サーヤの血‐6
どこをどう走ったのか、ただ呆然としていたサーヤにはまったく分からなかった。気付いたら、薄暗く君の悪い森の中にいた。この森は巨大なドーム状の建物の中にあった。何をするところなのか、サーヤには分かるはずもなかった。
「着いたわ。さ、行きましょう」
シャイアはこれからパーティにでも行くような軽快さで言うが、白い顔に浮かぶ笑顔にはどうしようもなく歪んだ感情が渦巻いていた。
「あら、もう何も考えられないって顔ね。じゃあ、わたしが連れて行ってあげるわ。本当に楽しいんだから」
シャイアは心ここにあらずという様子のサーヤの手を無理やり引いて、馬車から引きずり出した。それにシルメラがついて行こうとすると、コッペリアがその手を掴んで引き戻した。
「離せよ!!」
「わたし達はここで待つんだよ。行ったら、我慢できなくなって、みんな殺しちまうよ」
「お前は、何を言って……」
「ウィンディは、わたしの隣で大人しくしてるじゃないか。感じているんだよ」
その刹那、シルメラはシラーの浮かぶキャッツアイと同じ輝きの瞳を大きく見開き、一気に流れ込んできたあまりにも不快な感覚で、コッペリアの言った意味を唐突に理解させられた。
「ああ!! なんだこれ!! 死んでいっている、たくさん!!」
シルメラは両手で頭を抱えて、コッペリアの隣の座席に蹲った。シルメラとリンクするように、サーヤもまったく同じ感覚を味わっていた。あまりにも残酷な衝撃によって退避していた意識が無理やり引き戻されると、サーヤはシャイアの手を振り払って突然走り出した。
「何これ、何なのよ、どんどん消えていってる!!?」
サーヤは近くで消えていく無数の命を感じながら、薄暗い森の中を夢中で走っていった。どこへ向かっているのかは、自分でも分かっていなかった。ただ本能のままに、何かに導かれるように走っていた。すると、突然フェアリーが目の前を横切った。サーヤは立ち止まり、フェアリーも中空で止まってサーヤの方を見つめた。
「ウ、ウィンディ!!?」
サーヤの目の前にいるフェアリーは、ウィンディとまったく同じ顔をしていたが、紫の瞳は空ろで、裸同然のボロ着のを身に纏っていた。フェアリーワーカーは、同じ型のものが大量に生産されているのだ。
サーヤが会ったばかりの頃のウィンディと同じ姿のフェアリーが、なんだか嬉しそうな笑顔を浮かべて、サーヤの方に近づいてきた。ほんの少しサーヤと向かいあっただけで、そのフェアリーは固く閉ざされた心を開こうとしていた。
「おいで、一緒に行こう」
サーヤが両腕を開いてフェアリーを受け入れようとしたその時、空を切って跳んできた矢が、フェアリーの胸を貫いた。
「え?」
空に鮮血を散らしながら、哀れなフェアリーは落下していく。
「や、やだ、いやあぁーーーーっ!!!」
サーヤは血まみれのフェアリーに駆け寄って、それを抱き上げる。まだほんの少しだけ息のあるフェアリーは、最後の力で腕を伸ばし、サーヤは差し出された小さな手を握った。ウィンディと同じ姿のフェアリーは、心が無いはずなのに笑顔を浮かべて力尽きていった。
「手ごたえ有りだ」
「フェアリーを狩るのも飽きてきたな。もっとでかい獲物を狩りたいぜ」
「そしたら後は人間しかいないな」
「おいおい、流石に人間はまずいだろ。捕まっちまう」
「冗談に決まってんだろ」
弓矢やボウガンを持った三人の男達が、笑談しながらサーヤの前に姿を現した。
「誰だ?」
血まみれのフェアリーを抱く少女の前で、男達は立ち止まって怪訝な顔をした。
「あなたたち……許さない!!!」
サーヤの凄まじい怒りが波紋となって辺りに広がった。すると森の中に放たれていた無数のフェアリーワーカーが、空ろだった瞳に知性の輝きを引き出し、サーヤを目指して集まっていった。
「な、なんだこりゃ!!?」
サーヤと男たちの周りを、いつの間にか無数のフェアリーワーカーが取り囲んでいた。ここにいるフェアリーワーカーは狩人から逃げるようにプログラムされているので、こんな風に一箇所に集まってくる事など本来有り得ない事で、男達はこの異常な状況に恐怖すら感じた。
「どうなってんだ、おい!」
狩人の一人がフェアリーの群れに向かって弓矢を引き絞ると、サーヤが殺意に近い怒りをもってそれを睨む。すると周りにいた数人のフェアリーが素早く急降下してきて、四方から弓を構えた男の腕を掴んだ。ものすごい力で圧され、男はまったく腕を動かせなくなった。その時の男の恐怖と混乱たるや、凄まじいものがあった。
「うああぁっ!!? なにしやがる、離せっ!!?」
「お、お前か!!? これはお前がやっているのか!!?」
仲間の一人がサーヤにボウガンを向けた刹那、近くにいたフェアリーの一人が、信じられない速さで突っ込んできて、その男の背中に体当たりする。強烈な衝撃を受けて、男が声を上げながら前にのめると、そこに無数のフェアリーが集まってきて、男を地面に押さえつけた。すると男は恥も外聞もかなぐり捨てて、森中に響き渡るような悲鳴をあげた。同時に三人目の男が異常な状況に錯乱してその場から逃げ出していた。
「やめてくれ!!! 俺をどうするつもりだ!!?」
地面に押さえつけられた男が顔だけを上げると、死んだような目で見下ろしているサーヤと目が合った。その時に男は無条件に殺されると思った。
「お願いだ、許してくれ!! どうか殺さないで!!」
もう一人の男の方も、サーヤに命乞いをした。それから男達にとっては身の毛もよだつような短い沈黙が訪れた。その後でサーヤは俯いていた顔を上げて言った。
「……みんな、離してあげて」
フェアリーたちは、サーヤの傀儡となっていたので、サーヤの命令に率直に従った。開放された男二人は、まるで世にも恐ろしい化け物でも見たような顔をサーヤに向けてから、一目散に逃げ出した。
「どうして、どうしてなの………」
サーヤが胸を射抜かれたフェアリーをぎゅっと抱きしめてその場に座り込むと、フェアリーが淡い光に包まれて、輝きの粒を散らしながら徐々に消えていった。
近くで一部始終を見ていたシャイアは、サーヤの前に出てきて言った。
「どうしてですって? そんな事も分からないの? じゃあ教えてあげる」
「いや、聞きたくない……」
サーヤが両手で耳を塞ぐと、シャイアの心は殺しを楽しむ殺人者に似た、暗い喜びに震えた。シャイアは今まさに、純粋で希望に溢れた少女の心を殺そうとしているのだ。
シャイアはサーヤが耳を塞いでいるてを掴んで引き剥がした。
「人の話はちゃぁんと聞かなきゃね!」
「いや、いやだっ!!」
「現実を受け入れなさい」
シャイアはサーヤの手首を捻り上げてから言った。
「ここはね、フェアリープラントが経営している狩場なのよ。暇なお金持ちが高い料金を払って、ここで鬱憤を晴らしているの、貴方の大好きなフェアリーを殺してね」
まるでシャイアの青い瞳に魅入られているかのように、サーヤは茫然自失していた。いつも輝きを帯びていた青緑の瞳は、どんよりと濁ったようになっていく。
「フェアリーは人間の道具でしかない。いくらでも取替えの聞く、都合のいい道具よ。その上、人間と同じ身体をしていて、血も流れている。だからね、利用価値が高いの。殺したって誰も傷つかないしね」
「嘘だ、こんなの…嘘………」
「これが現実よ! 貴方の抱く希望などどこにもない! フェアリーと共存できる世界など、もはや想像も出来ないのよ! 全てはもう手遅れ、フェアリーはこのまま人間に何もかも破壊され、蹂躙されていくだけ! この世界に破綻が訪れるまでねぇ!」
それからシャイアの笑い声が森の中に高く響く。その凍りつくような声を聞きながら、サーヤの意識は遠のいていった。少女の生気の失せた瞳からは涙が止め処なく溢れていた。
夕暮れ時、リーリアの屋敷では、サーヤが帰ってこないので騒ぎになり始めていた。そんな時にシャイアの馬車が屋敷の門に乗りつけた。リーリアが真っ先に走ってきて、馬車から出て来たシャイアと対峙した。視線を合わて黙る二人の間に重苦しい空気が流れる。そうしている間に、屋敷のメイドたちや執事のメルファスも姿を現した。
「貴方の大切なお友達なら、馬車の中にいるわよ」
リーリアが馬車に近づく前に、中からウィンディとシルメラが出くる。二人共俯いて、悲愴に沈みきった顔をしていた。それでリーリアはサーヤに何か途轍もない事が起こったことを予期して、急いで走っていって馬車のドアを開けた。そして座席に壊れた人形のようにぐったりとしているサーヤの姿を見た時、リーリアは言い知れぬ衝撃を受けた。
「…酷いよ…人間は許せない……絶対に、許せない…わたしは……」
サーヤは涙に濡れた瞳は虚ろで、掠れた声で訳の分からない事を呟いていた。リーリアは唇を固く結び、拳を握り締めてシャイアに迫り、その襟首を掴んで自分の方に引き寄せた。
「あの子に何をしたの!!?」
「まあ、乱暴なのね」
「質問に答えなさい!!!」
リーリアが怒るほどに、シャイアは楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「貴方がのろまだから、教えてあげたのよ」
「教えたですって!? 何を!?」
「そんなに強く掴まれたら苦しいわ。声が出なくなっちゃう」
あくまでも嘲弄するようなシャイアの態度に、リーリアは歯を食いしばりながらも襟から手を離した。
「人間とフェアリーの現実を教えてあげたのよ。あの子、いつも無駄に明るいし、フェアリーと人間が本気で共存できるなんて思ってるから、前から壊したいと思っていたの」
「貴方という人は!!!」
「フェアリーを扱っている娼館と、プラントの経営する狩場に連れて行ってあげたわ。十分に堪能してくれたみたい」
その瞬間、リーリアの平手がシャイアの頬を強烈に打った。シャイアは一瞬真顔でリーリアを見つめたが、打たれた頬を手で押さえると、幽玄な微笑を浮かべた。
「なぁに、それ。サーヤの為に、わたしを殴ったの? それとも、あなたが正義感を誇示したいから?」
「何を言っているの!?」
「あなたはそういう人よねぇ。友達と仲良くする為に、真実まで隠してしまう。それが友達を大切にする事だと思ってる。ほぉんと、笑っちゃうわね」
「違う! わたしは、少しずつ教えていこうと思っていた! サーヤが知るには、あまりにも酷い事だったから!」
「嘘ね。あなたは欺瞞と偽善の塊よ。本当の友達だったら、現実をちゃんと教えてあげなくちゃ駄目でしょ」
リーリアは悔しそうに顔を歪めて、何も言い返せないでいた。一応の決着を見て、メルファスが出てきて馬車で動かないサーヤを抱きかかえた。
シャイアは勝利の喜悦を浮かべつつ銀髪をかき上げ、優雅に踵を返すと、目の前のリーリアに仄かな香水の匂いを残して馬車に乗り込んだ。馬車が去り際に残した車輪が地を転がる音が、酷くリーリアの耳についた。