第10話 王子ティルゼレア
気付けば窓から差し込む陽光は、柔らかなオレンジ色へと変化していた。
アルマは読んでいた本をぱたんと閉じて、枕に顔を埋めて息を漏らす。
「す、すっごく面白かったです…………」
小説を読む習慣が余りなかったため、一冊読破するのに結構な時間を要してしまったが、この物語はアルマに大きく響いた。洗練された文章表現、生き生きとした魅力的なキャラクター、面白く先の読めないストーリー展開――そのどれもが素晴らしく、完成度が高い。そして何より、恋愛の知識も経験も殆どないアルマにとって、恋愛小説はとても刺激的だった。
「うううう、何だか顔がぽかぽかしますよー!」
アルマは枕を抱きしめながら、ドレスが皺になってしまうことなど気にも留めずに、ベッドの上を何度も転がる。
「もっ、もしかしてわたし、婚約者さんとこういうことをするんでしょうか……!? キ、キキキキキスとかしちゃうんでしょうか!? かっ、考えただけでどきどきしますよー! うわああああ!」
独り言を口にしながら、アルマは身体をじたばたとさせる。
そのとき、コンコン、と扉がノックされる音が部屋に響いた。アルマは驚きで「うひゃあー!」と小さく叫んでから、慌ててベッドから起き上がる。
(びっくりしました! お義母様でしょうか、それともフィティでしょうか!?)
そう考えながら、扉の前に小走りで向かう。
「ど、どうぞお入りください!」
扉が開く。
そうして現れた人の姿に――アルマの赤紫色の目が、大きく見開かれた。
立っていたのは、長身痩躯の美しい青年だった。
ショートウルフカットに整えられた藍色の髪と、そこから覗く綺麗な形をした尖った耳。長い前髪は流されていて、うっすらと覗く右目、左目は宝石を閉じ込めたような真紅の色合い。高級感のある衣服に身を包んでおり、その隙間からはくっきりとした鎖骨が見えている。毅然とした雰囲気を漂わせる、怜悧そうな人だった。
(わあ……かっこいいですね……)
言葉を発するのも忘れながら、アルマは突如として現れた青年を見つめていた。
青年もまた、アルマのことを見つめ返している。
少しして、アルマはようやく口を開いた。
「あっ、あの、どちら様……ですか?」
その問いに、青年はほのかに目を細める。
「……わからないのか?」
真紅の双眸に見据えられながら、どことなく冷たく低い声でそう尋ねられ、アルマは「えっとお……」と視線を彷徨わせた。
アルマはふと、一つの答えを導く。それが本当かと心のどこかで疑いながらも、耳の形状や髪の色彩から、その仮説はより鮮明な形となっていく。彼女は、勇気を持って尋ねた。
「もしかして、ティルゼレアさん……ですか?」
そっと頷かれ、アルマは浅く息を吸った。瞬きを繰り返しながら、青年――ティルゼレアの姿を、目に焼き付ける。
(こんなにかっこいい人と結婚するってことですか、わたし……!?)
アルマがその事実を信じられずにいる中で、ティルゼレアは言う。
「一ついいか? シークレフィア」
「はっ、はい!」
苗字で呼ばれたことにアルマが驚く間もなく、ティルゼレアはさらに言葉を続ける。
「言っておくが、俺は雪桜の民を快く思っていない」
「はい……って、えっ、えええええ!?」
衝撃の事実を告げられ、アルマの口から驚愕の声が漏れる。
それを意に介した様子もなく、ティルゼレアは腕を組んだ。
「君との結婚は、政治の観点から見てしょうがなかったとは言え、俺としては不本意だ。なので、余り話し掛けないでくれ。……それを伝えに来た。以上だ」
ティルゼレアは冷たい声音でそう言うと、踵を返して立ち去ってゆく。
アルマは呆然と、その後ろ姿を見つめていた。
「なっ……な、」
アルマはその場に、くずおれる。
「何で婚約者さんからだけ、異様に好感度低いんですかあああああああああああああ!」
そんな悲痛な叫びが、レモナゼル城にこだました――




