サーヤの血‐7
翌日、サーヤの状態は変わらず、リーリアが呼んでも俯いて返事をせず、ウィンディとシルメラが呼ぶと顔を上げたがそれだけだった。食事もほとんどせず、見舞いに来たシェルリは、サーヤからはおよそ考えられない信じ難い状態に、強烈なショックを受けた。フェアリーたちとの絆の証である腕輪のアメシストとキャッツアイのブローチは、輝きを失ってくすんだ色になっていた。サーヤはまるで生きた屍だ。人間とフェアリーの間にある残酷な現実は、サーヤにとって心が壊される程の打撃だった。
リーリアはサーヤがこのまま死んでしまうのではないかと心配したが、学校の方も何が起こっても分からない状態だったので、学校に行っている間はサーヤの事は執事のメルファスやメイドたちに任せていた。
それから何日か経って、リーリアが学校から帰って来た時だった。屋敷の中がなにやら騒がしかったのでメルファスに尋ねると、サーヤとフェアリー達が部屋に篭り、内側から鍵をかけてしまったのだと言う。リーリアは急いでサーヤの部屋向かい、その途中で脳裏には、いくつかある最悪の事態が浮かんでは消ていった。
「サーヤ、何をしているの! 開けなさい!」
「中には三人の気配がするから、自殺とかはしてないみたい」
「エクレア!? あなたは何ていう事を言うの!」
「だって、リーリアはそれを心配してるんでしょう」
「それは……。三人は無事なのね?」
「なんか、三人で話し合ってるみたい」
「話し合っているですって?」
リーリアは中で何が起こっているのか、今すぐに知りたい衝動に駆られた。
「エクレア、ドアを開けられる?」
「手荒になるから、ドアが壊れちゃうかも」
「構わないわ。やってちょうだい」
「それじゃあ、いくよ。そりゃーっ!」
エクレアがドアに体当たりをすると、蝶番が軋み、鍵が破壊されてドアは部屋の内側に向かって勢いよく開いた。
「わわっ!?」
サーヤはウィンディ、シルメラと一緒に机のところにいて、かじっていた大きなフランスパンを慌てて後ろに隠した。
「サーヤ?」
「ごめんなさい。おなかが空いてしょうがなかったから、厨房から取ってきちゃった……」
「あなたたち、何をしていたの?」
「いやぁ、サーヤがさ、広告を作って町の皆に配るっていうから、ウィンディと一緒に手伝ってたんだ」
「ごめんね。途中で見られるのがすごく恥かしいから、鍵をかけていたの」
疑うような目つきをして硬い顔だったリーリアが、ふっと表情を和らげて微笑を浮かべた。
「広告って、何なの?」
「えっと、その、簡単に言うと、フェアリーを皆で守っていこうっていう感じかな……」
サーヤは顔を紅くしながら今一要領を得ない事を言った。すると、リーリアははやる気持ちを抑えるような早足で近づいてきて、サーヤを強く抱きしめた。
「やはり、サーヤはサーヤね」
「リーリア……」
サーヤは肩にかかるリーリアの手を触って言った。
「心配させて、ごめんね。もう大丈夫だから」
リーリアはサーヤお手製の広告を隅々まで熟読した。サーヤは机の椅子に座って、本当に恥かしそうな顔をしていた。
「広告と言うのにはお粗末すぎるものね」
「うう……」
「でも、あなたらしいわ。フェアリーを愛する気持ち、人間とフェアリーが築くべき本当の世界、全てを馬鹿正直に書いているけれど、あなたの一生懸命さが伝わってくる。特に最後に書いてあるフェアリープラントの狩場への痛烈な批判が強烈ね。きっと皆の心にも届くと思うわ」
「あは、ありがとう!」
「で、これを何枚くらい書くつもりなのかしら?」
「とりあえず、百枚くらい……」
「これ一枚書くのに、どれくらいの時間がかかったの?」
「丸一日、かなぁ…」
「では、百枚書くのに百日かかるという事になるわね」
「ううっ、無理だ…」
「そこのところは考えなしなのね。こういう時は、もっと友達を頼ってほしいものね」
「何かいい方法でもあるの?」
「この国には、印刷という技術があるのよ。一時間もあれば、同じ広告が数千枚も刷ることが出来るわ」
「うそっ!? そんな事できるの!?」
「……呆れたわ。あなたはそんな事も知らなかったのね」
「えへへ、全然知らなかった」
リーリアはため息を一つ吐いてから言った。
「広告の事はわたしに任せなさい。それと、シャイアにはもう近づかないようにしなさい」
「どうして? シャイアさんは良い人だよ」
サーヤが言うと、リーリアは明らかな困惑を示して言った。
「こんな事になって、何でそんな事が言えるの? 理解出来ないわ」
「だって、シャイアさんは、本当に大切な事を教えてくれたんだよ。すごく悲しくて、死んじゃおうかって思うくらい辛かったけど、感謝してるんだ」
「サーヤ……」
「わたしね、ずっと前から疑問に思っていたの。エリアノは、フェアリーが人間に従順であるように創ったでしょ。マスターがどんなに悪い人でも、フェアリーは従わなきゃいけない。フェアリーが絶対にしたくない事でも、マスターの命令には逆らえない。こんなのおかしいって思ってた。エリアノは本当に酷い人だって思ってた。でも、シャイアさんに色々教えられて、それは違うんだって分かったの」
それから一瞬の沈黙、サーヤは青緑の鮮やかな瞳は輝き、以前よりもさらに強い意志の力を持っていた。
「フェアリーは変われない。人間が変わらなきゃいけないんだよ! それはつまり、どういう事かって言うと…」
そして、サーヤはまっすぐにリーリアの目を見て力強く言った。
「エリアノは、人間を信じていたんだよ!!」
翌日から、サーヤは学校が終わると、街に出てお手製の散らしを配り始めた。ウィンディとシルメラも一緒に手伝ってくれたので、かなり人目につき、一応は受け取る人が多かったが、読まずにすぐに捨てたり、少し読んでは破って捨てたり、ちゃんと読んでくれる人がいたかと思えば、サーヤに向かって気違いを見るような目を向けるのだった。それでもサーヤは負けなかった。どんなに馬鹿にされても、どんなに傷つくような事を言われても、ただフェアリーをこの地獄から救う事だけを考えていた。かつてエリアノが信じた世界をサーヤは実現しようとしていた。
翌日も、その翌日も、サーヤは広告を配り続けた。はたから見れば無駄とも思えるその行動を、遠く黒塗りの馬車の中からじっと見つめている者がいた。シャイアだった。
「こんなの長くは続かないわ。すぐに諦めるに決まってる」
「諦めないさ。サーヤはフェアリーの為ならどこまでだって走っていけるのさ」
後ろの座席に座っていたコッペリアが、一生懸命に広告を配るサーヤの姿を見ながら言った。コッペリアは真っ直ぐにサーヤの事を信じている。シャイアはそんなコッペリアの横顔を見ていると、無性に苛立った。
しばらくして、サーヤが公告を配っていると、フェアリーを連れる見知った少女が姿を現した。
「あ、シェルリ」
「噂を聞いて飛んできたの」
「噂って?」
「フェアリーワーカーを助けたいとか言って、変な散らしを配ってる頭のおかしい女の子がいるって」
「うわ、酷い言われ様、そんな噂になってるんだ」
サーヤが特に気にした様子もなく言うと、シェルリは突然怒り出した。
「こういう事してるって、どうして言ってくれないの? 友達なのに!」
「ごめん、他の人には迷惑かけたくなかったの……」
「はい、半分ちょうだい」
「え?」
「わたしも配るの手伝うから」
「ありがとう、シェルリ!」
シェルリはまだまだある広告の半分を受け取ると言った。
「じゃあ、わたし向こうの方で配ってるから。行くよ、テスラ」
「うん」
サーヤの抱く希望が、周りを照らし始めていた。