九、倉庫にて
楽しんでいただければ幸いです。
「いらっしゃいませ。──受付ですか? お食事ですか?」
嶽一が《菜草御厨支部》の暖簾をくぐると、昨日と同じ姉さん被りの給仕の女性が声をかけてきた。女性は、嶽一の顔を覚えていたらしくさりげなく、食事をしている面々から嶽一が見えないように立ち位置を微調整してくれた。
軽く会釈をして感謝の意を示してから、嶽一は小さな声で、
「昨日の食事代を払いに来ました」と言った。
女性は「あら」と目を丸くしてから「ふふっ」と笑った。
「お代はお連れさまから頂いております。それと、こちら、お連れさまからです」
そう言って女性は前掛けのポケットから折り畳まれた紙片を取り出した。
受け取って開いてみると、見覚えのある胡胡の筆跡で宿屋の名前と部屋番号、そして『今回はわたくしのおごりです。次回は、嶽一さまがおごってください。』と書かれていた。
「至れり尽くせりですね」
後手に回ってしまったことを申し訳なく思いながら、嶽一は頭陀袋から手帳を取り出し、紙片を挟んだ。それから持ち帰りでおにぎりと玉子焼きを頼むと、女性は「こちらでお待ちください」と言って昨日の小部屋に案内してくれた。
小部屋には誰もおらず、嶽一はのんびり注文の品ができあがるのを待つことができた。
うづき屋の部屋に戻った嶽一は、《菜草御厨支部》で購入したおにぎりと玉子焼きをぺろりと平らげてから、おまけでもらった漬け物を摘まみつつ、頭陀袋の中身を一つ一つ取り出し、量や保存状態などを確認していった。
傷薬や軟膏、包帯などは、特に念入りに。水を入れるひょうたんに汚れはないか、保存食は足りているかなど、一言に《迷宮》に昇ると言っても、準備することは山とあるのだ。
こういった作業を嫌う《撰師》も多く、必要そうなものを一つの袋にまとめ、『これさえあれば大丈夫!』とのうたい文句で売り出している商人も多々存在する。勿論、玉石混交だ。
嶽一の場合、機嫌良く鼻歌を歌っていることからもわかるとおり、苦と思ったことは一度もなかった。むしろ、これから《迷宮》に昇るのだと実感でき、毎回わくわくしている。
「毛布もそろそろいいですかね」
準備をはじめてすぐ、裏山に面した窓を開け放ち、毛布をかけておいたのだ。
毛布の表面を軽く撫でるように払ってから取り込んでいると、視界の端で何かが動いた。
窓枠から身を乗り出すと、うづき屋の裏庭に昊がいた。風呂敷包みを抱え、辺りをきょろきょろと見回している。嶽一は音を立てないよう気をつけながら身を引いた。
すると昊のいる辺りに足音が近づいてきた。そして、
「昊」と桂の声が聞こえてきた。
「桂、食べ物持ってきた」と昊が言った。
そこから先は何を言っているのかいまいち聞き取れなかったが、二、三言葉を交わすと、扉を開閉する音がした。
「う~ん……」嶽一は腕を組み唸った。
昊とうづき屋の桂は、友人だとお互いに言っていた。なので昊がうづき屋にいてもおかしくはない。仲がいいことは秘密にしているらしいので、こそこそしていたのも納得できる──……できるのだが、妙に引っかかった。
「考えてもわからない時は、動きましょう」
嶽一は頭陀袋を首に引っかけ部屋を出た。
※
玄関から外に出た嶽一は、建物に沿って東側から裏に回り込んだ。そのまま人の気配がしなかったので堂々と進み、先ほど昊の姿を見かけた辺りで足を止める。
うづき屋は、正面から見ると左右対称に見えるが、裏側は非対称で、あちこち出っ張ったりしている。昊がいた辺りも出っ張っており、扉があった。『倉庫』『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた札が貼り付けられている。
嶽一は、扉に耳を添え目を閉じた。──やや距離はあるものの微かに話し声のようなものが聞こえた。昊と桂はこの中にいるようだ。
こんこんこん──嶽一は、扉を叩いた。中から物音がした。次いで話し声が聞こえてきた。
「桂さん、昊さん、いるんでしょう? 嶽一です。何かお困りではないですか?」
声をかけると物音が止んだ。
しばらく扉の前で待っていると、足音が二つ近づいてきた。ゆっくりと扉が開き、桂と昊が顔を出す。「「嶽一さん」」と言って見上げてきたその目には、不安と期待が揺らめいていた。
天井から吊り下げられた電球が、倉庫内を黄昏時のように淡く照らしていた。
立ち並ぶ棚には、食品から備品まで様々なものが所狭しと詰め込まれている。雑然としているが一定の規則性を感じられる並びで、嶽一は、整理されているという印象を受けた。
床は土間なので下履きのまま、嶽一は昊と桂に導かれ、奥へと進んでいった。
「おれたち、いつもうづき屋の裏の山で稽古をしているんです。そこに昨日、知らない子が逃げてきたんです」
「逃げてきた?」
「その子が『追われてる』って言ったんです。実際、何かを探すような足音が遠くから聞こえたので、すぐ家に──うづき屋に戻りました」
「でも、その子、大人は怖い、大人は嫌だって言って、中に入ろうとしなかったんです」
「だから仕方なく、この倉庫に作った秘密基地に連れてきて話を聞いたんですが、どうも要領を得なくて、どうすることもできなくて……」
「大体の事情はわかりました。しかし大人を怖がっているのなら、わたしが近づいたら逃げてしまうかもしれませんね。──実際、拒絶されているようです」
と、言いながら嶽一は足を止め、周囲を見回した。
「「えっ?」」
昊と桂が同時に足を止め振り返る。嶽一は二人の肩を掴み自身の方に引き寄せた。
それを待っていたかのように、壁が、床が、粘土のようにたわみ、ぐにゃり……ぐにゃり……──と揺れはじめた。壁は上へ上へと延びていき、床は四方へと広がっていく。部屋の広さに合わせて棚も増え、収納された品々共々、動き続ける床をものともせず立ち続けている。
「うわわわわっ⁉」と昊が叫びながら嶽一にしがみついた。
「えええええっ⁉」と桂が叫びながら嶽一にしがみついた。
「落ち着いてください。あなたたちなら自力で立つこともできるはずです」
二人に声をかけてから嶽一は顔を上げ、棚の上を見た。
「見事な《神業》ですね」
「「えっ?」」
昊と桂も嶽一に倣って棚の上を見た。
そこに少年が仁王立ちしていた。
昊や桂よりも少し下くらいだろう。黒目がちなくりっとした目に、まだ幼さが色濃い福福とした頬が印象的な愛らしい顔立ちをしている。
柳色の水干に橙色の切り袴、白い足袋を身につけ、長い髪を二つの三つ編みにし、更に後頭部でちょうちょう結びにしている。
「《剣》っ!」
少年が右手を横に伸ばし掌を下に向けると、木箱から両刃の剣が生えてきた。
剣はぐんぐん伸び、柄が少年の掌に触れると、少年は柄を握りしめ鞘から刀身を抜くように剣を閃かせた。剣の全長は、少年の身長とあまり変わりがないが、少年は片手で軽々と剣を振り回し、切っ先を嶽一に向けた。
「成敗っ‼」
少年が飛び降りるのと、嶽一が昊と桂を前方に突き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
キィンッ──と甲高い音が周囲に響く。
振り下ろされた剣を嶽一が杖で防いだのだ。
「失礼っ!」と言いながら嶽一が杖を振ると、少年は軽々と吹っ飛び──空中でくるりと体勢を整えると、棚の枠を蹴って再び肉薄してきた。今度は両手で柄を握りしめ、逆袈裟切りの要領で刀身を振るう。
嶽一が後ろに飛ぶことでその一撃を躱すと、床に降り立った少年は、素早く刀身を翻し嶽一の胸目がけて突きを放った。嶽一は杖でその一撃を防いだ。
少年がぷるぷると震え出す。そして、
「ど~~~~して当らんのじゃっ!」と叫ぶや否や、剣が複数の鍋に変わり、床に落ちた。
ガシャガシャと耳障りな音がこだまする。
「があっ!」
大きく口を開き、綺麗に並んだ歯をさらしながら無手になった少年は、嶽一に飛びかかった。
嶽一は左腕で少年の噛みつき攻撃を受けた。
少年は嶽一の左腕にぶら下がるような格好で噛みつき攻撃を続けた。
駆け寄ってきた昊と桂に、嶽一は目顔で大丈夫だと告げた。
実際、嶽一はほとんど痛みを感じていなかった。
少年は少年で渾身の力で噛みついているにも拘わらず相手の反応が薄いので困惑していた。しかし、だからといって攻撃を止めることもできず、唸りながらあぐあぐと噛み続けた。
不意に覚えのある香りを感じた少年は、動きを止め、匂いに集中した。
そして匂いの出処が、今、噛みついている男の手と気付き、はっとした。
「……貴殿、もしやはーくんの知り合いか?」
嶽一の顔を見つめながら少年は問いを口にした。
「はーくんとは、どんな方ですか?」
「はーくんは、黒くて綺麗だ。あと、拙者と同じ三つ編みじゃ」
嶽一の脳裏に、《鳥居》前で会った(?)青年の姿が浮かんだ。
「知り合いではないですが、先ほどお会いしたと思います」
「あいわかった」
少年は重々しく頷き、嶽一から離れた。
「拙者、名を水源鳴と申す。鳴と呼ぶことを許そう。貴殿の名は?」
「岩蔵嶽一です。わたしのことも嶽一と呼んでください」
「嶽一殿、拙者、そなたのことを信じようと思う。どうかよしなに頼むっ!」
そう言って少年──水源鳴は深々と頭を垂れた。
いつしか倉庫は、なんの変哲もない倉庫に戻っていた。
※
四人は、一先ず桂が弟妹と共に作った秘密基地で車座になった。
壁と棚に囲まれた一画に、使わなくなった絨毯を敷き、棚と棚の間に張った紐に、汚れが目立つシーツを引っかけて間仕切り兼出入り口にした秘密基地には、昨晩、鳴が使ってであろう掛け布団と、空の食器が隅にまとめられていた。
昊が持ってきた小ぶりの苺を中央に置くと、鳴は、二、三個一気に口に放り込み、にこにこしながら飲み込んだ。
嶽一は万年筆と手帳を用意し、問いかけた。
「それでは、いくつか質問させてください。まず鳴さんは、どこから来たのですか?」
「家からじゃ! 拙者の家はとても広くてな、下には水場もあるんじゃが、そこまで降りてはいけないのじゃ! だからいつもは黄昏時の山や常夜の屋敷ではーくんや妖怪と遊んでおるのじゃが、最近、はーくんが遊んでくれないことがあってな。昨日もはーくんが遊べないと言うので妖怪にちょっかいを出して遊んでいたんじゃが、中々帰ってこないので気になってな。《出口》を使って一番下まで降りて、思い切って外に出てみたのじゃ! 人に姿を見られてはならぬと言われていたから人目を避けて木々の間をそぞろ歩いておったら、毛皮の外套を着た輩に行く手を遮られてのう。退いてくれと言っても退かぬ上、拙者のことを捕まえようとしたから逃げたのじゃ。しつこく追われてのぅ……いい加減、腹が減ってきたところで昊と桂に会ったのじゃ!」
ぽいぽいと合間合間に苺を食べながら鳴は、一気に事の次第を語ってくれた。
嶽一は、必要事項を書き留めてから鳴に、
「いつも常夜の屋敷で寝ているのですか?」と問いかけた。
「違う。一番上にある屋敷の隠し部屋で寝ておる。そこには、はーくんが認めた妖怪しか入れないから安全なのじゃ」
「一番上には、屋敷しかないのですか?」
「いいや、森もある。森には屋敷がいくつかあるんじゃが、隠し部屋があるのは、一軒だけなのじゃ」
「《出口》の場所は、元からご存じだったのですか?」
「うむ。はーくんが教えてくれたのじゃ。もしもの時のため、と言っておった」
「なるほどなるほど」と頷きながら、嶽一は鳴から得た情報を書き留めていった。昊と桂は、ちんぷんかんぷんといった様子で二人の問答を眺めていたが、耐えきれず昊が口を開いた。
「嶽一さん、鳴がどこから来たのか、わかったんですか?」
「はい。大体把握しました」
「「──っ⁉」」昊と桂は目を丸くして顔を見合わせた。
「じゃあ、鳴は帰れるんですね!」と桂が笑顔を浮かべた。
「あ~よかった」と昊も胸を撫で下ろす。
そんな二人を微笑ましく思いながら、嶽一は、
「鳴さん、最後の質問です」と言った。
「おう、なんじゃ! 拙者が知っていることならなんでも答えるぞ!」
「ありがとうございます。では、あなたは、何歳ですか?」
「なんじゃそんなことか!」
鳴は指を折り曲げ、何ごとか数字を呟いてから、ぱっと笑顔で答えた。
「五十歳じゃ!」
「「えぇっ⁉」」
昊と桂が驚きの声を上げ、それに驚いた鳴がビクッと肩を竦ませ「なんじゃなんじゃ、五月蠅いのぅ」と唇を尖らせた。
嶽一だけは冷静に、手帳の記述を確認してから深く頷き、
「どうやら、鳴さんが《迷宮》の〈童子〉で間違いないようですね」と言った。
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