第21話 贈り物
「はあっ……はああ、はあ……」
息を切らしながら、アルマは道を駆けていた。降り出した雨が頬に触れて、ひどく冷たい。せめてバルシエンユの花は濡れないようにと、守り慈しむように両手で抱える。
ちらりと後ろを見れば、四羽の白い怪鳥がアルマを追っていた。植物の棘を想像させる硬そうな翼と、雪に一滴血を垂らしたような赤い嘴。泣き叫ぶような声が、アルマの耳に嫌と言うほど届く。追い付かれたときのことを想像して、彼女の心を恐怖が包み込んだ。
(だめだ……体力が、もう、尽きそうです)
そう思いながらも、アルマは必死で走り続ける。視界が霞んでしまうのは雨のせいなのか、疲労のせいなのかさえ、最早わかりそうもなかった。
(こんなに苦しい思いをしたのは、いつぶりでしたっけ……)
現実から逃避するかのように、頭は考え事を探している。
(思い出せない……ああ、つまり、わたしはすごく、恵まれた境遇にいたんですね)
どうしてか、口の端が上がっていた。
(沢山の優しく温かな人たちに囲まれて、泣くことよりも笑うことの方が、ずっと多くて)
(昨日だって、ジュネくんもフィティも心配してくれていた。それなのに、わたしは……)
(……弱気になってはだめ。ちゃんとレモナゼルに帰って……そうしてまた、笑おう)
そう、強く思った。
それを嘲笑うかのように、アルマの背中に強い痛みが走る。
一羽の凶鳥が使った、風を刃のように振るう魔法だった。
「…………ッ!」
声にならない悲鳴を上げて、アルマは地面に倒れ込む。
バルシエンユの花が手から離れそうになった。アルマはすぐにそれを掴むと、地面に丸まりながら抱き寄せる。怪鳥の鳴き声がうるさかった。身体のあちこちに嘴で突かれる痛みが走って、アルマの目が潤む。それでもどうか――この花だけはと、思って。
絶え間ない痛みに、アルマの目から一筋、涙が零れたときだった。
「〈狂おしいほどの凍てつきを――氷塊の魔〉」
声が聞こえた。
低くて、でもそれでいて……とても優しい響きだった。
アルマから、強い痛みが薄れていく。少しずつ、息の調子が整っていく。
温かさを感じた。見れば、ティルゼレアの顔がすぐ側にあった。
彼はひどく悲しそうに唇を引き結んでいて、そんな顔をしてほしくないとアルマは思った。凍りついた凶鳥の遺骸に囲まれながら、ティルゼレアは口を開く。
「……ごめん」
「…………? どうして、謝るんですか?」
「君のことを知ろうともせずに、君のことを遠ざけてしまったから」
そう言ってから、ティルゼレアは魔法を紡ぐ。アルマの傷口が段々と癒えていき、その柔らかな心地よさに、彼女は少しの間身を委ねていた。
「そうだ……これ、あなたに渡したかったんです」
アルマはそう言って、バルシエンユの花をティルゼレアへと見せる。
白い花弁には、幾つもの丸い雨の露が付いていた。
ティルゼレアは目を見張って、そうして切なげに微笑う。
「君は、どうして俺にこれをくれようとしたんだ?」
アルマは瞬きをしてから、微笑み返した。
「いざ言うとなると、恥ずかしいんですけれど……わたし、ティルゼレアさんと仲良くなりたかったんです」
アルマの言葉に、ティルゼレアは真剣な表情で相槌を打つ。
「わたし、すっごく仲のいい女の子がシルヴェークス地方にいて……その子がわたしの誕生日に、大好きなお店のマカロンをくれたことがあって。わたしには、それがとても嬉しくて……だから、あなたにもそうしてみようと思ったんです。ティルゼレアさんはきっと、家族が、すごく大切なんだろうと思ったから」
照れたように、アルマは少しだけ泣いた。
「わたしも、本当に家族が大切なんです……だめなところも沢山あるわたしに、沢山優しくしてくれて。ああ、だからわたしは……新しく家族になったあなたと、心から仲良くなりたいんです……」
涙を拭ってくれる彼の手が優しくて、だからまた涙が溢れてしまう。
そっと、バルシエンユの花を贈った。
「不束者ですが、どうか、よろしくお願いしたいです……」
ティルゼレアは、丁寧にその花を受け取る。
それから彼は、口を開いた。
「……俺も、同じ気持ちだ。本当に俺は至らないところばかりで、かつて君のことを傷付けてしまったと思う。もう一度謝らせてくれ……あのときは、本当にごめん。もしかしたらこれからも、君のことを傷付けてしまうことがあるかもしれない。でも今は、それよりずっと、ずっと……アルマを、大切にしたいと思っている。こんなにも優しい言葉を伝えてくれた、君のことを」
ティルゼレアは、深く頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いしたい」
アルマは、ティルゼレアの背中へと手を回す。
抱きしめることで、大切な何かが伝わればいいと思った。冷たい雨の中で彼だけが温かくて、ぽつりと心の中に浮かんだのは、幸せというただそれだけの気持ちだった。
◇
ティルゼレアと共にレモナゼル城に帰ってきたアルマを、皆は優しく迎えてくれた。
フィティリナは涙と鼻水で可愛らしい顔をぐしゃぐしゃにしながら、小さな身体でアルマのことを精一杯抱きしめて。
ジュネは少しのお小言のあとで、本当に無事でいてくれてよかったですと、とても優しい表情を浮かべながらアルマに伝えて。
ミスフィーズはアルマの灰桃色の髪をわしゃっと撫でながら、笑いかけてくれて。
そんな人たちの温かさに触れたことで、アルマは心の底から、
(ああ、わたし……この場所に来ることができて、本当によかったなあ……)
そう、思うのだった。




