サーヤの血‐9
フェアリーラント、かつてはシルフリア王国の首都であったが、エリアノの時代以後、フェアリープラント社の設立により、首都はシルフリアへと移された。だが、フェアリーラントには、エリアノの直系が住まうフェアリーラント城、そして妖精王庁があり、政治の面ではシルフリアよりも遥かに重要な都市と言えた。さらにウィスピリア・シューレなど、妖精使いと関係の深い機関もあった。
カーライン・コンダルタは、フェアリーラント城の一室で密談を交わしていた。
辺りにおいてある家具や調度品はどれも一流のもので、三人が座るには大きなテーブルには、赤いシルクのクロスがかけてあった。カーラインを除く二人が年代物のワインを口にしながら話を弾ませていた。
「どうしたカーライン、飲まないのか? 最高のワインだ」
「貴様と酒など飲む気にはなれん」
「相変わらず嫌われているな」
短めの金髪を二つに分けたが体格の良い男が、筆のように先細りの顎鬚を触りながら言った。この男はアリオス・コンダルタと言い、粗暴で戦士のような豪胆さがあるが、その昔から王国の宰相を受け継いできた家系の気品は持っていた。着ているものも煌びやかなもので、絹のチュニックの上に宝石を散りばめた袖広のジャケットを着込み、その上に白い毛皮のガウンを羽織っている。名前の示すとおり、カーラインとは血縁関係にある。
もう一人の男は僧侶風で、人のよさそうな丸顔に微笑を浮かべ、小太りの身体には胸のところに妖精を象った大きな紋章の入った法衣を纏っていた。そして、坊主であろう頭には丸帽子を被っている。
「グラムロ、例の小娘は片付けたのか?」
「残念ながら、その場で殺すには至りませんでしたが、今は生死の境を彷徨っている頃でしょう。命が助かったとしても、あんな馬鹿げた事をしようとは二度と思いますまい」
グラムロは丸帽子を取り、坊主頭を露わにしながら言った。
「信者の子供を使って暗殺を企てるとは、貴様のような偽善者を見ていると反吐が出るな」
カーラインは大司教に向かって、つばを吐き捨てるような調子で言った。
「ほっほ、それは違いますよ。あの子は神に対して純粋だったのです。故に、神に仇を成す者を許す事が出来なかったのですよ」
「お前は例の小娘が妙な散らしを配ってすぐに目を付けていたじゃないか」
「神の威光に翳りをもたらす者には常に目を光らせていますからね」
アリオスがグラスのワインを一気に飲み干し、手酌で注ぎながら言った。
「聞いた話によれば、大した人数が小娘のところに集まっていたって言うじゃないか。今でも多くの者が慕っているような話を聞くぞ」
「ほほう、それは初耳です。由々しき事態ですな」
「どうする、守護騎士共でも出すか?」
「まさか、そのような事に彼女たちの手を煩わせる事もないでしょう。この件は王国騎士団の方にお任せいたしましょう」
「神聖なる神殿騎士団では、汚い仕事は出来ないってところか」
「守護騎士達は正義感が強いのでね、扱いが難しいのですよ」
「まあよかろう、これは貸しにしておく」
話が一段落すると、グラムロが人のよさそうな笑みを浮かべながら、カーラインに向かって言った。
「そちらの守備はどうなっております?」
「何の事だ」
「とぼけなさるな。シルフィア・シューレの事ですよ。あれも放ってはおけませんからね」
「それなら心配ない、手は打ってある」
「本当に大丈夫なのでしょうな?」
「疑り深い奴だな。わたしにとっても、奴らは葬らねばならない存在だ。抜かりはないさ」
「結構な事です。これで民衆どもにも知らしめる事ができるでしょう。権威に逆らう事がどれほど愚かなことかを」
グラムロの人の良さそうな聖職者然とした表情に、唐突に歪んだ笑みが浮かび、瞼の奥にある瞳から悪意に満ちた輝きが放たれた。そこにいるのは大司教の姿をした悪魔そのものと言えた。
シルフリアの王立病院でサーヤは治療を受けていた。運び込まれてきた時は、死んでいてもおかしくない状態だった。シャイアが多額の金を使って手を回していたので、サーヤのはシルフリアで最も優秀な医師達の手により、速やかに治療を受けることができた。サーヤが助かるかどうかは、その医師達ですら判断できなかった。
サーヤが治療を受けている病室の外の廊下にはシャイアの他に、院長とセリアリス、その妹のシェルリと彼らのフェアリーたちがいた。シルメラとウィンディは病室の扉の前で抱き合い、悲しそうな表情を浮かべながら、ずっと動かないでいた。
「どうして、何なのこれ、どうしてあの子がサーヤを刺すの……?」
シェルリが顔を覆って泣きだした。
「ふうぅ、シェルリ……」
側にいるテスラはどうしていいのか分からずに、おろおろしていて、はたから見ていると何だか気の毒になるような光景だった。
「あんな少女が人を刺し、最後は毒を飲んで自殺するとは、何て残酷な話だ……」
「サーヤを刺した女の子は、シェルリとほとんど同時にサーヤの活動に加わったと言っていたわね」
セリアリスが尋ねると、シェルリは押し寄せる絶望に耐えかねて頭を抱え、閉じた瞼の置くからさらに熱い涙を溢れさせた。
「そうだよ、いい子だったのに、わたしとサーヤの友達になってくれたのに、どうしてこんな!? おかしいよ!? こんなの、どうかしてる!?」
シェルリは完全に錯乱して頭を振り乱し、叫び声に近い調子で言った。同じフロアにいた人々が、驚いてそれに注目する。セリアリスが急いで歩み寄り、妹を胸に抱いて言った。
「落ち着いて、シェルリ」
友達が友達を刺し、一人は瀕死で一人は自ら命を絶った。シェルリを襲っている絶望も闇はあまりにも深かった。セリアリスは考えなしに妹に残酷な質問を浴びせた事を後悔した。
シャイアは窓辺から病院の入り口にある広場を見下ろしていた。そこにはサーヤを心配して大勢の人が集まっていた。
「あれは妖精王庁の信者よ。サーヤは最初から目を付けられていたのよ」
「どうして妖精王庁がサーヤを狙う必要がある?」
そう言うフィヨルドに、シャイアはサーヤを刺した少女と同じ見る者を凍て付かせるような笑みを浮かべた。
「本当に悪い人間っていうのはね、自分にとって危険な存在がすぐに分かるのよ。妖精王庁にはサーヤの存在が恐ろしくてたまらない人がいるの。そいつが刺客を差し向けたのよ。あの女の子は、最初からサーヤを消すつもりで近づいてきた。サーヤの友達になったのも、手伝いをしたのも、全部そうする事が目的だった」
「なんと言う恐ろしい事だ……」
「それだけじゃないわ。フェアリープラントは権力とも深い関わりがある。サーヤを殺そうとしたのはフェアリープラントの利益を守る為でもあるわ。フェアリーと人間が築く理想郷は、プラントにとって破滅を意味するものよ。薄汚い権力者共が、そんな事を許すはずないじゃない」
「あなたはこういう事態になる事が分かっていたのね」
セリアリスが怒りを孕んで言うと、シャイアはそれを嘲笑った。
「そんな事を教えるほど、わたしはお人よしじゃないわ」
「あなたという人は!!」
「やめるんだセリアリス、例えサーヤがそれを知ったとしても、止まらなかっただろう。サーヤはそういう子だよ」
フィヨルドの言った事で、辺りの空気は重く沈んだ。誰もが黙り込み悲愴な静寂が訪れる。そこへ階下から誰かが駈けてくる靴音が響いた。その音は次第に大きく響くようになり、サーヤのいる手術室に向かってきていた。そして、真紅のコート姿のリーリアがエクレアを連れて現れた。余程急いで来たのだろう、彼女は肩で大きく息をしていた。シャイアはそれを見ると微笑を浮べ、蔑むような視線を送って言った。
「あら、ずいぶん遅かったのね」
「サーヤは?」
「さあ、助かるかどうかなんて分からないわ。もしかしたら、もうすぐ死んじゃうかも」
「いい加減な事を言わないで」
「わたしはいい加減な事なんて言わないわ」
シャイアは微笑を浮かべながらリーリアに近づき、そっと少女の頬を撫でた。リーリアは身体を小さく震わせて硬直した。
「以外だったわ。あなたがあの場に一度も姿を現さないなんてね」
「え?」
「分かっているわ。庶民ばかり集まるあんな場所で広告を配るなんて、誇り高いあなたに出来るわけないものねぇ」
リーリアはシャイアの言っている意味を知ると、はっとなって反駁した。
「それは、わたしにもやるべき事が!」
「忙しかったから? 違うわね。あなたは出資者に納まって満足していたのよ。お金を出してあげてるんだから、それで十分だもの」
「違うわ!」
「あなたはサーヤを見下しているわ。まぁ、居候だし、サーヤは貴方なしでは生きては行けないんだから、当然だけれど」
「違う! サーヤは掛替えの無い、わたしの親友よ!」
「だったら、何で側にいてあげなかったの? あなたがいれば、こんな事にはならなかったと思うけどね」
「あ……そ、それは……」
「わかっているくせに。あなたは一人で何でも出来る。誰に頼る必要も無い。だから、気高いプライドを掲げて、他人に光を与える事で自分を満足させているんだわ」
「違う……」
そう言うのとは裏腹に、リーリアの声は弱々しく、何かに耐えかねたように目は下を向いていた。シャイアはその横を通り過ぎる時に、リーリアの耳元に向かって言った。
「偽善者」
その言葉がリーリアの鼓膜の奥深くまで響き、それと同時に身体から力が抜けてその場に跪いた。そしてリーリアは言った。
「サーヤ、ごめんなさい……」
それから四日ほど経って、突然王国騎士団が貧民街に押し寄せ、サーヤと共に広告を配っていた多くの人々が捕えられ、牢屋に放り込まれた。サーヤが目覚めたのは、そんな最中の時だった。
「あ、目覚めたよ!」
「サーヤ、具合はいかが?」
「リーリアとシェルリ?」
「サーヤ、起きた!」
「よかった」
「あ、ウィンディ、シルメラ、わたしどうなったの?」
「刺されてもう少しで死ぬところだったんだぞ」
「刺されて……そうだ、あの子はどうなったの?」
サーヤが言うと、シルメラは口を閉ざした。そこでリーリアが言った。
「今は多くのことは考えずに、ゆっくり休む事が大切よ」
「そうだよサーヤ、お話はもう少し元気になってからにしようね」
シェルリが出来るだけ明るく装って言う。ここにいる誰もが、今だ傷の深いサーヤに大きなショックを与えるのを避けていた。
その時、誰かが外の窓を叩いた。サーヤが振り向くと、小さな人影が窓の外に浮いていた。
「フェアリーだわ!」
サーヤがベッドから降りようと身体をよじった瞬間、腹部に激痛が走る。
「痛い!? お腹超痛い……」
「まだ動いちゃ駄目だよ!」
「刺されたの忘れてた……」
「もう、傷が開いたら大変なんだからね」
シェルリは怒り気味に言ってから、歩いていって窓を開けた。すると、フェアリーが飛び込んできて、着地の勢い余って前のめりに転んだ。フェアリーはそのまま顔だけを上げてサーヤを見ながら言った。
「助けて!」
「どうした、何があった!?」
シルメラが助け起こすと、誰も見知らぬフェアリーは涙を零しながら言った。
「鎧を着た兵隊がいっぱいやってきて、皆を連れて行っちゃったよぅ」
「どういうい事だ?」
「みんなサーヤと一緒にいた人だよ」
それを聞いたシルメラは、思わぬ事態に卒然としながら、恐る恐るサーヤの方を振り返った。
「そんな……」
異様な緊張の中で、サーヤの顔が見る間に青ざめていく。
「まずいわ。サーヤ、落ち着きなさい」
「どうして、どうしてよ!? みんな幸せになりたかっただけなのに!! それなのに何で!!」
「冷静になりなさい!」
「罪なんてない、捕まる理由なんてない、ただフェアリーを愛してくれただけの人たちだったのに!!」
サーヤはリーリアの言うことも耳に入らず取り乱し、終いには腹部を襲った激痛に顔を歪めて呻いた。
「いたい……」
「サーヤ、お願いだから、今は傷を治す事だけを考えて」
「こんな事って……」
こんな時に、誰かが病室の扉を叩いた。
「どなた?」
シェルリが声をかけると、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「ぼくは王国騎士団のシュウ・オウミと言う者だ。ここを開けてもらいたい」
「用件は?」
リーリアがドア越しに警戒しながら言うと、シュウと名乗った声が応えた。
「まずは開けてもらおう」
「用件が先よ」
「王国騎士団の副将軍に向かって、随分な対応だね」
「あなたの身分など関係無いわ。ここには怪我人がいるの。あまり騒がしくしないで」
「その怪我人に用があるんだ!」
いきなりドアが弾けるように勢いよく開き、部屋の内側に叩きつけられた。ドアを蹴破ったのはまだリーリアやサーヤとそう年の変わらない黒髪黒眼の少年で、胸に妖精の刺繍が入った黒い制服の上に黒いマントを付けていて、腰には柄に見事な翡翠が入った倭刀を差していた。さらにその後ろには長い金髪を三つ編みにして、頭に翅飾りを付けたフェアリーが控えていた。瞳は見ているだけで心が落ち着く優しげな緑色で、例えるなら琅玕そのものだ。その背には若草色の翼があり、右腕には嵐のルーンが刻まれたスモールシールドを付けている。その姿はまさに、神話に出てくる戦乙女そのものだった。
「サーヤ・カナリー、フェアリーラントの女王マリヤ・ミエル様の名の下に、お前を拘束する」
「ふざけないで、サーヤを拘束する理由なんてないわ」
「妖精王庁に対する反逆罪だ。十分すぎる理由だと思うが」
「人を思い、妖精を思いやる事が反逆と言うのなら、妖精王庁こそ悪だわ」
「君も捕まりたいのか?」
「サーヤの代わりに、わたしを連れて行くといいわ」
リーリアは一歩も引かなかった。シュウは友の為に身を挺するリーリアの姿に少なからず心を動かされたが、彼は責務に忠実だった。
「僕は命令を遂行する。抵抗をしても無駄だ」
「サーヤは大怪我をしているのよ。今連れ出したりしたら、命にも関わるわ」
「生死を問われてはいない。連行途中で死んだらそれまでだ」
「ふざけるな!!」
シルメラが前に出てきて騎士の前に立ちふさがると、戦乙女の姿をしたフェアリーが前に出て来た。スモールシールドを前に掲げ、それに刻まれた嵐のルーンが輝くと、シルメラは無意識のうちに少し後退していた。
「マスターがそんな状態では、あなたに勝ち目はないわ」
シルメラはぐっと歯を食いしばって相手を睨む。たとえサーヤの力が得られなかったとしても、シルメラには相当な力があったが、それでも目の前にいるフェアリーに太刀打ちする事は出来なかった。
「シルメラ、止めて」
「サーヤ!!?」
「連れて行くといいわ。その代わり、あなたたちが捕まえた人たちを解放して、みんなわたしを手伝ってくれただけなんだから」
それを聞いた緑の瞳のフェアリーが、サーヤを見つめた。その美しい瞳は、何か特別な秘め事でもあるような、情の篭った輝きを放っていた。サーヤはそのフェアリーを見つめ返して言った。
「あなたは、こんな事したくないんでしょう」
「わたしは騎士です。たとえ望まぬ事でも、主の命令があれば躊躇いはしません。たとえお母様でも、命令ならば捕まえます」
「お母様だって?」
シュウが訝しげにそう言った時、扉が破られた入り口に、若い女騎士が現れた。女は赤いマントに胸に妖精の刺繍が入った赤い制服を着て、しなやかな手首にはインカローズの入った銀の腕輪が飾られていた。女騎士が連れているフェアリーも赤一色で、翼や瞳、そして長い髪は今にも燃え立つような鮮烈さがあった。右腕には火のルーンが入ったスモールシールドを付けていた。
女騎士を見たシュウは、畏まって言った。
「ファエリア将軍? 外で待機しているのではなかったのですか?」
「シュウ、状況が変わったわ。サーヤ・カナリーの捕縛命令は取り下げられたの。捕えられた人達も全員解放されたわ」
「それはどういう事ですか?」
「大臣の狸親父からの命令よ。プラントから圧力がかかったらしいわ」
「何故プラントがそんな圧力を?」
「知らないわよ。とにかく、長居は無用よ」
女騎士は栗色の髪をかき上げてから去った。シュウも腑に落ちない気持ちを抱きつつその後を追った。後に残った騎士たちのフェアリーは、二人並んでサーヤを見つめていた。サーヤはそれを見ると、たまらない気持ちになって思わず手を伸ばした。
「ああ……」
「何をしているんだ、オリビア、ヴァナ、いくぞ!」
シュウの呼ぶ声で、騎士のフェアリーたちは去っていった。すると、サーヤはなんだか寂しい気持ちになった。
オリビアが追いついてくると、シュウは言った。
「さっきサーヤ・カナリーをお母様と言っていたな。あれはどういう意味なんだ?」
「あの方は全てのフェアリーの母です。フェアリーの為に生き、全てのフェアリーを救う力を持っています。誰もあの方を止める事は出来ません」
「全てのフェアリーの母だと? お前は何を言っているんだ?」
「これはフェアリーにしか分からないことですから」
シュウには何のことだか分かるはずもなく、胸に妙な蟠りを残した。
サーヤの血……END