天使は微笑み、悪魔は嘲笑う-4
エルヴィンはここのところ不機嫌だった。自室に閉じこもり、誰も近づけなかった。母親を殺してまんまと財産を自分のものにしたし、生活には別段変った事もない。しかし、どうも使用人たちが余所余所しいように感じられた。そして何よりも、フェアリーたちがメイドたちと会話しながら楽しそうに仕事をしているのが気に障った。
「そもそも、なぜ突然フェアリー共が意思を持ったのか。フェアリーワーカーは意思をもたないはずなのに……」
フェアリーたちが意思を持つのは、エルヴィンにとって悪い事ではないはずだった。自由意志を持ったフェアリーを買うとなれば、一体で数百万はするのだ。ただ、そういうフェアリーを作るのには、フェアリークリエイターという専門家の力が必要だった。工場で大量生産されているフェアリーワーカーが意思を持つなどという事はあり得なかった。
エルヴィンは考えながら落ち着きなく部屋を歩き回った。何となく窓から外を見ると、フェアリーたちが庭に集まっていた。彼女らは丸テーブルや椅子を用意して、そこにアルお手製の料理が次々と運ばれてきた。
見ていたエルヴィンは忌々しげに歯を食いしばり、顔は怒りで歪んだ。すぐに外に飛び出して、大股でフェアリーたちのお茶会に乱入した。
「何をしている、虫けら共!」
その大喝にフェアリーたちは震え上がった。しかし、怖がりながらも、その場から逃げ出す事はない。彼女らには最高の守護者があったからだ。
「うるさいねぇ。邪魔するんじゃないよ」
料理をつついていたコッペリアが振り向くと、エルヴィンは本能的な恐怖によって一歩後退した。
「貴様ら、何様のつもりだ、人間に使われるだけの虫けらの分際で……」
コッペリアは飛び上がると、ゆっくりエルヴィンに近づいた。エルヴィンはさらに後ずさる。
「文句あるのかい」
ピジョンブラッドの双眸に見つめられると、エルヴィンは何も言えなくなった。
「僕たち、お仕事はちゃんと済ませたよ」
「そうよ、お掃除だってちゃんとやったんだから」
アルとライムが言うと、ほかのフェアリーたちも同意の声を上げた。
「くっ、俺は王だぞ、ユーディアブルグの支配者なのだ。その俺に逆らうのか」
エルヴィンが無意味な虚勢を張ると、フェアリーたちは可笑しそうにクスクス笑い出した。
「な、なにを笑っている!」
「違うよ、一番えらいのは奥様だもん、ね」
ライムが言った事にどのフェアリーも頷いた。フェアリーにとって権力や身分など無意味なものだった。子供に近い感性で、思った事を素直に言うだけだ。それは多くの場合、真実をついていた。
エルヴィンはショックを受けて呆然とした。
「邪魔するならあっちへ行ってくれないかい」
コッペリアに言われると、エルヴィンはフェアリーたちのお茶会など忘れたように放然として歩き出し、シャイアの事を探し回った。しかし、シャイアは出かけていて見つからなかった。
この頃シャイアは、町外れの墓地に良く通っていた。途中で必ず大きな花束を二つ買い、一つはエルヴィンの母に手向けた。
シャイアの前には、二本の杭を十字にしただけの簡単な墓が二つあった。シャイアはその前に、二つ目の花束を置いた。
何を思っているのか、何の感情もない冷淡な表情で、粗末な墓を見下ろしていた。
「いつもお花をありがとう」
シャイアの後ろから子供の声が聞こえた。振り向くと、すぐ後ろにカイルがいた。
カイルは、花を手向けていたのがシャイアだという事を知ると、驚いて何を話せばいいのか分からなくなった。
シャイアが微笑すると、カイルは落ち着きを取り戻して言った。
「……どうして、お姉ちゃん、あいつの仲間じゃないの?」
「わたしはあの男が大嫌いよ」
「じゃあ、どうして一緒にいるの?」
「大人の事情ってところかしらね」
シャイアは再び墓を見つめた。
「二つあるわね。もう一つはフェアリーの?」
「リリィは、姉ちゃんと一緒に埋めた。もう一つは、母さんなんだ」
シャイアは息を呑んだ。まるで、自分事のように胸が苦しくなった。
この二つの墓は、撃ち殺されたカンナとリリィと、その後に亡くなった母親のものだった。
「あの後すぐだったよ。姉ちゃんが死んだ後、母さんはずっと悲しんで、泣きながら死んだんだ」
「辛いわね」
「うん、辛いけど、でも負けない、負けるもんか」
カイルは青空を見上げて、思いを馳せた。少年は家族を失っても、決して希望を捨てなかった。
「学校に行きたい。学校に行って、偉くなって、姉ちゃんたちの仇が取りたい」
シャイアは眉をひそめた。学校に行くことが、どうしても敵討ちには繋がらなかった。
「あの男を倒したいの?」
「そりゃあ、あいつは憎いけど、あいつを倒したって姉ちゃんも母さんも、リリィだって喜ばないよ。だから僕は、偉くなって貧乏人でも幸せに暮らせる国を創りたいんだ。その方が姉ちゃんたちも喜ぶと思うし」
シャイアの体に電撃が走った。カイルの敵討ちは、シャイアの想像できない領域にあった。ただ、相手を追い続けて討ち殺すだけが復讐と考えていたシャイアには、とてつもなく重い言葉だった。
希望を胸に、熱っぽく語っていたカイルが、急に萎れた花のようになって俯いた。
「……お金がなくても行ける学校があればいいのに」
「学校、造ってあげましょうか」
「え?」
「お金がなくても行ける学校をね」
「造れるの?」
「今すぐには無理だけれど、近いうちには」
カイルは希望に満ち溢れた、子供らしく清々しい笑みを浮かべた。
「本当に? 約束できる?」
「ええ、約束するわ」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
カイルが礼を言うと、シャイアは顔も見せずに去っていった。シャイアの背中は沈んだ感じが漂っていた。カイルはシャイアの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
シャイアにとって、カイルの言った事は衝撃だったが、迷いはしなかった。いまさら後戻りなど出来ないのだ。
――わたしは、お父様を陥れた奴らを、追って追って追い続けて殺す、ただそれだけ!
健気な少年との邂逅を終えて、シャイアの魔性の部分が再びヴェールを脱いだ。これから本当の復讐が始まる。
シャイアが屋敷に帰ると、玄関先にエルヴィンが立っていた。エルヴィンは憔悴しきっていて、何かに怯えているように、顔を引きつらせていた。
「あなた、どうなさったの?」
「フェ、フェアリー共が、あの虫けら共が、俺よりお前の方が偉いと言った」
「まあ、そんな事を鵜呑みになさっているの? フェアリーの言うことなんて、子供の戯言と一緒ですわ。気にする事はありません」
シャイアに諭されて、エルヴィンはぱっと顔を明るくした。
「そうか、そうだよね。でも、フェアリー共は許せない。すぐに処分しよう」
「それは困りましたわね。あの子達はコッペリアと仲良しですから、処分をするなんて言ったらコッペリアが怒ると思いますわ」
エルヴィンは、コッペリアの名前が出てきただけでぞっとした。彼はコッペリアの事を考えるだけで、否応なしに危険を感じるのだった。
「君のフェアリーだろう、何とか言って説得しておくれよ」
「それは無理ですわ。あの子は力の強いフェアリーですから、時にはマスターに逆らう事だってありますのよ。それに、フェアリーたちは前の何倍も仕事をしているじゃありませんか。お陰で屋敷には塵一つ落ちていませんわ。処分する必要なんてありません」
「でも、あいつらは僕を馬鹿にしたんだよ」
「お気になさらない事です」
シャイアはそっけなく言って、階段を上がっていった。後に残されたエルヴィンは、母親に注意された子供のように下を向いてしょぼくれていた。
それを境に、シャイアはエルヴィンに対して異常に冷たくなった。使用人たちもますます余所余所しくなり、フェアリーたちには極度に嫌われる。エルヴィンはいつしか孤独を感じるようになっていった。
間もなくユーディアブルグで大規模な開発が始まった。シャイアは、エルヴィンが貯めこんでいた膨大な税金を勝手に使って、港の開発と下水道の整備を手配した。
海岸沿いの町なので、港の開発には大きな意味があった。船の往来によって流通の幅が広がり、さらに漁業など海に関係する仕事も激増するだろう。そうなれば、貧しい階級の領民の多くが仕事を得るだろうし、海産物によって食料難もかなり改善されると予想できた。
下水道は今のところは中流以上の領民までしか整備されていなかった。つまり、下水道は海側にしかなかったのだ。陸側の貧しい地区は、下水道が整備されていないために酷い環境になっていた。下水道を整備すれば、町全体が清潔になり、貧しい人々の環境も劇的に改善されるだろう。
シャイアの采配は的確だった。常に貧しい人々を視野に入れるのは、彼らこそが真に強い力を持っているという事を知っていたからだ。
この開発によって、貧しい階級にも仕事が増え、外からもどんどん人間が入ってきて、街は一気に賑わった。
さすがのエルヴィンも街の変化に不審を感じて部下に調べさせた。そして、ついにすべてを知ることになった。
シャイアは広間にいて、いつもエルヴィンが腰掛けていた玉座のように立派な椅子に座っていた。そこにエルヴィンが乱暴に扉を開けて、激しい剣幕で入ってきた。
シャイアの傍らにはコッペリアがいて、周りには申し合わせたようにメイドや執事たちがいた。
「どういう事だ」
「何が?」
「とぼけるな! 俺の金を勝手に使って、ろくでもない事をしやがって!」
「あなたのお金って、税金の事?」
「知れた事を!」
シャイアは、エルヴィンを嘲るような調子で言った。
「税金は領民のお金よ。領民のお金は領民の為に使うのが筋ってものでしょう」
「奴らは俺に支配される身だ! 俺の存在なしでは生きて行けないのだ! そんな家畜共の為に金を使うなど、もっての他だ!」
シャイアはエルヴィンの滅茶苦茶な言い分に笑みを漏らした。
「あなた、本当にお馬鹿さんねぇ。税金なんて溜め込んでおいても意味がないのよ。税金を回して街の景気が良くなれば、自然と領主の懐も温かくなるわ。そんな簡単な事も分からないなんて」
「何だその言い草は! 俺を馬鹿にするような言葉は許さん!」
「そう、じゃあそろそろ終わりにしましょう。あなたにはもう愛想が尽きたわ」
「望むところだ! 今すぐ出て行け!」
エルヴィンが出口の扉を指すと、シャイアは足を組んで、すまし顔で椅子に座り続けた。
「貴様、女王にでもなったつもりか」
「そう、わたしはユーディアブルグの女王よ。あなたなんて足元にも及ばない」
「ふざけるな! 俺の言った事が聞こえなかったのか!」
「出て行くのは、あなたの方よ」
「何だと?」
シャイアの余りにも堂々とした態度に、エルヴィンは我知らず動揺した。
「だって、このお屋敷にあるものは全てわたしの物だもの。わたしが出て行くのはおかしいでしょ?」
「ははっ、何を言っているんだこの女は、どうかしているぞ」
エルヴィンが同意を求めるように、使用人たちの顔を見回すと、誰もが深い哀れみを込めた目で見返した。
「おい、お前たち……」
突然、高笑いが響いた。エルヴィンは愕然と優雅に笑うシャイアを見つめた。
「あなたは、わたしに全ての財産を譲渡するという契約をしたのよ。今あなたに残されているのは、貴族の肩書きだけ」
「そんな契約はしていない!」
「まだ気付かないの? 本当に愚かな男ねぇ。しょうがないから教えてあげるわ。前に契約書にサインしたでしょ」
「あれは、鉱山の契約書だろう……」
「ちゃぁんと内容を確認しないから、こういう事になっちゃうのよ」
「う、うわあぁぁぁぁっ!」
エルヴィンは突然発狂すると、頭を抱えて絨毯の上に蹲った。激しく混乱していたが、シャイアが言っている事が事実なのは分かった。
「魔女だ、お前は魔女だ! 人間じゃない!」
「そうねぇ。自分でも悪魔じみていると思うわ。でも、あなたにだけは言われたくないわねぇ」
エルヴィンは息を吹き返したように立ち上がり、懐から拳銃を出してシャイアに向けた。周りのメイドたちが驚いてシャイアから何歩か離れた。アンナとコッペリアだけは、シャイアの側から離れなかった。
「そうよねぇ。結局あなたにはそれしかないのだわ。気に入らないことや思い通りにならない事があれば、力だけでねじ伏せる。何て小さくて弱々しいのかしら」
「こ、殺してやる!」
エルヴィンは立て続けに引き金を引いた。しかし、銃声と共に発した弾丸は、コッペリアの力によって全てシャイアの直前で弾け飛んだ。
「馬鹿な……」
「ざぁんねぇん、わたしにそんな玩具は効かないわよぉ」
エルヴィンは呆然としていると、アンナが前に出てきた。普段は目立たない娘だが、今は強靭な意志を持ってエルヴィンの止めの一撃を見舞った。
「もう誰もあなたを領主などとは思っていません。今ではここにいらっしゃる奥様こそが、名実共にユーディアブルグの領主なのです」
「み、認めないぞ、俺は認めない」
「あなたに認めてもらう必要はありません。貧民街から奥様こそが領主に相応しいという声が起こり、それは瞬く間に街中に広がりました。領民に認められた者が領主となるのは当然の事ではありませんか」
アンナの静かで激しい攻撃に、エルヴィンは体を震わせて後ずさった。そこに追撃をするようにシャイアが言った。
「あなたが今まで苛め殺してきた領民たちの苦しみを、これからたっぷり味わいなさい」
エルヴィンは震える手で、再び拳銃をシャイアに向けようとした。がその刹那、腹部に強烈な衝撃を受けて後ろに吹き飛び、扉に激突して拳銃を手放した。
「あ、ぐはぁっ……」
エルヴィンが腹を押さえて苦しんでいると、コッペリアがはっきりと言った。
「もうお前の居場所はないんだよ、さっさと失せな」
エルヴィンは、まるで毛虫のように這い蹲り、やっとの事で扉に縋りながら起き上がった。その姿は入ってきた時に比べて著しく落魄としていた。
「訴えてやる……」
「好きにすればぁ、無駄だと思うけどね」
エルヴィンは泣きそうな子供のように顔を歪めると、幽鬼のようにゆらりとした動きで扉を開けて出て行った。その後を追うように、シャイアの高笑いがしばらく屋敷に響いていた。
天使は微笑み、悪魔は嘲笑う……END