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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅲ 天使は微笑み、悪魔は嘲笑う
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天使は微笑み、悪魔は嘲笑う-2

 あの後シャイアはユーディアブルグに行き、エルヴィンと結婚した。そして、財産と呼べる物は、すべてシュラード家に入れてしまった。その中でも二億近い持参金は、エルヴィンを非常に喜ばせた。

 アンナは、シャイアの言う通りになった事に驚いていた。

 ユーディアブルグはシルフリアの衛星都市と言える小さな街だ。シルフリアから海岸線を西に上がって十里ほどいったところにある。この街を支配しているシェラード家の豪邸は、海岸に面した高台にあった。

 エルヴィンは異常なほどシャイアに尽くした。部屋は三階の一番広い部屋を明け渡し、頼みもしないのにドレスやアクセサリーを買い込んできたり、何人もメイドをつけようとしたりと、至れり尽くせりだった。エルヴィンの溺愛ぶりは、シャイアにとっては好都合だった。

 シャイアは何も言わず、エルヴィンのやりたいようにさせていたが、メイドだけは断った。アンナとフェアリーたち以外は、自分に近づけさせなかった。

 三階の窓からは、青海を一望する事が出来た。青い空と、それよりもさらに深い青の海、遥か彼方には二つの青を隔てる水平線が見える。それは、永遠に続くかと思うほどに広大な青の世界だった。

 シャイアとコッペリアは、二人で窓の外を眺めていた。

 窓の縁に立って見ていたコッペリアは、景色に飽きてシャイアの顔を見上げた。

「何だって、何でもかんでもあの男にやっちまったんだい。金まで全部やる事はなかったんじゃないのかい」

「いいの、どうせ全部わたしの物になるんだから」

「そうかい」

 コッペリアはあっさり答えると、飛び上がってベッドの上に座った。体を上下に揺らして、ふかふかの感触とベッドの弾力を楽しんでいる。

「まだ何か言いたい事がありそうね」

「屋敷の地下に何かいるよ、気配を感じる」

「何かって?」

「たぶん人間だね。地下に隠しておくくらいだから、よほどお前に見せたくないんだろう」

「ふうん」

 シャイアは興味なさそうに答えた。その時、扉の向こう側から声がした。

「あのう、お嬢様、ご主人様がお呼びです」

 シャイアが扉を開けると、アンナが立っていた。

「ここにはお嬢様なんていないわ」

「あっ、すみません奥様、つい……」

「気をつけなさい」

 シャイアは、縮こまったアンナの前を通り過ぎる時に囁いた。

「すぐにお嬢様に戻るかもしれないけれどね」

「は?」

 アンナには、シャイアの言う意図がさっぱり分からなかった。

 シャイアはコッペリアを伴ってエルヴィンの待つ大広間に行った。エルヴィンは、鐘形の大窓の前で庭園を眺めていた。

「お呼びになりまして?」

「やあ、愛しい人、こっちにおいで」

 シャイアが側に来ると、エルヴィンはか細い肩を引き寄せる。そうすると、シャイアはエルヴィンに体を預けた。シャイアから漂うほのかな香りが、エルヴィンをうっとりさせた。

「何を見ていらっしゃるの?」

「フェアリーだよ」

 庭園ではフェアリーたちがあくせく働いていた。庭の掃除から植木の剪定や炊事洗濯まで、それぞれの仕事に応じたフェアリーが屋敷には多くいた。

「まったく便利なものだよ。あれは死ぬまで飲まず喰わずで働いてくれるのさ。その上、人間を使うよりもずっと安く上がる。フェアリープラントは本当にいいものを作ってくれた」

 シャイアはコッペリアの様子に注意した。エルヴィンの言葉は、コッペリアが怒るに値すると思ったからだ。しかし、コッペリアはすましてシャイアの側についていた。

「どうだい、素晴らしいだろうシャイア。ここはわたしの支配する街だ。君はユーディアブルグの女王なんだよ」

「あなたって素敵」

 シャイアは夫の頬に手を触れて笑いかけ、エルヴィンは絶世の微笑に酔いしれた。エルヴィンは、シャイアが側にいる時は、自分が選ばれた人間だと思わずにはいられなかった。

 そこに、扉をノックした後に長い黒髪の若いメイドが入ってきた。その後にフェアリーが一人ついて歩いてくる。

「お茶をお持ちいたしました」

 メイドが持ってきたティーポットからティーカップに紅茶を注ぐと、後ろをついていたフェアリーが、カップを受け皿に乗せて運んだ。最初はシャイアに、そして次はエルヴィンに、その時だった。フェアリーは少しバランスを崩して、エルヴィンの服に紅茶を少しばかりかけてしまった。それに気付いたメイドは、慌ててハンカチを取り出し、エルヴィンにかかったお茶を拭き取った。

「申し訳ありません、ご主人様!!」

 そのときエルヴィンは、蝋人形のように表情を固めて、自分にお茶をかけたフェアリーを異常な憎悪を込めた目で見ていた。メイドは、主人の怒りを静める為に、何度も「申し訳ありません」と頭を下げた。

 エルヴィンは突然手を上げて、メイドの近くできょとんとしていたフェアリーを叩き落した。

「キャン!」

 フェアリーは子犬のような悲鳴を上げて、床に叩きつけられて転がった。

「こぉの虫けらがぁっ! この俺の服を汚しやがってぇ!」

 エルヴィンは人が変わったように怒り狂い、床に落ちたフェアリーを何度も踏みつけた。エルヴィンの修羅の如き形相は、見紛う事なき狂人だった。

「おやめ下さいご主人様! その子は何も分からないんです!」

 メイドは形振り構わずに、フェアリーの上に覆いかぶさった。突然飛び込んできた異物に驚いたエルヴィンは、体勢を崩して後ろに倒れた。

「くっ、貴様ぁっ!」

「お許し下さい。この子はわたしのフェアリーです。罰ならわたしが代わりに受けます」

「何を言っている。フェアリーは全て俺が買い入れたものだ。それをメイド共に預けているだけにすぎん。俺が俺の物をどうしようと勝手だ。そいつはもういらん」

 エルヴィンは立ち上がってメイドに近づいた。

 メイドはフェアリーを抱いて、エルヴィンが近づいただけ後ろに下がった。

「そいつを渡せ」

 メイドは激しく首を振って否定した。

 エルヴィンは興奮と狂気の交錯した異様な笑みを浮かべて剣を抜いた。

「ならば、お前も処分する」

 エルヴィンが剣を高く掲げると、じっと傍観していたシャイアが言った。

「あなた、お止めになって」

 エルヴィンは剣を下ろして、母親に自分の我を訴える子供のように、幼くて滑稽な顔になった。

「だってシャイア、こいつは俺にさからうんだよ。ユーディアブルグの王であるこの俺に……」

「いけません。そんなつまらない物を斬っては、あなたの威厳に傷がつきますわ。王ならもっと大きく構えなくては」

 シャイアは、エルヴィンの頬をなでて、艶かしい上目使いで見上げる。

「ねっ」

 エルヴィンは、妖艶な刺激に頭がしびれる様な感じがした。

「そ、そうか、なるほど、確かに君の言うとおりだ」

「許してあげるから、お行きなさい」

 メイドは深々と頭を下げて出て行った。


 エルヴィンが出かけてから、シャイアはまだ慣れない屋敷の中を歩き回っていた。すると、さっきのメイドがシャイアの前に現れた。

「奥様、先ほどはありがとうございました」

 シャイアはメイドが抱いているフェアリーを見つめた。腕や折れた羽にしっかり包帯が巻いてあり、傷の手当てがしてあった。

「馬鹿な人ね。そんなものの為に殺されるところだったのよ」

「あの、この子は何も分からないんですけれど、それでも大切な友達なんです。本当に、馬鹿な事を言っていると思いますけど……」

 メイドがもじもじしていると、コッペリアが目の前に飛んできて、フェアリーのこめかみの辺りに両手を当てて見つめた。

「え? なに?」

「おまじないさ」

 コッペリアが戻ってくると、シャイアは言った。

「あなた、名前は?」

「エレンです」

「わたしの側で働いてくれないかしら、エレン」

「奥様のお側で?」

「駄目かしら」

「いいえ、わたくしなどでよろしければ、何なりとお申し付け下さい!」

「そう、じゃあみんなでお茶にしましょう。庭にテーブルとお茶の用意をするようメイドたちに言いなさい」

 突拍子のない命令に、エレンは目を丸くした。

「この屋敷の人たちは働きすぎなの。お陰で屋敷自体が殺伐としていていけないわ。使用人にはもっと心に余裕を持ってもらわなくてはね」

 シャイアの提案は、屋敷に働く者にとって、この上なく素晴らしいものだった。

「すぐに伝えます!」

 エレンは久しぶりに喜びからの笑顔を浮かべた。

 シャイアはあまり他人と慣れ親しむのは好きではなかったが、屋敷の使用人たちだけは、自分から進んで親交を深めるようにした。

 その後すぐにシャイアは使用人たちの給金があまりにも安い事を知った。彼女はすぐに給金を倍にしてやり、家族が多かったり病気の肉親を抱えているような物には特別な手当ても与えた。

 エルヴィンは、面倒な事は全て部下にまかせっきりになっていたので、それに気付く事はなかった。


 夜中、誰もが寝静まる頃、シャイアはコッペリアを連れて、ランプを片手に屋敷の中を徘徊していた。

 間近に聞こえる小波の音が、暗闇に溜息をつきたくなるような優しさを与えていた。

 シャイアはその中を、音を立てないように歩いていく。やがて二人は、地下へと続く階段を見つけた。

「この先だね」

 コッペリアの言葉に従って、シャイアは階段を下りていく。冷たい闇の底には、全てを拒絶するような鉄の扉が佇んでいた。さらに大きな錠前が、この屋敷の征服者の頑なな意思を伝えてくれた。

 コッペリアが真紅の瞳できっと見つめると、錠前が真っ二つになった。分解して鉄屑となった錠前が高い音を立てて石床の上を跳ねる。シャイアは別に慌てもせず、屋敷の主でもあるように堂々と鉄の扉を押し開けた。

 その牢獄とも言える部屋には、隅の方で燻るランプと中央のベッド以外には何も見当たらなかった。

 シャイアがベッドに近づくと、そこには老婦人が寝ていた。息はあるが、肌の色が異様に青黒く、白髪はぱさぱさに乾いていて、少し引っ張れば根こそぎ取れてしまいそうな感じがした。

「そこにいるのは誰ですか?」

 老婦人は目を開けたが、シャイアの事が見えていないようだった。

「わたくし、シャイアと申します。エルヴィンの妻ですわ」

「おお、あの子は結婚したのですか」

 老婦人は、嬉しそうに微笑を浮かべた。

「あなたは、お母様ですね」

「ええ、セシリーと申します。わたくしは見ての通り悪い病気なもので、他の者に病が移らないようにここで寝ているのです」

 シャイアはセシリーの老いた手を取って、自分の顔にあてがった。

「これが、わたくしですわ」

 セシリーは、シャイアの顔の部位を一つ一つ触って溜息をついた。

「美しい……でも、どうしてそんなに悲しんでいるのでしょう。わたしは、あなたの事が哀れで仕方がありません」

「お母様……」

 セシリアの全てを見透かしたような言葉が重くのしかかった。シャイアは胸の奥に針で刺されたような痛みを感じた。


 翌日、エルヴィンが鹿狩りから帰ってきてから、三階の空き部屋に母が寝ていることを知った。

 エルヴィンがその部屋を探し当てて扉を乱暴に開けると、母親の側でシャイアと何人かのメイドが看病していた。

「な、何をしているんだい」

 エルヴィンは、シャイアに見つめられると、酷く狼狽えた。

「ごめんなさいね。あなたに断りもなく勝手にこんな事をして」

 エルヴィンは何も答えず、シャイアを疑り深い目でみつめている。そこにエレンが出てきて言った。

「申し訳ありません、ご主人様。わたくしが奥様にお話したのです」

「何だと?」

 エルヴィンは眉を潜めた。

「お母様はもうすぐお亡くなりになるそうよ。あんな暗いところで、一人で死ぬのはお可哀想でしょう。だからわたしがここに移すように命令したの」

「もうすぐ死ぬって、まさか医者に見せたのか……」

 エルヴィンは青ざめた顔をして、狼狽振りをより一層深める。シャイアはそれを見て面白そうに微笑んだ。

「お医者様は、どんな病気かは分からないけれど、後数日の命だと言っていらしたわ」

「そうか、どんな病気かわからないか。もうすぐ死ぬのは確かなんだね」

「ええ」

 エルヴィンは『病気』という言葉を聞いて、落ち着きを取り戻し、それどころか喜ばしいような笑顔を浮かべた。

「亡くなるまでの間だけ、ここに置いてもいいでしょう」

「ああ、わかったよ。シャイア、僕はね」

「わかっているわ。お母様は自分の病気が移るといけないから、あんな所に寝ていたのよね」

「わかってくれているのならいいんだ」

 エルヴィンが出て行くと、シャイアは心で嘲笑った。

 医者の見立ては、シャイアが言った事のとはまったく違っていた。本当はエルヴィンの母は何らかの毒素による中毒症だった。普段から何らかの方法で少しずつ毒を体に取り入れていたのだ。シャイアだけがそれを知っていた。

 ―何て肝の小さい男なのかしら。あんな屑にこの街はもったいないわね。

 シャイアは母の寝顔を見つめて、裏に潜む魔性の部分を歪んだ笑みにさらけ出していた。


 シャイアは水面下で活発に動いていた。フェアリープラントに関する情報収集は当然だが、商家の娘らしく商売事にも力を注いでいた。まず目をつけたのが、売りに出ていた二つの宝石鉱山だった。

 シルフリアには豊かな輝石が眠っていると言われていたが、それを掘り出そうとする者は殆どいなかった。いざ掘ってみて宝石が出ないとなれば、大貴族でも一気に没落するほどの負債が出るのだ。例え宝石が出ても駄目になる場合もある。宝石鉱山の経営には非常に高いリスクがあった。だが、シャイアはそんな事は恐れもしなかった。早速、地質学者を集めると、高い賃金を払って細かく調査させた。その結果、宝石は確実に出ると言う事が分かった。

 シャイアはエルヴィンの下に赴いてすぐに交渉した。

 エルヴィンは、二階の自室で椅子に座り、ワインを片手に窓から見える海を眺めていた。そこにシャイアが入ってくると、彼は心から歓迎する笑みで迎えた。

「君も一緒にどうだい。海を見ながら飲むのもいいものだよ」

 シャイアはそれには答えず、エルヴィンの首に両手を回してまとわりついた。シャイアの柔らかい感触と甘い香りに、エルヴィンは目眩を起しそうになった。

「ねえ、お願いがあるの」

 シャイアが耳元で囁くと、エルヴィンはうっとりとした顔で言った。

「君が願う事なら何だって叶えてあげるよ、言ってごらん」

「本当に? じゃあ、宝石鉱山を買いたいわ」

「何だって?」

 エルヴィンは急に顔色を変えて立ち上がった。

「宝石鉱山だって、それだけは駄目だ」

「どうして? さっきは何だって叶えてくれるって言ってくれたのに」

「いや、その、宝石は危ないんだよ。大貴族のシルヴァンヌを知らないのかい? シルヴァンヌ家は宝石で失敗して、一気に没落してしまったんだよ」

「知っているわ。彼らは貴族だもの、商売には向いていなかっただけの事よ。わたしは商家の娘よ。経営には自信があるの」

 シャイアはエルヴィンの首にすがり付いて、相手の目を逃がさないように見つめた。

「だいじょうぶ、わたしを信じて。シュラードを必ず大貴族にして見せるわ」

「…………わかったよ」

 シャイアの甘えた声に誘われて、エルヴィンはいとも簡単に折れた。


「ありがとう、あなた」

 シャイアは夫に軽く唇を重ねると、一度部屋を出てから、相当量の書類を持って戻ってきた。

「後はこれにサインしてくれればいいわ。これで鉱山は全てあなたのものよ」

「本当に大丈夫なんだろうね」

「心配しないで、近いうちに素晴らしい宝石をお見せするわ」

 エルヴィンは疑いもせずに、十数枚の書類に自分の名前を書いて判を押していった。


 二つの宝石鉱山は、それぞれコランダムとクリソベリルが産出されるはずだった。

 シャイアはすぐに坑夫と監視員を集めて、宝石の採掘に着手した。宝石の研磨職人や流通ルートの確保にも抜け目はなかった。

 しかし、採掘が始まってから二日たち、三日たっても宝石が出たと言う報告は上がってこなかった。

「宝石はまだ出ないのかい?」

 コッペリアが無表情で聞くと、シャイアは椅子に座ったまま、別段変わった風もなく言った。

「これくらいの事は予想していたわ」

「宝石が出ない事がわかっていたのかい?」

「宝石は出ているのよ。ただちゃんと回っていないだけよ」

「どういう事だい?」

「大貴族のシルヴァンヌ家は、エメラルド鉱山を所有していたわ。素晴らしいエメラルドがいくらでも出るのよ。それでもシルヴァンヌは潰れてしまったの。それと同じ理由よ」

 コッペリアはさっぱり意味が分からず首をかしげた。

「あなたの出番よ」

 シャイアの瞳に、飢えた雌豹のように攻撃的な光が宿った。それを見たコッペリアは、何だかいい予感がした。

 シャイアは使用人に馬車を用意させた。行き先を告げると、御者の老人は慌てて止めようとした。

「鉱山に行くですって? とんでもない事ですよ。あそこは奥様のようなお方が行く場所ではございません」

「いいから、言う通りになさい」

 有無を言わさぬ一言に、御者は仕方なく馬車を出した。

 シャイアは鉱山に行く前に、鉱山の麓にある町に立ち寄った。最近までは何もない小さな町だったが、宝石鉱山が開かれてからは、多くの職人達が移住してきて賑わっていた。

 上等な造りの馬車が埃っぽい町の中を走ると、それを見慣れない町人たちは否応なしに注目した。馬車は研磨工場の前で止まり、そこから漆黒のドレスの麗人が、不吉な感じのするフェアリーを連れて出てきた。彼女が工場に入っていくと、研磨工たちは作業を止めて貴婦人の姿に見とれた。職人達の着ている服はそれぞれ違うが、薄汚れた上着一枚とズボンとう組み合わせは一緒だった。

「わたくしはシャイア・シュラード、鉱山の持ち主よ。責任者を呼びなさい」

 突然のシャイアの登場に、職人達の間に明らかに困惑した空気が流れた。すぐに管理人と称する男がやってきた。男はたくましい体つきで、脂ぎった顔に職人らしい精悍さがあった。

「これは奥様、こんな所までいらっしゃるとは……」

 シャイアはわざとらしくそれを無視して、研磨された青い宝石の一つを摘んだ。

「素晴らしいサファイアねぇ。こんなに宝石があるのに、どうしてわたしのところには一つもこないのかしら?」

「奥様、これは別の鉱山から運ばれてきた宝石なんですよ」

 シャイアは職人達が磨き上げた宝石を一瞥した。ざっと見ただけでも、ルビー、各種サファイア、キャッツアイ、アレキサンドライト等、かなりの数があった。

「わざわざ別の鉱山の宝石をここで磨くわけ?」

「わしらだって食っていかなけりゃならんのです。だから仕事は多い方がいい。他の鉱山から仕事を持ってくることだってありまさぁ」

「ここにある種の宝石は、全部わたしの鉱山から出るものよねぇ」

「それはたまたま他の鉱山でも同じような宝石が出ているだけでさぁ」

 男は悪びれもせずに当然のように答えた。

「本当にぃ?」

 男はシャイアに睨まれると、背中に冷たい汗が流れた。シャイアの目は恐ろしく冷酷な上に殺気立っていた。それに合わせるように、コッペリアが研磨工を一人ずつ睨んでいく。見られた者は言い知れぬ恐ろしさを覚えた。

「ほ、本当でさぁ。だいたい、奥様みたいな金持ちに、わしらの仕事の何が分かるというんです」

 男が開き直ると、シャイアは完全に見下してそれを見つめた。

「言っておくけれど、嘘をついたら必ず後悔する事になるわよ。正直に言うなら今のうちよ」

「嘘なんて何もついちゃあいねぇ」

 この男を始め、職人達は完全にシャイアを見くびっていた。シャイアにもそれは分かった。もうこれ以上話をしても無駄だった。

 シャイアは鉱山に向かった。険しい山道だが、鉱山に行くまでの道は馬車でも何とか通れるくらいに整備されていた。凹凸の激しい道で馬車は酷く揺れた。そのせいもあって、シャイアの機嫌は最低最悪に損なわれていた。

 ぽっかりと大口を開けた洞窟の前で馬車は止まった。鉱山の入り口で監視員の一人がシャイアを迎えた。

「これは奥様、こんな薄汚い場所によくいらっしゃいました」

 このときシャイアは二つの違和感を覚えた。一つは、監視員がシャイアが来る事を知っていた事だ。恐らく、町の誰かがシャイアが来た事を知らせたのだろう。二つ目は、監視員が銃を持っていなかった事だった。十六人の監視員に一丁ずつ長銃を渡してある筈だった。

「あなた、何故銃を持っていないの?」

「いや、はや、何と言うか。大変申し上げ難いのですが、宝石が全く出ないので、銃も無用かと思いまして……」

「……ま、いいわ。ここに坑夫と監視員を全員集めなさい」

「は? ここに全員ですか?」

「そうよ」

「しかし、今すぐとなると、これはまた、難しいと言うか……」

「余計な事は言わなくていいわ、早くしなさい」

 怒りを押し殺した声に監視員は圧倒された。さらにシャイアに見据えられると、まるで悪魔に睨まれているように足がすくんだ。

 監視員は逃げ出すように洞窟の奥へ消えていった。

 坑夫と監視員が全員集まるにはしばらく時間がかかった。監視員はすぐに集まったのだが、一様に汗臭く汚れた姿の坑夫たちはもたもたしていた。まるで、わざとシャイアをじらしているようにも思えた。集まった坑夫の中には、シャイアに悪態をついたり、嫌らしい目で見たりと、オーナーに対してあらざる態度を取る者が多かった。コッペリアは、その時までは大人しくしていた。

 二つの鉱山から十六人の監視員と百人近い坑夫がようやく集まると、シャイアは良く通る声で言った。

「あなたたち、わたしに何か言う事があるでしょう」

 とたんに沈黙した。

「無駄だと思うけど、一応忠告しておいてあげる。嘘は言わない方が身の為よ」

 そして、ざわめきが起こった。坑夫たちは、シャイアを変人扱いして笑った。それに勢い付いて、一人の坑夫が手を上げて出てきた。

「おう、言いてえ事ならあるぞ」

 他の坑夫が[何だ、言ってみろ」と茶化すと笑いが起こった。

「給料が安すぎんだよ! 宝石も出ないのに毎日穴掘りばっかりさせられてよぉ、冗談じゃねぇ!」

「お給金は標準的だと思うけどぉ。だいたい、宝石を横取りして、その上に給料を上げろだなんて、図々しいにも程があるわねぇ」

「何だと! おい聞いたかみんな、俺達が宝石を横取りしているだとよ!」

 坑夫たちの中から『証拠を見せろ』という声が上がると、誰もがその声に賛同した。

「ふう~ん、よぉく分かったわ。後悔するわよ、あなたたち」

 シャイアが目で合図すると、コッペリアが坑夫たちの前に飛んできて、左右を行ったり来たりした。そして、シャイアに不当な不満を訴えた坑夫の前で止まり、嫌な笑みを浮かべる。

「な、なんでえこいつは……」

 真紅の瞳に見据えられると、坑夫の本能が危険を訴えた。

「お前、可哀想にねぇ。もうすぐ死ぬみたいだよ。少しくらい死ぬのが早まってもいいよねぇ」

「はぁ?」

 その坑夫が不可解に眉を寄せると、耳の近くで奇妙な音がした。とたんに両腕の感覚がなくなって、肩が異様に軽く感じた。

「あぁ?」

 男の両腕が、肩より少し下の辺りから消えていた。

「あ……あああぁぁっ!!? う、腕がぁっ!!! お、俺の、俺の腕えぇぇぇぇっ!!!」

 両腕は男の足元に転がっていた。切り落とされたところから血が赤い滝となって流れ落ちる。他の坑夫たちは何が起ったのかわからずに唖然とした。

「いてぇよぉ!!! いてぇよぉっ!!! ひーっ、死んじまうぅっ!!!」

「そうかい、痛いのかい。じゃあ今楽にしてやるよ」

 コッペリアが楽しそうに笑うと、絶望的な表情を貼り付けたままの男の首が真上に飛び、坑夫たちの前に重い音をたてて落ちた。とたんにパニックが起った。

 首と両腕を失った坑夫の体は、血を撒き散らしながら両膝をつき、ゆっくりと前のめりに倒れる。その拍子に、坑夫のポケットから宝石の原石が散らばった。

「なぁんだ、ちゃんとあるじゃなぁい」

「ひ、人殺しぃっ!」

 坑夫たちは口々にそんな事を言った。シャイアは冷酷に屈強な男たちを見据える。彼女は坑夫が死んだ事など、何とも思っていなかった。

「人殺しですって? 宝石を盗んだ坑夫は、殺されても文句は言えないのよぉ。坑夫だったらそれくらいは分かっているわよねぇ」

 コッペリアは、今度は監視員の一人に目をつけた。

「一粒でも宝石を盗んだ者は、一人の例外もなく有罪よ」

 コッペリアが迫ってくると、監視員たちは散り散りに逃げ出した。コッペリアはその中の一人をしつこく追い回す。

「ひっ、嫌だ、助けて!」

「逃げるんじゃないよ。死が少し早まるだけさ」

 六枚の翅が開き、監視員に向かって伸びる。監視員は剣と化した六枚の翅に貫かれて断末魔の悲鳴をあげた。コッペリアは翅の刃が体から突き出して痙攣する監視員の体を持ち上げて、全員の目に届くように晒した。命が風前の灯の監視員は、口から血を滝のように吐き出して事切れた。その時に服の中からカットされたサファイアが何個か落ちてきた。コッペリアが死体を坑夫の集団の中に投げ捨てると、さらに狂った悲鳴が起こった。

 その惨劇に運よく生き残った監視員の何人かが腰を抜かして失禁した。

 耐え切れなくなった数人の坑夫が、気も狂わんばかりの姿を晒して、その場を逃げ出そうと走り出す。すると、どこからか銃声が響いた。逃げだした坑夫たちが次々に倒れていく。全員、頭を撃ち抜かれて即死していた。

 前から長銃を携えた黒服の兵隊が歩いてきていた。

「彼らは新しい監視員よ。みんなプロの殺し屋なの。宝石を盗む悪い子たちは、容赦なく殺すように言ってあるから」

 坑夫たちはシャイアの前に身を投げて、地面に頭を擦り付けた。

「許してくだせぇ、俺達が悪かった! どうか命だけは!」

「盗んだ宝石も全部返します!」

 坑夫も監視員も、宝石を盗んだ覚えがある者は、必死に頭を下げて許しを願った。

「まず、持っているものをここに出しなさい」

 坑夫と監視員たちは、持っていた宝石や原石をシャイアの足元に出していった。宝石を持っていなかったほんの一握りの坑夫は許されて、すぐに仕事に戻された。

 全ての坑夫たちが盗んだものを出すと、シャイアの足元には宝石が山と積まれた。

「最初からこうしてくれれば、許してあげたのにねぇ」

 シャイアは坑夫たちの運命を決める裁判官だった。屈強な男たちはすっかり萎縮し、悪魔のフェアリーと容赦ない殺し屋たちに囲まれて、生きた心地がしなかった。

「横流しした宝石の分は、働いて返してもらうわよ。そうねぇ、向こう一年間はただ働きしてもらいましょうか」

「そんな殺生な! 家族だっているんです、勘弁してくだせぇ!!」

 坑夫の一人が言うと、みんなシャイアに目で訴えた。シャイアはそれらを一蹴した。

「わたしは不当な要求はしていないでしょう。盗んだものを働いて返して欲しいと言っているだけよ。それが嫌なら全て耳を揃えて返してちょうだい」

 坑夫たちは完全に沈黙した。これで判決は決まりだった。

「さて、後は役に立たない監視員はもう必要ないわね。今まで盗んだ宝石の分は、指の二、三本で許してあげましょう」


 町人たちは突然現れた異様な一団を、気味悪そうに見つめた。指を切り落とされた監視員達が、血の雫を落としながら、痛々しい姿で町の中を歩いていた。

 それに少し遅れて、シャイアたちの馬車が再び研磨工場の前に到着した。

 シャイアが工場に入ってくると、管理人の男が飛んできた。男は側を飛んでいるコッペリアが、皮袋を二つ背負っているのが気になった。

「奥様、まだ何か御用で?」

「仕事を依頼したいのだけれど、その前にこれを見てから正直に答えなさい」

「土産だよ」

 コッペリアが管理人に皮袋の一つを投げた。管理人がそれを抱きとめると、想像以上の重さに眉をひそめた。何かと思って開けると、

「うわあぁっ!!?」

 悲鳴をあげて袋ごとそれを投げ出した。袋から転がり出た坑夫の生首が、職人たちを総立ちさせた。

「よぉく考えて答えなさい。嘘を言ったら、その坑夫と同じ事になっちゃうかも」

「はわ、お助け……」

「ここにある宝石は誰のものなのかしら?」

「も、もちろん奥様の物です! ここにある宝石は、全て奥様の鉱山から出た物です!」

「あらぁ、おかしいわねぇ。さっきと言っている事が違うじゃない」

「あ、あれは、その、ついついあんな事を言っちまって、本当に馬鹿な俺でした」

 管理人は恐ろしさに体を震わせて、よく分からない言い訳をした。

「あなたも一年間ただ働きよ、いいわね」

「そんな奥様、そりゃああんまりだ!」

「いいじゃない、宝石を横流しして大分儲けたのでしょう?」

「滅相もねぇ! 俺はただ坑夫どもに頼まれた宝石を……」

 と管理人が言いかけたとき、側にあった円形の研磨盤が置いてあった机ごと真っ二つになり、その片割れが管理人の足元で踊った。管理人は悲鳴をあげて腰を抜かした。

「正直にって言ったでしょう」

「申し訳ありません! 出来心だったんです! どうか命だけは取らないで下さい!」

 シャイアはごくつまらないものを見る目で管理人を見下げた。

「このわたしを小娘だと思って馬鹿にしたのが運の尽きだったわね」

 シャイアは、コッペリアから宝石の原石が詰まったもう一つの皮袋を受け取った。

「これ、お願いね。いい加減な仕事をしたら承知しないわよ」

「は、はいっ! お任せ下さいませ」

 管理人は慌てて皮袋を受け取ると、研磨工の一人に渡して「はやく仕事に取り掛かれ!」と職人たちを急かした。

「あと、出来上がっている宝石は持って帰るから用意しなさい」

「はいっ! 畏まりました、少々お待ちを!」

 管理人は一々返事に不自然な緊張を込めた。シャイアが宝石を受け取って出て行くと、肩の力を抜いて安堵したが、ふと下を見ると不幸な坑夫の首が転がっていたので、息が止まりそうになった。

―冗談じゃない、こんなところ今夜にでも逃げ出そう……。

 管理人が脱走の決意をしたとき、シャイアがドアを開けて顔だけを出した。管理人は反射的に背筋を伸ばして再び緊張した。

「逃げようなんて考えない方がいいわよぉ。殺し屋を監視員として雇ってあるからね。さっきも逃げようとした坑夫が何人か殺されたわ」

 シャイアは管理人の希望を粉々に打ち砕いて去った。わざわざ管理人をどん底に落とすタイミングを計ったのだ。管理人は絶望のあまり放心してしばらく動かなかった。


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