破滅への序曲‐8
シャイアが去ってから、セイン家の屋敷は何となく気まずい空気が流れていた。サーヤはリーリアとシャイアの間に何があったのか知りたかったが、何となく聞いてはいけないような気がしていた。リーリアはずっと考え事をしていて、メイドが入れた紅茶が冷め切るまで口をつけていなかった。フェアリーたちも思い思いの場所でくつろいでいたが、何となくいずらそうだった。
「ねえ、リーリア」
「なに?」
「えっとね、な、何でもない…………」
「わたしとシャイアの間に何があったのか知りたいのね」
「うん…………」
「知らない方がいいと思うわ」
「……じゃあ止めとく…………」
「来るよ~~~」
窓をのぞきこんでいたウィンディが、突然おかしなことを言い出すので、リーリアとサーヤは何事かと思った。その次の瞬間。
「ものすごい殺気だわ!?」
「こいつは、コッペリアだ! コッペリアがこっちに向かってくる!」
エクレアとシルメラが騒ぎ出すと、少女たちはただ事ではないと思い、フェアリーたちと一緒に広い庭に出た。それからすぐにコッペリアが凄まじい速さで飛んできて、リーリアたちの上空で止まって見下ろした。
「何しに来たのよ!」
エクレアが敵意をむき出しにして言うと、コッペリアは狂気に彩られた弧の笑みを浮かべる。
「エクレア、わたしと戦いな。嫌ならお前のマスターを殺す」
「何ですって!!?」
「やめなさい、挑発に乗っては駄目よ」
リーリアが言うと、コッペリアはいきなり笑い出した。彼女がいるのが地面だったら、転げまわるのではないかと思うくらいに、あからさまで狂気に満ちた大笑いだった。
「挑発だって? わたしは遠まわしな事は嫌いなんだよ。殺すと言ったら、殺す!!」
コッペリアの翅の一枚が伸張し、その鋭い切っ先がリーリアの右肩に突き刺さった。主の小さな悲鳴があがり、エクレアは怒りに我を忘れた。
「このっ!!!」
エクレアが上に向かって手を広げると、コッペリアはいきなり凄まじい衝撃を喰らい、小さな体が上に跳ね上がった。
「ぐあっ!?」
コッペリアはまるで痛みが快感とでも言うように、高揚した笑みを浮かべる。
「いいねぇ、その調子だよ。さあ、見せておくれよ。一瞬で数千もの命を消し去った、お前の魔法をね」
エクレアの顔が傷口に塩をすり込まれたように険しく歪んだ。コッペリアの言葉の意味を図りかねたリーリアとサーヤの視線がそこに集中する。
「…………どういう事なの?」
サーヤが恐る恐る言うと、シルメラが激しい調子で叫んだ。
「コッペリア、止めろ! それ以上は言うな!」
「シルメラ、お前のそういう優しさが、わたしは嫌いだ。反吐が出るね」
「何だと!!」
コッペリアはエクレアを指差して言った。
「こいつはねぇ。五十年前の夢幻戦役で、フラウディアに進行してきた帝国軍の兵士を、一発の魔法で数千人も抹殺したのさ。こいつだけじゃない。わたしも、シルメラも、あの戦争で多くの人間を殺した」
エクレアは心の奥底に閉じ込めていたものを無理やり引きずり出され、いたたまれなくなった。その暗い過去はリーリアにも明かしていなかった。
「おやおや、戦意喪失かい? それじゃあつまらないよ。しっかりしておくれ」
その時、震えているエクレアの後ろから、凛とした声がかけられた。
「エクレア、どうして言ってくれなかったの?」
「リーリア?」
「今までずっと苦しんでいたのね。気付いてあげられなくてごめんなさい」
エクレアの七色の瞳が熱く潤んだ。
「過去にどんな事があっても、あなたはこのリーリア・セインの誇りよ。それは永遠に変わらないわ」
「ありがとう、リーリア…………」
エクレアの瞳から涙がポロポロ零れ落ちた。その姿を見たサーヤが言った。
「わたしもリーリアと同じ気持ちだよ! シルメラの過去に何があっても、わたし達は何も変わらない!」
「残念だったな。わたし達のマスターは、お前が思っているほど弱くはないんだ」
シルメラが言うと、コッペリアは嘲るように返した。
「そんな事は分かってるんだよ。わたしはエクレアの心の枷を取り除きたかったのさ。本気でやりあえるようにねぇ」
エクレアは涙を拭き、コッペリアを見上げる。
「リーリア、わたし必ずあいつを倒すから」
「やるしかないようね」
「シルメラ、邪魔しないでよ」
「気をつけろ、気を抜いたら殺されるぞ」
「誰に向かって言ってるのよ!」
エクレアは七色の輝きを宿した翅を開いて飛び上がる。そして、コッペリアと同じ高度で静止すると、睨み合いが始まった。
「クックック、久しぶりに本気で戦えるよ。楽しいねぇ」
「お前、本当に最悪な奴ね」
いきなりピジョンブラッドを象徴するコッペリアの赤い瞳が見開かれた。
「何言ってんだい、最高じゃないか!」
コッペリアの六枚の翅が蛇のように伸びて、刃物のように鋭い切っ先がエクレアに襲い掛かる。
「エクレア!」
リーリアが右手を上げると、その薬指にあるブラックオーパールの指輪がブレイオブカラーの輝きを放った。エクレアに流れ込む凄まじいまでのエネルギーが、神がかりの加速を生み出す。エクレアは迫ってきた闇色の六枚の翅を、螺旋を描いて華麗に避け、コッペリアの懐に飛び込んだ。
「馬鹿め!」
コッペリアの手に、ルビーの赤い輝きを集めて作ったような、血色の剣が現れる。エクレアは赤い剣の一突きを、掌をかざし、その前に現れた魔法陣の障壁で防いだ。魔法陣と剣の攻めぎ合いで、砕けた赤い輝きが火花のように散る。
「魔法しか使えないお前が、接近戦を仕掛けてどうする!」
「魔法にも色々あるのよ!!」
真っ赤な剣を阻むエクレアの魔法陣が激しく輝き出した。
「何だ!?」
「ショックブレイク!」
魔法陣に亀裂が入り、衝撃を受けたガラスのように粉々に砕け散った刹那、コッペリアは凄まじい衝撃を受けて吹っ飛ばされた。
「くああぁぁっ!?」
「うりぁーーーっ!」
エクレアが劇的な加速でエクレアを追従し、全身の力を集中させた両足を叩きつけた。
「エクレアドロップキーック!!」
シルメラに喰らわせたお遊びの蹴りとは違う、強烈な衝撃と電流を持った両足が、コッペリアの胸に炸裂した。
「ぐああぁっ!!?」
二重の衝撃を受けたコッペリアはたまらず叫んだ。そして礫のようにシルフリアの街に向かって弾け飛び、古びたレンガ造りのアパートに突っ込んだ。
コッペリアは二つの部屋を突き抜けて、お茶の用意をして憩いの一時を楽しもうとしていた若い夫婦の食卓に、分厚いレンガの壁を粉みじんにして乱入した。
「こいつは驚いた。近距離の戦闘も出来るのかい」
コッペリアは平然と立ち上がり、埃に塗れた赤紫のドレスを叩く。夫婦はその姿を唖然としてみていた。
コッペリアは部屋の窓を押し開けると、絶句している若い夫婦に向かって言った。
「ぶち壊した壁は、わたしの主が直してくれるよ」
戦場の空に、コッペリアは再び飛び立つ。上空では七色の輝きを放つエクレアが待ち受けていた。
「こいつは思った以上に楽しめそうだ。わくわくするねぇ」
エクレアの周りにそれぞれが違う色彩を放つビー玉くらいの光の玉が七つ現れた。
「ほう、そいつらがお前を守護する精霊たちかい」
エクレアは無言で、眼下に広がるシルフリアの町を見下ろしていた。
「ここでは戦えない。場所をかえるわよ」
「好きにしな」
二人は高速で移動して、街から少し離れた森の上空で再び向かい合った。
「かかってきな」
「言われるまでもないわよ!」
エクレアが掌を突き出すと、オレンジ色の魔法陣が現れ、そこから荒れ狂う風と炎が一緒になって噴出す。まるで真っ赤な龍のようにうねる熱風がコッペリアに迫る。
「炎と風の複合魔法かい」
コッペリアは赤く燃え上がる風の流れを避けると同時に敵に向かって突進する。エクレアは、コッペリアの動きを読んで、もう一発、風と炎の魔法を放った。コッペリアはそれをまともに受けて、灼熱の真紅にその身を沈めた。
次の瞬間、炎を掻き分けて目の前に飛び出してきたコッペリアの姿に、エクレアは背筋に寒いものを覚えた。
「ぬるいねぇっ!」
コッペリアが切りつけてきた真紅の剣を、エクレアはもう一度、魔法陣の障壁で防いだ。するとコッペリアは、素早く後ろに引いた。
「おおっと、またさっきの二の舞になっちまうからねぇ」
コッペリアが自ら距離を取った。それはエクレアにとって願ってもない事だ。七色のフェアリーは、魔法のエキスパートなのだから。
エクレアが掌を上げる。
「闇を照らす月光よ、その輝きはわが手に集いて、全てを打ち消す力となる!」
黄金の輝きが、エクレアの掌の上に現れ、高速で膨張し、満月のように丸く巨大な球体になった。
「フルムーンストライク!!」
エクレアは、コッペリアに向かって巨大な光の塊を投げつける。一見すると大味な魔法だが、コッペリアが簡単に避けると、黄金の球体は軌道を変えて、またコッペリアに向かってきた。
「誘導するのかい、厄介だねぇ」
コッペリアはそれを避けるどころか、自ら突っ込んでいった。
シャイアは窓を開けて、シルフリアがある方角をじっと見つめていた。先に見えるのは深い緑の森ばかりだが、ピジョンブラッドのペンダントが輝きと熱を持っているので、コッペリアが戦っているという事は分かっていた。
「リーリアのフェアリーと戦っているのね」
シャイアはピジョンブラッドを両手で握って、思いを集中させた。さっきまで自分を滅茶苦茶にしていた憎しみや悲しみを忘れ、今はコッペリアが無事に帰ってくることだけを願っていた。
コッペリアは自分の中に強い力が流れ込むのを感じ、全身を赤い光のバリアで包み、満月と見まごう輝きに激突する。
「感じるよ、シャイアの力を! お前は、こんなところで潰れるような女じゃない!!」
エクレアの放った月光は粉々に砕け散り、辺りに光の雨を降らせた。
上空を見上げていたサーヤはいてもたってもいられずに言った。
「駄目だよあんなの、直ぐに止めさせなきゃ。お願いシルメラ、二人を止めて!」
「その命令だけは勘弁してくれ」
「どうして!?」
「サーヤがどうしてもって言うならやるさ。けど、コッペリアがここに来たのは、マスターの為なんだ。あいつはマスターの何かを守る為に、ここまで出向いてエクレアに戦いを挑んだんだ。エクレアもそれを知っているから受けた。あれはお互いのマスターの埃をかけた戦いなんだ。だから、邪魔したくない」
コッペリアはシャイアの為に戦っている。それを知ってしまったら、もうサーヤには手の出しようがなかった。
エクレアから離れた青と橙の小さな光が地上近くまでおりて、追いかけっこをするように同じ軌道で大きな真円を描く。すると、円の中に魔法陣が現れた。
「地に雷帝、空に雷神、愚かなる者どもに裁きを与えよう! 竜脈招雷!」
地上近くに描かれた魔法陣から、龍が飛翔するように、幾筋もの稲妻が青空へと駆け上がる。コッペリアは逆行する稲妻の雨を尋常ではない身のこなしで避けながら、エクレアに迫る。そして、かっと真紅の瞳を見開いた。瞬間的に見えない波動がエクレアに強烈な衝撃を与え、吹っ飛ばした
「きゃあぁぁぁっ!!?」
エクレアは墜落しそうになったが、何とか堪えて空中に止まった。そこにコッペリアが真紅の剣を振り上げて襲ってくる。エクレアはすかさず掌をかざして拡散する電流を放った。
「ぐあーーーっ!!」
コッペリアはまともに電流を受けて、たまらず叫ぶ。
「どうだ!」
確かな手ごたえに、エクレアは勢い付いたが、苦しそうに片目を閉じていたコッペリアは、いきなり笑い出した。
「クハハハハ! 痛いねぇ! こんなに痛い思いをしたのは久しぶりだよ! ぞくぞくする!」
「この、気違い妖精………」
「お前も痛いのかい?」
「これくらい、へっちゃらよ!」
「そうこなくちゃねぇ」
コッペリアは高速で飛ぶと、エクレアの頭上を飛び越えて、シルフリアの街を見下ろした。
「そろそろ見せてもらおうか。死の遊色をね」
「嫌よ、あの魔法だけは使わないわ」
「お前は使わざるを得ないんだよ」
「何を言っているの?」
「こういうことさ!」
コッペリアの六枚の翅が伸びてきて、自身の目の前に鋭い翅の切っ先が集まる。そして、六枚の翅から伝わるエネルギーが、コッペリアの前で白い輝きを放った。
「何をするつもり!?」
「この先に何があるのか、よぉく考えてみるんだねぇ」
コッペリアが狙っているのはエクレアではなく、下に見えるシルフリアの街だった。それを悟ったエクレアは、深手の痛みを忘れる程に戦慄した。
「な、何考えてんのよあんた!!?」
「ほぉら、早く防がないと、シルフリアが消滅するよ」
「く、狂ってる……」
コッペリアの目の前の輝きはより強く大きくなっていく。エクレアは、コッペリアの狙いを遮るようにシルフリアの街を背にすると、両手を開いてコッペリアの方に向ける。
「あんた、本当に死ぬわよ!」
「望むところだ。やってもらおうじゃないか」
エクレアの前に大きな魔法陣が現れ、六色の精霊たちが均等の間隔を置いて魔法陣の外周に配置され、最後に月を象徴する黄金の精霊が中心に納まった。そして、七つの光が強烈な閃光を放つ。コッペリアの方は既に自分の体よりも白い光の方が大きくなっていた。そして、二人の魔法は同時に放たれた。
「七色の精霊よ、その力を集約し、虹の輝きを成せ! 破壊の遊色、セブンフォースバスター!!」
「破壊の閃光!!」
白と虹色の魔砲が、二人を結ぶ中間点でぶつかり、せめぎあう。
「気張りなよ。お前が負けたらシルフリアは終わりなんだからねぇ」
「魔法でわたしに勝てるフェアリーは、いない!!」
エクレアの七色の波動が力を増し、コッペリアの白い光を押し始めた。コッペリアの魔法の威力は既に限界まで引き出されていた。
「流石だよエクレア、芸術とまで謳われただけの事はある」
虹色の波動が、白い波動を完全に打ち消し、青空を突き抜けた。コッペリアは七色の光の中に巻き込まれたように見えた。
「やった……?」
コッペリアが消え去っても、エクレアは勝ちを確信できずに半信半疑だった。刹那、エクレアは背後に凄まじい殺気を感じて振り向いた。そこには微笑するコッペリアがいた。
狂気に輝きを放つ真紅の瞳に見つめられ、エクレアがぞっとすると同時に、彼女のわき腹にコッペリアの痛烈な蹴りがめり込んだ。
「ぐはぁっ!!!」
エクレアはリーリアの屋敷に向かってまっさかさまに墜落する。コッペリアは高速でそれを追う。
「終わりだよ、エクレア!」
コッペリアはさらに墜落するエクレアの胴部にドロップキックを見舞う。豪速で墜落したエクレアは、リーリアの屋敷を囲む煉瓦の塀に激突し、壁を陥没させてから、跳ね返って芝生の上に倒れた。
「うぐ……くぅぅっ……」
リーリアの為にも負けるわけにはいかない。エクレアは全身の力を振り絞って、立ち上がった。
「エクレア!!?」
リーリアが血相を変えて走ってくる。
「まだ勝負は終わっちゃいないよ!」
降りてきたコッペリアが地面すれすれを飛翔して、エクレアに掴みかかって強烈な勢いで押し倒し馬乗りになると、右手に集まった真紅の光が剣の形を成し、赤い刃がエクレアに向けられた。
「こいつを心臓に打ち込めば、コアが破壊されてお前は完全に死ぬ」
「うう…………」
「止めて!!!」
リーリアの必死の叫びが、コッペリアの動きを止めた。
「お願い、その子を殺さないで。わたしの命よりも大切な友達なの」
「……だったら、認めな。お前は妖精使いとして、シャイアに劣っている」
「認めるわ。シャイアはわたしよりも優れた妖精使いよ。認めるから、その子を許してあげて……」
誇り高いリーリアが、涙声になり、なりふり構わず懇願していた。コッペリアは満足したように笑みを浮かべた。
「それがわかりゃいいんだ。返してやるよ」
コッペリアはエクレアの襟首を掴み、放り投げた。リーリアは傷ついたエクレアを抱きとめて、あらゆる絶望から開放されたかのように安堵の表情を浮かべていた。
「負けちゃったよう……リーリア……ごめんね、ごめんね…………」
「あなたが無事ならそれでいいわ。わたしの為に戦ってくれてありがとう」
飛び上がったコッペリアを、サーヤは不安に満ちた顔で見上げていた。
「あうぅ……」
ウィンディの目には、コッペリアの姿が少し寂しそうに見えていた。
「また会おう、サーヤ」
コッペリアは飛び去り、あっという間に森の向こうに消えていった。
空が赤く染まる夕刻に、コッペリアは帰ってきた。
開け放たれた窓の枠に降りてきたコッペリアは、ずっと待ち続けていたシャイアに言った。
「勝ったよ」
その一言でシャイアは全てを理解し、人間離れした美しい顔に歪んだ微笑を浮かべた。
「当然よ。わたしがあんな子に負けるはずがないでしょう」
先程までの打ちひしがれた姿の一切は消え去り、いつもの悪魔的で自信に満ちたシャイアに戻っていた。
破滅への序曲……END