サーヤの血‐2
翌日の朝、フェアリープラント社のビルは朝から恐ろしい混乱に襲われた。特にこの事件がカーラインに与えた恐怖は途轍もなく大きかった。殺された五人の部下のうち四人が、殺し屋のマクスとまったく同じ殺害状況だったからだ。
カーラインは社長室にずっと篭りきりだった。シャイア以外を部屋から閉め出し、机の前に座って頭を抱えながら震えていた。
「シャイア、わたしを助けてくれ、このままでは殺される…………」
カーラインは泣きべそをかく子供のように情けない顔をして訴えた。シャイアは老人の域に達しようとしている男を後ろからそっと抱き、安心させてやりながら彼の耳元で囁いた。
「落ち着いて、あなたは大丈夫よ。わたしが守ってあげると言ったでしょう」
「わたしは怖い…………」
「怖がってばかりじゃ駄目よ。あなたを狙っている人を見つけ出さなきゃいけないわ。何か心当たりがあるはずよ。あなたを強く恨み、強力なフェアリーを持っている人よ」
カーラインはそれを聞いて顔を上げた。
「思い当たる事があるのね」
「そうだ、シルフィア・シューレだ! どうして今まで気付かなかったんだ! わたしの命を狙うとしたら奴らしか有り得ない!!」
「だったら、早急に手を打たなきゃ」
カーラインは恐怖を怒りに変えて、歯を食いしばって両方の拳で机を思い切り叩いた。大きな音がして、机の上の万年筆が跳ね上がる。
「許さんぞ!! あの学校の教師も生徒も皆殺しにしてくれる!!」
いくらカーラインでも、シルフィア・シューレの人間を皆殺しにするのは不可能だが、そう叫ぶほどに彼の怒りは大きかった。その様子を見ていたシャイアは、心の中でほくそ笑んでいた。
ここ最近で、リーリアのセイン財団から脱落する貴族が続出していた。かつて若く英知に溢れた青年貴族たちは、精も根も尽き果てたかのように落魄し、リーリアに別れを告げていった。手紙もあれば、リーリアに直接会って頭を下げる貴族もいた。リーリアが理由を訊ねても、誰もが口を噤んでしまった。だが、一人だけは違っていた。
「これはフェアリープラントの陰謀ですよ。お気をつけ下さい、リーリア嬢」
正義感の強いカストール侯爵は、リーリアの書斎に入るなり、恐れもせずに貴族達がリーリアから離れていく理由を教えてくれた。浅黒く、三十になったばかりの精悍な青年は、義憤を燃やしいた。
「奴らは卑劣にも、わたしの娘を人質に取ったのです。他の貴族達も弱みを握られて、仕方なく貴方の下から去っているのです。わたしも今は軍門に下るしかありませんが、フラウディアの未来の為に、フェアリープラントと戦う決意は変わりません」
「ありがとう、カストール候。あなただけでもそう言ってくれると心強いわ」
「皆で協力して、例の法を必ず制定しましょう。わたしも貴方と同様に、王国議員達を説得していきます」
「こればかりは地道にやっていくしかないわね。王国会議までに間に合えばいいのだけれど」
「大丈夫、正義は我々にあります。負けるはずがない」
リーリアは燃える青年に少女の可憐な笑みで応えた。
「そろそろお帰りになった方がいいわ。あまりここに長居をすると、貴方に身の危険が迫るかもしれません」
「では、失礼するとしましょう」
カストール候は黒いシルクハットを被ると、去り際に言った。
「我が心は永久に貴方様と共に!!」
リーリアは外に出て、カストール侯爵の馬車が出て行くまで見送った。そこにサーヤが近づいて言った。
「リーリア、平気?」
「何を心配しているの?」
「最近、色々と大変みたいだから……」
「貴方が側にいてくれれば、いつまでも元気でいられるわ」
「本当にそうだったらいいな」
「本当よ」
サーヤは見ているだけで本当に元気が出そうな可愛らしい笑みを浮かべてから言った。
「もうすぐお茶の時間だよね。今日はわたしが紅茶淹れるからね~」
「大丈夫なのかしら? この前のは飲めたものではなかったわ」
「むぅ、馬鹿にしてるね! 大丈夫、頑張って練習してるんだから!」
「それでは、期待させてもらうわ」
「よ~し、ウィンディ、シルメラ、いくよ~」
サーヤはフェアリーたちを連れて、屋敷の中に駆け込んでいった。
シルフィア・シューレの生徒達がフェアリーを連れて、校内の大聖堂に集まっていた。ざわめく堂内を、大きなエリアノの像が見守っている。祭壇にフィヨルドとセリアリスが現れると、辺りは静まり返った。
「諸君に急ぎ集まってもらったのは、すぐに伝えなければならない事があったからだ。今から話すことをよく聞いて、判断して欲しい」
フィヨルドは生徒の一人ひとりを見ていきながら言った。
「シルフィア・シューレの存在意義は、妖精と人間の共存の為と平和の為に尽くす人材を輩出する事だ。その理念に反するものを黙認する事は出来ない。我々は、断固とした姿勢でフェアリープラント社と戦っていく事にした」
先ほどとは明らかに異質などよめきが起こった。不安や恐怖をあからさまに表す生徒も少なくなかった。
「これから多くの苦難が待ち受けている事は必至だ。命の危険さえあるかもしれない。わたしと共に、フェアリープラントと戦う勇気のある者だけ、ここに残って欲しい。だが、これは君たち個人で決められる事ではない。君たちの両親にはもう連絡してあるので、よく相談して決めたまえ。多くの生徒がここから出て行くことになるだろう。編入手続きの準備はしてある。他の妖精使い育成校にいってもいいし、普通の学校にいくのもいい。勝手な事を言う院長だと思うだろうが、それでもかまわない。わたしはシルフィア・シューレを本来の姿に戻す。全ては我々と共にある妖精の尊厳を取り戻す為に!」
重苦しい学校の空気から抜け出すように、一台の馬車が校門から走り出した。
馬車の中も妙な緊張に包まれていて、いつも大騒ぎしているフェアリーたちもそれを感じて静かにしていた。
「なんか大変な事になってるね」
サーヤが言うと、隣に座っているリーリアは窓から海の方を見つめながら応えた。
「まるで人事のようね。あなたも学校の生徒なのよ」
「わたしは何があってもあそこに居るんだ。他に行くところもないし」
サーヤはそう言いながら、膝の上に乗っているウィンディを抱き上げて、母親が子供にするように頭をなでた。
「シルフィア・シューレに在籍する事自体が、フェアリープラントと敵対する事になるのよ」
「そんなの関係ないよ。フェアリーの為になるんなら、何だってやっちゃうよ」
「貴方が妖精の為なら死んでもいい人だって忘れていたわ」
サーヤは急に何者かに怒りを露にするように、強い口調になって言った。
「そうだよ、こんなのおかしいもん。あんなに可愛いフェアリーたちを奴隷みたいに使って、苦しめて、当たり前のように殺して、このままじゃフラウディアの人達はみんな人間じゃなくなっちゃうよ」
「既に人間ではなくなってる人も何人かいるわね」
「だから、院長がやってる事は絶対に正しいと思うんだ」
「そうね、正しいわね」
屋敷に着くと、予想もしない知らせがリーリアを待っていた。
玄関で出迎えた執事のメルファスが、いやに神妙な顔をしているので、リーリアはすぐに何かあったのだと分かった。
「お嬢様、落ち着いて聞いて下さい。カストール候の馬車が盗賊に襲われました」
「何ですって!? それで、カストール候は!?」
メルファスは、黙って首を横に振った。
「公には盗賊に襲われたと言われていますが、フェアリープラント社が裏で糸を引いて暗殺させたのは明らかです」
「そんな、カストール候が…………」
「お嬢様?」
「ここに来なければ、わたしに会ったりしなければ、あの人は死ななくて済んだのに!!」
リーリアは両手で顔を覆って涙混じりの声で叫んだ。その取り乱しように、サーヤもフェアリーたちも驚愕のあまり唖然とした。
「お嬢様、落ち着いて下さい!」
「いや、いやっ!!」
メルファスがリーリアの両腕を強引に掴んで静止させようとする。サーヤはそんなリーリアの姿を見て、本当に追い詰められているのだと知った。そして、いてもたってもいられずに、リーリアを強く抱きしめた。
「リーリア、負けちゃ駄目だよ。わたしも一緒に戦うから、だから負けないで」
サーヤに抱きしめられると、リーリアの不安が嘘のように消えていった。まるで、本物の母親にそうされているように、サーヤの存在は優しかった。
「…………もう大丈夫よ。心配させてごめんなさい」
「辛いなら辛いって、わたしにだけは言っほしいな」
「これからはそうするわ。ありがとう、サーヤ」
「リーリア……」
エクレアがリーリアの頭上にいて怯えていた。リーリアはそれを抱き寄せて言った。
「もうこんな事はないわ。だからそんな顔をしないで」
「何があっても、わたしがリーリアを守るから、だから安心して」
「そうよね、わたしにはエクレアがいる。何が来ても怖くはないわ」
「それにしてもフェアリープラントめ、許せないぜ!」
シルメラが鋭い犬歯を見せながら握りこぶしを作って言った。
「こちらは地道に戦っていくしかないのだわ」
「みんなで頑張ろうね!」
「あう!」
サーヤに向かってウィンディが手を上げた。自分も頑張ると言いたいのだが、何を頑張ればいいのかは分かっていなかった。
メルファスは友情を深め合う少女達を蝋人形のように異様な無表情で見ていた。リーリアが嫌な視線を感じて振り向いた時には、忠実な執事はいつものように優しげな微笑を浮かべていた。