四、再会
楽しんでいただければ幸いです。
「止まれっ!」「階級はっ?」「逃げるなぁっ!」「一緒に昇りませんか? 護衛代、出しますよ~!」「その身のこなし、《神業》ですか? 《神器》ですか?」「いい加減にしろよ、てめぇっ!」──等々、若者の怒声と好奇心や欲望が入り交じった商人の声を聞きながら、嶽一は菜草村西側の大通りを駆けていた。
道行く人も店番の店員も慣れているのか、たまに苦笑や「大変そうだな、兄ちゃん」という憐れみの言葉を笑顔で投げかけてくる。嶽一は苦笑を返しつつ、さてどうしよう、と内心、困っていた。
不意に嶽一は斜め前方から強い視線を感じた。見ると、この村まで案内してくれた少年が建物の陰からひょこっと顔を出し、こっちこっち、と手招きをしていた。嶽一が小さく頷くと、少年は満面の笑みを浮かべ建物の陰に引っ込んだ。
嶽一は速度を緩めず、少年がいる路地の真横で急停止し、くるっと横に方向転換して、路地に逃げ込んだ。
「「「「「~~~~~っ⁉」」」」」
各々急停止した商人たちがぶつかり、体勢を崩し、転ぶ。
道の真ん中に人の山が築かれた。
「逃がすかよっ!」
難を逃れた《撰師》の若者三人は、人の山を無視して路地に駆け込んだ。
嶽一の背中を追いながら、若者三人は、いつしか笑みを浮かべていた。
この菜草村で生まれ育った三人は、路地裏の構造を熟知していた。故に嶽一が向かう先が三階建て以上のビルに囲まれた袋小路だと気付いたのだ。
先頭を行く若者は、まだ使い込まれていない籠手をそっと撫でた。笑みが深くなる。
嶽一が角を曲がる。弓矢を背負った若者が思わず「やった!」と声を上げた。
ニヤニヤしながら角を曲がり──誰もいない袋小路を見て三人は愕然とした。
「どういうことだっ⁉ どこ行ったっ⁉」
腰に刀を差した若者ががなり立てながら周囲を見回すが、大人二人が腕を広げることもできないような空間に隠れられる場所はなく、不自然な物も存在しない。いくつか窓は存在するが、こんな短時間で大人が通り抜けられるような大きさではなかった。
「何か《神器》を使ったとか?」
弓矢を背負った若者の発言に、籠手をつけた若者は慌てた。
「おいっ! 滅多なこと言うんじゃねぇ! 《神器》の詮索は御法度だぞっ!」
「誰も聞いてねぇよ。それより、あいつどこ行ったんだ?」
「あっ」と声を上げたのは刀を差した若者だった。
「そうだ、上だ! あいつ、脚力が半端なかっただろう? 跳んで上に逃げたんだ!」
「「それだっ!」」
三人は一斉に空を仰ぎ、
「「「──えっ?」」」
目を丸くした。いつの間にか三人の頭上に木製の小舟が浮かんでいたのだ。
何故、小舟が浮いているのか──若者三人が、そんな疑問を抱く間もなく小舟がくるりと回転し上下が入れ替わった。本来ならば人や荷物が乗るべき箇所には、大量の水が積まれており、それが三人の若者の上に勢いよく降り注いだ。
「うえっ⁉」「ぐぁっ⁉」「~~~っ⁉」
水は一分間、絶えず降り続け、三人の若者は、水気のない路地裏で溺れ、気を失った。
大きな水溜まりができた路地裏に、人影が近づいてきた。
人影は水溜まりの手前で立ち止まると宙に浮いている小舟を見上げ右手を掲げた。
「《神器・葦舟》」
澄んだ声に応えるように小舟は見る見る小さくなり、掌サイズになったところで、すいっと宙を滑り降り、掲げられた右手──白い革手袋をつけた胡胡の手の中に収まった。
シャツの胸ポケットに小舟を丁寧にしまってから、胡胡は、たった今、その存在を思い出したかのように、折り重なって倒れている三人を冷ややかに見下ろした。
「──今回は、このくらいで許してあげます。あなた方のような中身も芯もないふにゃふにゃの傀儡をいじめても、あまり意味はなさそうですしね」
意識のない三人が、何かを察したようにビクッと震える。
胡胡は、頬に手を添え、「はぁ」と悩ましげにため息を吐いた。
「本当に、嶽一さまはモテモテで、わたくし気が気ではございません」
ビルの屋上を上目遣いに見上げ、胡胡は悔しそうに唇を尖らせた。
※
「へっくしゅんっ!」
小脇に抱えた少年がくしゃみをしたので、嶽一はすぐに足を止め、慎重に少年を下ろした。
「すみません。寒かったですか?」
「いいえ、なんかむずむずして……」
そう言って少年が鼻を啜るので、嶽一は懐紙を渡した。
「ありがとうございます」
少年は受け取った懐紙で鼻をかみ、そのごみを革製の小物入れに入れた。
「風に当たりすぎて身体が冷えたのかもしれません。追っ手もいないようなので、そろそろ降りましょうか」
嶽一の提案に、少年はこくこくと頷き、ふと空を見上げた。そのまま動かなくなった少年をしばらく眺めてから、嶽一も空に視線を向けた。
「空、好きなんですか?」
「はい。おれ、昊って名前なんです。左東昊。だからなのか、なんか、気になって……」
「そうでしたか。──そういえばまだ名乗っていませんでしたね。わたしは《撰師》をしている岩蔵嶽一です」
「えっ⁉」
少年──昊が勢いよく振り返った。頬は紅潮し、目がきらきらと輝いている。
まるではじめて憧れの存在に出会えたような反応に、嶽一は首を傾げた。
「《撰師》なんて《迷宮》があるこの村では、珍しくないでしょう?」
すると昊は、申し訳なさそうに、
「この村の《撰師》は、兼業の人が多いから《撰師》っぽくないんです」と言った。
「若い人の中には、野心を持っている人もいますが、なんというか空回りしていて。反面教師にしか見えないんです」
「あ~……」最後まで追いかけてきた《撰師》であろう若者三人の姿を思い浮かべ、嶽一はなんとも言えない表情で唸ることしかできなかった。
「左東さんは……」
「昊って呼んでください。おれも、嶽一さんって呼んでいいですか?」
「いいですよ。──昊さんは、わたしのことを本当にただの旅人だと思っていたのですね」
「はい。そう仰っていたので」
「ただの旅人に、自分を抱えてビルの三階屋上まで跳ぶよう指示を出すのは、今回限りにした方がいいですよ。《撰師》が相手でも、少々荷が重いと思います」
微苦笑を浮かべる嶽一を見上げながら、昊は、きょとんとした。
先ほど、嶽一を路地裏へと導いた昊は、袋小路に着くや否や「おれを抱えて屋上に跳んでください」と言ってきたのだ。驚いたものの、それしかないと瞬時に判断した嶽一は、言われたとおり昊を小脇に抱えて跳び、危なげなく三階建てのビルの屋上に着地した。
そこでやり過ごしてもよかったのだが、追いかけてくる可能性が零ではなかったので、念には念を入れ、屋上から屋上へと移動していたのだ。
嶽一の言葉の意味を理解したのだろう。昊の顔が、ぼっと赤くなった。
「そ、そうですよね! すみません! でも、なんでだろう? おれ、嶽一さんなら大丈夫だって妙な確信があって!」
「謝らなくていいですよ。信じてくれて、ありがとうございます。何より、昊さんが導いてくれなかったら、大変なことになっていました。本当に、ありがとうございます」
頭を下げる嶽一に、昊は頬を緩ませながらも恥ずかしそうに頭を掻いた。
「何かお礼がしたいのですが、何かありますか?」
「そんなっ! 山で猪から助けてくれたじゃないですか。お相子ですよ」
「その後、昊さんは、わたしをこの村まで案内してくれたじゃないですか。なんでも、とはいきませんが、手伝えることや、してほしいことはありませんか?」
昊は、少しうつむき、思考を巡らすように何度か瞬きをした。そして、
「あっ」と言いながら、ぱっと顔を上げた。
「一つありました! してほしいこと!」
「わかりました。では、下に降りてから、詳しく聞かせてください」
「はい!」
嶽一は網代笠を被り直し、再び昊を小脇に抱えた。その時、ふと家々の向こうに西側の山裾が見えた。菜草村は、山裾にも建物が建ち並んでいるが、その西側の一角だけは、半円を描くようにぽっかりと拓け、よく踏み固められた広々とした道が、その山裾まで続いていた。
老いも若きも男も女も、多くの人々がその道を行き交っている。
「山に入ってすぐ《鳥居》が──《菜草迷宮》があるんです」
嶽一が何を見ているのか察した昊が教えてくれた。
「昇るんですよね?」
「勿論です」
目をキラキラさせる昊に、嶽一は笑顔を返した。
「さて、そろそろ降りましょうか。口をしっかり閉じてください。舌を噛んだら大変です」
「はいっ!」
昊がきゅっと唇を引き結ぶのを待って、嶽一は、ひょいっとビルから飛び降りた。
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