シルメラ-3
学校のチャイムが鳴った。三時間目の授業が終わったところだった。リーリアは銀時計を開き、時間を気にしていた。時計の針は十一時半を差している。今日はシャイアのお店に行く約束がある。そろそろ学校を出なければならない時間だった。
「もしもの時は、クライン先生に頼んであるし、心配する事なんて何もないのに…………」
リーリアの心を投影したかのように、シルフリアの上空に灰色の雲が立ち込めていた。
薄暗い昼間の時間に、エクレアはレディメリーと一緒に校舎の屋根の上に寄り添って座っていた。
「リーリアはすごく心配してるの。この学校で頼れるのは、レディメリーだけなんだからね」
「心配されるなんて心外だな。お姉様はわたしの力を知ってるでしょう」
「あなたの事だって、あなたのマスターが申し分のない人だという事だって分かっているよ。でも、リーリアの不安が伝わってくるの」
「心配しすぎよ。何の問題もないわ」
「そうだよね。レディメリーは姉妹では一番頭のいい子だし、マスターはリーリア以上だもの」
フェアリーが主よりも他の人間を認めるという事は、主とその人間の実力差がよほどのものでなければ有り得ない事だった。
「そろそろ行かないと、あの人間にはコッペリアがいるから、わたしはリーリアの側を離れるわけにはいかないの」
「行ってらっしゃい、エクレア姉様」
「後は頼んだよ」
エクレアは妹に全てを託し、七色の燐分を散らしながらマスターの許へ飛んでいった。
昼休みの間、ウィンディは学校内を気ままに飛び回っていた。
「おい、ウィンディ」
「あう?」
ウィンディが後ろからの声に振り向くと、黒い翼を広げたシルメラが、神前で懺悔をする囚人のように、悲観に暮れた顔で宙に佇んでいた。それを見たウィンディは、ぱあっと花咲くように笑顔を浮かべ、シルメラに抱きついた。
「シルメラ~」
「ウィンディ!? お前、わたしが怖くないのかい?」
「どうして?」
「わたしはお前とサーヤに、酷い事をしたんだぞ」
「シルメラは悪くないもん。悪いのはろくでなしだもん」
「ろくでなしって、マスターの事か?」
「うん、そうだよ。サーヤがね、悪いのはあのろくでなしだ~っ! て言ってたの」
「ぷっ、あはははは」
シルメラは、サーヤの真似をするウィンディの姿がおかしくて笑った。
「シルメラ大好き。優しいお姉さんだもん」
「ウィンディ、お前って奴は…………」
シルメラはウィンディを愛しげに抱きしめた後、蜂蜜色の瞳でじっと見つめて言った。
「よく聞いてくれ。もしサーヤが危なくなったら、お前が守ってやるんだ、いいな」
「サーヤを守る?」
「ああ、サーヤが傷つけられるのは嫌だろう?」
「いや!!」
「だったら、サーヤを傷つける悪い奴と戦えるか?」
「うん、ウィンディ、戦う」
「よし、お前なら出来る。何てったって、サーヤのフェアリーなんだからな」
シルメラは翼を広げてウィンディから離れ、去り際に言った。
「約束だぞウィンディ、必ずサーヤを守ってくれ」
「うん!」
シルメラが去った後、上空の雲はさらに暗さを増し、湿気を含んだ強い風が吹き始めていた。
リーリアは貴族街に向かう馬車の中から外を見ていた。
「あっ……」
一緒に小窓から外を見ていたエクレアが、妙に寂しげな呻きを漏らす。窓の向こう側に、捨てられたフェアリーワーカーが空ろな目でこちらを見ていた。
「メルファス、止めて!」
御者でありリーリアの有能な部下でもあるメルファスは、黙って手綱を握っていた。
「聞こえなかったの! 止めなさい!」
「あのフェアリーを助けたところで、何が変わるというのですか。お嬢様はそんな小事に惑わされてはいけない方です。もっと根本的なものを変える力がお嬢様にはお有りです。今はその事だけを考えて下さい」
淡々と言うメルファスに、リーリアは何も返す事が出来ない。もしサーヤがこの場にいたのなら、走っている馬車から飛び降りてでもあのフェアリーの元に走っただろう。リーリアはそうする事が出来ない自分が悲しかった。
間もなく馬車は黒い建物の前に止まった。すると、店の専属の使用人が素早く近づき、馬車の扉を開けてやうやうしく礼をする。
「リーリア様、お待ちしておりました」
リーリアはチップを払って馬車を使用人に任せると、赤い小型のトランクケースを持ち、可愛い従者と優秀な部下を連れて、お店の前に立った。屋根つきの三階建ての家屋は、華やかな貴族街の屋敷の中にあり、黒い建物が妙な落ち着きを与えていた。看板に銀色の文字で書かれた「EDELSTEIN・SHYA」の名前からシャープな印象を受ける。
リーリアはふとシルフリアを覆い尽くす暗黒の天上を見上げて言った。
「嫌な天気だわ」
店に入ると、宝石店とは思えない光景がそこには広がっていた。とにかく人、人、人で、まるで雑貨店の大安売りかと勘違いするほど活気と喧騒に溢れていた。客層は老若男女様々で、身なりから見て町人や農家の娘など宝石とはあまり縁のなさそうな階級が多かった。
「これは…………」
「凄い人ですね。こんな宝石店は初めて見ましたよ」
執事の格好をしているメルファスが、眼鏡の位置を直しながら言った。リーリアは興味が湧いて店のショウケースを覗いてみた。ジュエリーの値段は2万ルビーから5千ルビーの間という信じがたい低価格に抑えられていた。
「指輪の枠やネックレスの鎖には銀を、宝石はペリドットやアメシストなど、低価格で手に入るものを揃えているのね。宝石の価値は低いけれど、その中でも最高のものを選び抜いてあるわ」
「下流階級をターゲットにした宝石店なんて聞いた事もありませんよ」
「宝石がお金持ちだけの特権だなんて考えるのは間違いよ。女ならば誰だって美しいものに興味があるわ。このお店は女たちの願いを叶える夢の城なのだわ」
しかし、とリーリアは考えた。この店の構想は貴族的な思考では絶対に考え付かない。リーリアは、シャイアが元々は低い身分の出だと分かった。
「リーリア・セイン様ですか!?」
店員の女が慌ててリーリアたちに近づいてきて言った。
「そうよ、主はどこにいるのかしら?」
「これは、気付かなくて申し訳ありませんでした。ここは別館なんです。二階以降が本店になっております。すぐに案内いたしますわ」
リーリアたちの前に立つ定員は、階段を上がりながら説明をした。それによると、階層が上がるごとに宝石の価値も上がり、三階になると数百万から1千万越えの宝石まであるという事だった。
「社長はお客様と商談中です。こちらに掛けてお待ち下さい」
リーリアたちが座ると、すぐにテーブルに紅茶とフィナンシェが運ばれてきた。
「いただきま~す」
エクレアは早速フィナンシェにぱくつく。リーリアは自分の分をエクレアの前に押しやって、ガラスで仕切られた部屋で、派手なドレスの太った貴族婦人と話をしている、黒いドレス姿のシャイアを見ていた。シャイアは5カラットを超えるピジョンブラッドの周りにダイヤを散りばめたペンダントを、貴族婦人の首に掛けてしきりに話しかけていた。シャイアの隣の椅子にはコッペリアが座っていて、商談の様子を大人しく眺めている。
まだ時間がかかりそうだったので、リーリアは出歩いて周りのショーケースを見て回った。一〇カラット近いハニーカラーのキャッツアイや、3カラットの燃えるような赤のアレキサンドライトなど、白熱灯に照らされる宝石たちは眩い輝きを放っていた。その中に値段の付いてないルースがあった。あまりにも神秘的な輝きとその大きさに、リーリアですら驚いて息を呑んだ。
「すごいわ…………」
手前に24.3Cという札が置いてあるその宝石は、深みのある赤ともオレンジともいえない妙なる輝きを自ら放っているかのように、鮮烈な照りがあった。
リーリアについて歩いていたメルファスは、輝きに目をやられるとでも言うように瞳を細くして見ていた。
「これは驚きました。ルビー、ですかね?」
「難しいところね。確実に言えるのは、この宝石がフェアリーのコアに成り得るということよ」
その時に、太った貴族婦人がシャイアと一緒にガラス張りの部屋を出てきた。
「ここに来れば欲しい宝石が必ず見つかるから助かるわ」
「伯爵夫人が望むものでしたら、何だって探し出してご覧に入れますわ」
「ありがたいことね。あなたの美しい顔も時々見たくなるから、また足を運ぶわ」
「何時でも起こし下さい。お待ちしております」
シャイアは貴族婦人を下まで見送りに出て、戻ってくるなり言った。
「500万を現金で払ってくれたわ。もう金庫に入れてくれたのかしら?」
「しまったよ」
コッペリアがそう言って飛んでくると、シャイアの腕の中に落ち着いた。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
シャイアはリーリアたちに近づいて会釈をする。そこにエクレアが飛んできて、リーリアの近くでコッペリアに対する警戒を強めた。
「退屈はしなかったわ」
「その宝石が気になるみたいね」
「見事な宝石なのだわ」
「わたしの鉱山から出てきたのよ。あなたはその宝石をどう見るのかしら?」
「そうね、ピジョンブラッドとオレンジサファイアの間に位置する色合いだと思うわ。詳しく鑑定をすれば、ルビーとオレンジサファイア、二つの名が記されるのではないかしら」
リーリアが言うと、シャイアは微笑して手を叩いた。
「ご名答、見事な鑑識だわ。まったくその通りよ。これはルビーにもオレンジサファイアにもなる不思議な宝石なの。ピンクサファイアとオレンジサファイアの間にパパラチヤサファイアという高価な宝石があるけれど、これは希少性、色の鮮烈さ、あらゆる点においてその遥か上をいくわ。存在そのものが奇跡と言えるくらいよ。わたしはこの宝石を乙女の血と名付けたわ」
「乙女の血、美しい名前ね」
「そうでしょう」
シャイアはリーリアを礼のガラス張りの部屋に案内し、エクレアはそれについていったが、メルファスは外で待った。
「わたしのお店は気に入って頂けたのかしら?」
「文句の付けようもないわ。合格よ」
「貴方ならそう言ってくれると思っていたわ」
その時、店の外がぱっと光り、天を貫くような轟音が落ちてきた。
「そろそろ降って来そうね」
シャイアが外を気にして言うと、リーリアも店の大窓から黒い雲が渦巻くのを見た。そして言いようのない不安を感じながら、持ってきた小型のトランクケースをテーブルの上においた。リーリアがそれを開けると、中には小さなケースに入った大小様々なダイヤモンドの裸石が強烈な輝きと存在感を放っていた。
「早速だけれど、商談よ」