四
「俺と付き合ってください!」
聞き慣れた言葉を「ごめんなさい。」相変わらずの答えで返す。このやりとりも何度目だろうか。同級生の山岸は、二週間ほど前、私が彼の名前が書かれた落とし物を届けに行った日から、放課後のたびに私を呼び出しては雑談をし、最後はおなじみとも言えるこのやりとりをして帰っていく。異性に告白されるのは慣れていたが、ここまでしつこく迫ってくる人は初めてだった。とはいえ、廊下をすれ違う同級生(女子)から度々彼への強い恨みを感じることがあるので、おそらく女たらしなのだろう。私は彼自身に興味はないが、決して彼を拒絶したりはしない。それは彼の人脈の広さが理由だった。一ヶ月ほど前まで、私は熱心に図書館へ通いこの周辺の地域にまつわる本を読み漁っていた。しかし結局、写真の手がかりを掴むことは出来ず、完全に行き詰まってしまった。そうやって手がかりのない日々がすぎていく中、山岸と出会った。彼の雑談ではとにかく沢山の人が出てくる。酢豚以外の料理が作れないクラスメイト、自転車日本一周してたら出席日数が足りなくて留年するはめになった年上の同級生、所属してるけどほとんど行ってないという心霊写真部の部長。学校外でも、近所に住むロン毛小学生、気が合うというスーパーの店員、爪と髭が長い隣人のおじいさん等々、やたらユニークなのは置いておいて彼の人付き合いの豊富さは私にはないもので、頼りになった。山岸には、私が写真の屋敷を探しているということを伝えてある。最近は、彼の知り合いの中でこの辺りの地域に詳しい人を呼んでもらって、写真の屋敷を知っていないか尋ねる、というのが唯一の調査方法だった。今日の雑談では、明日、トンカツ部の部長を務めている人に声をかけてみてくれるとのことだった。なんでも、その人は小学生から中学生の頃にかけて、この辺りで何度も引っ越しを繰り返していたらしい(事情は山岸も知らないらしいが)。もしかしたら写真の屋敷についても知っているかもしれないよ、と山岸は言っていた。教室を出て、玄関へと向かう。一刻も早く屋敷の場所を突き止めて、祖母を成仏させてあげたい。どんなに手がかりが掴めなくとも、その気持ちが変わることはなかった。
日が変わり、退屈な授業も終え、放課後。私は今日も山岸と雑談している。山岸曰く、今日の昼、トンカツ部長のところへ行き、私と話をしてくれる機会を作ってくれたらしい。トンカツ部長は、放課後は部活で忙しいらしく、待ち合わせは明日の昼放課、中庭で弁当を食べているから声をかけてほしいとのことだった。それ以降の雑談は正直興味はなかったが、山岸にはかなり助けてもらっている手前、聞き流すことはしなかった。しばらくして教室の時計を見ると、放課後を迎えてから二十分ほど経過している。山岸の話もキリがつき始め、私もそろそろ帰ろうかなと思っていると、山岸がそれに気づいたように、「沙耶乃さん。俺と付き合ってください!」と教室に響く声で言った。やはり私は「ごめんなさい。」と返す。山岸は少しばかり残念そうな顔をするが、それももういつものことだった。ふと、教室の入り口、扉を開けたまま気まずそうな表情で止まっている人が視界に入った。私の視線に気付いたのか山岸もその方向へ振り返る。「わわっ。桜木先輩どうしたんですか?」と山岸が言う。桜木先輩。以前山岸との会話の中で出て来たことのある名前だった。たしか二年生で、心霊写真部の部長とかいう⋯
桜木、という男が遠慮がちに教室に入ってくる。その瞬間、教室の空気が変わったように感じた。山岸が桜木という男に駆け寄って話をしているが、私はその会話の内容も全く頭に入ってこなかった。なぜなら桜木の頭上にいるそれらが私には見えていたからだ。彼の頭上、少し後をついてくるように数多くの幽霊が教室の中へ入って来た。しかもその全てが実体として見え、深く強い憎しみの気配を纏っていた。ここまで強力な悪霊は見たことがなかった。しかもそんな霊達が大量に憑いているのにも関わらず、彼自身は全く影響を受けていないどころか気づいてすらいない様子なのはその中に紛れた一体、真っ白な気配を帯びているにもかかわらず、ほぼ実体として見えているその霊が関係しているのだろう。私は本来、黒い気配の霊、つまりは悪霊しか実体として見ることができない。それは私が恨みや憎しみの念を敏感に感じ取る能力を持っている影響だろう。逆に言って、そういった念を持たない白い気配の霊は朧げな輪郭が見える程度で、姿形を判別することは出来ないのだ。今私の目の前で存在感を放つその白い気配。それが男性であること、生前ボクシングでもしていたのか、ボクシンググローブをつけていることまで判別できるほどはっきり見えているのは、おそらくそれだけ強い力を持っているという証なのだろう。そしてその霊は守護霊として桜木を守っているようだった。桜木は一体何者なんだろうか。
用が済んだのか、桜木は教室から出ていこうとしていた。まだ彼については知りたいことがある。このまま帰らせるわけにはいかない、そう思った私は後ろから彼の肩を叩いて、呼び止めていた。振り返り、少し間を置いた後「どうしたの?」と尋ねる桜木に、「ついてますよ」と、私は、桜木の頭上にいる彼の守護霊に手を伸ばしながら言った。指が触れるが、その霊からは、やはり恨みや憎しみの念を微塵も感じることはなく、ただ桜木に対する愛のような感情だけ、それは能力ではなく私が今まで生きてきた中で培われただけの直感で感じ取ることができた。「幽霊が。」と言うと、桜木は神妙な面持ちで、ごくりと喉を鳴らしていた。まさか、信じているのだろうか。私の言葉を。こんなことを言っても普通は笑われ馬鹿にされるものだが、流石は心霊写真部の部長といったところなのだろうか。ふと山岸の方を見るとポカンと間抜けな顔をしている。桜木は私を探るように「まさか見えるのかい?幽霊。」と言った。その様子がなんだかおかしくて、私は、「ふふっ。⋯ふふふふっ。」と笑いをこぼしてしまっていた。依然とした表情で「見えるのかい?」と、もう一度桜木が言った。「⋯はい。あなたには普通ではない量の霊が取り憑いています。それもかなり悪い霊が。ただ、あなたの守護霊のような存在が、それらからあなたを守っているようで、そのおかげであなたはおそらく、気付いていないのでしょう?」と私は言いながらその守護霊をもう一度見る。守護霊も私の方を見ていて。
彼はものっそい嫌そうな顔をしていた。
「⋯⋯⋯⋯!」私は驚きで口を半開きにして、一秒ほど停止していた。おそらく、私が気安く顔に触れたことが不快だったようだ。そこでようやく私は察した。桜木についているこの守護霊は、ゲイだ。
「⋯!君⋯!」桜木の声にはっとする。「は、はい。なんですか?」「心霊写真部に入らないか!?」唐突すぎる提案に、「はい!?」素っ頓狂な声が出た。「我が部には、今部員が三人しかいないんだ。しかも俺は霊感がなさすぎて心霊スポット何箇所回ろうが何も写ったことがない!」と桜木が言う。彼の話を聞き、(ああなるほど、それでこんなに悪霊達がついてるんですね)とそんなことを思っていた。「幽霊が見える君が、えっと、沙耶乃さんが我が部に入ってくれれば百人力なんだ!頼む!」と、桜木に頭を下げられた。私は、心霊写真部に興味があるわけでもなく、それ以上に今の私には、最優先でしなければならいことがあったので、「すみません。お断りさせていただきます。」と、丁重に断った。その後も、帰ろうとしても桜木はしつこく勧誘してきたが、事情をざっくりと話すと仕方ないと見逃してもらえた。
翌日の昼放課、例のトンカツ部長に会いに中庭へと向かう。廊下を歩く私の後ろには、なぜかついてきている山岸、そしてそれ以上になぜついてきているのか謎な桜木がいた。「あの、」私が口を開くと二人が同時に「ん?」と尋ねる。山岸は今朝廊下ですれ違ったとき、昨日の話をまるで気にしていないようなそぶりでいつも通りに話しかけてきた。私としてはありがたかったが、どこまで昨日の話を信じているのかはわからなかった。「えっと桜木さん。どうしてついてきてるんですか?」振り返らずに尋ねる。「写真に写ってる屋敷とやらを探してるんだよね?何か手助けできるかもしれないなと思って。」と桜木さんは答えるが、おそらくまだ私を心霊写真部に入れることを諦めていないのだろう。下心が透けて見えるようだった。大量の悪霊を連れて歩く彼が後ろにいると、なんだかものすごく威圧感があった。中庭につき、ベンチの方を見ると、太り気味な坊主頭の男子生徒がトンカツ弁当を食べているのが見えた。ああ、あれが。ここまでイメージ通りだと思わなかったトンカツ部長の方へ向かって歩いていくと、「おーい、沙耶乃さーん?」と呼ばれた。目を向けると、ここから十メートルほど離れたところにもう一つベンチがあり、そこで山岸がこちらへ手を振っていた。そのベンチに座っているやせ気味な男子生徒が戸惑った表情でこちらを見ていた。まさか、と思いつつ小走りで山岸のいる方へ向かうと、「この人がトンカツ部の部長さんっす。」と山岸が説明してくれた。ずっと私の背後にいた桜木さんが笑いを堪えていた。
顔を赤くしたまま、私もトンカツ部長の隣に座り、軽い雑談をする。彼は、トンカツが嫌いでそれを克服するためにトンカツ部を作ったらしい。毎日放課後は後輩達が「部長、このトンカツはどうでしょう?」と彼の食べられる味付けのトンカツを模索しているとか。変な部活、正直私はそう思った。少し雑談が長引いてしまい、山岸や桜木さんも少し離れたところで退屈そうに景色を眺めている。本題に入らねば。そう思った私は、「この屋敷、見たことありませんか?」とトンカツ部長にその写真を見せた。トンカツ部長は、私の手から写真を取り、しばらく睨むように凝視していたが、やがて私に写真を返し、「ごめん、見たことないな。」と言った。
昼飯を食べ終え、去っていくトンカツ部長の背中を眺めながら、はぁっと力が抜けるように小さなため息を出した。今回も収穫なし、そう思うと気が重くなる。いつになったら手がかりが見つかるだろうか、そんなことを思いながら写真を見つめた。そうしていると、ふいに後ろに気配を感じた。いつからいたのだろうか、振り返ると桜木さんがいた。彼は私の後ろからこの写真を見ていたらしい。そういえば桜木さんにはまだ見せていなかったなと思っていると、彼は、
「その写真⋯。」と、震えるような声で呟いた。