サーヤの血‐4
「よし、後は言葉と一般常識を覚えさせればいい」
「良かったわねあなた達、もう直ぐそこから出られるって」
クラインがガーディアン・ティンクと名付けたフェアリーたちが、羊水の中から父親の顔を見つめていた。一糸纏わぬ無垢な少女達は、清純の結晶だった。
クラインは、宝石のように純粋で輝かしい姿の娘達に、希望を託していた。
「何者にも犯すことが出来ない絆によってのみ、この子達は力を発揮する。サーヤのような妖精使いをもっと見つけることができれば、フラウディアにもまだ希望はある」
今まで根をつめ続けてきたクラインに、ようやく一息つける瞬間が訪れた。
「少し外の空気を吸ってこようかな」
「そうしなさいよ。ここのところ全然休んでないんだし」
レディメリーに促され、クラインは校庭に出て行った。外はすっかり帳が落ちていた。
「今は夕飯時くらいかな?」
「なに言ってるの、今は真夜中よ」
「ずっと研究室に閉じこもっていたから、時間の感覚がおかしくなっているな」
「しっかりしてよ、マスター」
レディメリーが言うと、クラインは笑って誤魔化した。それからしばらく涼しい夜風に二人で当たっていた。のんびりとした時間が過ぎていった。
「さて、そろそろ戻るかね」
クラインがそう言った時だった、レディメリーが急に恐ろしい形相を浮かべて、暗黒に沈んでいる上空を見上げた。
「何か来るよ!!」
クラインがその声に反射的に上を見上げると、暗闇の中に真紅に光る相貌とオーロラのような輝きを放つ六枚の翅が視界に飛び込んでくる。それが何なのか、クラインにはすぐに分かった。
レディメリーはコッペリアから強烈な殺気を感じていたので、直ぐに魔法の詠唱を始める。
「召喚!」
「おっと、魔法は使わせないよ!」
瞬間にコッペリアがレディメリーの目の前に降りてくる。レディメリーが魔法を使う前に、その脇腹に強烈な蹴りが叩き込まれた。レディメリーは悲鳴をあげて、地面に叩きつけられた。コッペリアは続けて倒れているレディメリーの背中を踏みつけ動けなくすると、見る者をぞっとさせるような笑みを浮かべつつ、ブロンドを鷲づかみにして顔を引き上げた。
「うぐぅ…………」
「レディメリー!!」
クラインは叫んだ後、レディメリーを捕えるフェアリーを見て怪訝な顔をした。
「コッペリア!? 何故こんな事をする!」
「わたしが命令したからよ」
闇の中から、この世のものとは思えない幽玄な容姿の女が現れる。黒いドレスを着ているので、露出している白雪のような色の腕と足以外は、闇と同化しているようにも見えた。
「あなたは昼間の!?」
「こんばんは、クラインさん」
シャイアは微笑を浮かべつつ、まるで通りすがりでもあるかのような軽さで挨拶をした。クラインは闇の中で際立つ女の美しさと恐ろしさに心の底が震えた。
「…………どういうつもりなんだい?」
「貴方に手伝って欲しい事があるの」
「人にものを頼むような状況ではないと思うがね……」
「だぁってぇ、普通に頼んでも貴方は絶対に首を縦には振らないもの。何せ貴方の力を必要のしているのは、貴方がこの世界で一番嫌いな人なんだもの」
「誰なんだ……?」
「ついてくれば分かるわ」
「駄目よクライン! こんな奴の言うこと聞かないで!!」
「黙りな!」
コッペリアはレディメリーを痛烈に踏みつけて、さらに頭を引き上げて海老反りにさせた。レディメリーは余りの苦しさに呻き声をあげて気を失った。
「止めてくれ!!!」
「嫌ならこいつの首をもぎ取るよ」
「……ついていくよ」
「それでいい」
クラインは黒服の男達によって目隠しをされ、馬車に乗せられてからしばらく走った。馬車が止まった後も目隠しは取られずに、男達に両腕を取られながら何処かへ導かれた。
「もういいんじゃない」
シャイアが言うと、クラインの目隠しが取られた。辺りの状況を把握した瞬間に、クラインは激しく動揺した。薄明かりの広い空間の左右には卵形の水槽が大量に設置されていて、その全てに同じ様な容姿をしたフェアリーが入っていた。
「フェアリーワーカー!!? ここは、フェアリープラントの中なのか!?」
「その通りだよ、クライン君」
「カーライン・コンダルタ!!」
「我がフェアリープラントへ、ようこそ」
クラインは凄まじい憤怒をもって、シャイアを睨み付ける。
「貴方はフェアリープラントと繋がっていたのか!!」
「今頃気付いても遅いわ」
「黒妖精のマスターでありながら、この恥知らずめ!!」
シャイアはクラインの罵倒など歯牙にもかけておらず、嘲笑を浮かべて流していた。
クラインが背中で手を組んで、クラインの周りをゆっくりと歩き始める。
「シャイアから聞いたよ。君は素晴らしいフェアリーを完成させたそうだね。その力を是非とも貸していただきたいのだよ。わが社には多くのフェアリークリエイターがいるが、能力の方が今一でね」
「…………」
「分かっていると思うが、言う事を聞かなければ君の大切なフェアリーの命はないよ」
「レディメリーはどこにいる」
「今は無事だよ。彼女がどうなるかは君次第だがね」
「わたしに何をさせたいのだ」
「ついてきたまえ」
フェアリーワーカーの生産工場から別の部屋に移ると、異様なものがクラインの目に飛び込んできた。ワーカーが入っていたのよりもずっと大きな水槽の中に、右腕が異様に大きく肥大した奇形児と思えるようなものが入っていた。背中にある蜻蛉に似た四枚の翅の存在で、辛うじてフェアリーだと分かるような生き物だった。
「何だ、これは…………」
「戦闘用のフェアリーワーカーを開発しているのだがね、どうにもうまくいかないのだよ。人を殺す事はできるのだが、力ばかり強くて知能は乏しく、生産性と安定性にも欠けるのだ」
「貴様!! 神に弓を引こうと言うのか!! こんなものを完成させれば、フラウディアは本当に滅ぶぞ、それが分からないのか!!」
「口を慎みたまえ、君は意見できる立場ではないのだよ。それとも、あのフェアリーを殺したいのかね?」
クラインは歯軋りをするような思いで口を閉ざした。カーラインはあごひげを弄り、優越感に浸りながら言った。
「君の言う神とはエリアノの事かね? わが祖、クランセル・コンダルタは、エリアノから全てを託され、フェアリーラントの王となったのだ。フェアリーの運命がコンダルタ一族の手中にあるのは当然の事だよ」
「違う。エリアノは罠にかけられたのだ。だからクランセルが王になった後、エリアノは行方不明になった。フェアリーの尊厳をここまで破壊した貴様らの所業を見るだけでも、それは明らかだ」
「言い掛かりだね。エリアノはコンダルタ一族にエリアノダイヤモンドまで預けたのだよ。そのお陰でフェアリープラントが建設され、人々の生活は豊かになった。今のフラウディアこそ、エリアノが望んだ世界なのだ!」
クラインは何も応えない代わりに、凄まじい憎悪の宿る目でカーラインを突き刺すように見つめた。
「何を言っても理解してくれそうにはないね。まあいいだろう。仕事さえしてもらえれば何も文句はない」
「……こんなものを創ってどうするつもりだ」
「人を殺せるフェアリーワーカーだよ! 人よりも強力なフェアリーが人の代わりに戦ってくれるのだ! 世界中が欲しがる! そして巨大な富が生まれるだろう! この戦闘型フェアリーワーカーの開発により、フラウディアはかつてない栄華を極める事になるのだよ!」
「…………狂っている」
「何とでも言いたまえ。さあ、こっちへ来るんだ」
カーラインが進むと、クラインは黒服の男達に無理やり連行された。後ろから遅れてついてくるシャイアは、カーラインの話を聞いて。気分を害されたかのように口を引き結んで黙っていた。
「いくら天才の君でも、何もない状態から新たなフェアリーを造るのは難しいだろう。こちらから雛形を提供してあげよう」
工場の奥まったところにある扉が自動で左右に開き、奥の研究室が姿を現した。ドーム状の部屋の内壁に巨大なスクリーンがいくつも設置され、何人かの研究者がキーボード状のボタンを叩いていた。
カーラインは開いているスクリーンの前にクラインを連れて行くと、キーの一つを押した。
「このコンピュータには、あらゆるフェアリーのデータが蓄積されているのだよ、見たまえ」
巨大なスクリーンの中に、フェアリーのシルエットと大量のデータが現れる。クラインはデータの中に『FREIA』という文字を確認した。
「これは、原始のフェアリー、白妖精フレイア!?」
「全てのフェアリーの母なる存在だ。新たなフェアリーの礎としてはうってつけだろう」
「このフェアリーは、女王エリアノが身体の不自由な妹の為に創った、いわば優しさの象徴だ。それを殺しと金儲けの為に使えと言うのか。どこまでエリアノを愚弄する気だ」
「まったく君の言う事は下らんね。そんな事よりも返事を聞かせてもらおうか。断って娘同様のフェアリーを殺すか、ここで研究を手伝ってフェアリーを生かすかだ」
「レディメリー…………」
クラインは目を閉じて、自ら腹を切るような極限の苦しみの中で言った。
「わかった、お前のいう通りにしよう」
「流石は天才クリエイター、賢い選択だ」
カーラインはこの世界の王になったような痛快な気分になり、大声で笑い出した。空虚で愚かな道化の笑いが、工場の中に響き渡っていた。
シャイアはここのところ、ユーディアブルグに帰らずに、カーラインからもらったシルフリア城の最上の客間に滞在していた。この日の夜はシルフリア城に戻ると、部屋に閉じこもり、靴を脱ぎ捨ててベッドの上で足を伸ばした。コッペリアは食堂で食事をしているので、飾られた部屋の中は必要以上に静かで、コッペリアが側に居ない事で不安が掻き立てられた。シャイアはコッペリアが近くにいないと落ち着かなくなっていた。身体の一部が抜け落ちたような感じがするのだ。
シャイアは胸に空隙のあるような釈然としない状態のまま、仰向けになりながら膝を少し折って疲れを癒していた。そうしていると、ノックもなしに扉が開いた。シャイアがコッペリアかと思って見ると、カーラインがいやらしい笑いを浮かべつつ中に入ってきた。シャイアは感情を押し殺した硬い面で動かずに男からは目を離さなかった。
「よくやってくれた。あの男がこちらの物になるとは、君は大した女だ」
「……わたしに手を出さない方がいいわよ」
「そう邪険にするな。わたしの物になれば、全ては思いのままだ」
「駄目よ。こっちにこないで」
シャイアは無駄と知りつつ言った。カーラインの目は盛りのついた獣のようにぎらぎらしていて、もう言葉などは耳に入っていなかった。ただ目の前にいる美しい存在を陵辱する事だけを考えていた。
カーラインは獲物に襲い掛かる獣のように飛び上がった。流石のシャイアも恐怖と汚らわしさに表情を曇らせたが、まったく抵抗せずにベッドの上に寝ていた。目を血走らせたカーラインの顔がシャイアの顔にぐっと近づき、顔を逸らしたシャイアの頬に荒く熱い吐息がかかる。余りのおぞましさにシャイアは背筋を凍らせた。さらにカーラインは左手を滑らかな太腿の上で滑らせ、右手でふくよかな乳房を乱暴に掴んだ。その瞬間に、シャイアが今まで経験した事のない刺激が電撃のように身体を走った。
「あぁ……」
シャイアの意思とは無関係に、艶かしい声が出てしまう。カーラインはそれを聞いて、宝石のように清純な存在を汚す行為に、さらに興奮を高める。
カーラインが左手を太腿から上にスライドさせようとした時、部屋の窓ガラスを突き破って何かが飛び込んできた。カーラインが大きな音に驚いて振り向くと、コッペリアの赤い瞳と眼が合った。コッペリアはカーラインの後ろから襟を掴んでベッドから引き摺り下ろして放り投げた。彼はものすごい勢いでドアに叩きつけられ、戸板が大きく外側に膨らみ、番の螺子が軋む。前に弾かれて倒れ込んだカーラインはうめき声を上げた。
「だから手を出さない方がいいって言ったのに」
「どうするんだい、殺すのかい?」
「よ、よせ!!?」
コッペリアが言った事で、カーラインの欲望は恐怖と挿げ替えられた。
「安心して、貴方を殺すなんて、そんな馬鹿なことはさせないわ」
カーラインはそれを聞いて安心はしたが、どうにも押さえきれない燃え上がるような欲望の為に、まるで麻薬中毒者のようにやつれた顔をしていた。
シャイアはベッドの隅に座り、わざとカーラインに見せ付けるようにして足を組んだ。
「シャイア、後生だ。これ以上焦らさないでおくれ。頭がおかしくなってしまいそうなんだ…………」
「そんなにわたしが欲しいの?」
カーラインは何も答えずに懇願するような目をしていた。シャイアは微笑を浮かべると、両足の太腿まである黒いハイソックスを脱ぎ捨てて素足を晒す。
「いらっしゃい」
地面に這いつくばったまま近づいてきたカーラインの目の前に、シャイアは組んだ足の片方をちらつかせた。
「好きにしていいのはこれだけよ。少しでもおかしな事をしたら、コッペリアが酷い目にあわせるわ」
「美しい、何て美しい足なんだ。まるで女神だ」
カーラインは陶酔しきった顔で言いながら、白い足の指を舐め始めた。シャイアは余りのおぞましさに硬い表情をしていたが、カーラインが満足するまでじっと我慢していた。
夜遅く、シャイアは城の大浴場にコッペリアと一緒に入った。
シャイアの肢体はまるで輝きを放っているかのようなパール色で、誰が見ても肌理の細かさが容易に想像できるだろう。その姿は女神か夢魔か、人間離れした秀麗さがあった。
「汚らわしい……」
シャイアはさっきからずっとカーラインに与えた右足ばかりを丁寧に洗っていた。コッペリアは湯船につかりながら、浴槽から顔だけ出して言った。
「嫌ならあんな事させなきゃいいじゃないか」
「あの男には極限の苦しみを味合わせるのよ。その為なら、これくらいの事は我慢するわ」
「極限の苦しみってどんなんだろうねぇ」
「泥沼のような欲望と燃え上がる恐怖の中で、あの男は死んでいくのよ。最後にどんな顔をするのか、本当に楽しみ」
シャイアはまだ不満足な様子だったが、足を洗うのを止めて浴槽に入った。コッペリアは広い浴槽の中をゆったりと行き来して泳ぎを楽しんでいる。シャイアはそれを目で追いながら言った。
「ねぇ、あんな事をして本当によかったの?」
「何の事だい?」
「クラインの事よ。貴方がカーラインに協力するなんて、今でも信じられないわ。フェアリー・プラントは、貴方にとって一番壊したいものなのに」
「地獄の季節を呼ぶ為には、人を殺せるフェアリーが沢山必要なんだよ。目的を果たすまで、フェアリー・プラントを利用するってだけの事さ」
「ふぅん、コッペリアなりの計画があるのね」
「そういう事だねぇ」
「ますます楽しくなりそうね」
コッペリアの計画が、この世界を根底から覆す程のものである事をシャイアは知っている。コッペリアの凶悪な意思の下で世界がどう変わるのか、シャイアは考えるだけでぞくぞくした。