サーヤの血‐5
日曜日はサーヤにとって最高に嬉しい日だ。午前中の仕事が終われば、可愛いフェアリーたちと一緒に過ごす事が出来る。サーヤにとってウィンディとシルメラと共にある時間の一分、一秒が、幸福そのものだった。
「今日はみんなでお買い物にいこうね~」
「わーい、お菓子~」
「お菓子を買うとは言ってないよ」
「ウィンディね、チョコレートが食べたい!」
「聞いちゃいないな。お菓子を買うのは確定みたいだな」
シルメラが言うと、勝手に喜ぶウィンディを見て、サーヤは思わず微笑を浮かべた。
「しょうがないなぁ」
メイド姿の少女が妖精を二人も連れて出歩く姿は街中では目立った。サーヤの可愛らしい容姿と賢そうな妖精たちの姿に、人々は思わず目を引かれる。
シルフリアの街中では相変わらずフェアリーワーカーが酷使されていて、サーヤにとって街は苦しみの坩堝でしかない。それでも街に行くのは、フェアリーたちの苦しみを間近で見ておかなければいけないという気がしていたからだ。サーヤは可愛そうなフェアリーたちの為に自分に何が出来るのかと、いつも自問自答していた。
この時も人間達に使われるフェアリーたちを見て、サーヤの心は痛んだが、今のサーヤの力ではどうしようもなかった。今出来る事といえば、ウィンディとシルメラを心配させない為に、辛くても笑顔を絶やさない事くらいだった。
サーヤたちがお菓子屋さんに向かって街中を歩いていくと、三人のフェアリーワーカーに荷車を引かせる小太りの中年男とすれ違った。フェアリーたちは男の持っている棒で何度も酷く打ちす得られて居る為に体中が傷だらけだった。ウィンディはその男を見た瞬間に、尋常ではない怯え方をしてサーヤの懐に飛び込んでくる。その時にサーヤは、男に見覚えがあることが分かった。
「また酷い事してる!」
「なんだぁ?」
男はサーヤを睨んだ。依然とは違ってサーヤは綺麗なメイドの格好をしていたから誰かと思ったが、強い意志の宿った目の輝きが、以前に会った乞食のような少女だと思い出させた。
「お前は確か、前に使い物にならないワーカーを持ってった小娘だな。こりゃ驚いた、ずいぶんいい身分になったじゃないか。それに……」
男はシルメラとウィンディを交互に見ていた。
「どっちもいいフェアリーだな。お前のなのか?」
「おじさん、気付かないの?」
「何がだ?」
「この子は、ウィンディは、おじさんが殺そうとしたフェアリーだよ!」
男はサーヤに抱かれているフェアリーをよくよく見てようやく気付いた。
「おいおい、冗談だろう!? あの時の死に掛けのワーカーが、こいつだって言うのか!?」
「そうだよ。おじさんは酷い人だけど、感謝してるよ。ウィンディをわたしにくれたんだからね」
サーヤは感謝しているという言葉とは魔逆に、侮蔑を込めて言った。男は驚きのあまり呆然としていたが、サーヤが立ち去った後に言った。
「どうなってんだ……?」
「はい、ウィンディ」
「あうーっ!」
サーヤはウィンディの望み通りにチョコレートバーを買ってやった。
「はい、シルメラも」
「ありがとう」
サーヤとシルメラもチョコレートバーを食べ始める。三人揃ってお菓子を食べている姿は、いかにも平和で微笑ましい光景だった。その時にたまたま通りかかった黒塗りの馬車が、
サーヤたちの前で止まった。それから窓が開いて、シャイアが顔を出した。
「なぁに、三人揃ってお菓子なんて食べて、間抜けな光景ね」
「シャイアさん!!?」
サーヤは驚くと共に、至高の嬉しさで表情を笑顔で輝かせていた。
「なんだい?」
続いてシャイアの横からコッペリアが顔を出した。口には渦巻き状の大きなキャンディーを咥えていて、洗練された姿のシャイアとの落差が可笑しかった。
「そっちのペアの方がよっぽど間抜けに見えるけどな」
シルメラがチョコレートを食べながら言うと、シャイアは眉をひそめてコッペリアを馬車の中に押し込んでから言った。
「サーヤ、暇そうね」
「はい、はっきり言ってものすごく暇です~」
「だったら、私と一緒に来ない? いいものを見せてあげるわ」
「一緒に行っていいんですか!?」
「ええ、いらっしゃいな」
「はい!」
サーヤは何の疑いもなくシャイアに言われるままに馬車に乗り込んだ。シャイアは隣にいたコッペリアを抱き上げて後ろの席に移すと、空いた隣にサーヤを座らせる。
コッペリアが後ろの席の真ん中で何食わぬ顔でキャンディーを食べていると、彼女の左右にウィンディとシルメラが座った。
「うわぁー」
ウィンディが早速コッペリアのキャンディを羨ましげに見つめる。
「食べたいのかい?」
「うん!」
コッペリアはウィンディに応えて、足元から紫色の大きなオルゴールを出してきた。それを見たシルメラは不可解そうに言った。
「おい、オルゴールなんて出してどうするんだ?」
「物を仕舞うのに使ってるんだよ」
「はぁ?」
コッペリアが自分のオルゴールを空けると、中には様々なお菓子が詰まっていた。それを見たウィンディは大喜びし、シルメラは呆れ返った。
「好きなの食べな」
「ありがと~」
「お前、オルゴールにお菓子なんて詰めてるのかよ……」
「眠りにつく時しか使わないからねぇ。せっかくだから物入れにしているのさ」
「そんなにお菓子が入っていたら、眠るときに困るだろ」
「寝る前に全部たべるさ」
「食べてもお菓子の屑だらけで寝られたもんじゃないな」
「メイドに掃除させるから問題ないさ」
「大そうな事だな……」
サーヤは後ろ向きになってフェアリーたちの事を嬉しそうに見ていた。
「コッペリア、ウィンディに優しくしてくれてありがとうね」
「友達だからね」
それからコッペリアはシルメラの方にオルゴールを向けて、嫌みったらしく言った。
「仕方ない、お前にも恵んでやるよ」
「いらねぇよ……」
「そうかい。美味しいのにねぇ」
「……くっ」
コッペリアはわざとシルメラの耳元で音を立ててクッキーを食べた。明らかに我慢しているようなシルメラの様子に、サーヤから笑い声が漏れた。
シャイアはフェアリーたちを温かく見守るサーヤを横にして、不気味な笑みを浮かべた。シャイアはずっと前から、明るくて元気なサーヤを壊してみたいと思っていた。
「これからどこへ行くんですか?」
「貴方はフェアリーの事を良く知りたいと思っているのよね?」
「はい、わたしフェアリーの為なら何でもしたいと思っていますから」
「じゃあ、フェアリーの現実というものを教えてあげるわ」
「現実……ですか?」
「貴方が一番知らなくちゃいけない事よ」
シャイアの気品ある含み笑いがサーヤの耳に残った。何だかよく分からないが、サーヤは唐突に激しい胸騒ぎがした。
馬車は怪しげな館の前で止まった。サーヤはシャイアと一緒に馬車を降りた。客引きらしい派手な衣装で胸元を大きく開けた若い女達が、シャイアを羨望の眼差しで見つめた。
「あの、ここは?」
「見て分からないの?」
「はい、ごめんなさい……」
裏路地に隠れるようにしてあるこの館の窓は黒ガラスが入っていて、外からでは中が見えないようになっていた。そして老朽化も進んでいて、壁には亀裂がいくらか入り、窓枠には埃が溜まっていて、何だか嫌な雰囲気を漂わせていた。サーヤが見ている前で、女連れの男が館の中に入っていった。ここが何をするところなのか、さすがのサーヤでも何となくは察した。
「娼館も知らないなんて、初なのね」
「あの、見せたいものってこれなんですか?」
「まさか、こんなつまらないものじゃないわ。もうすぐ貴方の大好きなものが来るわよ」
「わたしが大好きなものって……」
二人の会話を聞いていたシルメラが馬車から飛び出そうとする。
「よせ、サーヤにあんなものを見せるな!」
馬車から出ようとしたシルメラの手をコッペリアが掴んで引き戻した。
「うわ、何するんだ!」
「シャイアは悪い事を考えているみたいだけどね、サーヤが知らなきゃいけない事だろう。お前は分かっているはずだよ」
「駄目だ、駄目だよ!」
「お前はサーヤを信じられないのかい?」
「そ、それは……」
「わたしは信じるよ」
「コッペリア……」
「あう?」
ウィンディは何だかよく分からずに、二人を交互に見ながら最後は首を傾げた。
その時に、沢山のフェアリーワーカーに引かれて鉄格子の頑丈な檻を乗せた荷車がやってきて娼館の前につけた。オリの中に居るものを見て、サーヤは目を見開き絶句した。見た目はワーカーと同じだが、明らかに雰囲気の違うフェアリーたちが沢山入っていた。哀れな少女達は、言葉にならない声を出して泣いていた。
「……なに、あの子達は、何でこんな所に?」
「あれは心を消されていないフェアリーワーカーよ。ワーカーとしては使い物にならないけれど、ここでは役に立つわ」
「役に立つって……」
「心を消されていたら、何の反応もしないわ、それじゃあ玩具にならないでしょ」
「シャイアさんの言ってる意味、分からないよ……」
「世の中には色んな嗜好の男がいるわ。可愛らしいフェアリーが大好きな男だって沢山いるのよ」
サーヤは一気に巻き起こった絶望に襲われて、急に心臓が締め付けられたようになり、息が止まりそうになった。そして頭の奥から突然起こった意思に弾かれて走り出した。サーヤは、ただひたすらに檻の中のフェアリーたちのところへと向かっていく。
「なんだお前は!!?」
サーヤが檻の鉄格子の間から手を差し入れると、中にいるフェアリーたちが集まってきてサーヤの指や服を掴んだり触ったりした。
「嫌だ!!! こんなの嫌だ!!!」
「何だこの小娘は、商品に手を触れるな!」
檻の近くに付いていた巨躯の男が拳を振り上げると、コッペリアが飛んできて男の手首を掴んだ。すると腕っ節に自信のあった男は自分よりもずっと小さな少女の力に完全に制圧されて目を白黒させていた。
「乱暴はやめておくれ」
シャイアが薄笑いを浮かべながら歩いてきて、サーヤの腕を掴んだ。
「どうしたの? この程度で絶望していたら、あなた本当に壊れちゃうかもね」
「あぁ…あう……」
「来なさいよ。もっともぉっと良い物を見せてあげるから」
シャイアが無理やりサーヤの腕を引っ張って檻から引き離すと、檻の中のフェアリーたちはまるで母をなくした幼子のように悲しさと不安の滲む顔をしていた。
シャイアはある種の快感を得て、狂気を宿した薄笑いのままに、サーヤを娼館の裏側に引き摺っていった。
「さあ、見なさい!」
シャイアはサーヤを前に立たせると、背中を強く叩いて前へと押し出した。呆然としていたサーヤは、夢遊病者のようにふらっとした足取りで進み、館の裏口に面したところにある大きな木箱の前で止まった。そして、明らかに塵箱とおぼしきそれに視線を落とした瞬間に、大きく息を吸い込んで凍りついた。その中には無数のフェアリーの死体が折り重なっていて、大部分が土化している死体もあった。
「あわ…あぐ…うあぁぁ……」
サーヤの青緑色の瞳から涙が零れ落ちる。悲しみと苦しみを超えた先にあるものが、サーヤの精神を破壊して言葉すら失わせていた。そこへ追い討ちをするように、裏口が空いて老人がネコ車に山となっていた塵を木箱にあけた。様々な塵と一緒い虐め殺されたフェアリーたちが転がり落ちる様は、サーヤを奈落の底に叩き落した。
「…どうして…どうしてこんな……」
「ほぉら、もっとよく見なさい!」
シャイアは弱いものを虐めるのと同じ快感と優越に身を委ね、サーヤの後頭部の髪を掴み、無理やり塵箱の中にサーヤの顔を近づけさせた。血と汚物に塗れたフェアリーたちの死体がサーヤの視界に迫ってくる。
「ああ、ごめんなさい。守ってあげられなくて、ごめんなさい………」
「何を泣いているの? 何で謝るの? 貴方に何が出来るというの? もっと現実を見なきゃ」
サーヤの涙が、命無き小さな妖精の上に降りそそいだ。
「も、もう止めて、サーヤを虐めないで」
ウィンディが飛んできて、シャイアの前で懇願した。その声は弱々しく、控えめだった。サーヤの為なら命だって投げ出すウィンディだが、シャイアに限っては恐ろしくて逆らう事が出来ないでいた。
「いいわ、止めてあげる。次の場所へ行きましょう」
「次の場所だと!? もうこれ以上サーヤを苦しめるな!!」
シャイアはいきり立つシルメラを無視して言った。
「連れて行きなさい」
コッペリアは主の言う事に素直に従って、サーヤの手を掴んだ。
「コッペリアっ!!」
コッペリアは鋭く睨み付けてくる姉を一瞥する。サーヤはまるで死んでいるかのように脱力し、涙の溢れる瞳は虚ろになっていた。コッペリアはサーヤをほとんど宙吊りにするようにして、馬車まで運んだ。
「もう我慢出来ない! これ以上好き勝手にさせるか!」
シルメラはコッペリアがサーヤを座席に座らせているところに突っ込んでいった。コッペリアはシルメラが伸ばしてきた右腕を掴み、続けて首も掴んでから、相手を馬車の後部の窓に押し付けた。その時に起こった強烈な衝撃で、馬車が大きく揺れた。
「無駄だねぇ。サーヤがこんな状態では、お前は力を出す事が出来ない」
「う、くそ……」
「ウィンディ、こっちへ来な。次の場所へ行くんだ」
「あう……」
漆黒の馬車は走り出す。妖精をただただ愛する少女を乗せて。