破滅への序曲‐5
翌朝のシルフィア・シューレでは、少しばかりマイスター・クラスの生徒たちが浮き足立っていた。
教室でリーリアとサーヤとシェルリは、いつものように横に並んで座り、1時間目の授業が始まるまでの間、おしゃべりして時を過ごしていた。フェアリーたちは外に出て遊んでいたが、シルメラだけはサーヤの隣の椅子に座って静かにしていた。
「クライン先生が、教員を辞めさせられたらしいわ」
「うそっ!?」
「この前の、エルシドの事件が原因だそうよ」
「あれって、クライン先生は何も悪くないじゃない」
「あの時に学校の生徒に多くの怪我人が出て、その責任を負わされたらしいわ」
「そんな……」
リーリアとサーヤの話を聞いていたシェルリは、それが自分のせいのように思えて、やるせない気持ちになった。テスラでシルメラを止められれば、こんな事にはならなかったと思ってしまうのだった。
「辞めるとは言っても、学校から出て行く訳ではないわ。これからは専属のフェアリー・クリエイターとして、地下室で新しいフェアリーの研究を続けていくという話よ」
「そうなんだ、ちょっと安心した」
「それで、クライン先生の代わりに新しい教員が来るらしいわ」
「新しい先生?」
沈んでいたシェルリが顔を上げて言った。
「ええ、とても優秀な人らしいわよ」
「どんな先生なんだろう、楽しみだな」
サーヤはまだ見ぬ新任の教師に期待を抱いていると、シルメラが言った。
「なあ、サーヤ」
「うん、どうしたの?」
「姉妹がすぐ近くにいる」
「テスラならウィンディと一緒にお外で遊んでるよ」
「そうじゃない。もう一人の姉の方だ」
「シルメラのお姉さん?」
「サーヤも見ているだろう」
「まさか!?」
急にシェルリが大声を出すので、サーヤとリーリアのがそれを見つめた。二人がシェルリに質問する前に、教室の扉が開いて、教室が静まり返る。そして、長い黒髪に若草色の上着とロングスカートの若い女が、蝙蝠のような翼のあるフェアリーを連れて入ってきた。
「あの人、前にわたしを助けてくれた人だ」
「姉さん……」
「え!?」
若い女は教団の前に立つと言った。
「みなさん、おはようございます。今日から、貴方たちの担任になる、セリアリス・ミエルです。よろしくね。あ、それと、エルシド・コンダルタは今日限りでシルフィア・シューレを退学する事になりました。エルシドに限らず、妖精使いとしての資格のない人には、容赦なく出て行ってもらいますから、皆もそのつもりでいてね」
セリアリスは、にこっと愛嬌のある笑みを浮かべた。その穏やかな雰囲気からは、あまりにもかけ離れた厳しい事を当然のように言うので、生徒達に与えた印象は強烈だった。
「なんか、ものすごい先生だね」
「そう? はっきりしていていいじゃない。わたしは好感が持てるわ」
「あんなのは序の口だよ……」
シェルリがぽつりと言うと、サーヤはそれを見て、怪訝な顔をした。
リーリアは院長の英断に拍手を送りたい気持ちだったが、どうしても気になることがあった。
―エルシド・コンダルタを退学にするとは、院長は勇気を出したわね。でも、悪い事が起こらなければいいのだけれど……。
セリアリスの妖精学の授業は、今までと違って生徒達を楽しませてくれた。セリアリスの方は点字の本を持ち、講義を進めていく。ニルヴァーナはチョークを持ち、主人の心が分かっているように、講義の内容に即した文字を黒板に書いていった。
「今日はフェアリーのコアについて勉強しましょう。コアとはフェアリーを形成する中核で、人間で言えば心臓と同じものです。コアになり得るのは宝石と呼ばれる類の鉱物で、大きさは宝石によってまちまちですが、少なくとも20カラット以上は必要と言われています。フェアリーはコアと精霊力の宿った土と魔力の混合によって生まれます」
「はい、先生」
「なんですか、サーヤさん」
「フェアリーを作るのって、錬金術みないなものなんですか? 錬金術でも妖精を作ったりしますよね」
「それはホムンクスルの事ね。錬金術で生まれる生命体はとても不安定なの。フェアリー・クリエイトは、それとは一線を隔しているわ。そうね、言うなれば錬命術ね」
「れんめいじゅつ?」
「そう、フェアリーを生み出すのと、人同士が子を成すのはまったく同じ事よ。フェアリーを生み出した人間には大いなる責任が伴う。作った人が親代わりになるか、そのフェアリーに最も適した人間を見つけ出して託さなければならない。フェアリープラント社のように、心を破壊したフェアリーを大量に生み出して道具に使うなど、あらゆる命に対する挑戦と言ってもいいわ。フェアリープラント社は絶対悪よ。みんな妖精使いになりたいと思うのなら、それは心に刻んでおいてね」
セリアリスの講義は進んでいく。次は妖精そのものについての話になった。
「みんな、フェアリー・ブランドって知っているわよね」
「フェアリー・ブランド?」
「あら、サーヤさんは知らないの。勉強不足ね」
「う、すみません……」
「フェアリー・ブランドっていうのは、特定のフェアリーに付けられた総称の事を言うのよ。例えば……」
セリアリスは側に浮いているニルヴァーナを抱き寄せて、その頭を撫でながら言った。
「このニルヴァーナは黒妖精よ。黒妖精もフェアリー・ブランドの一つなの」
「はい、はーい!」
「どうぞ、サーヤさん」
「フェアリー・ブランドって、他にもあるんですか?」
「たくさんあるわよ」
「全部教えて下さい!」
「そうね、黒妖精の従妹に当たる白妖精、白妖精の一体を基礎にして作られているトゥインクル・レスティア、白妖精の一体に従うエイン・ヴァルキュリア、高名な魔法使いによって作られたミスティック・シルフ、ミスティック・シルフと対になるプリズム・セレスタ、ガーネットをコアに持つガー
ネット・フィー、有名どころはこんなところかしら。他にもわたしの知らないシリーズがあるかもしれないわ」
「すごい、そんなにあるんだ! 他のフェアリーたちにも会ってみたいなぁ」
「フェアリーラントの妖精王庁に行けば、神殿騎士が従えているトゥインクル・レスティアには会えるわ。それ以外のフェアリーたちは、どこにいるのかさっぱりだけど」
「へぇ、じゃあ今度の休みにフェアリーラントに行ってみようかな」
サーヤはとにかく分からない事があると質問しまくっていた。マイスタークラスの生徒ならとても恥かしくて聞けないような基本的な事でも、躊躇はなかった。
エルシドは父親の前でひざま付き、両手で頭を抱えていた。
「この馬鹿が、一体何をしでかした!!」
「僕は何もしていない! 僕は悪くない!!」
エルシドは気がふれたようにそれだけしか言わなかった。急に白痴にでもなったような息子の姿に、カーラインはさらに怒りを募らせて言った。
「与えてやった黒妖精を失った挙句に、シルフィア・シューレを退学させられるとは、貴様はどこまでわたしの顔に泥を塗れば済むのだ!!」
エルシドは父親に足蹴にされると、仰向けに倒れてすすり泣いた。
「ええい、目障な!」
そこへいきなり銀髪の女が入ってきて言った。
「そう責めては可愛そうですわ」
コッペリアはさっさとシャイアから離れて窓際に立ち、フェアリープラント社の最上階からの風景を見下ろした。
カーラインは思わぬ事態に狼狽して、必要以上に媚を売るような態度になって言った。
「おお、シャイア、入ってきてはいけないと言ったではないか」
「ごめんなさい、気になっちゃって。ノックはしたのだけれど、返事がないから勝手に入ってきちゃったわ」
「情けない所を見せてしまったね」
シャイアは床に倒れて落魄しきった姿を晒すエルシドを見下げた。
「この子を許してあげて下さい。黒妖精を従えるなんて無理がありすぎますわ。素人がいきなり拳銃を持つようなものよ。力を行使すれば壊れるのは自分の方、その上殺そうとしたのが、シルフィア・シューレで最も優秀な生徒だったのですもの、取られちゃっても仕方がないわ」
「う、うあぁ……」
エルシドは、シャイアにさらなる絶望と叩きつけられて低く呻いた。カーラインはその話で息子の愚行の大方を知り、鬼にも勝る形相になった。
「き、貴様と言う奴はーっ!!!」
「違う! 違う! 違うぅっ!」
カーラインは頑なに否定する息子を睨みながら、電話の受話器を取って叫んだ。
「召使い共! この馬鹿をどこかに連れてゆけ!」
すぐにメイドの格好をした若い女が三人入ってきて、壊れた人形のように力の無いエルシドを、三人がかりで支えて部屋から出て行った。
シャイアはしたたるような微笑を、カーラインに向けながら言った。
「息子が退学になるなんて、とんだ災難ですわね」
「……マレシュトロフは、プラントの援助も断ってきおった。完全に我々との関係と断ち切るつもりらしい」
カーラインは社長の椅子に座り、足を組むと人間離れした、恐ろしく邪悪な笑みを浮かべて言った。
「マレシュトロフめ、必ず後悔させてやるぞ」