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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅵ 破滅への序曲
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破滅への序曲-1

 マクス・コノートは、地下の一室で依頼人を待っていた。椅子に座ってテーブルの上で腕を組んでいるこの男は、年齢は鼻下の髭のせいもあり、四十代には見える。白のスカーフを首に巻き、黒いコートの下には薄手のボタンつきのベストを着込んでいる。背はすらりと高く品も有り、一見すると貴族の男のように見えるが、目つきが恐ろしく鋭く、常に何者かの襲撃に備えているかのように隙がなかった。その上、コートの下にはいつも何かしらの武器を忍ばせていた。

 ここは商談を行う為の部屋だが、この場所を知っている者はごく一部で、シルフリアの街中にあるにも関わらず、誰の目にも留まらないように入り口が工夫されている。仕事上、他人に依頼の内容を聞かれるわけにはいかないので、こんな手の込んだ事をしていた。

 壁の振り子時計から時間を知らせる音が鳴った。夜中の二時になっていた。約束の時間と同時に、マスクは敏感に人の気配を感じ取り、出入り口の扉を見つめて階段を下りてくる者を待った。

 扉が開くと、袖なしの黒いドレス姿の、目の覚めるように美しい銀髪の女が、青銀の髪をポニーテールに結んだ赤い瞳のフェアリーを抱いて入ってきた。

「殺し屋の部屋ってどんなものかと思っていたけど、意外と趣味がいいのね」

 マクスは、何という女だと思った。フラウディア一の殺し屋の目の前で、こんな余裕のある態度を取った女は記憶になかった。

 シャイアは男の本能をくすぐる艶かしい微笑を浮かべ、マクスの対面の椅子に座った。

 ―いい女だ。

 そんなマクスの印象を、主人に抱かれているフェアリーが打ち壊した。コッペリアはテーブルの下から頭だけ出して、真紅の目でじっとマクスを見つめていた。

 ―なんだ、こいつは…………

 マクスは目の前のフェアリーから、恐ろしく濃い血の匂いを感じた。それは鼻腔に訴えるものではなく、一流の殺し屋同士がまみえた時に、相手がどれくらいの人間を殺しているのかを把握する感覚だった。コッペリアの向こう側には、マクスが計り得ない程の闇があった。

「どうかしまして? 顔色が悪いようですけれど」

「……何でもありませんよ、お嬢さん」

「わたしの願いを聞いて頂けるのかしら?」

「わたしを誰だと思っているのですか」

「あら、これは失礼が過ぎましたわね。お気を悪くなさらないでね」

 最強と言われる殺し屋が、コッペリアに見つめられながら、今まで感じたことのない緊張感の中で、スカーフを弛めて言った。

「あなたのような方が、どんな人間を殺したいと言うのです?」

「その前に、念の為にもう一度だけ確認したいのだけれど、確実にわたしの指定した人間を殺してくれるのね?」

「くどいですな、愚問ですよ」

「そう、よかったわ」

「それで、依頼の内容は?」

「マクス・コノートという男を殺して頂けるかしら?」

 シャイアがあまりにも当たり前のように言うので、マクスは一瞬凍りついた。

「今のは、わたしの聞き違いかもしれませんな。もう一度……」

「あなたの持っている拳銃で、自分の頭を打ち抜けばいいのよ、簡単な依頼でしょう?」

 シャイアは今までの男をぞくっとさせる優美な態度から、全てを統べる女王のように毅然として絶対的な自信に満ちた態度に豹変した。まるでマクスがこの場で自害するのが当然とでも言うようであった。

 マクスはコートの中から何時取り出したのかも分からぬくらいの速さで長銃を構え、銃口をシャイアに向けていた。

「冗談にしては笑えませんな。こんな下らない茶番に付き合っている暇はないのです。出て行ってもらいましょうか」

「わたしは冗談が大嫌いよ」

「奇遇ですね。わたしもですよ。さあ、出て行きたまえ、さもないとその美しい顔に風穴が開くぞ。わたしは女でも容赦はしない」

 シャイアは弦月のように歪んだ笑みを浮かべたまま、悠然と椅子に座り続けた。

「本当に死にたいのかね」

「ねぇ、あなた、黒妖精って知ってるぅ?」

 不意にシャイアが言った。このフラウディアで、黒妖精の名を知らないものなどいない。マクスそれを聞いた瞬間、殺し屋の勘からコッペリアの方に銃口を向けた。マクスが引き金を引く前に、長銃は中ほどから真っ二つに切断されて弾け飛んだ。同時にコッペリアがシャイアの手から離れて飛び上がり、異様な光を宿す六枚の翅を広げる。

 マクスは使い物にならなくなった長銃の片割れを投げ捨てて、懐から素早く拳銃と取り出す。だが、それをコッペリアに向ける前に、彼の右手の手首から上がすっ飛び、傷口から噴出した血で雨が降った。

「ぐわああああぁぁぁっ!!?」

 さすがはプロの殺し屋、叫び声を上げながらも、左手にも銃を持ち、コッペリアに向けて撃つ。だが、弾丸はコッペリアが目の前に重ね合わせた六枚の翅に全て阻まれ、四方にはじけ飛んだ。マクスは弾を撃ちつくすと、激痛と恐怖で蒼白になった顔を引きつらせた。

「足掻くんじゃないよ」

 コッペリアの翅の一枚がマクスのほうに伸びていき、鋭い切っ先が彼の左腕に突き刺さる。コッペリアがそのまま翅を横に薙ぎ払うと、腕は切断され、重い音をたてて床に転がった。

「あがあぁぁっ!!!」

 マクスは喉が裂けんばかりに叫び、両腕の切断部から血を撒き散らした。生臭く咽るような臭気が地下室に充満した。シャイアは立ち上がり、顔色一つ、表情一つ変えずに、氷のように冷たい視線でマクスを見下していた。

「ぐあぁっ、何が目的だ、何故わたしを狙う!!?」

「あなたは、レアード・カレーニャという名前を知っているでしょう」

「レ、レアードだと……」

 マクスは自分が殺した人間の名前など一々覚えてはいなかったが、レアードという名前は思い出せた。

「知っているに決まっているわよねぇ。ごく最近、貴方が殺した人の名前だもの」

「お前、あの男と何か関係が…………?」

「あの人には、一人娘がいたわ」

「お、お前が……」

「そう、わたしはシャイア・カレーニャ。復讐をする為に、シルフリアに戻ってきたのよ。お父様を直接手に掛けたあなたは、たぁっぷり苦しませてから殺してあげるわ」

 コッペリアがシャイアの側まで降りてくる。その時、マクスが右足を上げた。靴の先に仕込んであった小銃が火を吹く。弾丸はシャイアの前で兆弾して壁にめり込んだ。

「そんな所にも武器を仕込んでいるなんて、さすがは殺し屋ね。少し感心しちゃったぁ」

 シャイアはいかにも楽しそうな笑みを浮かべながら指を鳴らした。それを合図にして、呆然としているマクスの右足首から血が噴出した。

 マクスはもう気が狂ったとしか思えないように叫び、その場に上等の革靴を履いた右足を残して仰向けに倒れた。

「お父様を殺すように依頼したのは誰なの?」

「い、命を助けると約束するなら教えてやる」

「仕方ないわね。助けてあげるから言いなさい」

「フェアリープラント社の、カーライン・コンダルタだ…………・」

「そう、ありがと」

 シャイアがまた指を鳴らすと、今度はマクスの左足が血煙を上げて切断された。

「ぬわあぁぁっ!!? や、約束が違うぞ!!! 助けてくれると言ったじゃないか!!!」

「うるさいっ!! お父様を陥れた奴らを、わたしは絶対に許さない!! 一人も生かしてはおかないわ!!!」

 シャイアの黒い憎悪の炎が宿る眼差しに見下ろされ、マクスは背骨が縮み上がるほどの恐怖を与えられた。

「ねぇ、お父様の胸を撃ちぬいた時の感触はどうだった?」

「た、助けてくれ……」

「わたしの質問に答えなさい」

「た、頼まれただけなんだ。仕方がなかったんだ……」

「質問の答えになっていないわねぇ」

 シャイアが指を鳴らすと、マクスの両足の脛の辺りから切断されて、血が飛び散り、悲鳴があがる。

「自分で頭を撃っていれば楽に死ねたのに。ま、両手がないんじゃ、もうどうしようもないわね」

 また指が鳴ると、今度はマクスの両膝が切断された。心が凍りつくほど恐ろしい悲鳴が部屋中に響くが、ここは地下室だ。彼の声が他人の耳に届く事はなかった。

「あ……が……こ、殺して……くれ……」

「だぁめっ、貴方には息絶える瞬間まで苦しんでもらわなくちゃ」

 普通の人間ならば、とっくにショック死しているところだが、マクスは殺し屋としての修練を積んでいる為に、中々死ねなかった。

 コッペリアの翅が伸びてきて、マクスの鳩尾に突き刺さる。

「ぶがぁっ!!?」

「東洋の騎士(ナイト)は、こうやって自害するらしいわよ」

 シャイアは極北の如く冷たい感情が宿った瞳で、マクスを見下ろしながら言った。コッペリアの翅が動き、マクスの鳩尾から下腹部まで一気に切り裂いた。もはや理解不能の激痛で、マクスは完全に精神を破壊されて叫んだ。

「あがぁっ!!? ぐぎぃっ!!? 助けて神様!! エリアノ様!!! 助けて!!! 助けてっ!!!」

「アッハハハハハハッ!! 殺し屋が神に助けを求めるなんて、何て素晴らしい喜劇なの!!」

 シャイアが狂ったように笑っている間に、コッペリアの翅が今度は殺し屋の左の脾腹に突き刺さり、右の脾腹まで引き裂いた。マクスは舌を突き出して血泡を吹き、白目を剥いて痙攣し、背を仰け反らせた。その拍子に十字に裂かれた腹から、大量の血の流れと共に、白い管状の臓物が一塊になって飛び出した。

 マクスが息絶えると、地下室は静まり返った。

「こんなつまらない男に、お父様が殺されただなんて」

 普通の娘なら悲鳴をあげるか卒倒するような無残な死体を、シャイアは収まりようのない怒りと憎しみを抱いた青い瞳で見下ろしていた。

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