緑化
正木がその噂を聞いたのは、給湯室でだった。
「光合成手術、うちの部でももう半分受けたらしいですよ」
そう言ったのは、かつて正木の部下だった男だ。今は課長という肩書がついている。
正木のほうには、嘱託という肩書がついている。
手術の仕組みは単純だった。皮下に葉緑素を含む特殊な培養膜を埋め込む。
日光を浴びれば、それだけで一日分のカロリーの大半がまかなえる。
昼休みに食堂へ行く必要がなくなる。
会社にとっては、昼休みという「生産性のない一時間」を丸ごと削れる、
夢のような話だった。
最初は誰も本気にしなかった。
だが半年もすると、窓際の席に座る社員たちが、昼になると、
ぼんやりと日を浴びながら動かなくなる光景が当たり前になっていた。
目を閉じ、微動だにしない。まるで観葉植物のようだった。
正木は手術を受けなかった。
理由は単純だった。昼飯を食う一時間だけが、
まだ自分がこの会社に必要とされていると感じられる時間だったからだ。
かつての部下たちと机を並べて弁当を食べ、世間話をする。
誰も上司でも部下でもない。ただ、人間同士の一時間だった。
だが、その一時間は年々、静かになっていった。
弁当を持ってくる人間が減った。会話も減った。
窓際でじっと日を浴びる同僚たちの背中を見ながら、正木は一人、
コンビニのおにぎりを食べた。噛む音だけが響いた。
三年後、正木のいる課で、昼に物を食べる人間は彼一人になっていた。
その日も正木は、コンビニのおにぎりを一つ食べた。
誰にも声をかけられなかった。
食べ終わっても、席を立つ理由がなかった。
「正木さん、そろそろどうです」
課長が、かつての部下に話しかけるような気安さで言った。悪意はない。むしろ純粋な親切だった。
「一人だけ食堂に行くの、寂しいでしょう」
その一言が、正木の胸に刺さった。
寂しい。
そうだ。寂しいのだ。
だがそれは、飯を一人で食うことの寂しさではなかった。
誰も、もう自分に「飯でも」と声をかけなくなったことの寂しさだった。
正木は手術を受けた。
初めての昼、正木は窓際に立ち、日を浴びた。
皮膚の下で、何かがゆっくりと動くような感覚があった。やがて空腹感が、
潮が引くように消えていった。
隣には、かつての部下たちが並んでいた。
目を閉じ、動かず、光を浴びている。
正木も目を閉じた。
もう誰も、彼を昼飯に誘う必要はなかった。
彼も、誰かを誘う理由を失った。
話しかける口実だった「飯でも」という一言が、この職場から消えた。
一時間が過ぎた。
誰も口を利かなかった。
日だけが、平等に、全員の肩に降り注いでいた。
正木は、腹が減らないというのは、こんなにも静かなことなのかと思った。
満たされている。
だが、何によって満たされているのか、彼にはもう分からなかった。




