六、秘密の稽古場
楽しんでいただければ幸いです。
うづき屋は、菜草村の西側北部に位置し、東に進めばすぐ菜草川があり、裏庭の奥には山裾が広がっている。裏庭と山裾の間には塀も何もないので動物が入り込むことも間々あった。
日がすでに傾きかけた頃、桂は一人、裏庭を駆け抜け山裾に足を踏み入れた。
心持ち西の方へと進んでいくと、数分ほどで木々の間にできた八畳ほどの切れ間に出た。
地面は踏み固められ、草はほとんど生えていない。
桂たちが作った稽古場だ。
ゆっくりと夜が迫り来る中、稽古場を囲むように植えた《迷宮》産の蛍袋の花が淡く輝きだした。《迷宮》の植物を《迷宮》の外で種から育てるのは難しいが、すでに花を咲かせた株を《宮土》──《迷宮》の土を撒いた地面に植え、定期的に《宮土》を振り撒けば半年ほどは、咲き続けてくれる。《迷宮》が存在する菜草村では、どちらも子供の小遣い程度の値段で手に入り、火事の心配もないので、桂たちは重宝していた。
蛍袋の光をぼんやり眺めていると、東の方から物音がした。
顔を上げ、じっと目を凝らすと、こちらに近づいてくる友人──昊の姿が見えた。
大きく手を振るが、昊は無反応だった。
しばらく振り続けていると、ようやく桂に気付いた昊が手を振り返してくれた。
しかし、蛍袋の淡い光に照らされた昊の表情は、あからさまに不機嫌だった。
「……なんでそんな不機嫌なんだ?」
「今日こそ、おれの方が先に手を振ろうと思ってたのに、先を越されたからですが?」
桂の問いかけに、昊は上体を前に倒しながら応えた。
桂も上体を前に倒し、次いで後ろに倒した。
「お前、そんなこと競ってたのか?」
「競ってるというか悔しいだろう。毎回毎回、先を越されたら」
「そうか? 気にしたことなかった」
「勝者の余裕ってやつだな。今に見てろよ。絶対、桂より先に手を振ってやる」
「はいはい。頑張れ頑張れ」
桂と昊は、身体を捻ったり腕と脇を伸ばしたり足首をほぐしたり垂直に飛んだりしながら、ぽんぽん言葉を交わした。
「そういえば、来たぞ、嶽一さん。うちに泊まってる」
それまでの不機嫌が嘘のように、昊は、ぱっと笑みを浮かべた。
「話はした?」
「勿論。部屋までぼくが案内したんだ。あの人、凄いな。強そうに見えないけど、今まで見てきた《撰師》の人と違うって感じがした。管さんよりも強いんじゃないかな?」
桂は近くに草むらに隠しておいた二本の木刀を取り出し、片方を昊に放り投げた。
「出たっ! 桂のお墨付き! 桂って人を見る目があるよな」
危なげなく木刀を受け取り、昊は言った。
「それは、昊の方があるだろう。露天商とか、どうやって選んでるんだ?」
「勘」
「勘かぁ」
どちらからともなく木刀を構え、二人の秘密の稽古がはじまった。
最初は木刀で打ち合い、途中から昊は木刀を手放す。それがいつもの流れで、今日もいつも通りだった。
「はぁはぁはぁ……はぁ……」昊は額の汗を腕で拭った。
「ふーふーふー……ふー……」桂は首の汗を手拭いで拭った。
「「ありがとうございました」」
呼吸を整え、同時に頭を下げた二人は、そのままその場にしゃがみ込んだ。
どさっ──と昊が仰向けに倒れ込む。
「嶽一さん、おれたちのこと弟子にしてくれないかなぁ」
昊の呟きを聞くともなく聞きながら桂は胡座を掻き、懐から枇杷を二つ取り出した。片方を昊に向かって放り投げると、昊は仰向けのまま枇杷を受け取り上体を起こした。
「気持ちはわかるけど、まず専門学校を卒業してからだろ。梅吾郎さんも牛彦さんも、そうしたって聞いたぞ」
そう言って桂は枇杷に齧りついた。
「わかってる。……わかってるよ」
両手で包み込むように持った枇杷を見つめながら、昊は不格好な笑みを浮かべた。
あっと言う間に枇杷を食べ終えた桂は、手拭いで手を拭い、種を草むらに放り投げた。
「なぁ昊。お前も《撰師》になりたいんだよな? 一緒に、藩都の専門学校、行くんだろ?」
桂の問いかけに、枇杷の皮を剥いていた昊の手が止まった。
「…………」
「昊っ!」
責めるような声で桂は友人の名を呼んだ。
がさっ──と、草むらが大きく揺れたのは、その直後だった。
桂も昊も、慌てて立ち上がり草むらと距離を取った。桂は木刀を構え、昊は拳を──構えようとして枇杷の存在を思い出し、一先ず片手だけ構えた。
がさがさっがさがさっ──と、更に大きく草むらが揺れる。
そして──。
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