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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅵ 破滅への序曲
32/79

破滅への序曲‐7

セシリアのフェアリーの名前をプラムからローズマリーに変更しました。

「父上が亡くなられた…………」

 ここはシルフリア北方にあるシルフィア・シューレの分校、ウンディーネ・シューレの院長室だった。メガネをかけた温厚そうな青年教師が、訃報を知らせる手紙を読んで険しい顔をしていた。

「……来るべき時が来たな」

 男は父が死んだという知らせに、たいしたショックは受けていないように見えた。まるで、こうなる事を前々から覚悟していたかのようであった。

「まさか、シルフィア・シューレに行くつもりかね?」

「院長が不在なのです。誰かが行かなければなりません」

「止めたまえ。あそこはもうフェアリープラントから見放されているんだよ。行ってもろくな事にならん」

 年老いて太ったウンディーネ・シューレの院長が言うと、男はそれを軽蔑するような目で見た。

「貴方を見ていると、父の偉大さが良く分かりますよ」

「……それはどう言う意味だね?」

「わたしは父の意思を受け継ぎます。今日限りで、ウンディーネ・シューレの副院長を辞めさせて頂く」

 院長は唖然とした顔で、部屋から出て行く男を見送った。


 男が院長室から廊下に出ると、長いブラウンの髪に群青のドレスを着た年の頃十七ほどの少女が、背中に透き通った六枚の青い羽を持つフェアリーを連れて立っていた。それは男が受け持っているマイスタークラスの生徒の一人だった。

「セシリアか、どうした?」

「先生、話は聞かせてもらいましたわ。わたくしも一緒に参ります」

「それは駄目だ」

「何故ですの! わたくしは足手まといとでも言うのですか!」

 見た目通りの気位の高さを全面に押し出して、少女は食い下がった。男は頑として譲らない態度で応える。

「よく聞くんだ。今は中央で嵐が起こっている。それは間違いなくここにまで及んでくる。その時は必ず君の力が必要になる。必ずだ!」

 男の真剣で胸に突き刺さるような言葉に、少女はたじろいだ。主が黙ると青い翅のフェアリーは言った。

「フィヨルド先生、さようなら」

「さようなら、セシリア。さようなら、ローズマリー」

 少女は、去って行く男に何も声をかけられなかった。男の広い背中は、まるで生きて帰れない戦争にでも向かうように、悲壮感が漂っていた。


 院長マレシュトロフの葬儀は寂しいものだった。多くの親戚、知人がいたにも関わらず、エリアノ教会には家族と学校の生徒、教師を合わせた数人しかいなかった。誰もがフェアリープラントを恐れて来なかったのだ。

 マレシュトロフの無残な遺体は、家族の要望により誰の目にも晒されなかった。最後に遺体は墓守の手によって棺桶ごと墓場の穴に移され、土の下に葬られた。葬儀にはマレシュトロフの息子と娘らしき人や、セリアリスを始めとした学校の関係者、そしてシャイアも顔を見せたが、誰も何一つ会話を交わさなかった。


「…………これからどうなるんだろう」

 葬儀から帰る馬車の中で、サーヤは独り言のように言った。一緒に乗っていたシェルリは戸惑っていたが、リーリアははっきりと言った。

「これから色々な事が起こるわ。あらゆる事に勇気を持って立ち向かう覚悟をしなければ。それが出来ないのなら、すぐに学校から立ち去った方がいいわね」

 少女達はそれから黙っていた。三人が一様に黒い喪服を着ていたので、馬車の中はより一層、暗く感じられた。


「わたしはフィヨルド・シラクだ。今日からシルフィア・シューレの院長を務めさせてもらう。よろしく、セリアリス」

 差し出された手を、セリアリスはしっかりと握り、相手と目を合わせた。目が見えなくとも、相手の視線を感じ取る事は出来た。フィヨルドの素早い来校は、心が折れそうになっていたセリアリスにとって、これ以上ないくらいに心強かった。

「可愛い妖精さんも、よろしくね」

 フィヨルドは主の側に浮遊しているニルヴァーナとも握手をしてから、改めて院長室を見て回った。

「ここが父上の使っていた部屋かい? まったく、何の飾り気もない、あの人らしいな」

 フィヨルドの言葉の一つ一つが明るく、父が死んだ事など、まるで感じていないようだった。

「セリアリス」

「はい……」

 フィヨルドが急に改まった調子で言うので、セリアリスはどきっとして、少し身体を硬くした。

「父上の死は悲惨なものだったが、どうか悲しまないでほしい。これは君のせいではないし、父上には自分はいつか殺されるかもしれないという覚悟があったんだ。父から届いた最後の手紙には、自分にもしもの事があったら、後を継いで欲しいと書いてあった」

 セリアリスは黙って聞いていた。ずっと彼女を苦しめていた多くの苦しみを、フィヨルドは取り除いてくれた。セリアリスはこの時に、この人だけは命に代えても守り抜こうと決めた。


 シャイアはティーパーティーの招待を受けて、リーリアの邸宅に馬車で赴いた。いつも艶かしいドレスに身を包むシャイアだが、その日は少し違っていた。ゆったりとした丈の長い黒のスカートに、袖のところにフリルの付いた黒いブラウス、身につけている装飾品といえば、ピジョンブラッドのペンダントだけだった。夏の日差しが銀色の髪を輝かせ、黒い衣服の中で一層、美しく際立った。

 シャイアがコッペリアと一緒に馬車から出ると、ウィンディが頭の上に乗っているメイド姿のサーヤが出迎えた。

「いらっしゃいませ!」

「……どうしてあなたがここにいるの?」

「わたし、このお屋敷に居候させてもらってるんです」

「そう」

 シャイアは興なげに言った。サーヤはそれを顔に熱を持たせて、特別な気持ちの篭った目で見上げていた。ウィンディの方は親しげな笑顔を振りまき、コッペリアに向かって手を振っている。

「案内します」

 熱い思いを胸にサーヤは先立った。シャイアとコッペリアは案内に従い、豪邸の中に入っていく。

「シャイアさんって、すごいんですね! 宝石店のオーナーで、ユーディアブルグの領主様だなんて! リーリアから聞いたんです」

 サーヤが何を言っても、シャイアは黙っていた。まるで下らないとでも言うように、冷め切った態度だった。仕舞にはサーヤはいたたまれなくなって、何も言えなくなってしまった。

 二階に上がり、リーリアの書斎も目前というところで、シャイアは突然、恐ろしい衝撃を受けた。それを見た瞬間、まるで世界が逆転したように混乱した。

「こ、この人は…………」

「どうしたんですか?」

 呆然とするシャイアの異常に気付かずに、サーヤは得意げに言った。

「ああ、この絵の人ですか~。リーリアの大切な人らしいですよ~」

 それを聞いたシャイアの心臓の鼓動が高鳴り、理性では抑えきれない怒りと憎悪が沸々と燃え上がる。

「…………わたしはあの人と話したいことがあるから、あなたはどっかへ行ってちょうだい」

「あ、はい」

「はやく」

 シャイアの声は静かだが、ぞっとするような何かがあった。サーヤは忠実な下僕と化して言われた通りにした。

 シャイアはノックもせずに、リーリアの部屋の扉を押し開けて入っていった。

「あら、いらしたのね。ごめんなさい、今手が離せないから、その辺りで少し休んでいて」

 何かの書類に目を通していたリーリアは、無言で入ってきたシャイアが変だと思いながらも、微笑して言った。シャイアは俯いていた顔を上げて、優しげな笑みを浮かべた。

「あなたに聞きたい事があるの」

「何かしら?」

「廊下にあった肖像画の紳士の事よ。あなたとどんな関係があったの?」

「あの方は、セイン財団と協力して、人の為に役立つフェアリーの研究をしていたのよ。フェアリーワーカーとは違う、自立した真に人間のために役立つフェアリーよ」

「あなたは、あの方を愛しているのよねぇ?」

「あ、愛しているだなんて…………」

「その顔を見れば分かるわ」

「…………どんなに愛したって、意味はないわ。何故なら、あの方はもう亡くなっているからよ」

 シャイアは足音もなくリーリアの後ろに回り込み、人形のように繊細な少女のうなじに手を伸ばした。コッペリアは近くの本棚の天辺に座って、それを見下ろしていた。

「どうかしたの?」

 リーリアは意味の分からない不安を覚えて後ろを振り向く。シャイアは微笑を浮かべたまま目を細めた。目の前の少女は絵の中の紳士を一人の男性として愛する資格がある。しかし、シャイアはどんなに愛が深くても、親子という境界を越えることは出来なかった。シャイアはリーリアに対する憎しみの業火に焼かれた。もはや、父の復讐でさえ見えなくなっていた。

「許せない、あなただけは」

「え?」

 シャイアの顔が急激に深い殺意に満ちる。その一瞬の激変は、気丈なリーリアの心を凍らせた。そして、シャイアはしなやかな両手でリーリアの首を絞めた。

「あっ……な、なに…を…………」

 リーリアはそれしか声が出せなかった。後は息の通り道を絶たれて、悶え苦しんだ。シャイアは可憐な少女を椅子から引きずり下ろし、馬乗りになって両手にさらなる力を加える。

「殺してやるっ!」

「や……め………………」

 父を愛したのが何の変哲もない娘であれば、シャイアは鼻で笑うだけで憎みはしなかった。だが、リーリアはシャイアと同じくらいの才気と美しさを持っている。自分がどんなに望んでも父に与えられない愛を、リーリアは与える事が許される。たとえ父が亡くなっていても、シャイアにとっては許しがたく、消し去らねばならない真実だった。

 リーリアは飛びそうな意識を何とか保って、手元に落ちていたペーパーナイフを掴む。相手の殺意は本物だ、確実に近づいている死から逃れるには、躊躇は許されなかった。そして、ナイフの柄を固く握り締めたその時、シャイアと目が合った。青い瞳は涙に濡れて、暗く深い海底を思わせる悲しみの坩堝と化していた。

 ――なんて悲しい目をしているの…………。

リーリアは哀れみに心を震わせて、ペーパーナイフを手放していた。もうリーリアには、シャイアを傷つける事は出来なかった。

 リーリアの意識がなくなりかけて、いよいよ危ないという時に、部屋の扉をぶち破ってエクレアが飛び込んできた。外で遊んでいた彼女は、主の危険を察知して戻ってきたのだ。

「何やってるのよ!! この、いかれ女!!」

 エクレアは小さな体でシャイアに体当たりした。

「きゃあぁっ!!?」

 真横に弾き飛ばされたシャイアは、リーリアから離れて前のめりに倒れこむ。

「一分以内に出て行きなさいよ。そうしなきゃ、お前を消し去ってやる!」

 エクレアは七色の輝きを放つ翅を広げて言った。本気でシャイアを消すつもりだった。

「お止めなさい」

 リーリアが咳き込みながら言うと、エクレアは驚いた顔で主を見上げた。

 シャイアは立ち上がり、俯いて銀髪ヴェールで顔を隠しながら、おぼろな足取りで部屋から出た。じっと見守っていたコッペリアも、その後を追って出て行った。

 シャイアが外に出てくると、お茶会の用意をしていたサーヤが走り寄ってくる。

「シャイアさん、お茶の用意が出来たんです」

 いきなりサーヤの前に立ちはだかるようにコッペリアが割り込んだ。近くにいたシルメラが異常を感じて主の側に飛んできた。

「何だ、コッペリア」

「お茶会は終わりだよ。今はシャイアに近づかないでおくれ」

 まるで生気を失ったようなシャイアの後ろ姿を見て、サーヤは心配でたまらなくなった。何がどうなっているのかは分からなかったが、走っていってシャイアを元気付けたいという気持ちを抑えるのに苦労していた。

 リーリアは窓越しに、シャイアが外で待っている馬車に乗って出て行く姿を見ていた。

「何て奴なの! 頭がどうかしてるわ!」

「そんな事を言うものではないわ」

「はぁぁ!? 何言ってんのよ!? リーリアはあいつに、もう少しで殺されるところだったのよ!!」

「あの人は本当に可愛そうな人よ」

「わけわかんない…………」

 リーリアはエクレアの疑うような視線には構わずに、シャイアの馬車が去った門の辺りをまだ見ていた。シャイアが奥底に垣間見せた悲しみは、リーリアに深い印象を残していた。


 シャイアはユーディアブルグの屋敷に帰ってくるなり、自分の部屋に閉じこもってしまった。主の様子がおかしいので、アンナが心配して何か言おうとしたが、取り付く島もなかった。

「しばらくそっとしておきな。余計な事をするんじゃないよ」

 コッペリアは仲の良い屋敷の妖精たちに、怖い顔をして言い残し、シャイアの後から部屋に入っていった。

 シャイアはベッドに身を投げると、堰を切ったように泣き出した。どうしようもない現実と、敗北感と、自らの犯した余りにも愚かしい行為が一つになってシャイアを攻めていた。コッペリアは窓際に立ち、初めて見る主の弱々しい姿を無表情で見ていた。

 ――人間としての器は、あの小娘の方が上だ。だが……。

 突然、部屋に海からの強い風が吹き込む。風音を聞いたシャイアは、さらなる絶望を与えられて泣きはらした顔を上げた。コッペリアが窓を押し開けたのだった。

「どこへ行くの?」

 不安で歪むシャイアの顔を、コッペリアはいつもの鋭い真紅の眼光で見つめた。

「そんな顔をするんじゃないよ。わたしはお前から離れやしない。ただ、証明するんだ」

「証明って、何を…………?」

「妖精使いとしての資質は、あの小娘よりもお前の方が上だ」

 そしてコッペリアは、華麗で不気味な六枚の翅を広げ、窓から猛スピードで飛び出し、まっすぐにシルフリアの方に向かった。


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