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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅰ 覚醒
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覚醒-1

かなり残酷で混沌とした物語になります。苦手な方はご注意下さい。それでも先に進んでくれるという方は、妖精と人間の織成す悲愴な物語に最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

 世界は夜が帝王となり、闇が全てを深い暗黒に染めていた。

波の音が聞こえてくる。ゆるやかな揺れが海が穏やかであることを教えてくれる。船に揺られる少女の魂は、今の世界と同じく暗澹(あんたん)としていた。

 少女の名は、シャイア・カレーニャという。父親が殺された直後に、突然やってきた男達に捕らえられ、暴力の末に、無理やり貨物船の倉庫に押し込まれた。周りで多くの啜り泣きが聞こえる。ここには奴隷として売られたり捕らえられた少女たちがいた。

 シャイアは倉庫にたった一つある窓を見上げていた。月光は十八歳の少女を照らす。整った顔立ちに銀色の長髪と青い瞳が信じられないほどの魅力を醸し出している。肌はパールのように白く滑らかで、薄着一枚で月光に照らし出される姿は、少女とは思えない妖艶さがあった。

 ――どうして、こんな事になったの。どうして、お父様が殺されなければならないの……。

 保然とする少女、もはや流す涙すら枯れていた。

『フェアリープラント……気をつけ……て……』

 父が息を引き取る前に残した言葉を思い出すと、少女の中に凄まじい怒りが燃え上がった。魂が抜けたようになっていたシャイアの顔が、憤怒で歪み、あまりの悔しさに下唇を噛んだ。

 ――フェアリープラント……許さない、お父様を殺し、わたしから全てを奪った、必ず、必ず復讐してやる!

 シャイアは決して諦めなかった。闇の中で息を殺し、いつか必ず出来る脱出の隙を、獲物を狙う雌豹のごとくじっと待ち続けた。


「いいかてめぇら、こいつには絶対手をふれちゃあいけねぇ。ましてや開けようなんて思うんじゃねえぞ」

 船長は船室に集めた部下達に言った。屈強な海の男達は、海賊と殆ど変わらないような仕事を生業としている。

「そんなでかい錠前がかかってるんじゃ、開けようにも開けられませんぜ」

 船員の一人が机の上の一抱えもありそうな紫色のオルゴールを指差して言った。

「念には念をだ。こいつは魔のオルゴールだからな」

「そいつはフェアリーを眠らせる箱でしょう? 一体どんな奴が中にいるんでしょうね」

「馬鹿なことを言うな。こいつが存在した都市はことごとく滅んでるって話だ。俺達はこいつを無事に届ける事だけを考えるんだ」

 へい、と船員達が声を揃えて返す。それにもかかわらず、興味深そうにオルゴールを見つめている者が多かった。

「都市が滅ぶなんてただの伝説でしょう」

「あながちそうとも言えねぇ。こいつを運ぶだけで一千万ルビー貰えるんだ」

 どよめきが起こった。男達は信じられないという顔を見合わせる。みんなオルゴールよりも一千万という報酬に興味が移った。箱を運ぶだけでそれだけ貰えるのだ。こんな美味しい話はない。

「しかし、こんな危ないものを欲しがる奴がいるんですねぇ」

「いや、こいつは博物館行きよ。これで都市崩壊伝説も終わるってわけだ」

 船長の合図で、船員達は持ち場に戻っていった。船長は部屋に一人残って、いわくつきのオルゴールを常に見張る役に徹した。


 スキンヘッドの男が豪腕に少女を抱えて部屋に入ってきた。

「放しなさい、汚らわしい!」

「今放してやるよ、ほら」

 男は少女をベッドに放った。少女は小さな悲鳴を上げて横たわる。そして、顔だけを上げて男を睨みつけた。少女には似つかわしくない悩ましい姿を見せるのは、シャイアだった。男は舌なめずりをして近づいてきた。

「自分の立場がわかってねぇようだな」

 それから、男はシャイアか細い首を掴み、ベッドに押さえつけた。男が首を掴む手に力を入れると、気管が狭められてシャイアは苦しげなうめき声をあげる。しかし、決して許しを買うたり助けを求めたりはしなかった。その気の強さが、男をさらに高揚させた。それから男はさらにシャイアの首を死なない程度に締め上げて弱らせる。

「どうだ、少しはわかったかい」

 シャイアは目を閉じて荒く息を吐き、豊かな胸の膨らみを上下させていた。その悩ましげな姿が男をさらに興奮させた。

そして男がシャイアの乳房に手を出そうとした。その時だった。今まで死んでいたようなシャイアの目がかっと開いた。男が身震いするほど恐ろしく鋭い眼光だった。シャイアは男が怯んだ隙に、筋肉の塊のような腕に力いっぱい噛み付いた。

「ぐああぁぁっ!」

 凄まじい痛みに男は思わず悲鳴を上げる。同時に肉が引きちぎられる異様な音を聞いた。

 シャイアは部屋を飛び出して、走りながら男から千切った肉を吐き出した。男は激痛に顔をしかめながら、怒りに任せてシャイアの後を追った。しかし、噛まれた腕の出血が凄まじく、そちらの方が気になって仕方がない。

「くっそお! 女が逃げたぞ!」

 男が忌々しげに叫ぶと、船員達が集まってきた。

「おい、その腕はどうした?」

「何て女だ、腕を噛み千切りやがった!」

「どの女だ?」

「銀髪の女だ!」

 シャイアが逃げ出すと、騒ぎは船中に広がった。もちろん、船長もその報告を聞いた。

「よりによって一番上玉の奴を逃がすとは、海にでも飛び込まれたら大損だ! とりあえず人手を上に回せ! 中に隠れているなら後でじっくり探せばいい!」

 そう言って船長も部屋を出て行った。魔のオルゴールを後に残して行ってしまったのだ。これが上玉のシャイアでなければ、船長が出て行くことはなかっただろう。これは、なるべくしてこうなったと言える。

 シャイアは宿命に導かれるようにオルゴールの部屋に逃げ込んだ。そして、内側から鍵をかけると、その場に泣き崩れた。どうあがいても逃げられるはずがないと分かっていた。そして、捕まったら酷い目に合わされるということも。シャイアが途方にくれて立ち上がると、机の上にある紫のオルゴールが目に入った。外では船員達が騒いでいるはずなのに、そんなものはまったく聞こえなくなった。ただ、緩やかな波の音だけが異様に大きく耳の奥に響いた。

 シャイアは引かれるようにオルゴールに近づいた。宝箱のような形をした紫色のそれは、大きな錠前が外れていた。そして、何の前触れもなくゆっくりと箱が開いていく。完全に蓋が開いたと思うと、いきなり何かが飛び出した。シャイアはびくっとしてそれを見上げた。宙に佇む小さな少女は、おもむろに六枚ある闇色の翅を開き、真紅の瞳でシャイアを見下ろした。

「フェアリー?」

 シャイアは息を飲んだ。フラウディアでは珍しくない生き物だが、目の前にいるようなフェアリーは初めて見た。青銀の髪を黒いリボンで束ね、裾にフリルの付いた赤紫のドレスを着て、向こう側が透けて見える闇色の翅には赤や緑の光がオーロラのように(うごめ)いている。その姿は異様かつ美しかった。

「地獄の季節がやってくるよ。わたしの名はコッペリア、わたしは季節を告げる風」

 自分をコッペリアと言ったフェアリーは、さも楽しげで邪悪な笑みを浮かべた。

「人間よ、力が欲しければわたしと契約するといい」

 コッペリアが片手を上げると、オルゴールの中から赤い宝石をあしらったペンダントが浮遊して、シャイアの手の中に落ちた。

「ピジョンブラッドのペンダントさ。それを身に着けて、わたしと手を重ねれば契約する事が出来る。正し、お前が契約にたる者でなかった場合は命を貰う」

 人外の存在にそんな恐ろしい事を言われても、シャイアは驚くほど冷静だった。

「いいわ。ここにいたって死んだも同然だもの。同じ死なら、可愛いフェアリーに殺された方がまだましよ」

 コッペリアは何かを確信したような笑みを浮かべて机の上に降りた。そして、小さな掌を出すと、シャイアはペンダントを首にかけて手を重ねた。すると、ペンダントの宝石が燃えるように激しく光り輝いた。

「何?」

 その時、船員たちがシャイアの居所を嗅ぎ付けて、罵倒しながらドアを激しく叩いた。シャイアもコッペリアも、そんな事はまったく気に止めない。

「契約完了。どうやらお前はわたしに相応しい人間のようだよ。久しぶりにマスターを持つ事が出来た」

 コッペリアは心から浮き浮きしたようににやけてから、飛んできてシャイアの肩に腰を下ろした。シャイアは何の抵抗もなくそれを受け入れる。彼女はコッペリアが今の状況ではなくてはならない存在であることを直感していた。

 やがてドアが叩き壊されて、船員達がなだれ込んできた。船員達の視線は、シャイアよりもその肩に乗っている幼児ほどの大きさの少女に注がれた。後からやってきた船長が状況を見て戦慄した。

「そ、そ、そのフェアリーは、お、お前、それを開けたのか」

「開けたんじゃないわ、勝手に開いたのよ」

「こいつら、殺してもいいかい?」

「好きにするといいわ」

 マスターの許しを得たコッペリアは、にやっと相手に戦慄を与える笑みを浮かべた。その瞬間、コッペリアの翅が前に長く伸びて、剣のように鋭い切っ先が二人の船員の眉間に突き刺さった。男達は数瞬後に痙攣して白目を向いた。船員達が事態を飲み込めないでいると、水の入った風船が砕けるのに似た異様で気味の悪い音と共に、コッペリアに眉間を貫かれた二人の男達の頭がスイカが砕けるように吹っ飛んだ。周りの男達は血や脳漿(のうしょう)や眼球をくらってショック状態になり女のように甲高い悲鳴をあげた。

「お、落ち着け! 女は構うな! フェアリーだけを狙え!」

 船長は何とか恐怖を抑えて言った。しかし、船員達を襲っている混乱は、そんな言葉くらいで収集できるようなものではなかった。そこにコッペリアが飛んでくると、船員達はあっけにとられた。小さな少女が可愛らしく笑うと、船員達は救われたような気がした。しかし、その救いをあざ笑うかのように、何人かがいきなり首と胴を寸断された。肉塊と化したものから噴水のように血が噴出してあたりを真っ赤に染め、床に転がったいくつかの上半身と下半身の切断部からヘドロのように腸や肝臓が流れ出す。それをまともに見てしまった何人かは気が狂いそうになって叫んだ。

「ひいぃぃっ! 助けてぇーーーっ!」

「もう嫌だぁっ!」

 生き残った船員達は、絶望の叫びを上げて逃げ出した。後に残されたのは、コッペリアとシャイアと腰を抜かして動けないでいる船長だった。船長はもう駄目だと思って死ぬ覚悟をしたが、シャイアはつまらないものを見るような目で見下ろしていた。

「みんな殺していいのかい?」

「海賊じみたのは全部殺しちゃっていいわよ」

 コッペリアは鼻歌を歌いながら船長の目の前を通って逃げた船員たちを探しに出た。シャイアは無残な姿をさらす肉の塊を冷ややかに見下ろした。別に怖いとも恐ろしいとも思わなかった。今のシャイアの中にあるものは、再び燃え上がった復讐心だけだ。

 ――あの子の力があれば、わたしの望みを果たす事ができる。

 その気持ちは確信に近かった。船長は凍ったように冷たい表情のシャイアを見て言った。

「あの悪魔を手懐けた……お前は一体何なんだ……」

「わたしは全てを失った女、ただそれだけよ」

 遠くからコッペリアの牙にかかった船員たちの断末魔が聞こえてきた。船長は気が狂ったようになり、頭を抱えてその場にうずくまった。シャイアはその無様な姿に冷笑しながら、自分を陥れた者への憎悪を募らせた。充満する血の匂いが、少女の復讐心をより一層深いものにしていた。

 半刻もすると、先ほどまで狂気に満ちていた船上はすっかり静まり返った。辺りは血の海と化し、無残に切り刻まれた死体が所狭しと転がっている。シャイアはその中を恐れもせずに悠然と歩き、舳先までいって水平線の向こうにある大陸の影を見つめた。その時に朝日が現れて、次第に船上の地獄絵図を露にした。

全ての船員を失った船はどこへ行くともわからぬ状態だったが、突然フラウディアに向かって起こった強風を受けて帆が大きく膨らんだ。シャイアはそうなるのが当然とでもいうように、冷然とした様子で少しずつ近づきつつある陸地を見つめている。宿命がシャイアを復讐へと導いていた。


 フラウディアの海岸近くにある小さな村に、着のみ一枚の女たちが突然やってきた。早朝にもかかわらず、村人達は異常な事態に外へ出た。一目で奴隷と分かる女達は、過度の恐怖で錯乱気味になり、口々に悪魔だの化け物だのと言っていた。

 村の男が何人かで、女達がやってきたと思われる海岸を捜索した。すると、造作もなく漂着した船が見つかった。船の中に入った男達を待ち受けていたのは、この世のものとは思えない地獄だった。最初にそれを見た若い男は、ばらばらにされた死体と血肉の臭いにあてられてその場で嘔吐した。外にはそんな死体が幾つも転がっていて、操舵にも首をはねられた船長と思しき者の死体があった。さらに村人達が中へ進むと、一室の前に五人の死体が固まってあった。二人は頭を砕かれて、後の三人は今まで見てきた死体と同じように体をいくつかに切断されている。

「どうやったらこんな風になるんだ……」

「人間にこんな事が出来るのか?」

 男達が恐怖と不安に駆られていると、捜索隊に加わっていた七十近い年配の男が部屋の奥にある蓋の開いたオルゴールを見つけた。

「こりゃあ、きっとフェアリーの仕業だ」

「フェアリーだって? 確かにあれは人間よりも力があるが、こんな事が出来るとは思えない」

「いや、間違いないさ。あそこにある箱がその証拠だ」

 他の男達は部屋の机においてある紫の箱を見て首を捻った。

「若いもんにゃわからんわな。あれはフェアリーを眠らせておく魔法の箱だ。恐らく夢幻戦役以前の強力なフェアリーじゃろう。もしかしたら黒妖精かもしれん」

「黒妖精?」

「フェアリーの創造主エリアノが手がけた闇の力を持つフェアリーたちだ。恐ろしい力を持っていて、中には一人で都市を滅ぼすようなのもいたらしい」

 沈黙が流れ、空気が凍りついた。男達は途方にくれたように立ち尽くす。

「そんなのが村の近くにいるかもしれないのか、冗談じゃない……」

「確かに恐ろしいが、女達が生きているところを見ると、分別はあるようじゃな。問題はマスターがどんな人間かということだ。なにせフェアリーは、マスターの言う事を忠実に実行するからのう」

 男達は、恐ろしいフェアリーのマスターが好人物であることを祈りつつ船を後にした。


 その頃、シャイアは村に入り込んでいた。大木の後ろから村の様子を眺めている。

「服が欲しいわ……」

「取ってくればいいじゃないか」

 シャイアの独り言に、側で飛んでいるコッペリアが事も無げに言う。

「簡単に言ってくれるわね」

「あの家がいいよ。今は誰もいないよ」

 コッペリアは近くの小屋を指差して言った。

「そんな事がわかるの?」

「わかるさ、人の気配がしないからね」

 そもそも、何で人の気配を感じられるのかが聞きたかった。しかし、今は余計な問答をしている暇などない。シャイアはコッペリアの言葉に微塵の疑いも抱かずに、指図された家に細心の注意を払いながら忍び込んだ。

 確かに誰もいなかった。テーブルにカップや皿が出ていて、食事の用意がしてある。恐らく、船からやってきた女達の騒ぎで外に出ているのだろう。

 シャイアは洋服箪笥を漁った。これでもない、これでもないという風に、次々と服を引きずり出す。コッペリアは何をしているかというと、テーブルの上に用意されたパンやソーセージに噛り付いていた。

「何やってるんだい、服なんて何だっていいだろう、さっさとしないと誰か来るよ」

「うるさいわね、黙りなさい」

 コッペリアは言われたとおり黙ってパンをかじっていたが、絶えず外の気配に注意を払っていた。シャイアは箪笥の奥底でようやく意中の服を見つけ出すと、それを引っ張り出してわきにかかえた。それからテーブルの様子を見て目を見張った。何と、用意されてた食事が殆ど綺麗になくなっている。最初に見たときは、少なくとも三人分はあった。

「あなた一人で食べたの?」

「ああ、起きぬけで力を使ってお腹が減ってたからね」

「呆れたわ。そんな小さな体のどこに食べ物が入るのかしらね」

「さあねぇ」

 クールに答えるコッペリアに、シャイアは微苦笑した。それから残っていたパンと林檎を服に包み、急いで村を離れた。もはや形振りかまっている余裕はなかった。

 シャイアは森の中で適当な木陰を見つけて粗末な服を脱ぎ捨てた。コッペリアはいつの間にかどこかにいなくなり、着替えが終わる頃に戻ってきていた。

「もう戻ってこないかと思ったわ」

「フェアリーはマスターが死ぬか、自分が死ぬか、契約が解除されるまではマスターから離れられないんだよ」

「わたしの側から離れられないなんて、難儀な妖精さんね」

 シャイアが皮肉っぽく言っても、コッペリアは気にした様子もなくマスターの姿を眺めた。シャイアは丈の長い黒一色の服を着て、黒いカチューシャまで付けていた。

「なにもそんな真っ黒い服を選ばなくてもいいじゃないか。そうじゃなくても、あんたはただでさえ暗い空気を持っているんだからねぇ」

「わたしがどんな服を着ようと、わたしの勝手よ。誰にも指図はされたくないわ」

 コッペリアは可愛らしい仕草で肩を竦めてから、小さな皮袋をシャイアに向かって投げた。シャイアがそれをキャッチして中を開けると、金貨が詰まっていた。

「それは役に立つだろう」

「強盗殺人でもしてきたわけ?」

「拝借してきただけさ、人を殺人狂みたいに言わないでおくれ」

「あれだけの事をしておいて、よく言うわ」

「誰でも殺すと言うわけではないさ。わたしは死すべき者の命だけを刈取る」

「死すべき者ですって?」

「人間の中には、無為に死ぬ運命を持った者がいるのさ。わたしはそういう命だけを選んで殺せる」

「意味が分からないわ……」

 シャイアが不可解な顔をしていると、コッペリアは無表情のまま言った。

「わたしは自然災害みたいなもんなのさ」

「なんですって?」

「大地震や大津波は誰であろうと容赦なく殺すだろう。悪人だろうが善人だろうが、大人だろうが子供だろうが関係ない。自然は人間に理不尽な死を与える。無駄に死んでいるように見えても、実はそういう死を運命付けられた人間だけが選ばれて死んでいくんだ。わたしはそういう運命を持った人間を見極める事が出来る。つまり、わたしに殺されると言う事は、自然災害に合って死ぬのと同意という事さ」

「じゃあなによ、この前殺した海賊達は、そういう運命だったっていう事なの?」

「近いうちに海難事故にでも合う予定だったんだろうねぇ」

 シャイアは話を聞いているうちに、空恐ろしくなった。信じがたい話だが、フェアリーは絶対に嘘は言わない生き物だった。

「そういう運命って、変えられないものなのかしら」

「変えられるよ」

 シャイアが恐る恐る聞くと、コッペリアはあっさりと答えた。

「死というのは罪の総決算なのさ。人間は何度も生と死を繰り返し、その過程で常に罪や幸運を積み重ねているのさ。罪が大きくなれば、どこかで清算しなければいけないだろう。それが突然に死という形になって現れる事がある。それが嫌だったら善行を重ねて罪を打ち消せばいいのさ。借金を返すのと同じ事だねぇ」

「まるで宗教のような話ね」

「宗教っていうのは、人間が生きる糧を得る為に作ったもんだろう。わたしが言っているのは、あらゆるものを支配する法則さ」

 シャイアは、コッペリアの途方もない話を溜息をつき、それから盗んだパンと林檎を食べて少し休みを取った。木の根元に座って両膝を抱えると、贖い難い眠りへの誘惑があった。船に無理やり乗せられてから今まで殆ど眠っていないので、それは当然の事だった。


『シャイアはお母様にそっくりだね。心は雪のように冷たくて、美しくて、でも奥底には優しい温もりを持っている。何者をも寄せ付けない君は、まるで野に咲く一輪の花のようだ』

 父親のレアードがそんな事をよく言っていた。

 シャイアは豪商カレーニャの長女として生まれた。庶民でありながら、貴族以上の力を持つ商家の一人娘だ。母は物心つく前に病気で亡くなり、広い屋敷に父と住んでいた。もちろん、メイドや執事はかなりの数がいたが、家族と呼べるのは父親だけだった。

 シャイアは幼少の頃から、父親以外には心を開く事がなかった。誰も彼もが下らない人間に見えて、信用できなかったのだ。屋敷では父親と一緒にいる事が多く、学校では誰も寄せ付けなかった。それに飛びぬけた美しさが拍車をかけて、周りの人々はシャイアを神秘的な存在として見ているほどだった。しかし、そんな事は当人は気にもしていない。くだらないと思っている人間の考える事なんてどうでもいいのだ。こんな感じなので、シャイアの人間関係は恐ろしいくらいに気薄だ。はっきり言ってしまえば、父と娘だけだ。それだけに、父親のことを心底愛していた。心を通わせる事の出来る人間は父親だけだった。父はそういうところが母親に似ていると言っていた。

 父は、カレーニャ家に婿養子として迎えられた。母が亡くなってからは、カレーニャの事業を父が引き継ぐことになったのだが、その経営手腕は決して良いとは言えなかった。そして、それがシャイアが父親に見出した唯一の欠点でもあった。レアードは利益を生む事よりも、慈善事業に没頭した。使い切れんばかりの財産を元手に、孤児院を設立したり、貧乏人でも通えるような学校を建てたりと、商人である母の血が濃いシャイアからすれば、無駄としか言いようのない事をしていた。自分だったらもっとうまく利益を出せるのにと思うようなことはいくらでもあった。でも、それ以上に父に対する愛が深かったので、あえて何も言う事はなかった。そして、父が死ぬ間際に手がけていたのが、豊かな心を持ち人間との共存を根本としたフェアリーだった。しかし、父はそれを果たせずに何者かの銃弾に倒れたのだった。


 シャイアが寒さで目を覚ましたとき、辺りはすっかり暗くなていた。思っていたよりもずっと長く眠っていたようだった。

 季節は春だが、夜はかなり気温が下がる。それでも、シャイアの体はさほど冷えてはいなかった。その理由は、膝と胸の間にコッペリアが入り込んで眠っていたからだった。赤子を抱いているような温もりの気持ちよさに、シャイアはしばらく目を瞑った。そうしていると、コッペリアが自分を暖めるためにこうしているのだという事を感じた。

「起きたのかい?」

 コッペリアが上を向いてシャイアを見ていた。シャイアが起きた事を素早く感じ取っている。このフェアリーは野生の動物以上の感覚を持っていた。

「こんなに長く寝るつもりじゃなかたのよ」

「ま、眠っちまったものは仕方ないさ」

 森を吹き抜ける冷たい風に、シャイアは身を縮めた。コッペリアはそれを感じ取って言った。

「このままじゃ冷えちまうよ。どこかで暖を取った方がいいねぇ」

「そんな場所はどこにもないわ」

「少し歩けば村に戻れるさ」

「暖かい場所には必ず人間がいるものよ」

「そんなのは黙らせればいいのさ」

 コッペリアが当たり前のようにそんな事を言うので、シャイアは溜め息をついた。コッペリアは本気でそう思っているのだ。

「駄目よ。今は目立つ事はしたくないの」

 シャイアが言っている事は、あくまでも自分の身を護るためだった。コッペリアが誰かに危害を加える事は気にもしないが、それによって自分に害が及ぶのはごめんだ。

「仕方ないねぇ」

 コッペリアは面倒そうに言うと、シャイアの懐から抜け出し、翅を羽ばたかせて黒く塗り潰されたような森の闇に消えた。

 コッペリアの温もりが無くなると、急に体が冷えていくように感じられた。言いようもない心細さを覚えたシャイアは、殆ど何も見えない暗い森の見渡した。しんと静まり返り、何の気配もしない。感じる事と言えば、宵の肌寒さと背を持たせる樹木の硬い感触だけだ。見上げれば枝葉に遮られて言い知れぬ不気味さを感じさせる満月が目に飛び込んできた。

 どこまでも寂寥とした夜が、殺された父の事を思い出させる。今のシャイアには何もなかった。あるとすれば唯一つ、妙な巡り合わせによって、コッペリアという小悪魔の如きフェアリーの主人になった事だ。シャイアは一人ぼっちになって、自分がコッペリアを頼りにしている事に気づかされるのだった。

「あれは使えるわ……復讐の為に利用するだけよ……」

 その独り言は、自分に対する言い訳にすぎない。シャイアは、コッペリアを当てにしている自分に苛立ちを感じた。父親以外の者にそんな気持ちを抱くのが、彼女にとっては不可解で気持ちの悪い事だった。

 シャイアが物思いに沈んでいると、コッペリアが暗闇の中から突然現れた。自分の体の三倍はありそうな枯れ枝の山を抱えている。それをシャイアの前に無造作に落としていく。今度はシャイアの前で枯れ枝が山となった。

「これだけあっても意味がないわ」

「これだけのはずがないだろう」

 コッペリアが前で手をかざすと、掌から赤い光線が走った。一瞬、シャイアの周りにある闇を鮮やかな真紅が切り裂く。その光が消えて間もなく、今度は炎の赤が闇を照らし始めた。

「便利なフェアリーね」

「人を道具みたいに言わないでおくれ」

 暖かい。シャイアは素直にそう思った。それは、命からがら暗闇のような世界から抜け出したシャイアが、ようやくほっと出来る瞬間だった。体中にわだかまるような疲れを感じで、体がずんと重くなる。もう喋る事さえ億劫になった。

 シャイアは心を空っぽにして、ゆれる炎を見つめていた。コッペリアはシャイアによりそって、やはり炎をじっと見つめている。ただ黙って寄り添っていると、幼子と若い母親のようにも見える。

「それは喪服のつもりかい」

 コッペリアがぽつりと言うと、シャイアは閉じかけた目をゆっくり開く。コッペリアは、シャイアが着ている服の事を言っていた。

「どうしてそう思うの?」

「お父様が殺されたんだろう」

 シャイアは押し黙って、どうしてそんな事がわかるの、と言いたげに眉をひそめていた。

「眠っている間に、お父様お父様って、五月蝿いくらいにうなされてたからねぇ」

「……そうよ。お父様はとても優しい人だった、殺されていいような人じゃなかった、それなのに何の前触れもなく、わたしの前からいなくなった。そして、わたしも……」

「それは分かっているよ。話す必要はないね」

 コッペリアは必要以上の事には興味を示さない。そういう割り切った所は、シャイアには好感が持てた。

「何で殺されたんだい?」

「知らないわよ……」

「その時の事を話しておくれよ」

「あなたには関係ないでしょう」

「お前はわたしを使って復讐をするつもりなんだろう。だったらわたしには聞く権利があるね」

「何でもお見通しってわけね……」

 シャイアは驚きもせずに言った。今まで一緒にいただけでも、コッペリアの勘の鋭さや特別な力を何度も見ている。それくらいの事は分かっても不思議はない。

「いいわ……」

 シャイアは、出来る事なら思い出したくない記憶を探った。


 その日は天気の良い日曜日で、シャイアは時計の針が朝の十一時を指していたのを覚えている。その時は、メイドのアンナに紅茶を入れさせていた。

「お嬢様、どうでしょうか……」

 どう見てもシャイアより年下のアンナが、子供っぽい顔を不安でいっぱいの面にして聞いた。シャイアはその不安を的中させるようなため息をつく。

「お湯が温いわ。淹れ直しなさい」

「も、申し訳ございません」

 アンナが今にも泣きそうになって謝ると、窓際のソファーで本を開いていたレアードが、微笑をたたえてシャイアに近づいた。シャイアの父は、長いブロンドを後ろに束ねた美男で、シャイアとは正反対に、見るからに気が優しく人が良さそうな感じがする。

「アンナはまだここに来たばかりなんだ。あまり苛めてはいけないよ」

「お父様、甘やかしてはいけませんわ。アンナには、この家の事をしっかり覚えてもらわなくてはいけません。お茶の淹れ方もその一つです」

 レアードは嬉しそうに笑ってから、シャイアを見つめた。

「まるでお母様のような事を言うね。本当に良く似ている」

 シャイアは微笑しつつも、内心は嫌な気分だった。レアードは妻の話をするとき、いつも満ち足りたような顔をする。シャイアは父が自分以外の存在を見つめるのが嫌だった。それがたとえ自分の母親であっても、許せない気持ちになる。

 それから、アンナは紅茶を淹れ直し、シャイアがそれを口にしようとした時、ノックの音が聞こえた。

「お入り」

 シャイアが許可を与えると、埃っぽい服を着た若い男が入ってきた。庭師のセバスだった。

「ご主人様に会いたいという方が見えています。外でお話をしたいと言っていますが」

「ああ、すぐに行くよ」

 レアードはセバスの後について出て行った。そんな日常のちょとした出来事が、全てを狂わせるなどと誰も知るはずもない。

 シャイアは、緊張して背筋を伸ばすアンナの視線を浴びながら一口お茶を飲んだ。

「……今度はいいわ」

「あ、ありがとうございます」

「別に褒めているわけじゃないわ。こんなの出来て当たり前よ」

 アンナは恥ずかしそうに顔を紅潮させて、また頭を下げた。その時だった。春の陽気を引き裂く銃声が外から聞こえてきた。それは、屋敷にいる誰もが聞き取れるほど鮮明に響き渡った。そして、誰かが外で叫んだ。

「旦那様!」

 シャイアはその声を聞くと、全ての思考が吹き飛び、手からカップを落とした。白い陶器が床で砕けるのと同時に、座っていた椅子をなぎ倒して部屋を飛び出す。

 年老いた執事のレバンスが、広い庭の中央でレアードを抱き起こしていた。レバンスは走ってくるシャイアに気づくと厳しく叫んだ。

「お嬢様、来てはいけません!」

 空気を震わせるような大声は、老体からは想像がつかないものだった。しかし、シャイアはそんな声でも聞こえないようで、ただ一心不乱に父の側に駆け寄った。

 シャイアが父の姿を見たとき、あまりの姿に声が出なかった。もはやショックを通り越して呆然とした。

 レアードは左胸を撃ち抜かれていて、銃創から滝のように血が流れていた。心臓は外れているが、それでも時期に死ぬと言うことは誰の目にも明らかだった。

「……お……父様?」

 シャイアは現実とは思えない光景にどうしていいのか分からない。レアードが最後の力で手を伸ばすと、シャイアは正気を取り戻し、膝を突いて父の手を強く握った。

 レアードは絶望的に乱れた吐息をしながら、噎せ返って血を吐き出す。白いシャツは血染めの衣装と化していた。

「フェアリープラント……気を……つけて……」

「フェアリープラント、それがお父様を……」

 そして、レアードは笑った。深い優しさの込められた微笑は、こんな状況でもシャイアに安らぎをくれた。

「あ……い…………」

 レアードが言えたのはそこまでで、後はわずかに唇を動かすだけだった。けれども、シャイアには父が何を言っているのか理解できた。

『愛しているよ、シャイア』

 声はなくても、シャイアにはそれが頭の中心に直接響いてきたように感じた。

 それを最後に、レアードは薄目を開けたまま動かなくなった。全身から力が抜け、シャイアの握っている手も急に重くなった。

「そんな、お父様…………」

 シャイアは父が死んだと分かっても、涙も出ず、泣き叫ぶ事もなかった。自分の命よりも大切な者を亡くした衝撃は、泣くという行為だけではとうてい物足りない。悲しみを通り越した先には何も考えられない虚無しかなかった。

 その時、シャイアは嫌な気配を感じて屋敷の門の方を見た。そこには庭師のセバスが立っていて、何かを深く後悔しているような、それでいて人生で最も大きな事をやり遂げたような、歯切れの悪い笑みを浮かべていた。

 それから黒服の男達が屋敷に侵入してきて、シャイアは捕らえられたのだった。


 コッペリアに全てを話し終えると、シャイアは重要な事に気がついて、はっとなった。

「どうしたんだい?」

「何でもないわ……」

 ずっと押し込めていた暗い思い出を吐露すると、シャイアの気が少し楽になった。シャイア自身は気づいていないが、心のずっと奥底では、この悲しみを誰かに受け止めて欲しいと思っていた。

「あ……」

 不意に熱いものが瞳に溢れて、頬を伝って流れた。今になってようやく、父を失った事を実感した。コッペリアの前で涙は見せたくないと思った。しかし、最愛の者を失った悲しみは、こらえられるようなものではなかった。

 シャイアは膝を抱えると、うつむいて肩を震わせた。

 ―お父様を殺した奴を、私の手で必ず殺してやる!

 涙が流れるほどに、父を陥れた何者かに対して、シャイアの憎悪は膨らんでいった。

 コッペリアは泣き続けるシャイアには見向きもせず、焚き火に枝を入たり掻き回したりして、炎の加減を見ていた。それは、プライドの高いシャイアに気を使っているのかもしれなかった。

 シャイアはやがて泣きつかれて崩れるように横になって眠った。

 焚き火は燃え続けた。コッペリアが消えないように枯れ枝を入れていたからだ。それは、マスターのシャイアの為にしているわけではなかった。

 コッペリアは耳を澄まし、時々上を見上げる。そうすると、巨大な月が枝葉の間から変わらず覗いていた。

「そろそろ来るかねぇ、あいつが」

コッペリアは、姉妹の到来を予感していた。


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