サーヤの血‐3
放課後に、人目を忍ぶようにしてシャイアはシルフィア・シューレに訪れた。だが、一緒にいるコッペリアの強烈な気配は、多くのフェアリーに気取られていた。
サーヤとシェルリが帰ろうとして校庭を歩いていると、急にフェアリーたちがそわそわしだした。
「コッペリアが学校に来ているぞ」
「本当に? じゃあ、シャイアさんもいるのかな」
サーヤが急に恍惚として艶やかな表情を見せるので、シェルリにはそれが気になって仕方がなかった。
「あっちにいるよ~」
ウィンディが勝手に飛んでいくので、残された方はそれを追いかける事になった。サーヤは何かに取り付かれたように走り出し、その足が速いのでシェルリはついていくのに苦労した。
サーヤたちは廊下でシャイアと鉢合わせた。
「コッペリア、コッペリア~」
「よう、ウィンディ」
ウィンディはコッペリアに抱きついて、親しげに顔を摺り寄せる。それを見ていたシルメラはあまり良い顔をしなかった。そして、テスラはシルメラの後ろに隠れて覗き見るように顔だけ出していた。
「何しに来たんだ?」
「わたしはこんな所には用はないよ」
「そんな事は分かってる。お前のマスターが何をしに来たか聞いてるんだよ」
「本人に聞いておくれよ」
コッペリアはシルメラの応えてから、テスラと視線を合わせた。テスラは明らかな恐怖を面に表した。
「お前は相変わらずかい。黒妖精ならもっと堂々しな、お前の怯えている姿を見ていると苛々してくるんだよ」
「ふうぅ……」
「よせよ」
「相変わらず優しい姉さんだ。優しすぎるのも考えものだけどね」
コッペリアが茶化すような調子で言うと、シルメラとの間にある空気が険悪になった。
「喧嘩はだめーっ!」
ウィンディが言うと、緊張した空気が急激に緩和されていく。
「ウィンディの言うとおりだ、姉妹で喧嘩なんてよくないねぇ」
「そうだな」
シルメラは笑いを浮かべていた。ウィンディには妖精たちをつなぐ不思議な力があった。
下ではマスター達の会話が同時進行していた。
「あら、サーヤ」
「わたしの名前、覚えていてくれたんですね」
サーヤはまるで尻尾を振る子犬のように無条件な喜悦を表してシャイアに近づいた。シェルリは今までに見た事がないサーヤの異常な姿を注意深く観察していた。
「丁度良かったわ。この学校にある研究室に案内してくれない?」
「はい、分かりました!」
「ちょっと待って、地下の研究室は今大切な実験をしていて、関係者以外は立ち入り禁止なんです」
シャイアは警戒心の強いシェルリを見下して軽く笑った。
「もちろん、院長の許可は取ってあるわよ」
「本当ですか?」
「本当よ、疑り深い子ね」
シェルリは腑に落ちない顔をしながらも引き下がり、進んでサーヤが前に出てくると、揚々と先頭を歩いてシャイアを研究室まで案内した。やがて研究室に続く鉄の扉の前で彼女らは止まった。
「クライン先生!」
サーヤが大きな声を出しながら扉を叩くと、すぐに開いてクラインが出て来た。
「おや、サーヤか。なんだか久しぶりな気がするな」
「本当に久しぶりだよ」
「ここの所、研究室にこもりっきりだからな」
「その研究を、少し見学させて頂きたいのですわ」
クラインはいきなり前に出て来たシャイアの姿を見ると、人間離れした余りの美しさに驚き、続けてシャイアの身体から漂う上品な香水の香りに頭をやられて呆然となった。
「どうかいたしまして?」
「あ、いや、これは失礼しました。あなたの事は院長から聞いていますよ。どうぞ、ゆっくり見ていって下さい」
「じゃあ、わたし達はこれで失礼します」
入りたそうにしているサーヤを横にして、シェルリが頭を下げて言うと、クラインは慌てた。
「待って、よかったら君たちも見ていってくれないかい。わたしの作った最高のフェアリー達が完成したんだ」
「いいんですか!?」
最高のフェアリーと聞いて、サーヤは胸をときめかせた。
「ああ、むしろサーヤには見てもらいたいんだ」
「やった! どんなフェアリーなのかな、楽しみだな~」
サーヤは主賓のシャイアよりも先に中に入っていく。シェルリはフェアリーの事になると夢中になるサーヤに苦笑いした。
研究室は学校の中で唯一、電気が通っている場所だ。天上から降り注ぐオレンジ色の光が、そこにあるもの全てを明らかにしていた。
「あんたは、コッペリア!?」
中にいたレディメリーは、コッペリアの姿を見て身構える。ごく最近に姉妹がやられているので、いきなり戦闘体勢に入っていた。
「嫌われたもんだねぇ。安心しな、こんな所で暴れるほど馬鹿じゃないよ」
「レディメリー、彼女はお客さんだよ」
「わあ、かわいい!!」
サーヤは早速、卵形の水槽の中にクラインの言う最高傑作を見つけていた。三つの水槽の中にいるフェアリーたちはもう目覚めていた。彼女らは全裸で長い髪を水中に漂わせ、幼い子供のようにあどけない顔がよく似ていた。一番右の水槽のフェアリーは銀色の髪をし、真ん中のフェアリーは薄桃色、左のフェアリーは青混じりの銀髪だった。
「右からリリー、ルナルナ、メイプルだ」
「こんにちは」
ウィンディが水槽を前にして言った。それから彼女らは黙って見詰め合っていた。
「彼女らをガーディアン・ティンクと名付けた。元々持っている力は弱いが、マスターとの絆が深くなるほどに力を増すんだ。その能力は無限大と言ってもいい」
「素晴らしいわ」
シャイアは口ではそう言いながらも、驚いている様子はなく、何か嫌なものを感じさせる妖艶な笑みを浮かべていた。それを見ていたシェルリは、無償にシャイアが恐ろしくなってきた。
シルメラが水槽の中のフェアリーを見ながら言った。
「こいつら、雰囲気がウィンディにそっくりだ」
「だからずっと見詰め合っちゃってるの?」
「ウィンディはこの子らのお姉さんと言ってもいいからね。ガーディアン・ティンクの構想は、サーヤとウィンディから始まっているんだよ」
「どういう事なんですか?」
「ウィンディは、普段は弱いフェアリーだが、サーヤとの絆によって、いざという時にはどこまでも力を引き出す事ができる。そして元々はフェアリーワーカーだった。サーヤの愛する心が、絆が、ウィンディをここまで変えて、力を与えていった。これこそがフェアリーと人間のあるべき姿なんだ。君たちの存在自体が、フェアリーと人間の世界を照らす光なんだ。だが、君たちだけではこの世界を変えるのは難しいだろう。もっと光が必要だ」
「この子達が、その光」
「そうさ」
サーヤは水槽のか弱い姿をしたフェアリーたちに大きな希望を抱いた。ウィンディを含め、彼女達が生きていくその先に、新しい世界が待っている。そんな気がしていた。
学校を出た時には、すっかり夕暮れ時になっていた。サーヤとシェルリは並んで右手に海の見える公道を歩いていた。
「サーヤ、シャイアさんの事どう思ってる?」
いきなり問うてきたシェルリに、サーヤは顔を赤らめて言った。
「どうって、とっても素敵な人だよ。綺麗だし、頭もいいし、お淑やかだし、おまけに黒妖精のコッペリアまでついちゃってるし!!」
「…………わたし、あの人なんだか怖いよ。サーヤはあの人に近づかない方がいいよ」
「どうして?」
「うまく言えないんだけど、ものすごく嫌な感じがするの。お願いだから、もうあの人には近づかないで」
シェルリの余りにも真剣に訴える姿に、サーヤは戸惑っていたが、やがて答えた。
「シェルリがそんなに言うんなら、気をつけるよ」
「絶対だよ! 今ここで約束して、もう絶対に近づかないって!」
「う、うん、わかった」
シェルリが、そんな風に強く言うのは本当に珍しい事だった。それでもサーヤは、シャイアから遠ざかる事に迷いがあった。