一
部室を出ると鬱陶しい暑さが体にまとわりつく。埃っぽく空気の澱んだ廊下を、うちわ片手に歩き始めた。我が部室は最上階の一番隅にあり、そこから伸びる廊下は日中人が通ることがなく、独特な匂いとモワッとした熱気で若干の吐き気さえ感じる。もうすぐ夏休みが始まり、いよいよ本格的な暑さにもなってきたと言うのに予算を出してもらえない我が心霊写真部は、エアコンもなく扇風機二台という過酷な環境で活動しているのであった。しかし今日は、我が部の部員であり、最もこの部の活動において重要な人物とも言える飯島が学校を休んでいた。今年から俺が作り上げたこの心霊写真部は、現在部員たった三名(実質活動しているのは二人)の極めて小さな部活である。当初は一年生を半ば強引に連れ込み、仮入部まではしてくれる子も数人いたが、トンカツ研究部という謎に人気のある意味不明な部活にほとんど流れていってしまった。そして最終的には、去年同じクラスで親しくしていた同級生の飯島、そして唯一の一年生で、最初こそまともに来ていたが最近は一ヶ月に一回部活に来たり来なかったりの山岸君、そして創設者であり部長であるこの俺、桜木一也のたった三人の部活となってしまった。この部には一応のところのルールがある。俺が勝手に決めているだけではあるが⋯。それは「一日一枚心霊写真を撮る事」である。しかし深刻なことに自分には全く持って霊感がなく、毎休日に心霊スポットをハシゴして写真を撮りまくったりと努力はしているが心霊写真など一枚も撮れた試しがなかった。ではどうしているかと言うと、飯島に幽霊のコラ画像を作ってもらっているのだ。これがルール的にどうなのかはわからないが、彼の腕前は一級で、側から見たら全く持って違和感がなく本当に幽霊が写っているかのような写真を作ってくれる。この部活を作ってから幾度となく(というか毎日)彼に助けられてきたが、彼が休んでしまった今日ばかりは自分の力で心霊写真を撮らねばならなかった。コラ画像を自分で作ることも考えたが、俺は少々機械音痴で、唯一うちの部室に存在している精密機器、パソコンを壊してしまう恐れがあったのでそれはやめておくことにした。どうしたものかと、しばらく思案していたが、一つ解決法が思い浮かんだ。山岸君とツーショットを撮ればいいではないか。山岸君はほとんど部活に来てくれないし、実質幽霊部員と呼んでも差し支えないだろう。そして心霊写真とは幽霊が写っている写真。つまりは、幽霊部員山岸君の写真を撮ればそれは心霊写真ということ!山岸君はこの時のためにこの部活に存在していたのかもしれない。そんなことを思いながら彼の教室の前までやってきた。終業のチャイムがなってから既に二十分ほど経っていたが、おそらく彼はまだいるだろう。扉の窓ごしに覗くと、山岸君は教室の中で一人の女子と喋っていた。彼は顔が良く、明るい性格でもあるためか女の子といるところをよく見かける。以前にも数回、放課後に一年生の廊下の前を通った際に、教室で山岸君がクラスの女子と喋っているのを見たことがあった。だからこそ、今日もまだ教室にいると予想していたのだが。「もしかしたら、部活に来てくれないのも女の子と喋りたいからなのかもな⋯」などと考えながらガララと教室の扉を開ける。
「やっほー、山岸く⋯」「俺と付き合ってください!」声をかけようとした瞬間、山岸君の声によって遮られた。「ごめんなさい。」女の子が冷静に返していた。一瞬の思考停止の後、状況をなんとか理解しようとしたが、俺は結局どうすればいいかわからず教室に入った体勢のままフリーズしてしまった。そのまま三秒ほどの沈黙があり、ふと山岸君が俺の存在に気づいた。「わわっ。桜木先輩どうしたんですか?」慌てたように俺に声をかける。「えーと⋯飯島が休みだから山岸君とツーショットでも撮ろうかと思ったんだけど、もしかしてお取込み中だった⋯?」山岸君は疑問そうな顔をして、「ツーショット⋯?よくわからないですけど全然構わないっすよ。あ、さっきのはあんまり気にしないでください。いつものことなので⋯」そう言いながらこの場にいるもう一人、先程山岸君のことをガッツリ振っていた女の子の方を見る。つられて自分もその子の方を見ると⋯結んでいない長くスラッとした髪と、それに似合うやや高めな身長、整っていながら凛々しい顔立ちをした、美しいという言葉が最も似合うであろう女の子が不思議そうにこちらを見つめていた。「あ、どうも。」自分に向けられた視線に動揺し、反射的に無難な言葉を発していた。なぜだろうか、彼女を見ているとほのかに懐かしさを感じる。その子はじーっとこちらを見つめたままだった。彼女にどんな対応をすればいいのかわからなくなった俺は、山岸君の二の腕をつつき、「えっとじゃあツーショット撮らせてくれ。」と彼を黒板の前あたりまで引っ張っていった。携帯を出し、カメラをセルフィーに変えている間、山岸君にしか聞こえない様小さな声で、「さっきのって、告白してたんだよね?」と質問する。山岸君は苦笑しながら「はい。隣のクラスの沙耶乃ちゃんって言うんですけど、最近は毎日放課後呼び出して告白してて、ことごとく全敗してるんです。彼女、かわいいでしょう?最近は少しずつ話はしてもらえるようになったんですけどね⋯」と山岸君は彼女について若干気まずそうにしつつ話してくれた。「よくやるね。」そう言いながら俺はシャッターを切った。俺は正直山岸君の肉食具合に引いていたが、そこまでさせる彼女の魅力というのも納得があった。「じゃ、ありがとう山岸君。あんまりその子に迷惑かけすぎない程度にしなよ。」と言い、彼女の方にも目を配る。山岸君は一言「気をつけます。」と笑いながら言い、俺は教室を出ようとした。その時、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、柔らかな良い匂いがして、目の前には山岸君ではなく沙耶乃という名前の女の子が俺の前に立っていた。ふいに間近に現れたその仮面の様に美しく整った顔面に驚き、心臓が跳ねたが、「どうしたの?」と、そんな自分の気持ちを顔に表さないよう平然と尋ねた。そして沙耶乃は俺の頭上をじっと見つめながら、「ついてますよ」と言った。髪にゴミがついていることを教えてくれたらしい。なんだか、自分の欠けているところを見せてしまった様な恥ずかしさでじわっと背中から汗が噴き出た。おそらく顔も少し赤くなってしまっているだろう。沙耶乃は、指の長い綺麗な手を、俺の頭の方へのばす。わざわざゴミを取ってくれようとしてくれてるのかと少し頭を下げようとすると、沙耶乃の手は頭より少し上で止まり、何もない空間にゆっくりと、まるでそこに何かがあるかの様に優しく触れ、
「幽霊が。」と言った。