形に突っ込む。そして、右翼を開くと同時に異形に叩きつけた。小さな翼から放たれた威力は凄まじく、鍛え上げられた戦士が放つ棍棒の一打も相手にならないほどだ。異形は急角度で石床にたたきつけられると、床を削りながら転がり続け、最後にはセリアリスが降りてきた階段に叩きつけられて跳ね上がった。異形は階段の一段目に突っ伏するように倒れると、一枚だけ千切れずに残っていた翅を動かして、しばらく呻いていたが、やがて全身から力をなくして沈黙した。

「……大丈夫?」

 ニルヴァーナが言っても、セリアリスは答えなかった。セリアリスはまるで今まで走っていたかのように激しく息継ぎし、胸を押さえて早まった心臓の鼓動を制しようとしていた。しばらくして落ち着くと、セリアリスは言った。

「ありがとう、ニルヴァーナ。今のはさすがに駄目かと思ったわ……」

 ニルヴァーナが頬に触れると、セリアリスはその小さな手を握って微笑する。

「本当にもう大丈夫だから」

 それからセリアリスはニルヴァーナと一緒に襲撃者の正体を突き止めた。セリアリスはニルヴァーナの見ているものを共有することが出来た。さすがに目に不自由のない人間が自分の目で見るほど鮮明ではないが、それでも異形の全容をつかむことは出来た。

「これは、人を殺すためのフェアリー、しかもこんな……」

 前院長のマレシュトロフは、この異形の妖精を見て死ぬ前に何を思ったのだろう。セリアリスはそれを考えると悲しくて何も言えなくなった。同時に、どこまでも生命を冒涜し抜くフェアリープラントに、さらなる怒りを燃やした。


 異形の妖精はプラントに三体だけ存在していた。二体はシルフィア・シューレを襲撃させ、残りの一体は別の用途に使われていた。

「おお! あれが新たなフェアリーワーカーか!?」

 フェアリープラントの実験室で、強化ガラスの向こうにいるフェアリーをカーラインは感動を持って見つめていた。その場には他にシャイアとコッペリア、そしてクラインと数人の研究者がいた。

 箱形の実験場に閉じ込められているフェアリーは、強化ガラスの向こうであちこち飛び回ったり、首を振って辺りを見たりしていた。その姿は人間でいえば一四、五歳くらいで、フェアリーワーカーよりもずっと大人っぽい。紫銀の髪はボブカットで、あどけない瞳はライムグリーン、半袖の上着とミニスカートはいずれも純白で、右手に自分の体とさして変わらない長さの棒を持ち、左腕に小さな円形の盾を付けている。そして、背中にある四枚の翅の色は瞳と同じく淡い緑の輝きを放っていた。

「あのフェアリーの事を教えて頂こうか、クライン君」

 カーラインが言うと、箱の中にいるあどけない姿のフェアリーを見ていたクラインは重い口を開いた。

「……あのフェアリーをエインフェリアと名付けました」

「エインフェリアか、良い名前ではないか。何か意味があるのかね?」

「エインフェリアは白妖精フレイアを雛形として生まれたフェアリーです。そしてフレイアは神話の女神にちなんで付けられた名前です。その女神フレイアは、神話ではエインヘリヤルという戦士たちを使役していたと言います。そのエインヘリヤルとフェアリーを掛けたのです」

「なるほど。コアにはどんな宝石を使ったのかね?」

 クラインは明らかに話すのをためらっていた。彼が、しばらく黙って悲しみに沈んだ瞳でエインフェリアを見ていると、カーラインがいらついて言った。

「話さないつもりか? お前のフェアリーがどうなってもいいのか?」

 カーラインが脅しにかかると、コッペリアを抱きながらシャイアが間に割り込んできた。

「まあ、そうお怒りにならないで。彼にとっては、これ以上ないくらいに辛い仕事だったのですもの、少しくらいの反駁は許してあげましょう」

「うぬ、しかし、こう黙っていられては」

「わたしに任せて」

 シャイアがクラインに近づくと、主に抱かれているコッペリアが言った。

「説明しておくれ、わたしもあのフェアリーのことが知りたいよ」

 クラインは眉間に皺を寄せて、シャイアとコッペリアの顔を交互に見た。黒妖精のコッペリアからそう言われては、クラインは説明しないわけにはいかなかった。

「白妖精フレイアが持つコアはダイヤと同じ輝きを持つ緑色の宝石だと言う。エインフェリアも同じ色の石がいいだろうと思い、コアにはペリドットを選んだ。戦闘能力を持つフェアリーを創るとなれば、ある程度のエネルギーを持った宝石でなければならない。その上でフェアリーワーカーのような生産性も必要だ。ペリドットはそれに適う」

「ほう! では、どれほどの戦闘能力があるのか見せてもらおう。あれを放て!」

 カーラインが研究者の一人に指示した。それから間もなくして、異形のフェアリーが実験場に放たれた。それが異様な叫び声をあげると、エインフェリアはそれを見て翅から緑色の輝きを放ち始める。実験場で起ころうとしていることに、その場にいるすべての人間の目が釘付けになった。

 二人のフェアリーは少だけ対峙していたが、異形の方が奇声をあげると巨大な右手を突き出してエインフェリアに向かってくる。エインフェリアは左腕の小さな盾を前に出して迎え撃った。人間の頭を粉々に砕く巨大な手がエインフェリアに迫ると、右腕の小さな盾が輝き、それを中心にして光が広がり、エインフェリアの全身を包み込むほど大きな輝く盾と化す。異形の巨大な手が光の盾にぶつかると、白い火花が散った。光の盾で攻撃を防いだエインフェリアの方は、びくともしていなかった。

「なんだ、あの盾は?」

 カーラインはエインフェリアの盾から放たれる光に目を奪われながら言った。それにクラインが機械的に答える。

「あれはルーンシールドです。白妖精フレイアとエイン・ヴァルキュリアシリーズのフェアリーも同じ機構を持っています。防御の面ではそれらのフェアリーほど強力ではありませんが、それでも大抵の攻撃は防ぐことができるでしょう」

 その時、エインフェリアの光の盾と異形の手の間で爆発が起こり、フェアリー達は互いに吹き飛ばされて強制的に距離が開いた。

 異形の方は爆発の衝撃で混乱して気味の悪い鳴き声をあげていたが、エインフェリアの方は即座に右手に持つ白い棒を斜に構える。すると、その先に緑に輝く刃が現れ、エインフェリアの持つ物は瞬時にして棒から槍へと変貌した。

 宝石と見まごうばかりの緑に輝く刃を見て、カーラインのみならず研究者たちの間からも感嘆の声が漏れた。

「あの光はなんだね?」

「あれはフォトンウェポン。フォトンとは魔法によって生み出される光粒子エネルギーです。白妖精フレイアと、トゥインクル・レスティアシリーズのフェアリー達もフォトンウェポンを使うと言われています」

「ほお、フォトンか、何と美しい輝きだ」

 カーラインはエインフェリアから目を離さずに、クラインの説明を耳にしていた。

 その時、エインフェリアの体制が水平に近い形になり、すさまじい速さで飛び出した。エインフェリアは翅から光の雫を落としながら、次の瞬間には異形の妖精の横に回り込み、光輝く槍の一突きで、異形の首を横から貫いていた。

 人なのか獣なのか分からないような悲鳴が上がる。異形は冷たい金属の床に墜落して、口から血を吐きながらもがき苦しんだ。エインフェリアは悠然と降りてきて、異形に槍の切先を向けた。すると、フォトンの刃が輝きを増していく。そして、強烈に輝く緑色の光線が槍の切先から放たれ、それが床で転げまわっていた異形の胸を貫いた。気味の悪い悲鳴が消えて、異形はコアを破壊されて完全に停止した。命をなくした小さな肉体は見る間に土化していった。

 エインフェリアの力を見たカーラインは、しばらくは声も出ないほどに驚いていたが、じきに拍手を交えて言った。

「素晴らしい!! 素晴らしいよクライン君!! 君の作ったフェアリーは、わたしの想像を遥かに超えていた!!!」

 他の研究者たちも感極まってクラインに拍手を浴びせた。カーラインが握手を求めると、クラインは無表情でそれに応じた。それから研究者たちとカーラインの間で、エインフェリアに関しての会話が弾む。クラインはその群れから外れて、強化ガラスの向こうを見ながら言った。

「すまない、許してくれ…………」

 それは死した異形と優雅に飛んでいるエインフェリアの両人に対する懺悔だった。


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