豪邸の彼氏
お洒落な西洋風の佇まいの広いレストランであった。軽音楽が流れて耳に心地良い。明るい店内には、客の姿も多く、豪華なシャンデリアに照らされて、ザワザワと賑やかである。久美子は、先刻から、友人の紹介で、ある男性を待っていた。その友人の朋子のいうところによると、何でも偶然にどこかの喫茶店で知り合った男性らしい。身なりもきちんとして、快活な性格らしく、すぐに打ち解けて話すようになったらしい。勤務先は、どうやら言いにくいらしくて、あまり朋子も深く聞き出すことが出来なかったが、きちんと勤めていることは、確からしい。出身も久美子と同じ東京の都内らしくて、勤務がきつくて、あまり暇な時間もないらしい。それで、もし、久美子さえ良ければ、今、婚活中の身だから、一度会うだけでも会ってみれば、というのである。それで、久美子は、あまり気が進まなかったが、とりあえず一度だけ会ってみるかというしだいである。
しばらく、久美子は、店内の中央の席で、アイスティーをストローでチビチビと飲んでいると、店のレジのところで、若い男と店員がもめている。何だろうと、久美子は見ていた。男の話を聞いていると、レストランの看板が分かりづらくて、来店に苦労したらしく、もう少し分かり易い看板にして欲しいというのだ。これは、久美子も納得した。この店のプレートが小さくて、久美子自身も少し難儀している。なるほどと思っていると、次は、その若い男が、急に大きな声を張り上げたかと思うと、
「大島久美子さん、どちらにいらっしゃいますか!」
と、叫んだのである。これには、レストランじゅうの客の皆が顔を上げた。ザワザワと騒いでいる。それで仕方なく、久美子は、やや顔を赤くして、片手を上げて合図した。やだ、恥ずかしい。
「どうも始めまして、江村俊介と申します。以後、お見知りおきを」
と、その若い男が近づいてきた。かなりの美青年である。パリッとした背広を着こなして、身動きも溌剌としている。
「でも、寒くなってきましたね?どうです?身体の方は?体調は大丈夫ですか」
「え、ええ、まあ」
「はあ、拝見したところ、ネイルアートはしてらっしゃるし、ピアスもしている。けっこう、お洒落には気を使う方なんですね」
「ええ、これが趣味みたいなもので、よくネイルサロンには行きますのよ」
「女性的なんですね。じゃあ、料理もお好きな方でしょう?」
「いいえ、苦手なんですのよ。もっぱら、食べる方でして」
「はははっ、正直な方だ。お好きなお店とか、おすすめのお店とかありますか?」
「そうね、新宿の「パンドラ」か、青山の「わどころ茶屋」とか、時々いきますわ。美味しい和風料理が出ますのよ、一度、行かれたら?」
「また参考にしますよ。で、朋子さんとは長いお付き合いなんですか?あの方、可愛い方だ」
「ええ、もう、友人と言っても、高校時代からのお付き合いだから、長いですわ。女性から見ても、チャーミングな人だから」
すると、俊介は、ボーイを呼んで、
「何かもう一杯飲みませんか?何だか、僕、喉が渇いて」
「じゃあ、遠慮なくカルピスを頂きますわ。どうも。あなたは?」
「カルピスとアイスコーヒーを頼むよ、ねえ、久美子さん、僕のこと、怪しい男だと思ってらっしゃるでしょう?どうなんです?」
「いいえ、でも、どこにお勤めなんです?不思議で」
「ははっ、移動勤務でしてね、忙しいんですよ。でも、あまり自慢できる職業でもないから、内々にはしてますがね」
「自慢できないって、所謂、運び屋とか?」
「麻薬とか覚醒剤の?あなたは面白い方だ。そんな風に見えますか?参ったなあ、ご想像にお任せしますよ」
何だか謎めいた人だわ、と久美子は、正直、思った。でも、悪い人には見えないわよね、いったい何だろう?
「で、勤務先はどちらですの?」
「弱ったなあ、赤坂の方とでもいっておきますか?暇な時間がなくてね、今日も忙しいんですよ、ああ、そうだ、これを出会いの記念にでも?」
そう言って、俊介は、上着のポケットから小さな黒い小箱を取り出して、久美子に手渡した。
「何ですの?」
「つまらないものですよ、お気に召したら、どうぞ。では、また」
そう言い残して、俊介は、足早に店を出ていった。残された久美子は、何だか気の抜けた様子で、ポツンと席に座っていた。あら、あの人、お昼ご飯も食べていかなかったのね、と、彼の飲み残したアイスコーヒーのグラスを見て思った。忙しい人なのね、本当に。
久美子は、彼に手渡された小箱を開けてみた。すると、中から、綺麗な宝石を散りばめた銀の薔薇をモチーフにしたブローチが出てきた。
「まあ、綺麗、素敵ね」
不思議な男であった。悪い人ではないようだが。何だか不思議な胸の高まりが起こるのを久美子はどこかで感じていた。
それから数日後、久美子は偶然に商用で、赤坂近辺に、勤務先の雑誌の取材に来ていた。取材先は、高級住宅街の一角にある有名作家の邸宅であった。もう、70に手が届くという、その老小説家は、「青い薔薇の女」や「斜陽の日々」といった作品で、デビューし、今や文壇で、押しも押されぬ一流作家としての地位を築いている。久美子は、持ち前の手際よさを発揮して、次々と相手から個人的な情報を聞き出していた。老作家も、飲んでいたブランデーのせいもあってか、よく舌が回り、ペラペラと話してくれた。
「小説はね、僕の人生の鏡なんだよ。僕の赤裸々な姿を写してくれる。人生なんてね、単なる不確定性原理の産物だよ。何の意味もない。あるのは、確率の問題だ。すべては、偶然の産物だよ、結局ね?」
「虚しくなる時ってないんですか、人生が?」
「大ありだよ。だから、いつもこうして酒を飲んでいるんだ。酒精バッカスに乾杯ってところかな?ははははっ」
「最後に、先生にとって、小説って何ですか?」
「うーん、人生の羅針盤かな?ないと、生きていけんよ、いつもそう思う」
邸宅を出たのは、もう午後の2時過ぎであった。しばらく高級邸宅街の急な上り坂を歩いていると、豪華な屋敷の前まで来た。背の高い塀で囲まれて、鉄の門が閉ざされ、門の奥には、広い庭園が見えた。噴水もあるようだ。
ボンヤリと眺めていると、急に鉄製の門が開いて、しばらくすると、そこへ、滑るような勢いで、1台の高級車がやって来たかと思う間に、あっという間に、屋敷の中に消えていった。
久美子は、言葉を失った。あまりの衝撃であった。彼女は、その車の運転席に座る男の顔をしっかりと目撃したからだ。思わず、久美子はふらついて、近くの電信柱に寄りかかった。というのも、その運転席の男は、間違いなく俊介であった。どうして?分からない。なぜ、俊介が?
しかし、気丈な久美子である。気を取り直して、彼女は、歩き出した。これは置いておいて、とりあえず、雑誌社に戻って、デスクで原稿を立ち上げないと。上り坂を歩き詰めると、あとは楽だ。でも、何か気になる。もう一度、朋子に告げて、俊介に会ってみたい。そんな気がした。
小粋な喫茶店である。ヨーロッパ風の店構えに、白いチェアを置いたオープンカフェもある。青い軒の下に、せりでた隅の席に座り、久美子は、外で飲むホットココアに堪能していた。今日は、久美子から朋子に頼んで、俊介に会いたいと言ったのだ。もうすぐ会う時間だ。久美子は、また腕時計を見た。なぜ時間を気にするの、あたし。彼女の胸には、俊介から貰った銀の薔薇のブローチが飾られていた。
ふと、背後に気配を感じたかと思うと、俊介が前の席に座りこんで言った。
「お久しぶりですね、久美子さん。よく、覚えて下さってましたね?」
「え、ええ。ちょっと聴きたいことがあって」
「僕のことですか?」
「ええ、そうですわ、ちょっと」
すると、俊介は、間を置いてから、
「久美子さん、ドライブはお嫌ですか?」
「いいえ、別に」
「じゃあ、ちょっと僕に付き合って下さいな?」
それで、ふたりは、近くの駐車場に出た。隅に大きな白い高級車が停めてある。果たしてこんな大きな車、駐車場からうまく出せるかしら?
「さあ、乗って」
「え、ええ」
車は滑らかに走り出した。開けた窓から入ってくる風が心地良い。久美子は、深々とした座席に沈んで気分良かった。車は、賑やかな雑踏を抜けて、やがて郊外に出た。
「久美子さん、海はお好きですか?」
「ええ、とっても。潮の香りが好きですの。それに、さざ波の音も好きだわ」
「なら、良かった、急ぐか」
俊介はアクセルを踏んだ。思わず、久美子は、のけ反った。やがて、車は、林道を抜けて、海岸線の国道に出てきた。そこで、俊介は車を停め、久美子を連れて、砂浜へと降りていく。
綺麗な碧い海であった。まるで、エメラルドみたいだわ、と久美子は思った。
砂浜に、いくつかのベンチが置いてあった。ふたりは、そのひとつに仲良く座った。
「見てたんでしょう、僕を」
突然に、俊介が言った。
「知ってましたよ、あなたがいたのは。あの屋敷で」
「そうだったんですね。あなたのお屋敷なの?あれ?」
「そう来ると思いましたよ。でも、残念ながらね?」
「で、でも、どうして?」
潮の香りがした。
寄せては返す波の流れが、耳に気持ちよかった。
水平線が見える。どこまでも、まっすぐで、透き通るような群青色である。
「僕、運転手家業なんですよ、お抱えのね?」
「じゃあ、あのお屋敷の?」
「ご存じでしょう。石崎財閥。世界でも有数ですものね。大財閥ですよ。僕は、そこのしがないお抱え運転手というわけですよ。残念でしたね」
「でも、それじゃ、お仕事が」
「だからいったでしょう。毎日忙しいって。今日も暇な時間が空いたから、こうやって来れるんですよ」
「でも、その運転手ならお手当はお高いんでしょう?」
「そりゃ、まあね。でも、お金なんて使う暇なんてありませんよ、仕事でね」
波が少し高くなってきた。空が暗くなったような気がする。嵐でも来るのだろうか?
「で、僕のこと嫌いになりましたか、聴いて」
「いいえ、立派なお仕事ですわ。どうぞ、これからも仲良くお付き合い下さいます?」
「それは、良かった。今度の土曜日、暇になるんです。久美子さんさえ良ければ、どうです?日比谷のクラシックコンサートへ行きませんか?午後1時開演ですけど」
「ええ、ぜひ。ご一緒させて頂きますわ」
「じゃあ、とりあえず、戻りますか?」
ふたりは、海を去っていく。どこかで、ゴロゴロという雷鳴がした。
しかし、ふたりの心は、晴れやかだ。春の嵐にはまだ早いのかもしれないが、ふたりには、明るい春が訪れようとしていたのだろうか.....................。




