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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅲ 天使は微笑み、悪魔は嘲笑う
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天使は微笑み、悪魔は嘲笑う-3

 丸テーブルに数多の宝石を広げると、エルヴィンは予想以上のものに驚き、一瞬声が出なかった。

「君は何て素敵なんだ! 君のような妻を持つことが出来て、わたしは幸せ者だよ!」

 エルヴィンは立ち上がり、シャイアをきつく抱きしめる。シャイアは拒みはしなかったが、薄笑いを浮かべる表情の中には、明らかに嫌悪の色が表れていた。

 それからというもの、鉱山の経営は滞りなく、宝石の売買によって月に数千万という利益が出るようになった。


 エルヴィンは普段は遊んでばかりいるが、たまに思い出したように部下を連れて仕事に出かけた。その仕事に出るときのエルヴィンは、いつも興奮と嬉々が入り混じった異様な顔をしていた。

シャイアはそれに一度だけ同行したことがあった。エルヴィンはあまりいい顔はしなかったが、シャイアがどうしてもと言うのを拒む事もできなかった。

 強烈に照りつける夏の日差しが眩しい朝だった。暗色系のドレスを好むシャイアも、さすがにこの時期は白色系のドレスを着る事が多かった。コッペリアはいつも通りの紫のドレスで、暑かろうが寒かろうが顔色一つ変えない。

エルヴィンはシャイアの為に馬車を用意して、自分は部下二人と共にそれぞれ馬に跨った。部下たちは何故か大きな荷車を引いていた。そして、エルヴィンと部下たちは、剣と共に、重量感のある檜の棒と、拳銃も携帯していた。

「あまり気持ちのいいものではないよ。正直言って、君にはついてきて欲しくないんだけどね」

 シャイアが馬車に乗るときに、エルヴィンは言った。この男はいつもシャイアを側に付けたがるので、こんなことを言うのは珍しい事だった。

「夫のしている仕事を知らなくては、本当の妻とは言えませんわ。一度くらい見せて頂いてもよろしいでしょう?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどね。でも、これっきりにしてくれよ」

 コッペリアはエルヴィンの表情の変化に気をつけていた。シャイアの同行を嫌がる彼の顔には、まるで楽しみを邪魔される子供のような、邪険な色が浮かんでいた。

 コッペリアはシャイアの隣に落ち着くと、馬車が走り出すなり言った。

「これは仕事なんかじゃないねぇ。遊びだよ、遊び」

「ま、そんなところでしょうね」

「どんな遊びなのかは分からないけどねぇ」

 シャイアは無言で馬車の窓から馬上のエルヴィンを見ていた。部下に何か指図している姿は凛々しく見えた。ギャンブルにのめり込む姿は情けない。女遊びが過ぎるのは嫌らしい。しかし、それらの遊びはまだ人間らしい。シャイアは、エルヴィンの中に潜む人間らしからぬ何かを感じていた。

 エルヴィンの言う仕事というのは、税金の取立てだった。こんな仕事は部下に任せておけばいいはずなのだが、なぜか領主自らが勇んで出て行った。

 ユーディアブルグは海岸線に面する街で、海岸近辺には裕福な者が多く住み、海岸から離れるにつれて貧しい者が増えていった。エルヴィンの仕事は、海岸から最も離れた地区で行われた。

 シャイアは馬車を降りて僅かに顔をしかめた。海から最も離れた場所には、多くのあばら家が建っていて、いかにも貧民街という様相だった。普段は領民たちが貧しいながらも元気良く暮らしている姿が見られるところだが、今はエルヴィンたちを警戒しているように、ひっそりとしていた。

 エルヴィンは、早速手近にある一軒に入っていく。部下はそれに続き、すぐに中から悲鳴のような声が聞こえてきた。シャイアが中を覗くと、エルヴィンがボロを着た一人暮らしの老人を、棒で打ち据えていた。

「払えないだとぉ! 払えないで済むと思っているのか!」

「許して下さい、こんな貧乏暮らしでは、あんな重い税金などとても払えません」

「何だその言い草は! 家畜以下の領民が、俺に意見するのか!」

 エルヴィンが高揚した笑いを浮かべて棒で老人の頭をぶったたくと、老人は流血してたまらず後ろに転げた。

「ぐああぁ……」

 苦しむ老人を見ていたシャイアは、この上なく素晴らしい物を見つけて、歪んだ微笑を浮かべた。

 エルヴィンは部下に命令して、少しでも金になりそうな物を片っ端から取り上げた。それらは部下が引いてきた荷車に乗せられた。

 シャイアはさりげなく家屋の中に入って、エルヴィンたちが出て行くと、すばやく老人に近づいて、皺だらけの手に数枚の金貨を握らせた。それを見た老人は驚き、流血しているのも忘れて、シャイアの事を見上げた。シャイアは唇に人差し指を当てて、老人が声を出しそうになるのを止めた。

「それで怪我を治しなさい」

 シャイアはそれだけ囁くように言うと、さっと家屋を出て行った。老人は感動のあまりに涙を流し、壊れかけた扉に向かって、両手を組んで額が地面に付きそうになるほど頭を下げた。まるで女神に祈りを捧げているような姿だった。シャイアが老人に手渡した額は、奪われた財産の十数倍にもなった。

ユーディアブルグの税金は、フラウディア王国の中でも屈指の高さで、貧しい領民たちにはとても払える額ではなかった。これはエルヴィンが、搾取と証する遊びを楽しむために設定された額と言っても良かった。

 エルヴィンはそれから調子付いて、次々と家屋に入っては、貧しい領民たちを苛めた。大怪我を負わされる領民など、一人や二人ではなかった。シャイアはその度毎に、不幸な領民たちに金貨を握らせて、手渡したもの以上の感謝と尊敬を獲得していった。

 そして、その日最後の取り立てで、エルヴィンの本性があからさまになった。それは、シャイアは想像を遥かに上回るものだった。

 三人の家族と一人のフェアリーが住んでいた。

 エルヴィンはノックもせずに、ドアを蹴り開けて入っていった。

 中には、寝たきりの母親と、シャイアとそう年の変わらない娘、まだ十歳にもならない男の子がいた。

 シャイアが後から入ると、娘と目が合った。栗色の髪を後ろで結わえた可愛らしい娘で、着ている服は継ぎだらけのおんぼろだが、十分に魅力的だった。側には桃色の髪の虚ろな目をしたフェアリーがいて、怯える娘と何も感じていないようなフェアリーの姿が、シャイアには妙に印象的だった。

 男の子は敵意をむき出しにした目をエルヴィンに向けて、奥のベッドで寝ていた母親の方は心配そうにこちらを見ていた。

「税金を今すぐ払ってもらおうか」

 エルヴィンがニヤニヤしながら言うと、娘が前に出てきた。

「今は払えるお金はありません。でも、近いうちに必ずお支払いしますから、今日はどうかお引取り下さい」

「フェアリーを買う金があるのに、税金が払えないと言うのか」

「この子は、買ったんじゃありません。大怪我をして倒れていたのを拾ったんです」

「そんなゴミを拾って飼いならすとはな、どうかしている」

 娘は自分のフェアリーを侮辱されたとき、怯えていたのが嘘のように、エルヴィンをきっと睨み付けた。

 エルヴィンは無慈悲さで塗り固めた無表情で、目だけを動かして中を見回した。そうすると、母親の枕元にある紙袋が目に付いた。目の前の娘を押し退けて母親に近づくと、男の子が両手を広げて前に立ちはだかった。

「どけ!」

 男の子は、エルヴィンの平手で殴り飛ばされて、ベッドの足元に倒れた。

「カイル!」

 母親が叫ぶと、娘が駆け寄ってカイルと呼ばれた少年を抱き起こした。

 エルヴィンは袋の中身を見て、満足するような笑みを浮かべた。

「薬じゃないか。税金も払わずに、こんなものを買い込むとはな」

「それは母さんの薬なんです。母さんは心臓が悪くて、その薬がないと数日で死んでしまうんです。お願いですから、それだけは勘弁して下さい」

 娘が懇願すると、エルヴィンは薬を放って娘の腕を掴んで引き寄せた。

「なら、お前がいい。お前なら高く売れるだろう」

「やめて下さい。カンナを連れて行かないで」

「黙れ!」

 エルヴィンは母親の訴えを一蹴し、カンナの顎を掴んで自分の方を向かせると、さも楽しそうで嫌らしい笑みを浮かべた。

「う~ん、いいな。家畜にしては上玉だ」

 そのときエルヴィンは、自分の足元にカイルがいるのを認めた。

「このろくでなし! 姉ちゃんを放せ!」

 カイルは思いっきりエルヴィンの脛を蹴り上げた。

「ぐあぁっ!」

 エルヴィンはたまらず片足立ちになり、無様にぴょんぴょん跳ね回り、後ろに倒れたかと思うと、脛を押さえながら今度は左右に転げ回った。シャイアはその姿に思わず笑いが漏れた。

「エルヴィン様! 大丈夫ですか!」

 部下の一人が近づくと、エルヴィンは立ち上がって部下を押し退け、すばやく拳銃を取ってカイルに銃口を向けた。その顔は怒りの余り表情を失っていて、無表情の中に異様な気迫を漂わせていた。さすがのシャイアも、まさかと思った。

「身の程知らずめ、死ね!」

 エルヴィンは何の躊躇もなく引き金を引いた。

 拳銃が火を噴く直前、娘の側にいたフェアリーが非常な速さで飛んで来てカイルに体当たりをした。カイルは押し飛ばされ、次の瞬間に耳を劈く銃声が鳴り響き、フェアリーはカイルの身代わりになって胸を撃ちぬかれた。

 その一瞬の出来事に、その場にいる誰もが唖然とした。ただ一人、コッペリアだけは落ち着いて状況を見ていた。

 フェアリーはきりもみしながら床に落ちた。真っ赤な血が広がっていくと、カンナは放心気味になって、フェアリーに近づいた。

「リリィ!」

 カイルが名を呼んでも、フェアリーは起きなかった。カンナは小さな体を抱き上げて、服が血だらけになる事などおかまいなしだった。

「リリィ、目を開けて……」

 リリィは主人の声に答えて目を開けた。その目を見て、カンナは胸に感動と悲しみが込み上げた。いつも虚ろだったリリィの瞳に、生気のある光が宿っていた。リリィは一生懸命に口を動かして何かを言おうとしていた。その健気な姿を見ていると、カンナの中に凄まじい怒りが燃え上がった。

「鬼! 悪魔! あなたなんて人間じゃない!」

 娘は怒りをエルヴィンにぶつけた。するとエルヴィンは狂人的な笑みを浮かべて再び拳銃を構えた。

「悪魔で結構だ」

 再び銃声が起こった。カンナは理解できない衝撃を受けて、母のベッドに倒れ掛かった。胸が熱いと思って見ると、リリィが撃たれたのと同じ場所から紅が広がっていた。

「姉ちゃん!!?」

「カンナ!!?」

 母親とカイルは同時に叫んだ。カンナには、その叫びは聞こえなかった。リリィを抱いたまま横に崩れていった。

「リ、リリィ……」

 リリィは、カンナを愛くるしい瞳で見つめていた。カンナもそれに微笑で答えた。

 しかし、エルヴィンは二人に与えられた最後の安らぎをも奪い取った。リリィの翅を無造作に掴んでカンナから引き離すと、遠くに投げ捨てたのだ。

「くだらん茶番だ」

「やめろ、やめろーっ!」

 カイルは泣きながらエルヴィンに組み付いた。所詮は子供である、カイルはあっけなく蹴飛ばされて壁に叩きつけられた。

 カンナは、最後の力で這いずり、床に血糊をつけながらリリィの姿を追った。リリィも同じように這いずって、カンナに近づいていく。二人が手を伸ばし、もう少しで触れ合おうとした時、エルヴィンは卑劣にもカンナの手を踏みつけて、それすら許さなかった。

「馬鹿が、何も理解できないフェアリーなどに必死になりやがって、どうしようもない屑共だ」

 カンナとリリィは、手を触れる事も出来ずに、そのまま息絶えた。

 エルヴィンはそれだけでは飽き足らず、泣き喚くカイルと母親に銃口を向けた。だが、引き金を引く事は叶わなかった。拳銃がいきなり弾け飛んだのだ。

「何だ?」

 エルヴィンの拳銃は床を滑っていった。エルヴィンがそれに気を取られていると、コッペリアが目の前に来ていたので驚いた。

 エルヴィンはいきなり腹部に衝撃を受けて真横に吹っ飛んだ。悲鳴を上げる間もなく土壁が崩れるほど強く叩きつけられて悶絶した。

「屑は貴様の方だ」

 コッペリアは床に下りると、カンナとリリィの手を重ね合わせた。その時に、既に死んでいる二人の顔が、少し安らいだように見えた。

「この娘はこのフェアリーを愛していた。だからフェアリーも答えた。何もわからないんじゃないよ。分かっても、心に鍵をかけられているから、言葉に出す事が出来ないだけなのさ」

 エルヴィンは部下たちに肩を持たせて、咳き込みながら言った。

「シャ、シャイアっ! お前のフェアリーが、この俺を屑呼ばわりしたぞ! 使い魔の癖にふざけやがって!」

 入り口で呆然と見ていたシャイアは、早足で家屋に入り込んでコッペリアを抱き上げた。

「ごめんなさいね。後でよく言って聞かせるから、もう行きましょう」

 シャイアは、カンナとリリィの哀れな姿を見て、すぐに目を逸らした。

 シャイアが馬車に乗るとき、家の中から聞こえてくる母親とカイルの泣き声が耳に届いて、たまらない気持ちになった。

 帰りの馬車の中で、シャイアはめずらしく塞ぎこんでいた。カンナとリリィの姿が頭に焼き付いて離れなかった。

 ―どうして、あんな顔をしていたの。無下に殺されたのに、無意味に殺されたのに、どうしてあんな…………。

 今思うと、カンナとリリィの顔は穏やかだった。シャイアにはそれが不思議でたまらなかった。

 同時に、エルヴィンの事を思うと、吐きたくなるような気持ちになった。シャイアは自分の事を、相当卑劣な人間だと理解しているが、エルヴィンの卑劣さはそれとはまったく次元が違っていた。シャイアの場合は、復讐心から生まれた卑劣さであって、それはシャイアという人間を象徴するわけではない。しかし、エルヴィンの卑劣さは元から持っている資質と言えた。卑劣という二文字は、エルヴィンという人間の一端を担うのだ。

 シャイアは考えるのを止めて、大きく息をついた。コッペリアが隣に立っていて、窓から外を見ていた。

「よく我慢したわね。殺しちゃうかと思ったわ」

「殺したらお前の具合が良くないだろう」

「そうね。つらい思いをさせたかしら」

「お前が復讐を果たすまでは、お前の良い様にする。約束だからね」

 コッペリアは外を見るのを止めると、シャイアに寄り添って座った。

「説教するんじゃなかったのかい。よく言って聞かせるとか言ってたじゃないか」

「するわけないでしょ。あの男は屑以下だわ。わたしもいい加減疲れちゃった。そろそろ退場してもらおうかしら」

 まだその時ではないが、シャイアの思う通りになるのは時間の問題だった。


 シャイアは、宝石の方がうまくいくと、今度はジュエリーの専門家を集めて、宝石店の経営に乗り出した。自分の名前をブランド名にして、シルフリアの貴族街に店舗を構え、ジュエリーの販売を始めた。

 シャイアの事業は、アンナ以外の誰にも知らされることはなかった。エルヴィンはと言えば、シャイアからアレキサンドライトの指輪やサファイアのタイピンなどが送られると、もうそれだけで有頂天になり、シャイアのやっている事を詳しく聞こうとはしなかった。さらにシェラード家の屋敷の家具や調度品は、シャイアの手によって、いつの間にか前よりも上等なものに総変わりしていて、それもエルヴィンを喜ばせた。

 シャイアは度々セシリーの寝室に足を運んでいた。哀れなセシリーは日に日に弱っていき、医者の見立て通りに数日後にはもう虫の息だった。母親がそんな状態になっても、エルヴィンはただの一度も見舞いに来なかった。

 セシリーがいよいよ危ないという時に、シャイアはメイドたちを外に出して、病人の枕元で椅子に腰掛けた。

「お母様、あなたの御子息は罪深い方ですわ」

 シャイアが耳元で囁くと、昏睡していたセシリーは息を吹き返したように目を開けて、光を失った目でシャイアを見た。

「ああ、シャイア……」

 セシリーは衰弱が露になった震える手を伸ばした。シャイアがその手を握ると、セシリーの目じりから涙が零れた。

「全て、全てわたしが悪いのです。あの子が領民に酷い事をしているのは知っていたのに、母としてそれを咎めることが出来なかった。わたしは弱すぎたのです」

「わたしが代わって罰を与えて差し上げますわ」

「わたしにも、あなたのような強さがあれば、あの子は残酷にならずに済んだのに」

「そんな風にされても、あんな男を愛するのですか」

 シャイアは、セシリーの甘さと優しさに苛立ち、語気を強めた。

「全ては私が悪いのです。この病はわたしの弱さに対する罰なのです」

「……お母様は食事に毒が入っていると知っていて食べ続けたのでしょう」

 セシリーが頷くと、シャイアはさらに言った。

「あの男は、財産を独り占めする為に、お母様に毒を盛り、お母様はそれを甘んじて受けた。それは優しさでも潔さでもありません。ただの逃避ですわ」

 セシリーは厳しい言葉にも微笑を浮かべた。その表情には、死を間近にした人間の諦めが滲んでいた。

 近づきつつある死は、セシリーの感性を達観させた。ただシャイアの手を握っているだけで、冷たくも暖かい、そして恐ろしくも純粋な、そんな光のようなものを感じた。

「あなたはとても優しい子です」

「わたしが、優しい?」

「最後にわたしの事を叱ってくれました。今までわたしを叱ってくれた者など誰もいなかったのに」

「あなたが余りにも愚かで、言わずにはいられなかっただけです」

「分かっていますよ。あなたはそういう人です」

 シャイアはため息をついた。セシリーに見つめられると、何も見えないはずなのに、全てを見透かされているように感じた。

「ユーディアブルグをお願いします。あなたなら、きっと変えられる」

 セシリーはそれを最後に再び昏睡して、二度と目を開ける事はなかった。

「お願いされてもねぇ。わたしは復讐の為に利用できるものを利用するだけですわ」

 シャイアは届かないと知りつつ、セシリーにそう言って立ち上がった。

 セシリーは翌日に亡くなり、シャイアと使用人たちだけで簡単な葬儀が執り行われた。エルヴィンはその時ですら顔を出さなかった。


「あの男を追い出すのに、何か面白い方法はないかしらね」

シャイアはテラスに出て、大海を眺めながら言った。シャイアはこの景気は気に入っていた。夏の日差しは強いが、海から吹き上げる風は程よい涼しさで、潮の香りが爽やかな午後だった。青い海は銀色に輝き、波打ち際では上半身裸の子供たちがはしゃいでいる。

 コッペリアが飛んできてテラスの柵の上に立った。

「その気になればいつでも追い出せるんだろう」

「ただ追い出すだけじゃつまらないでしょ。それに、あの人には今まで犯した罪に対する代償を払わせるべきだわ」

「あいつを苦しめればいいのかい?」

「ま、そういう事かしら」

「だったら、うっちゃっておけばいいさ」

 シャイアは外を見ていて、門の前に子供がいるのに気づいた。遠くてよく見えないが、男の子のようだった。シャイアは気になって部屋を出た。

 庭先でメイドのエレンに会った。エレンは箒でレンガ道を掃いていて、あのフェアリーも飛びながら箒を持って、器用に掃除をしていた。

「あーっ、奥様だ」

 フェアリーが箒を捨てて、いきなりシャイアの胸に飛び込んできた。シャイアは少し驚いた後に微笑してフェアリーを抱きしめた。

「ちょっと、何やってるのライムっ!」

 エレンは慌てふためき、こけそうになりながら走って来た。

「奥様に失礼でしょ、離れなさい!」

 エレンはライムをシャイアから受け取ると、むっと頬を膨らませて見つめた。ライムは幼子のように笑っていた。

「本当に申し訳ありませんでした」

 エレンが深く頭を下げると、シャイアは手を振った。

「気にしないで頂戴」

 ライムは、今度はコッペリアに近づいた。

「ねえねえ、アルがシュークリーム作ったんだって、後で一緒に食べに行こうよ」

「何だって、よし、今すぐ行くよ」

「わーいっ」

 ライムが諸手を挙げると、エレンは苦笑いを浮かべた。

「まだ仕事終わってないでしょ」

「えーっ、ライムも一緒にいきたい」

 ライムに悲しげに見つめられるとエレンは弱かった。

「しょうがないわね、出来るだけ早く戻ってきてね、まだまだ仕事はあるんだから」

「エレン大好きっ!」

 ライムはエレンの頬にキスをすると、コッペリアとつるんで屋敷に飛び込んでいった。

 シャイアもエレンも、少し呆れたような様子でフェアリーたちを見送った。

「不思議ですね。やっぱりあのおまじないが効いたのでしょうか」

 ライムは、コッペリアのおまじないを受けた翌日から、人間と同じようにおしゃべりをして、自分の考えで動くようになった。前までは物を運ぶ事くらいしか出来なかったが、今では教えれば何でも覚えてくれた。

「本当にいい子で、もう自分の子供みたいに可愛いいです。ただ、ご主人様をものすごく嫌ってるんです。遠くから姿を見ただけでも逃げちゃうんですよ」

「当たり前よ。犬や猫だって、自分を苛める人間には近づかないわ。ましてやフェアリーはそれ以上に敏感なんだから」

 シャイアは、エレンを横切って、「お仕事頑張ってね」

と申し訳程度に声をかけた。

 普段は屋敷の入り口から馬車に乗って出かけるので、屋敷から門扉の距離など気にしたこともなかった。歩いてみて、初めて敷地の大きさを実感した。シャイアが門扉についた時には、後ろで掃除をするエレンの姿が豆粒ほどの大きさになっていた。

 門の外には少年が立っていた。その顔には見覚えがあった。

「あなたは、この前の」

「この、悪魔!」

 少年はシャイアが言い終わらないうちに石を投げた。シャイアは咄嗟にドレスの袖で顔を覆った。少年は足元の石を拾っては投げた。

「悪魔、悪魔っ、あいつの仲間はみんな悪魔だ!」

 シャイアは手を下ろして少年を見つめた。すると、少年は石を投げるのを止めた。

「カイル、だったわよね。何かあったの?」

 シャイアの意外な言葉に、カイルは目を大きく開いて硬直した。張り詰めた空気が少年を責めて、それに耐え切れなくなると堰を切ったように涙が溢れた。

 少年は泣きながら、シャイアの前から走り去った。

 少年が去った後も、シャイアはしばらく門扉の前に立っていた。打ち寄せる波の音が、苦しいほど悲しげに響いていた。


 それからユーディアブルグは急激な変化を遂げていった。

まず、シェラード家の屋敷で働いていたフェアリーワーカーが次々としゃべりだし、彼らはメイドや執事たちと一緒によく働いた。フェアリーたちが意思を持った事に使用人たちは一様に喜んだが、エルヴィンだけは極度に気味悪がっていた。

 街の方では内政と開発の両面から変化が始まっていた。税金はある日突然に今までの半額になり、貧困なほど税額が軽減されて、貧民街の人々など、税金を免除されているようなものだった。これはシャイアが独断で決めた事で、これがシャイアの功績である事は抜け目なく納税者に伝えられていた。

 それと同じころ、その日暮らしの特に貧しい人々に、シャイアから寄付金が与えられた。生活苦を強いられていた人々は、涙を流してその金を受け取ったという。

 エルヴィンは取り立て以外には関心がなく、後の事はすべて部下に任せきりで遊んでばかりいたので、シャイアのしている事にしばらく気づかなかった。

 シャイアは慈善事業をしているわけではなかった。彼女の中にあるのは、父の復讐をするという一点のみである。その力を手に入れるために、ユーディアブルグを掌握しようとしていた。その為には誰を味方につければいいのかよく心得ていた。


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