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インドシナ特急 1992

作者: すにた

これも発掘品です。大昔に書いたもんです。

読み返すために古いテキストファイルをサルページしました。

 ここは異国。


 非日常である。


 しかし、慣れきった日常以上に退屈な非日常の中にいる。


 今、私は車窓を眺めている。


 あくびが出て来るほどにゆっくりと、多分、きっと、おそらくは、前の方向へ進んでいるはずの列車の最後部に乗っている。


 列車は、本当に前に進んでいるのかを疑いたくなるほどにゆっくりとした速度でとしか動いてくれない。


 車窓を眺めること以外に、本当に何もすることもない。だから、私は客車の窓枠を左腕の肘で突いたまま、ただただぼーっと外を眺めている。


 異国の景色が、私の視界に入って来ては過ぎ去る。


 だが肝心な景色は一様だ。


 遥か彼方まで永遠に途切れずに続くと思われる稲穂の絨毯。


 それしかない。


 何の変わり映えもしない。


 しかし救いもないわけでもない。稲穂の絨毯から椰子の木がまばらに突き出していることがある。だから私はそれらの本数をずっと数え続けている。


 ーーー今の所、それらの数はトータルで49本に登っている。


 それだけが、単調な印象という拷問的な退屈を退けてくれる要素だ。


 それでも流石に飽きる。ただし、死にそうに飽きるちょっとだけ手前で、水牛が現れたりする。水田の手前にぽつりぽつりと現れる泥沼に、身体を沈めて動かないでいる姿が見える。


 水牛の頭数は数えない。椰子の本数と混じってぐちゃぐちゃになりそうだからだ。


 数える。眺める。


 それら以外にするべきことはない。正確にはできることもない。


 今は何もしなくて良い。何もできることもない。


 こんなに「ないない」な旅をしたのは生まれて初めて。


 だから、そう、そういう体験は、毎日が忙しすぎる日本・東京で暮らしている者にとっては、ある意味ではとても新鮮極まりなかった。


 汽車に引かれるこの列車は、太陽が昇りきってから始発駅を発車した。それ以来、汽車は30分に一度くらいの間隔で停車する。だけれども、駅らしい建物は車窓からいっさい見えなかった。


 列車はたくさんの屋根のないたくさんのトロッコのようなもの。それらと、私が乗っているたった1両しかない客車でぜんぶだ。


 今朝の列車に乗り込んだ始発駅。始発駅と言うだけあってそこにはちゃんと駅があった。デザインは洒落た西洋風。全体がクリーム色に塗られていた。


 けれど、そこで列車に乗り込んで私と一緒に出発を待つ人々はぜんぜん西洋風ではなかった。よく日に焼けした肌の、これぞ東南アジアの人々という感じのアジア人ばかりだった。


 みんな現地の人たち。きっと異邦人は私一人であるに違いない。


 駅舎の向こうにあったホームは1本だけだった。私はたった一両しかない緑色の客車に乗り込んだ。大して悩むことなく、進行方向左手の窓際の木製のイスに座った。


 出発を待っていると、ボックス内の目の前のシートに優しそうなお母さんと可愛い子供が座った。


 彼らは相席が異邦人であることに気づいて、興味深そうに私を眺めている。けれど彼らは日本語は話せそうもない。私も彼らの言葉は話せない。


 けれど「スナーム・プラ」という場所にいるあの人(・・・)なら、きっと私たちのどちらの言葉も話せる筈。だから、助けを借りればきっと互いにいろいろと知り合えると思う。


 私は香里(かおり)。実は、高校生時代に付き合っていた彼氏に会いに行く途中だ。


 顔を合わせるのは、実は10年ぶりになる。


 実はそんな彼氏がいたことを思い出したのも、ほとんど10年ぶりではないかと思う。


 あれ、どんな顔だったかな?


 一カ月前、日本で暮らしている私の部屋のポストに、一昔前の彼氏からの一通の葉書が舞い込んできた。


 10年の間に2回の引っ越しをしたのに、その葉書は迷うことなく私の元へと届いた。一昔前の彼氏が連絡を取って来たことよりも、転送もなしで自分の手元まで届いたことの方が驚きだった。


 しかし、葉書の内容は転送もなしで自分の手元まで届いたことよりも私を驚かせた。


 ーーー発送元がカンボジアだったのだ。


 最初はどこから来たのかわからなかった。エアメールなので、国外から来たことくらいならば察していたのだが。


 葉書に書き殴られた見覚えのある、筆圧が強すぎて汚くなってしまう文字によれば、


 ーーー国連による暫定統治が終わったカンボジアの田舎で、彼はボランティアの仕事をしている。 ーーー

ということだった。


 そして最後に、いえ、葉書の端っこに、「気が向いたらここまで(・・・・)会いに来て欲しい」と控えめに書き記されていた。


 帰宅直後に立った葉書を読み終えて、そのまま呆然と立ち尽くしてしまった。


 彼は日本にいなかった。そして、カンボジアなんて自分の想像を超える、訳のわからない国にいた。


 葉書を見つめながら、ここ何年かの生活を思い出す。


 碌でもないものだった。他人に自慢できるものではけっしてなかった。


 日本での私の生活は不幸の連続だった。


 早い話、男に恵まれなかったのだ。


 思い出して、精査してみても、やっぱり碌でもないとしか言い様のない男たちばかりである。


 なぜ? と自分を小一時間ばかり問い詰めたくなるような男ばかりと、一方的に愛してきたように思える。


 最初は男の方が私のことを好きだと言ってくれるのだが、すぐにそんな事実はなかったかのようにぞんざいな扱いをして来る。


 どいつもこいつも。もれなく、だ。


 そんな失敗の繰り返しと言う私生活に疲れ果てていたときに、一昔前の彼氏からの葉書が手元に届いた。

 そして、それは会いたいみたいなことが書かれている。


 もしかしたら、この葉書は私の人生を変えてくれるのではないか?


 生活に疲れた人生経験の浅い女であれば、そんな偶然に「歴史的転換的な必然」と言う、淡い期待を抱いたとしても不思議はない。と私は断言したい。


 そして何よりも懐かしくなった。今ほどに失望を繰り返して心がやれていなかった、高校生時代の自分が懐かしくて仕方なくなった。


「彼」はとても良い男ではなかった。


 ちょっと真面目すぎて、嫉妬深く、その上でどう言うわけか物わかりが良すぎた。男なんてそんなものだと思っていたら、そう言う男は彼が最初で最後だった。


 彼との交際は、退屈ではあったがその代わりに悲劇という大変も無縁だった。あの頃はそれがイラついた。しかし、今では悲劇に飽きて、そろそろ退屈したいと思わないでもない。


 私は退屈を求めて、葉書を受け取ってから3日後に、カンボジアへ向かおうと決めた。


 とりあえず航空券を予約して、その後にちょっと怖くなって駅前の本屋でカンボジア旅行を対象としたガイドブックを買った。


 しかし、ガイドブックをいくら読み返しても彼の滞在する「スナーム・プラ」という場所がどこかが誰にも分からなかった。


 そこでカンボジア大使館にも問い合わせてみたのだが、何の手がかりも得ることが出来なかった。


 そこでインターネットのホームページのカンボジア関係の運営者に手当たり次第メールを出してみた。すると一件だけしっかりとした情報が送られてきた。それによればカンボジア西部のプルサトという街の近くにある集落だろう、ということだった。


 また丁寧にプノム・ペンから鉄道に乗るしかアクセスする方法はないと教えてくれた。


 メールの送り主によれば、その集落は国道からかなり離れているので、現地語のできない素人にはかなり困難な旅になる、そうだ。


 私はお礼のメールを返信して、その翌日に成田からカンボジアに向けて旅立った。


 こんな事情で初めての海外旅行がカンボジア訪問になってしまった。


 首都プノム・ペンのホテルは停電続きで、水道もろくに使えなかった。


 とんでもない場所に来てしまったというのが素直な感想だ。


 しかし私はそれでも彼に会いたいと思った。ううん、むしろ興味がより深くなった。


 高校生だった頃の彼は(その後の彼のことは知らないが)、確かに学校の勉強でも外国語が得意で海外志向が強かった。でもそれはあくまでアメリカにあこがれていただけで、東南アジアに対する興味なんて微塵も見せなかった。なのにどうしてつい先日まで戦争が行われていた発展途上国に住み着いてしまったのだろう?


 回想終わり。暇すぎたから何度か繰り返したので、回想するのも飽きた。都合よく車窓を流れる景色が変わってきた。


 田園風景から遠くに山が見える荒野が広がり始めたのだ。そしてその中に髑髏の描かれた看板が見え隠れしている。


 駅前の本屋で買ったガイドブックによれば、まだ戦争中に埋められた地雷が撤去されずにいたるところに埋まっている。とっても危険な場所であるとのことだ。少しばかり身が引き締まった。その時になって、初めてカンボジアと言う社会を怖いと思った。人生初めての、本物の身震いしてしまった。


 その時だった。昼食を始めた母子が私に鶏肉を挟んだプランスパンを半分ちぎって渡してくれたのだ。


 戸惑いながら私はそれを受け取り「ありがとう」と応えた。するとあたりにいた乗客たちが堰を切ったように私に近づいてきて食べ物をくれたり、話しかけてきた。


 みんな笑顔で、とてもつい最近まで戦争をしていたようには見えなかった。カンボジア語に囲まれて、ビックリして手に汗を握っていた私を救ってくれたのは、英語を話せる青年だった。


「みんなあなたに興味があります。中国人ですか?」


 私は渡りに舟と辿々しい英語で応えた。


「いいえ、日本人です。カンボジア語はできません。助けてください」


 青年は喜んで、と応えて私の横に座った。多くの乗客は通訳がついて、多くのことを私に伝えた。


「日本はカンボジアを救ってくれた」


「日本で働いてみたい」


「日本は一番豊かな国だ」などなど。


 私はそれに一つ一つ応えていった。そして一通りのコミュニケーションが終わったところで、訪問した国の人々に心を開くことが自然に思えた。そこで身構えることなく青年に率直に尋ねてみた。


「あなたはどこで英語を覚えたのですか?」


 すると青年は難民としてタイのキャンプにいた時に覚えたと応えた。タイのサゲオという場所で育って、そこでボランティアの外国人から習ったと言う。


 そんな青年もカンボジアでの内戦が終わると同時に、強制的に帰国させられたそうだ。そして、英語を活かして海外組織の手伝いをしていんだとか。


 なるほど。自分にも少しだけ、ヴィエトナム戦争などの古い古いニュースをかすかに記憶していることに気づいた。そしてキリング・フィールドという映画のことを思い出した。


 そう、カンボジアは私たちの国とは違う(・・)のだ。


「しかし汽車に乗車する日本人はめずらしい。いったいどこへ行くんですか?」


 青年は不思議そうに尋ね返してきた。私は応えた。


「スナーム・プラという場所まで日本人を尋ねていきます」


 それを聞いて青年は回りにいた乗客と少し話してからこう言った。


「この人たちがスナーム・プラに着いたら教えてくれるように伝えました。私は手前で降りてしまいますので、きっとこの人たちが助けてくれます」


「ありがとう」


 私が応えると、彼は「カンボジアではオークンと言う」と教えてくれた。私が「オークン」と言ってみると車内が盛り上がった。そしてそれからしばらくカンボジア語講座が始まった。けれどほとんど覚えられなかった。


 汽車は山を越えたらしい。レールを大きな石を積み重ねて補強してある長い下りが終わり、川を跨いだ鉄橋を越えてたくさんの人々が集まる駅に着いた。


 青年は「ここはプルサト」と言った。そして自分はここで下車して、次がスナーム・プラだと伝えてから、大きな荷物を抱えて客車から降りた。彼は手を振りながら人混みの中に消えていった。


 一人になって急に心細くなった。そして気付いたのは「彼はこの孤独に打ち勝っているだろう」ということだった。


 日本語どころか英語もろくに通じない、さらに政情不安定な発展途上国の、そのまた辺境で、たった一人で頑張っているのだと知った。


 そんな彼を素直にすごいと思った。きっと、今ではとても頼れる男へと育っているのだろうと直感した。そして、もうすぐそんな彼に会えるかと思うと、「ここまでたった一人で会いに来た私を誉めてくれるかどうか」が気になった。


 この程度の一人旅は、カンボジアに住み着いている彼にしてみれば何気ない日常の1ページにすぎない。だけれども、私には命をかけた大冒険なのだ。果たして、私の意気込みを理解してくれるものだろうか?


 汽車は、毎度毎度のことであるが、何の予告もなく、不意に草むらの真ん中で停車した。


 回りの乗客たちが待ちかねていたからしく、「スナーム・プラ」と繰り返し声をかけてくれた。


 ーーー着いた!!


 私は小さなバッグ一つもって、意気込んで、きっとすごい顔をして客車を後にした。そして走り去っていく汽車に向かってを手を振りながら「オークン」と叫んでいた。


 スナーム・プラで降りたのは私一人だった。そこで気が付いた。異国の草むらの真ん中でひとりぼっちになってしまったのだ。


 さあ、どうしよう。すごく心細い。


 自分の背丈くらいの草むらを抜けて、自分の膝下くらいの草むらへ入った。


 線路から離れた森のあたりにいくつかの民家があった。それは草(本当はニッパス)で屋根を葺いただけの粗末なものに見えた。しかし、それでもここにも人間はいるのだ。


 とにかく彼を見つけなければいけないのだ。気合いを入れて最寄りの民家まで草むらを横断して行こうとすると、後ろから私を止める声がした。


「やめた方がいいなあ。地雷はもうないけど、草むらにはどんな毒虫や毒蛇がいるか分かんないんだから、さ」


 私が振り向くと魚篭を肩に掛けた男が立っていた。肌がよく日に焼けて真っ黒だが、すぐに誰かは分かった。


 彼だ。私を迎えに来てくれていたのだろうか?


「井澄くん!」


「まさか本当に来るとはなあ」


 私は緊張が解けて涙腺が緩んでしまった。


「怖かったんだから! 一人で来るの怖かったんだから」


 泣き出してしまった私に驚いて、うろたえる井澄くんは昔のままだった。どうしたら良いか分からないらしい。しかし意を決して魚篭を置いてから、私の左手で抱えて右手で頭を撫でてくれた。


「そうだな。怖かったよなあ。すごいぞ。本当にすごいぞ」


 どうやら、彼はこの旅が、この訪問が私の一世一代の大冒険であったことを深く理解してくれたようである。


 徐々に落ち着きを取り戻した私は、井澄くんはあの頃とは違って少しは女の扱いがうまくなったんだなあ、と感じた。それが何となく腹立たしかった。私がダメ男との出会いを繰り返して男女関係に疲れてしまったように、井澄くんもいろいろな女に出会って私の知らない経験を積んだんだなあ。


 井澄くんは私の右手を引いて歩き出した。ただ従って付いていく私。まるで一昔前の、高校生の頃のようだ。


 でもやっぱりあの頃とは少し違う。井澄くんの態度が(さま)になっているのだ。実は、私は、井澄くんより1学年ほど年長で、それを気にしてできるだけ彼氏をたてるようにしていたのだ。それでも、あの頃の1才の差というのは思った以上に大きな隔たりを作っていたのだ。


 膝下の草むらを縫うように作られた、獣道のような細い道を歩いて、だいたい10分で井澄くんの家に到着した。小川の横に建てられた小屋で、ご近所はない。炊事はすべて小川のところで行っているようだった。


 小屋にはガラスが一枚もなく、いろいろな言語のやれた書籍が散乱している以外は何もなかった。


 私は座って柱に背をもたれると急に疲れを感じて意識が遠くなった。


 次に気づいたときは空が赤くなっていた。列車を降りてから最低でも3時間は経過してしまっているようだった。


 井澄くんを探すと、小川のところでお米を炊きながら魚を蒸しているようだった。私はそのまま、声をかけることなく、井澄くんを見つめていた。


 どうしようもない郷愁と、それ以上に幸せとか言う長いこと忘れていた情が、無性に胸の奥から湧き出していることを自覚した。そして幸せがもたらすある種の衝動と真正面から対峙し続けていた。


 自分の愚かさを責め続けた。


 ーーーどうして高校生の時のまま、寄り道をせずにこんな幸せを得ることができなかったのだろう。


 ーーーただ井澄くんが近くにいてくれるだけで、これほど安心して時を過ごせることを高く評価しなかったんだろう。


 そんな私の、衝動を突き抜けつつある葛藤を誰かに見透かされてるかのように、偶然にも直後に井澄くんと目があってしまった。


 すぐにご飯にしよう、と声をかけてくれた。


 私はただ「うん」とだけ応えた。


 もうそれ以上なにも言わなくても、すべてがすでに通じあえているような気がしていたからだ。


 立床式小屋の階段のところに座ると井澄くんの吸いかけのタバコがあった。高校生の頃ように二人で吸えるだろうか? ちょっと不良な秘密を共有したあの頃のように。


 思い立ったので、タバコを口にくわえて火をつけてみた。するととてもキツイ。日本のマイルドセブンとはぜんぜん違っている。


 むせる私を見て笑う井澄くん。近寄ってきて私の手からタバコを受け取ってそのまま吸い始めた。


「ARA(これはカンボジア鳩のマークのタバコ)は慣れない人にはちょっとつらいよ」


 と言いながらもうまそうに肺から煙を吐き出した。もう土地の人なんだね・・・。


 日が暮れた。ロウソクの明かりで食事をした。淡水魚を蒸したものをおかずにご飯を食べた。ご飯はタイ米だった。おなかいっぱいになったところで、お米で作ったお酒を少し飲んだ。井澄くんの左に座って、頭をかれの方にぴったりと寄せた。井澄くんは黙って私の肩を抱いた。


「葉書が来るまでね、ずっと井澄くんのこと忘れてたの」


「ふうん・・・」


「いろんな人と出会って別れてきたの」


「ふうん・・・」


「たくさん嘘も付いてきたの」


「ふうん・・・」


「だから幸せになれなかったのかな?」


「そんなことないよ」


「どうして?」


「オレはずっと香里さんのこと忘れられなかったから」


「許してくれる?」


 井澄くんは黙ってキスしてくれた。星降る夜と虫の鳴き声が私たちを祝福してくれている。私はもう井澄くんから離れられないと思った。


 その夜、私たちが理解し合うためは、それ以上話し合う必要など微塵もなかった。全てを許し会うだけでよかった。ただ、どうしてだろう。眠りに落ちる寸前に井澄くんは何だか私に謝ったような・・・気がした。


 翌朝、目覚めると井澄くんはいなかった。そして小屋の様子が少し変わっていた。とても人が住んでいたような痕跡がないのだ。


 まるで長いこと空き家であったようにしか見えない。どういうことなのだろう。昨夜そのままにしておいた食器やお釜も見あたらない。ただ、私のバッグが一つ柱の所に置かれていただけだった。


 呆然としていると、昨日、客車内で出会った青年を先頭に村人とおぼしき人たちが小屋に近づいてきた。青年が駆け寄ってきて、私の両肩をつかんだ。


「大丈夫だった? 村にも行かなかったのに、どうしてこの場所が分かったんだい? ショックだったろうね?」


「え? 何?」


 不思議そうにしている私を哀れむ目で青年は言った。

「混乱しているんだね。あの日本人の死を知ってしまって!」


 私はそのことばを呆然と聞いていた。井澄くんが死んだ? どうして?


「そんなことない! 私は昨夜は井澄くんと一緒にいたのよ!」


 それを聞いて青年は目を閉じて首を振った。


「だって先月に井澄くんから葉書がきたのよ!」


 そう言って、井澄くんが送ってくれた葉書を嘘つきなカンボジア青年に突きつけてやるために、バッグの中を探した。しかし中身をすべて出しても、葉書が見つからない。うろたえる私を説得するように、青年は語った。


「あの日本人は去年、雨季で流れて来た地雷の傷が元で死んだ。村人がそう言っている。そして僕もプルサトでそれを聞いて急いでやって来たんだ」


「そんな! そんなことない。私は井澄くんとこれからずっと幸せになるんだから!」


 混乱して、錯乱した私は青年と村人に連れられて村にある墓に案内された。椰子の木には私が高校生の時に井澄くんにプレゼントしたペンダントが幹には打ち込まれてあった。そしてその下には英語で「IZUMI」と掘られてあった。


 青年は語った。農業指導のNGOでスナーム・プラに滞在していた日本人がいたことを。1年間村に滞在して、村人の尊敬を集めていたが、ある日、水田で地雷を踏んで片足を失ったこと。その時傷口が大量の土砂に汚染されて、エソにかかって7日間に命を失ったこと。


 それから私は訳が分からなくなって泣き崩れた。そうしていれば井澄くんがすぐにやってきて抱き起こしてくれると信じていたのだ。しかし彼はいつになっても現れなかった。


 その晩、村人に囲まれて、私は井澄くんが生前によく休養に使っていたという、あの小屋に戻った。


 井澄くんが戻って来てくれるのではないかと思って、小屋から小川の音を聞きながらずっと待っていた。

 いつの間にか夜になっていた。


 昨夜と同じように、虫の鳴き声が途切れれることなく聞こえるだけ。しかし、彼の姿だけが見えないのが昨夜とちがう。


 混乱の中で井澄くんの名前を呪文のように唱え続けていると、小谷の前を流れる小川から1匹の蛍が舞い上がった。


 私の回りを何回も回った後に、夜空の星の中に消えていった。それを見て私を見守っていてくれている青年と村人は何か話し合っていた。


 その時、彼らは偶然にも私と同じ思いを共有していた。あの蛍はきっと井澄くんだったのだ。「さようなら」を告げに来たのだろう。


 きっと天に帰る前に、無理して私に会いに来たのだ。でも私は絶対にさようならはしない。私には井澄くんが必要不可欠だ。私はしぶといのだ。


 どんな強い決心も、私の目からあふれ出る涙を止めることは出来なかった。そしてそのまま朝を迎えた。朝日が目にしみた。しかし涙は枯れ果てていて、焼けるような痛みが忘れられない思い出となった。


 不思議な体験を胸にしまって、私はカンボジアを離れた。きっと井澄くんとのことは誰に話しても信じてはもらえないだろう。


 しかし、彼との体験は何よりも私にはリアルだった。井澄くんとの夢のような時間は、カンボジアへ行くまでの10年間よりもずっとリアルだったのだ。


 とりあえず、来年も一人でスナーム・プラに行こうと思う。そしてそれまでにカンボジア語を習って、村人から井澄くんの話を直接聞いてみたい。


 そう、私の知らなかった井澄くんを私なりに発見して、もっと深く胸に刻みたいからだ。


 そして、もう一度で良いから、何とかして会いたいからだ。幽霊でもかまわない。


 そして、そして、これからはそばにいて、ずっとずっと私を支えていて欲しいのだ。


一話完結になります。ありがとうございました。

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