三、食後のお楽しみ
楽しんでいただければ幸いです。
食後に嶽一は珈琲とプリンを頼み、胡胡は紅茶とミニチョコパフェを頼んだ。
「それでは《菜草迷宮》について、お話しいたしましょう」
そう言って胡胡はシャツの胸ポケットから革の手帳を取り出した。長く使っているらしく、革は見るからに柔らかく、いい風合いになっている。
嶽一も頭陀袋から手帳と万年筆を取り出し、書き留める体勢を取った。
「結論から申しますと、現在の《菜草迷宮》は、冒険を求める専業《撰師》の方より、わたくしのような商人と兼業している《撰師》に人気の《迷宮》です」
「下層が広く拓けていて妖怪も弱いということですか?」
「はい。二階は、妖怪避けのお香さえ焚いていれば安全です。鉱脈はありませんが、《宮木》や《宮土》はある程度採れるので重宝されています。《菜草御厨支部》か周辺の支部に所属している兼業《撰師》の中には、《菜草御厨支部》に場所代を払い、よそで入手した木材や金属を二階に保管し、頃合いを見て売りに出したりしています」
胡胡はチョコソースがかかった生クリームを掬い、口に運んだ。
嶽一は書き留めた情報に漏れがないか、ざっと目を通した。
「《秘石》が必要な場合でも、自力でどうにかする兼業《撰師》が多いようです。なので兼業《撰師》でも、そこそこ戦闘に慣れています」
「たくましいですね」
「専業《撰師》の方を雇うと、これがかかりますからね」
左手の親指と人差し指で丸を作りつつ、胡胡は、アイスに刺さっていたクッキーを手に取り囓った。
「三階より上層のことは、何かわかりますか?」
「勿論、情報は入手済みです☆」
ウインクをして、胡胡は手帳を嶽一に見えるよう机に置いた。
開かれたページには、階層ごとに目撃された妖怪の名前と入手できた素材などが事細かに書かれていたが、特段、珍しいものは見受けられなかった。
「《菜草迷宮》はここ十年ほど、最上階は六階をキープしています。五年ほど前に一度、七階へと続く階段が現れそうになりましたが、すぐに消えたそうです」
「階段が現れたのは、もしかして落石があったからですか?」
嶽一の指摘に、胡胡は目を丸くして頷いた。
「そうです。ご存じでしたか」
「道案内をしてくれた少年が、数年前に落石があったと教えてくれたんです」と言って、嶽一はプリンを頬張った。プリンは固めで、キャラメルは苦味が強い。「うん、美味しい」と呟くと、正面から視線を感じた。見ると、胡胡がアイスが染みこんだフレークを食べながら、嬉しそうにこちらを見つめていた。
「美味しかったのなら、よかったです」
「プリンは美味しいですよ。柔らかくても固くても、甘くても苦くても」
「お好きなんですね」
「えぇ。大好きです」
嶽一の応えに、胡胡は顔を真っ赤にして、スプーンで底に溜まったフレークを掬った。
嶽一もプリンを食べ進め──ふと、ページの端の方に書かれた『〈童子〉』の文字が目に付いた。その単語を囲むように、『十歳前後。』『男の子?』『数十年前から目撃情報あり。』『身なりはいい。』『現れるのは四階以上。』『歌っていた。』『若水?』『怪談?』『《鳥居》の外?』──など、書き込まれている。
詳しく話を聞こうと、プリンの最後の一かけを飲み込んだ嶽一は、胡胡に声をかけようと口を開いた。しかし、
「おい、兄ちゃん姉ちゃん。イチャイチャするなら二階か、別の店に移動しろ。目の毒だ」
嶽一が胡胡を呼ぶより先に、低く掠れた声が、通路を挟んだ隣の席から聞こえてきた。
振り返ると、目つきの鋭い男が椅子に座ったまま身体を嶽一たちの方に向けていた。
三十歳前後の若い男で、髪を短く切りそろえ、口ひげをたくわえている。
藍染めの着物にもんぺというシンプルな出で立ちだが、その上に毛皮の袖なし外套を羽織り、手甲と脚絆にも毛皮を用い、猟銃を背負っている。
「すみません。五月蠅かったですか?」
「そういう話じゃねぇんだよ」
頭を下げる嶽一から男が、ふいっと顔を逸らすと二十代前半くらいの若者が三人、男と嶽一の間に割り込んできた。統一感はないが三人とも動きやすそうな格好をしており、一人は刀を腰に差し、一人は弓矢を背負い、一人は、籠手をつけている。どうやら《撰師》のようだ。
籠手をつけた若者が、ダンッ──と嶽一たちの机に勢いよく手を突いた。
ガチャガチャと食器が揺れて擦れる。
「なぁお姉さん、ちょいと聞こえちまったんだが兼業《撰師》なんだろう? 俺たちは専業なんだが、一緒に《迷宮》に昇らないか?」
若者は手を突いたまま爽やかな笑みを浮かべ、胡胡の顔を覗き込んだ。
他の二人は若者の後ろでニヤニヤしている。
胡胡は静かに若者たちを見回してから、にっこりと営業用の笑みを浮かべた。
「お誘い、ありがとうございます。しかし、誰かと一緒に昇るつもりはございません」
「あっ? じゃあなんでこいつに声をかけたんだ?」
先ほどの爽やかさから一転、ドスの利いた声を出しながら若者は眉をひそめ、肘で嶽一の頭を小突こうとした。しかし、嶽一がひょいっと避けたため、若者は派手に体勢を崩した。
「ぷっ」
食堂のどこかで誰かが吹き出した。
それが呼び水となり、建物を揺らすほどの爆笑が起きた。
籠手をつけた若者は憤怒の表情を浮かべ、「てめぇっ!」と唾を飛ばしながら嶽一の胸ぐらを掴もうとした。しかし嶽一はそれもひょいっと避け、杖と網代笠を手に取り立ち上がった。
するとそれまで静観していた二人の若者が飛びかかってきた。
透かさず嶽一が後ろに飛び退くと、二人は通路に倒れ込んだ。
「ちくしょうっ!」
籠手をつけた若者を倒れた二人を飛び越え嶽一に殴りかかる。しかし、その攻撃はことごとく躱されてしまった。起き上がった二人が加勢するが、両手が塞がっている嶽一に、一撃も当てることができなかった。
一人、また一人とはやし立てていた観客が笑うのを止め、三対一の攻防に魅入っていく。
三者三様の攻撃を躱しながら嶽一は、気付かれないよう、そっと胡胡の方を見た。胡胡は立ち上がり、加勢するべきか迷っているようだった。その傍らに最初に嶽一に声をかけてきた姉さん被りの女性が現れ、何ごとか胡胡に囁くと、その肩を抱き奥へと誘導した。
一瞬、女性と嶽一の視線が交差した。嶽一が小さく頷くと、女性も心得ましたと言わんばかりに大きく頷き返してくれた。
胡胡の安全が確保されたことで肩の荷が下りた嶽一は、そのまま思いっきり床を蹴り、後方──暖簾が掛かっている出入り口まで飛び退いた。
「お騒がせして申し訳ございません。どうぞ、お食事を続けてください」
嶽一は、ぽかんとする面々を見回し、深々と芝居がかった動作で一礼してから《菜草御厨支部》を後にした。
※
「て、てめぇっ! 待ちやがれっ! 逃がすかっ!」
三人の若者を筆頭に、半数近くの《撰師》がドタドタと嶽一を追っていってしまったため、食堂は一気にがらんとしてしまった。
そんな中、通路を挟んで嶽一と隣り合っていた目つきの鋭い男──《撰師》の管真助は、マイペースに食事を再開させていた。
「兄貴、俺たちは追わなくていいんですか?」
向かいに座った弟子の牛彦が、出入り口の方をチラチラ見ながら問いかけてくる。
その隣で同じく弟子の梅吾郎が、こくこくと頷いた。
二人とも猟銃の代わりに鉈を腰に差しているほかは、真助とほぼ同じ格好をしており、牛彦は細く、梅吾郎は丸々としている。
「追いかけていった連中は、ほとんどが野次馬と兼業《撰師》だ。兼業の奴らは、少しでも階級が上の《撰師》と手を組みたいから追いかけていったんだろうよ。放っておけ」
「あの人って階級高いんですか? ただ避けていただけなのに?」
「避けるにも反射神経がいるだろう。あと、あの兄ちゃんの場合、目がいいんだろうな」
牛彦はいまいちピンときていない表情のまま白米を頬張り笑顔になった。
真助の言葉をじっと聞いていた梅吾郎は、こくこくと頷きながら唐揚げを頬張った。
「真助くん、こんにちは」
通路に現れた一つ年下の幼なじみを見て、真助は、きゅっと眉間に皺を寄せた。
小池千郎は、柔和な笑みのよく似合う商人で、小さいながら自身の店を持ち、主に装飾品などの小間物を取り扱っている。
体つきはほっそりとしており、白いシャツに赤みがかった革のベストを重ね、濃い赤の袴に革の脚絆、革ブーツを履いている。
「あっ、小池さん、こんにちは。いらっしゃったんですね」
牛彦が挨拶し、梅吾郎が会釈する。
「牛彦くんと梅吾郎くんもこんにちは。契約している職人さんから《迷宮》の素材がほしいと言われてね。昼食がてら依頼を出そうかと思って」
「自分で昇らないんですか?」
「荒事は苦手なんだ」
苦笑を浮かべる千郎に、牛彦は小首を傾げた。
「でも、小池さん、商品を受け取るために周辺の村とか町に徒歩で行ったりしてるじゃないですか。その体力があれば《迷宮》もいけると思いますよ。護身術の心得もあるんでしょう」
「牛彦」
師匠に名前を呼ばれ、牛彦はビクッと身体を竦めた。
「人にはそれぞれ事情がある。苦手だって言ってるんだ、無理強いするようなこと言うな」
「そ、そうですね。小池さん、すみませんでしたっ!」
千郎は牛彦に「いいんだよ」と笑顔を向けてから、真助に「真助くん、ちょっと弟子に厳しくない?」と言って眉根を寄せた。
「弟子に厳しくしないでどうする。お前だって従業員には、厳しく接しているだろう」
「僕の場合、逆で、仕入れに時間をかけすぎですってよく怒られているよ。ちょっと道草食ってるだけなんだけどね」
おどけたように肩を竦める千郎に、真助は「はぁ」とため息を吐いた。
「そういえば、千郎、お前……」
言いかけて、真助はぐっと口を噤み、食事に戻った。
「どうしたの? 凄く気になるんだけど」
「悪かった。気にするな」
「……わかったよ。君と僕の仲だからね」
「腐れ縁だ」
そう言って食事を続ける真助を静かに見下ろし、千郎はため息を吐きつつ、遠くに視線を投げた。
「……あの《撰師》の人、逃げ切れるかな?」
どこか面白がるような千郎の呟きに、真助は、眉を上げたが応えなかった。
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