シルメラ‐4
エルシドはシルメラを手に入れてからというもの、それまで以上に高圧的で理不尽な態度を取るようになっていた。リーリアがいる間は息を潜めていた彼だったが、恐れるものがいなくなると、すぐさま本性を現した。
「おい、お前、今僕を見て笑っただろ」
「え? 笑ってなんていないわ……」
学校の校庭で、小柄な女の子がエルシドに目を付けられていた。少女の後ろにはフェアリーが隠れて震えていた。
「嘘つくなよ。僕を笑った罰だ。お前のフェアリーをずたずたにしてやる」
「や、やめて……」
少女はエルシドの狂気の前に青ざめて、自分のフェアリーを抱きしめる。
「やれ、シルメラ! そいつを引きずり降ろせ!」
「…………」
シルメラは苦しげに顔を歪め、少女が抱いているフェアリーに近づくとその腕を掴み、無理やり引き離して地面に放り投げた。
「きゃーーーっ!?」
「やめてっ! その子は戦う力なんてないの!」
フェアリーの悲鳴とマスターの少女の声が重なる。
「戦えないフェアリーなんて、存在意義ないじゃん。やれ、シルメラ!」
「いい加減にしなさいよ!!!」
怒りに震える声を聞いて振り向いたエルシドは、どうしようもなく黒い喜びを交えて言った。
「誰かと思ったら、屑共かよ」
サーヤとシェルリがそれぞれのフェアリーを連れて、エルシドをきっと睨んでいた。
「ちょうどいいや、探す手間が省けたよ。今度こそ、そのゴミをバラバラに引き裂いてやる」
狙われた少女とフェアリーは難を逃れる事が出来たが、代わりにサーヤが標的になった。
「行け、シルメラ! あのフェアリーを殺せ!」
「くぅっ……サーヤ、逃げて……」
自分の意思に反する命令にシルメラは心を痛めつけられながら、目の前に現れた黒い魔法陣の中から大鎌を引き出す。
「何やってる、もたもたするな!」
「う、うあーーーっ!」
シルメラは黒い翼を広げて高速でサーヤに迫ってきた。
「テスラ、シルメラを止めて!」
「え?」
「何してるの!? 早く戦って!!」
「や、やだ、戦うのやだよぅ……」
テスラの泣きそうな顔を見て、シェルリは大きな衝撃を受けた。
「だーっ!」
シルメラがサーヤに向かって鎌を振り下ろす。サーヤはウィンディを抱いて横に飛んだ。地面に突き刺さったシルメラの鎌から衝撃波が広がり、サーヤとシェルリはそれを受けて吹き飛ばされる。二人の少女の悲鳴が起こり、シェルリは尻餅をつき、サーヤはウィンディを抱いたまま地面に転がった。
「テスラ! お願いだから戦って、サーヤとウィンディを助けて!」
空に浮いて呆然としているテスラは、マスターの切なる願いと過去の罪業の板ばさみに合い、突然取り乱した。
「わたしが戦ったらみんな死んじゃう。兵隊さんも、リリーシャも、みんなみんなわたしが殺した!!」
「テスラ!?」
完全に混乱するテスラを、シェルリはどうにも出来なかった。命令すれば無理にでも戦わせることは出来るが、こんな状態でシルメラの前に出しても返り討ちに合うのは必至だった。
「これで終わりだ!」
エルシドの声が響く。起き上がったサーヤの前に、大鎌を振り上げるシルメラの姿があった。
「シルメラ…………」
「あうぅ……」
歯を食いしばり、必至に苦しみを耐えているシルメラの姿に、サーヤは悲しみで心臓を鷲づかみにされるような感覚を覚え、立ち尽くしていた。ウィンディはもうどうしていいのか分からなかった。
空気を裂いて鎌が振り下ろされる。このままではサーヤはウィンディと共に真っ二つに引き裂かれる。周りで見ていた生徒達は、もう駄目だと思った。
薄闇の落ちた校内を桃色の流れ星が一閃する。それがサーヤとシルメラの間に飛び込むと、大鎌は強烈な衝撃を受けて押し返されていた。
サーヤの目の前で、クリアーピンクの4枚の翅が、桃色の鱗粉を散らして輝いていた。シルメラの鎌はレディメリーの掌を中心に展開される魔法陣に止められていた。
「お前は!?」
「あなたは悪くないけど、お姉様にサーヤを守るように頼まれているの」
鎌を止めている魔法陣が輝きだし、ガラスが割れるようにひびが入る。
「ショックブレイク!」
「うあーっ!?」
魔法陣が砕けた瞬間、シルメラは凄まじい衝撃を受けて、マスターの近くまで吹っ飛んでいた。エルシドは忌々しげに邪魔に入ったフェアリーを睨んだ。
「あれは、副院長のフェアリーじゃないか」
「馬鹿なことは止めたまえ、エルシド君」
「くっ」
校舎から出て来たクラインが、エルシドに向かって歩いてきていた。
「サーヤ、今のうちに逃げて」
「ありがとう、レディメリー」
サーヤとウィンディが逃げるのを、エルシドは激しい憎悪を持って見つめた。
「さあ、フェアリーを引かせるんだ。今ならば問題にはならないだろう」
「はぁ? お前なんかが僕に命令するんじゃない!」
「落ち着きたまえ、エルシド君」
「シルメラ、まず副院長のフェアリーから血祭りにあげろ!」
「エルシド君!!」
「シルメラは黒妖精だ! お前のフェアリーなんか足元にも及ばないんだよ!」
「仕方がない。攻撃行為は禁止されているが、君の場合はどうにもしようがあるまい」
クラインは懐から5カラットはあるピンクトパーズのペンダントを出して、それを右手で握り込んだ。
「一つ教えておいてあげよう。レディメリーはミスティック・シルフシリーズ最後のフェアリーだ。ミスティック・シルフを生み出したのは高名な魔法使い。故にこのシリーズのフェアリーたちは魔法に特化している。その力は黒妖精にも引けを取らない」
「黒妖精に引けを取らないだって? 笑わせるな、そんな嘘っぱち誰が信じるかよ」
クラインは周りで見ている生徒達に向かって言った。
「離れなさい! 上級フェアリー同士の戦いだ、何が起こるか分からない!」
生徒達が離れていき、クラインが握っているピンクトパーズが輝き出すと、同時にエルシドの帽子を飾っているキャッツアイも光を放った。
その時にシェルリはテスラに言った。
「あなたならエクレアの気配が分かるでしょう。リーリアとエクレアを呼んできて! 全速力で!」
「う、うん」
テスラはマスターの強い言葉に叩きだされるようにして飛んでいった。
「魔力をやるぞ、行けシルメラ!」
シルメラは鎌を正面で斜に持って、初めて会うフェアリーと睨み合った。
―エクレアの姉妹か、強敵だな……。
それはシルメラにとって喜ばしい事だった。相手が自分を上回る力を持っていれば、少なくとも今は脅威にならずに済む。
翼を羽ばたかせ、漆黒の天帝が高速で目標に迫り、鎌を薙ぎ払う。レディメリーは立て続けに迫る漆黒の鎌を、ちょこまかと動き回って避けていった。そして隙を見つけてシルメラに掌を向けると、それを中心に魔法陣が広がる。
「サラマンダー!」
魔法陣から炎が噴出しシルメラに覆いかぶさろうとするが、黒い翼の羽ばたきで起こった強風が炎をかき消した。
「これは!?」
シルメラは魔法陣から出てくる炎を纏う巨大な蛇のようなものに驚かされた。炎は魔法陣から出たのではなく、これが吐き出していたのだ。
「召喚魔法か!」
「サラマンダー、黒妖精を狙いなさい!」
炎によって具現化された大蛇は、敵に火の息を吐きつける。シルメラはそれを避けながら、縦に光の線が入っている猫目のような瞳でレディメリーを直視してかっと見開いた。すると、睨まれた方はいきなり強烈な衝撃を受けて吹っ飛んだ。
「きゃっ!!?」
レディメリーは背中から地面に落ちてバウンドし、半回転して今度はうつ伏せに倒れた。シルメラはすかさず追い討ちしようと上空から迫る。それに向かってレディメリーは拳を突き出した。
「フレイムロードっ!!」
レディメリーの小さな拳の前に大きな魔法陣が広がり、不思議な文字を浮かべて輝く円の中から、シルメラに向かって燃え上がる豪腕が突き出てきた。
「やばい!」
シルメラは鎌を前に橋渡して炎で形成された巨大な拳をぎりぎりで防いだが、炎に巻かれて吹っ飛ばされた。
「くああっ!」
魔法陣から炎の巨人が出てきて召還者の後ろに立つ。シルメラが倒れている間に、レディメリーはさらに召喚を繰り返した。
「いでよ、ミューズドラゴン、ウィンロック!」
同時に空中と地上に魔法陣が描かれ、地上の魔法陣から吹き上がった水はたちまち大蛇の形を成し、空の魔法陣からは雲で形作ったような気体質の青い鳥が出てきた。その状況にシルメラは苦い顔をした。
「く、召還されるほどにこちらが不利になるな……」
サーヤは少し離れた大木の後ろから戦いの様子を見ていた。
「すごい、あんな事が出来るフェアリーもいるんだ」
レディメリーは、シルメラを指して命令する。
「総攻撃!」
サラマンダー、ミューズドラゴン、ウィンロックがそれぞれ火、水、風の吐息でシルメラを攻撃し、炎の巨人は無数の火の玉を打ち出す。
シルメラは次々に吐きつけられる三種のブレスを難なく避けていたが、真上から飛来してきた無数の火球には面食らった。空中で火球は次々に爆ぜて、シルメラは爆炎に巻き込まれる。
「くうっ」
煙と焔をかき消して、ウィンロックの風のブレスがシルメラに直撃する。凄まじい風圧だが、黒妖精にとってはそれほどの脅威ではなかった。シルメラが怯んだところに続けて超水圧の水の塊が叩きつけられる。これはかなり強烈だった。
「うわあぁっ!?」
シルメラは直線を描く水流をまともに受けて弾け飛び、びしょ濡れになりながら黒い羽を散らして墜落した。それを見ていたエルシドは、自分のフェアリーの不甲斐なさに腹を立てて叫んだ。
「何やってる! もっと強力な技を使え!」
「そんな事をしたら、生徒達に被害が出てしまう……」
「そんなの知った事か! やれって言ったらやれよ!」
シルメラは身を切るような思いで立ち上がり、体を後ろに捻って大鎌を背中まで引いた。鎌の刃の部分が怪しく紫に輝がやいた。
「たあーーーーーっ!!」
シルメラが鎌を横になぎ払った瞬間、衝撃波が前方へ扇状に広がり、地面を津波のように沸き立たせる。
「なんという事を!!?」
クラインのピンクトパーズが眩いばかりの光を放つ。咄嗟の判断でレディメリーにさらなる魔力を送ったのだ。
炎の巨人が主人の前に出てきて屈み、腕を十字に組んで壁になる。その他の三体の召還獣は衝撃波に飲み込まれて一瞬でかき消された。
衝撃は遠くで見ていた生徒達にまで届き、あたりから複数の悲鳴が一斉にあがり、校舎の窓ガラスが次々に音を立てて割れていった。
衝撃波が通り過ぎた場所は、閑散とした荒野のようになっていた。
レディメリーは無傷だったが、召還したものは全て消えていて、丸裸の状態になっていた。シルメラは自らが犯した罪の重さに苦しみながらも、鎌を振り上げて飛んできた。レディメリーは飛び上がって両手を前にかざし、直径が5メートル以上もある巨大な魔法陣を出現させた。シルメラが振り下ろした大鎌は、魔法陣の結界に阻まれて通らなかった。その上、魔法陣の中心からいきなり炎が噴出してきて、シルメラはそれをまともに受けてしまう。
「くああぁ!」
煙を撒き、黒い羽を散らせ、錐揉みしながらシルメラは墜落した。
「召還、炎龍ムスペルブラスト!」
魔法陣の中から鍵爪が付いた両手と、龍の頭が同時に出てくる。さらに恐竜のように野太い片足が出てきて大地を踏みしめると、あたりが振動した。それから一気に真っ赤な龍が魔法陣の中から躍り出てきて、巨大な両翼を広げて咆哮した。常に巨体を包み込む炎で自らの鱗を焼いて赤く輝かせ、その熱気はかなり離れていたサーヤにまで届いていた。
それを見たエルシドは、完全に怖気づいた。
「な、何だよあれ、あんなの反則だよ…………」
エルシドから魔力の供給が断たれ、もはやシルメラに勝ち目はなかった。