その議事録は読まれない
この想いが報われないものだと分かっている。
だけど、この苦しさはどうしても抑え切れなくて。
だから許して欲しい。
此処に、綴ることを。
そうしなければ、苦しくて切なくて……押しつぶされそうになってしまうから。
「……とでも考えているのかね?」
王宮書記局長ヴィンセント・ハーグリーヴスは、呆れた表情と口調を隠すことなくそう尋ねた。
「違います。決して、そのようなことは……」
そう否定したのは王宮記録官エレノア・ハミルトン子爵令嬢。丸い眼鏡の奥の瞳は伏し目がち。茶色の髪は綺麗に結い上げられており、制服は乱れることなくきちんと着こなしている。
顔立ちも平凡の域を出ず、取り立てて外見で秀でているところはない。
(だからこそ、か。このような事をしたのは)
溜息を吐きそうになるのを堪えながら、ヴィンセントは追及する。
「では、君が担当したこの議事録、備考欄に書かれていることの説明を頼む」
とん、と人差し指が置かれた先。
そこに書かれていた文面は。
『ヴァルデン辺境伯殿、アールグレイを好むようで2杯目を所望。アーモンドの入ったミニフィナンシェは、5回連続で残さなかったことから、同じく好むのだと判定される』
「会議の合間に出される紅茶と菓子類の選定をするのは、宮廷家政官の役割だ。記録もまた然り。よって、我々が改めて記録する必要性はどこにもない」
「……」
「そしてこの記録は、ヴァルデン辺境伯殿のみに取られている。……よく記録しているのだな、菓子類は毎回違うというのに、ミニフィナンシェを5回連続で残さなかったことを」
「そ、それ、は……」
言い訳も思いつかないのか、エレノアは目線を落ち着きなく彷徨わせている。
それに構うことなく、ヴィンセントは続けた。
「さらにこの記録」
とん、と人差し指が鳴る。
『ヴァルデン辺境伯殿、右の袖口に僅かではあるが黒い染み。前回の外交会議では無かったため、本日付いたものと判断。右利きのためインクが擦ったのか、急ぎの文面をしたためたと推測される』
「ヴァルデン辺境伯殿がどのような文面を書こうが、何を伝えようとしようが、それが会議の内容や決定事項に関係しない限り、記録する必要はない」
「で、ですが、あのように冷静な方が、袖口を汚すなど余程重要な」
「それが重要なことだとして」
エレノアを遮り、ヴィンセントは冷たく目を狭めた。
「君に何の関係がある?」
「……っ」
エレノアの目が僅かに見開かれた。
「何も関係がない上に、会議にも関係がないのなら、記録する必要はない」
ヴィンセントはゆっくりと首を横に振り、また新たな議事録を置いた。
『ヴァルデン辺境伯殿、会議終了後、書記室の前を通過される。本日で5回目。会議室との道筋上、偶然ではないと考えられる。通行記録帳ではないと分かっているが、何らかの要因があるものとして記録しておく。』
「王宮内の別部署との連絡があったためだろう。自ら議事録にそう記しているのに、何故それに思い当たらない?」
「あ……」
今初めて気づいた、と言わんばかりに声を漏らすエレノア。
ヴィンセントはこめかみを押さえながら、最後の書類を置いた。
『ヴァルデン辺境伯殿、議事録を受け取る際、指が僅かに触れた。(この欄は消す。消す。消そう。消した。消せなかった。)』
「消したければ二重線を引くか、別の紙を貼れば良いだろう」
かつん、と人差し指の爪が鳴った。
「何故このようなことを書いた?」
「……気持ちの、整理をしようと」
「整理? これの何処が整理だと?」
ヴィンセントは、かつん! と爪を強く鳴らす。
「答える気がないのなら言ってやろう。消せなかった、のではない、『消さなかった』んだ」
びくり、とエレノアの肩が震えた。
「ヴァルデン辺境伯殿に『読んでもらう』ためにな」
エレノアの表情が、見る見る内に歪んだ。
それに軽く息を吐き、ヴィンセントは目を狭める。
「言っておくが、君が書いた議事録をヴァルデン辺境伯殿が読むことはない」
「え……」
小さく声を漏らしたエレノアに構うことなく、ヴィンセントは別の書類の束を出した。
赤いインクで、数多くの線が引かれているそれに、エレノアは小さく悲鳴をあげそうになった。
それは間違いなく、自分自身が書いた議事録だったから。
「君に限らず、記録官の書いた議事録はまず直属の上司の確認を受け、そして上席である私へと渡される」
とん、とん、と赤線だらけの書類……つまりエレノアの議事録を叩きながらヴィンセントは言葉を続ける。
「事実関係を確認し、不要な記述を削り、表現を訂正、そして清書……つまり書き直す。よって」
とん、と叩く音が響いた。
「ヴァルデン辺境伯殿に限らず、後に議事録を確認する者が目にするのは『訂正後の正式なもの』だ」
エレノアの顔が強張った。
自分の想いが拒絶される、それ以前に届いていなかった。
その事実が容赦なく胸を抉る。
そして何よりも耐えがたかったのは、自分は今までそれを知りもせずに、ヴァルデン辺境伯が自分の綴った言葉を読んでくださっている、と思い込んでいたこと。
そして『もしかしたら』と勝手な期待をしていたこと。
「……っ」
羞恥と屈辱で顔がぶわりと熱くなり、胸が締め付けられる。
ヴィンセントはそんな彼女をしばらく見つめていたが、机上の議事録を集め、綺麗に揃えた。
「さて、これまで私は君に幾度となく注意をした」
エレノアの肩が小さく震える。
「記録に主観を入れず、必要な事実だけを書け、と。そして、私情を持ち込むな、と」
ヴィンセントの目が静かに細められた。
「君はまだ勤め始めて数ヵ月だ。しかし、他の同期に比べ、これらのことへの注意及び指導が多すぎる」
「……」
エレノアは唇を噛みしめる。
「この状況は、最早注意や指導の範疇を超える、と判断された」
ヴィンセントは静かに息を吐いた。
「これ以上、君に議事記録官としての職務を続けさせる訳にはいかない」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかったのだろう。
エレノアの喉から、か細い声が漏れた。
「本日付けで、君を解雇する」
容赦なく告げられた言葉は、エレノアの胸を射抜いた。
「そ、そんな、解雇なんて……わ、私はまだ、勤め始めたばかりで!」
「だからだ」
エレノアの言葉を、ヴィンセントは斬り捨てる。
「新人だということは失敗の理由になっても、指示に従わない理由にならない」
「そのようなことは!」
「では何故同じことを繰り返した? 何度同じ注意をしても、君は直すどころか従うそぶりすら見せず、勝手な記録を書き続けた」
その証拠がこれだ、と議事録の束に手が置かれた。
「議事録は私的な文書……恋文を書くものではない」
「こ、恋文ではありません!」
咄嗟に飛び出たであろう無駄過ぎる反論を、ヴィンセントは冷たく遮る。
「何度言っても無駄だということが、よく分かった。王宮の公的記録を任せるべきではない、という決定が間違いではない、ということもな」
机上に置かれた解雇通知。
エレノアは「何かの間違いだ」とばかりに、それを真っ青な顔で凝視している。
「明日から来なくていい。退職手続きはこちらで進めておく」
そう告げて、ヴィンセントは椅子から静かに立ち上がった。
「君がいなくなっても、ヴァルデン辺境伯は気付かない」
ひゅ、と震える唇から小さな悲鳴が零れる。
「何を勘違いしたのかは知らないが、君は単なる記録官の一人に過ぎない、いや過ぎなかった。それだけだ」
そして、とヴィンセントは言葉を続けた。
「君の仕事は、他の記録官が問題なく引き継げる」
要するにそれだけの仕事、ということだ。
新米が出来る仕事の範囲など、たかが知れているのだから。
「王宮は、君一人がいなくなったところで、何一つ困らない」
組織とはそういうものだ。
座ったまま動かないエレノアを一瞥し、ヴィンセントは部屋を後にした。
(備考欄に恋文めいたことを書き、それが対象の目に止まって恋愛に発展する、など……普通はあり得ないだろう)
それ以前に家柄も吊りあわないのだから、余計にあり得ない。
(これでエレノア嬢に何か秀でた外見、もしくは能力でもあれば目に止まったかもしれないが、そのどちらもない)
それどころかいらぬ事をして、こちらの仕事を増やす始末だ。
(妄想を形にするのなら、自分で買ったノートに書き留めるだけにしてもらいたいものだな)
そもそもヴァルデン辺境伯が半年後に挙式を控えている。
それすらも知らないとは、どこまでも救えない。
だが教えてやる義理はない。ヴァルデン辺境伯には『注意を促す』という意味で、エレノアの名と共に事情を軽く説明する予定はあるが。
「ふう……」
まだ厄介事が片付いていないこの状況に、ヴィンセントはそっと息を吐いた。
(終)




