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 休日の朝のことだった。目を覚まし、布団から出て朝食の準備をしに一階へおりると、丁度電話が鳴った。祖母が死んだ。そう連絡を受けて、急いで病院へ向かう。祖母は、母親を幼い頃に亡くし、父も忙しくほとんど面倒を見ることができなかった私を、物心ついた時から育ててくれた人だ。祖母は誰かを嫌うことも嫌われることもないような優しく穏やかな人で、幼少期の私にとって一番信頼できる大人であり、大好きな存在であった。祖母は、一年前から癌で入院していたのだが、一週間ほど前に、もういつ亡くなってもおかしく無いと先生に言われていた。しかし、昨日の面会でも元気そうに話していた祖母の姿が脳によぎり、私は、祖母の病室の前に来るまで先の電話を信じられないでいた。自分を落ち着けるように、乱れた長い髪を手櫛で整える。初夏の日差しの中、自転車で全力疾走していたためか、体中汗があふれていた。緊張したまま、銀の手すりを握り病室の扉を開けた。先生がこちらに気づき、目を伏せながら会釈する。いつも以上に病室に集まっている彼らの気配の隙間を縫うように祖母の元へと進んでいく。ベッドを覆うカーテンの中へ入って行き、祖母の前に立った。冷たい色をした肌を見て、ようやくその事実を受け入れることができた。

「おばあちゃん⋯!」膝の力が抜け、その場にへたり込む。勝手に涙が溢れてきた。小さい頃、私が泣いていると頭を撫でながら「沙耶乃はいい子だよ」と慰めてくれた祖母の手も、もう動くことはなかった。「うぅ⋯ひぐっ⋯」私が泣いていると、気を使うように後ろにいた先生が離れていく足音が聞こえた。滲んだ視界で祖母の顔を見つめていると、様々な思い出とこれからへの不安で、胸が締め付けられる様に痛くなった。そのままどれくらいが経ったか、いつの間にか流れ続けていた涙も、もう残量なしといわんばかりに止み、ひくっひくっと、なかなか止めることのできない胸の痙攣の音だけが病室でこだましていた。すると先生が入ってきて、「そろそろ⋯」と私に声をかけた。私は床から立ち上がり、改めて死んでしまった祖母を見つめ、名残惜しさから祖母の手を握った。その時、頭の中に映像が流れてきた。いや、流れてきてしまった。驚きで、手を離しそうになったが、しっかりと掴み直しその映像を頭に焼き付ける。

 そして病院を出て帰り道、私はまた涙を流していた。


 その現象に気づいたのは去年、中学最後の修学旅行で、樹海探索をしていた時だった。ガイドの方が先頭に立ち、私達を案内しているのを、最後尾にいた私は聞き流す様に周囲を眺めていた。当時私は学校で異性からの告白を何度も断っていたせいか同性から妬まれ虐められることがあった。修学旅行でも私は班の中で一人、誰との会話にも参加できずにいた。ガイドが次のポイントへ向かうため歩いて行くと、少し急な下りの段差があり、私の前を歩いている人たちは段差の横にある緩やかに反っている木に手を乗せ、先へ進んでいた。私も同様にその木に手を乗せたその瞬間、私のことを囲うように沢山の人影が現れた。いや、現れたというより元からそこにいたのが見えるようになったというのが正しかった。その一人一人は顔面蒼白であったり眼の焦点が合っていなかったり服が乱れていたりと明らかに正常ではなく、この世に生きている者では無いことを物語っていた。「─っ!」驚きのあまり段差で足を滑らせ後ろから転倒する。いててと臀部を抑えながら起き上がると先の人影のうちの一つ、(おそらく女性の幽霊なのであろう)が目の前で見下ろすようにこちらを見つめていた。今すぐにでも叫んで逃げ出したいという気持ちであったが、金縛りにあったようにそこから体が動かず、「大丈夫ですかー?」と遠くから聞こえるガイドの声に返事をすることもできないまま目の前の光景に目を奪われていた。そして、なぜか私は、まるでそうすることが当然かのように、その冷たく無表情な顔に恐れながらも無意識に手を伸ばしていた。ゆっくりとその頬に指を当てる。その瞬間、どす黒い恨みや憎しみの念と共に、彼女の生前の記憶であろうものが映像のごとく脳へ流れ込んできた。それは、目の前にいる彼女がおそらく恋人であったのだろう男に裏切られ、絶望している映像だった。きっとそれが彼女が現世から離れられない理由であり、この男が恨みの対象なのだろう。指を離すと、私は恐怖以上にその彼女への悲しさで居た堪れない気持ちになってしまい、気づけば同級生の方へ駆け出していた。振り返ると彼女は呆然とこちらを見つめていたが、追っては来なかった。


 その日から、私は幽霊が見えるようになり、そして物や人に触れるとそこに籠った恨みや憎しみの念を実体や映像のように感じることができるようになっていた。しかし、幽霊が見えると言っても全てが実体として見えるわけではなく、あくまで強い憎しみを持って現世にとどまっている霊のみがはっきりと見えるだけであって、憎しみとは違った感情での未練を持っている霊は大まかな気配を感じることしかできないのだった(逆に言えばそこで善良な霊か悪霊なのかを判別できるのだが)。


「ただいま。」

 返事がないことにはもう慣れていた。玄関に置かれたデジタル時計を見ながら靴を脱ぐ。もう遅めの昼飯時ぐらいの時間になっていた。手を洗いに洗面所へ行くと、目が腫れて酷い顔になっている自分を見て苦笑した。「顔も洗っておこう⋯」冷たい水を顔に浴びせタオルで拭くと同時に大きなため息が出た。これからのことを考えなくては。そう思いながら居間へ行くと電話の留守電ボタンが光っている。「なんだろう」とボタンを押すと父親からだった。「久しぶり。病院から電話があって⋯聞いたよ。早苗さん亡くなったんだってな⋯。また、明日すぐにそっち行って葬式とかその後の話とかもするから、元気にしててな。それじゃ⋯。」プーップーッという音が、メッセージの終わりを告げている。父は祖母が入院し始める少し前から単身赴任で少し離れた場所に住んでいて、かれこれ一年以上顔を合わせていない。そのため、その間は自分一人で家事を行い生活してきた。その家事も、祖母に色々教わったものだったなと、改めて思い出し、また涙ぐみそうになってしまったが、こらえる。祖母の体に触れた時に見えた映像のことを思い出す。あの現象は、その人が持っている強い恨みや憎しみの対象を映し出すもので、つまりはそれだけの憎しみを祖母が持っていたことになる。あんなにも優しかった祖母が、誰かを嫌うだなんて考えられないような祖母が、一体何を憎んでいたのかを私は突き止めたいと思っていた。しかもそれが、話でしか知らない私の母親に繋がっているかも知れないのだった。今朝、病院で祖母に触れた時に見えた映像、真っ先に映ったのは大きな屋敷だった。それが誰の屋敷でどこにあるのかはわからないが、きっと祖母に深く関係しているのだろう。そして次に、写真の姿しか記憶になかった私の母親が映った。母は悲しそうな顔でこちらを向いて何かを話しているようだった。話している内容まではわからなかったが、おそらく祖母へ何か真剣な話をしていたのだろう。最後に映ったのは母が亡くなる瞬間だった。でもその映像だけは、見ていると悲しく悲しくて、気づいたら祖母の手を離して、最後まで見ないようにしていた。きっとこれらの映像がどこかで線で繋がっていて、祖母の憎しみの対象へと繋がっているんだろうと思うが⋯

「なんか⋯ダメだな⋯。」

 祖母のことを考えれば考えるほど、手が震えて、頭が真っ白になる。やっぱりまだ気持ちの整理がついていない。今日はもう何もできそうになかった。

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