シュークリームパニック‐3
「何、この展開、どうしてわたしまでこうなっちゃうわけ?」
「馬鹿め、自業自得だ」
「頭くるわね! この薄汚いカラス!」
「なんだと!」
「これでも喰らいなさい!」
エクレアがいきなり仕掛けてきたダイビングドロップキックを、シルメラは上に飛んでかわしていた。
「おっと、そう何度も同じ手を喰うかよ」
「甘いわ!」
エクレアが掌をかざすと、飛び上がったシルメラの背後に蜘蛛の巣のような形の糸が広がった。
「何だこりゃ!?」
シルメラは蜘蛛巣に飛び込む蝶のように、たちまち絡め取られて身動きが取れなくなり墜落した。極細の糸は恐ろしく強靭で、シルメラの力で暴れても切れなかった。そこへエクレアが高笑いしながら近づいてくる。
「それは魔法の糸よ。ちょっとやそっとじゃ切れないんだから。さあて、どう料理してあげようかしら」
エクレアは恐ろしく陰湿な笑顔を浮かべながら、シルメラを見下ろす。
「こいつめ、なめるなよ!」
シルメラが近くに浮き出て来た黒い魔法陣の中から大鎌を引っ張り出した瞬間に、無数の銀光が走る。魔法の糸は細切れにされて、シルメラは自由を取り戻し、大鎌を構えてエクレアを睨んだ。
「うっ、ああああぁっ!!!」
「どうした!?」
「そんな物もって、あんたまでわたしを虐めようって言うのね! コッペリアと同じ様に、わたしを痛めつけたいのね!」
エクレアが突然に怯えだすので、シルメラは焦ってしまった。
「そんな事しないよ。わかったわかった、これはすぐに仕舞ってやるから」
シルメラは近くに現れた魔法陣の中に大鎌を放り込んでから、エクレアに言った。
「ほら、これで怖くないだろ。って、あれ、どこいった?」
「隙あり!!」
シルメラが鎌を片付けるのに気を取られている間に、エクレアは後ろに回りこんでいた。シルメラの背中にエクレアのドロップキックが炸裂する。
「うあっ!!?」
吹っ飛んだシルメラは見事なダイビングヘッドで絨毯に突っ込み、黒い羽を何枚か散らしながら、うつ伏せのまま部屋の隅の方まで滑って、棚に頭をぶつけてようやく止まった。
「本気でこのわたしが、あんたなんかに怯えたと思ったの? まったく、何て愚かなのかしら。あんな大きいだけで鈍らの錆び錆び鎌なんて、怖くも何ともないわ。オーッホホホホッ!」
「…………てめぇ」
燃え上がる怒りの炎を纏いながら、シルメラがむくりと起き上がる。
「もう完全にぶち切れたぞ!!」
「何よ、やるっていうの!! どっからでもかかってきなさいよ!!」
「その減らず口を叩けなくしてやる!」
シルメラはエクレアに飛びかかり、二人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。背丈は幼児くらいのフェアリーだが、内に秘めたる力は大人の男の何倍もある。部屋はたちまち凄まじい状況に陥った。本棚は倒れ、棚の骨董品も次々と床に落ちて割れていく。そんな事はおかまいなしに、エクレアとシルメラは組み合って転がったり投げ飛ばしたり噛み付いたりしていた。当然、隣の部屋にもまるで地震でも起こったかのような振動が響いていた。すぐにサーヤとリーリアが部屋に駆け込ん出来た。
「うわっ、大変!?」
「だから無理だと言ったでしょう」
エクレアはシルメラの上に乗って、拳で闇雲に叩きまくっていた。二人共、主の存在にまったく気付いていなかった。
「むきーっ!」
「いててて、子供みたいな喧嘩しやがる!」
視界が曇るほどに部屋中に埃が舞い上がり、部屋の状況はそれはもう悲惨なものだった。
リーリアは無言で足元に転がっていた本を拾い上げ、入り口の近くにあった小机に、本を思いっきり叩きつけた。隣のサーヤがびくつくほど大きな音がして、喧嘩していた妖精たちもぎくりとして振り向いた。
「いい加減にしなさい」
「リーリア……」
「サーヤ……」
「片付けなさい」
『え?』
妖精たちは同時に間の抜けた声を出した。周りの状況がまだ理解できていないらしかった。
「この部屋を片付けなさい」
静かだが圧倒的な力を持ったリーリアの言葉に打たれると、妖精たちは背筋を凍らせた。
『はいっ!』
シルメラとエクレアは、また同時に言うと、慌てて片付け始めた。
一時間ほど過ぎて、部屋はようやく元の状態を取り戻しつつあった。
「壷とかガラスのお皿とか、割れちゃってるのはもうどうしようもないね」
「ごめんよ……」
シルメラが砕けた骨董品の破片を集めながらサーヤに言った。
「保険が掛けてあるから心配はいらないわ」
「保険?」
「そうよ」
「こんな壷とかにも保険ってあるんだ」
「あって当然よ。時価数百万の骨董品なのだから」
「数百万!!?」
「大丈夫よ。物はなくなっても、その分のお金は返ってくるのだから」
「……今のは聞かなかったことにしよう…………」
「はぁ、やっと終わったわ……」
疲労困憊のエクレアが、その場にばったりと倒れた。
「二人共、ごめんね」
サーヤがいきなり謝るので、エクレアが倒れたまま顔だけをその方に向けた。
「シュークリームを食べたのがウィンディだったのは分かってたんだ」
「サーヤは貴方たちの仲が悪いのを見かねて、何とか仲直りできるように仕向けたかったのよ。わたしは無理だと言ったのだけれど、どうしてもと言うから乗ってあげたの。結果はごらんの通りだけれど」
「本当にごめんなさい。わたしが余計な事したせいで、こんなになっちゃって……」
サーヤは世にも恐ろしいものを見るような思いで、山になった骨董品の破片をちらと見た。直接それに触れる勇気は出せなかった。
「部屋は元に戻ったし、あなたは良かれと思ってやったのだから、気にする事はないわ」
「本当に平気?」
「平気よ。そんなに心配しなくても良いわ」
リーリアはサーヤが何を恐れているのかまったく気付いていなかった。二人の生活観の差が、あまりにも開きすぎているのだった。サーヤは気を取り直して言った。
「ウィンディにはちゃんと言って聞かせたからね」
「ただいま~、買って来たよ~」
ウィンディが白い箱を持って現れた。シルメラがそれに目を留めた。
「ウィンディ、それは?」
「シュークリーム~~~」
「つまみ食いの罰として、シュークリームを買いにいかせたの」
「デザートも来たことだし、そろそろディナーにするわよ」
そして夕食になった。いつもなら和気藹々とご馳走を頂くところだが、今日はシルメラとエクレアが喧嘩を引き摺り、お互いに顔を合わせずにナイフとフォークを動かして、とげとげした空気が漂っていた。
「まったく、あんたが余計な事を言わなければ、あんな事にはならなかったのに」
「なに! わたしのせいだって言いたいのか!」
「ふん!」
エクレアは何食わぬ顔でポタージュをスプーンで掬って飲み、シルメラをさらにいらつかせた。その時にリーリアがわざと音を立ててフォークを置いた。それだけでフェアリーたちはびくついた。
「あなたたち、いい加減にしないと食事を抜きにするわよ」
『ごめんなさい……』
シルメラとエクレアは蚊の鳴くような声で言った。
「犬猿の仲というのは、貴方たちの為にあるような言葉ね」
「でも、喧嘩するほど仲がいいって言うよね」
「サーヤ、あまり的外れな事を言うものではないわ」
「あれ、そう?」
リーリアは現実的に見て、シルメラとエクレアが仲良くなるのは不可能だと考えていた。実際にその通りで、五〇年も前から喧嘩を続けてきたのだから、いまさら仲良しになんてなれる分けはなかった。
院長室に差し入れされた白い箱を、フィヨルドが開けた。その中に敷き詰められているものを見て、彼は微笑を浮かべた。
「シュークリームの差し入れだよ。お一ついかがかな、セリアリス」
「頂きますわ」
「うん、美味しいね。苺味のシュークリームとはね。それにしても、少し数が多すぎないかな」
セリアリスがシュークリームを一つ手にして言った。
「それくらいだったら、あっと言う間よ」
フィヨルドが聞く前に、ニルヴァーナが素早く飛んできて、シュークリームを両手に持って交互に食べ始めた。
「なるほど、これはニルヴァーナへの差し入れだったのか」
「そういう事です」
セリアリスはニルヴァーナの口の周りについたクリームを拭いてやりながら言った。ニルヴァーナを見ている若き二人の姿は、わが子を見守る夫婦のようだった。
シュークリームパニック……END