満ちゆく白の月の宵
「いつかこの空に降りてみたいな」
犬さんは言った。
「きっとどこまでも青く、澄んでいるに違いないよ」
猫さんへと振り向いた犬さんがこてりと首をかしげる。垂れた耳がぶらりと揺れた。
「僕はあの、ふわふわの雲を渡っていきたいなぁ。前足でぴょい、後ろ足でぴょいっとね」
猫さんは犬さんに左前足をあげて見せた。
「そうっと、そうっと。それでいて軽やかに。シロノツキヨチョウみたいに飛び移ってみせるのさ」
自慢げに胸をはる猫さんに、犬さんは感嘆のため息を漏らした。
「いいなぁ、いいなぁ。猫さん。おいらじゃとても、シロノツキヨチョウのようにはいかないよ。きっとふわふわの雲を突き破ってしまう」
がっくりと肩を落とし、犬さんは嘆いた。
「そうして、あらら。おいらはどこまでも落ちていってしまうのさ」
猫さんは犬さんが気の毒になって、自慢のヒゲをなでて考えた。
耳をピクピクと動かし、鼻をフンフンと鳴らし。それから一通り毛づくろいすると、猫さんはぴょんっと飛び上がった。
そうして岬の先端で、犬さんは一匹ぼっちになってしまった。
犬さんのとなりに腰を下ろしていた猫さんは、どこかへ出かけて行ってしまった。
白く輝くまぁるいお月様が、一匹ぼっちの犬さんを見下ろしている。
岬から下にのぞく空は、どこまでもどこまでも。果てしなく広い。
犬さんは悲しくなった。
だって猫さんは雲の渡り方について、あんなに楽しそうにおしゃべりしてくれていたのに。
猫さんは犬さんの「空に降りてみたい」なんて途方もない、ちょっぴりこどもっぽい願いごとにつきあってくれたのに。
犬さんが猫さんをうらやんだばっかりに。いいなぁだなんて。
犬さんはすまない気持ちになった。
「やあやあ、犬さん」
そこへ息はずませ、猫さんがやってきた。
「僕がすっかり、万事うまくいくよう、取り計らってあげたよ」
犬さんがあわてて顔をあげると、猫さんはニンマリと笑った。
「ごらんよ、犬さん」
猫さんがシッポをゆらりゆらりと左右に振る。
「わぁ!」
犬さんは目の前の光景に、シッポをぶんぶんと振った。
「こんなにたくさんのシロノツキヨチョウ、どこから連れてきたんだい」
犬さんはわくわくしながら猫さんにたずねた。
見渡す限りいっぱいのシロノツキヨチョウ。
月光を浴びた翅をキラキラと輝かせ、ヒラリヒラリ。気の向くままに飛び交っている。
「ふふふん。今夜は『満ちゆく白の月の宵』だからね。きっとシンクノツキバラが咲いているだろうと思ったんだ」
猫さんはシロノツキヨチョウをまとわせたシッポを優雅に振った。
「そうしたら、思ったとおりさ」
「そうか。今夜は『満ちゆく白の月の宵』だったね」
犬さんは耳をかいてうなずいた。
シンクノツキバラは『満ちゆく白の月の宵』にだけ咲く、それはそれは美しいバラの花。
真紅の花開けば、あたり一面、華やかでとっぷりと甘く、芳醇な香りに包まれる。
そしてそんな甘い香りに、いつもは気難しいシロノツキヨチョウも引き寄せられるのだ。
「犬さん。きみがもし、雲と雲を軽やかに飛び移れずに、突き破ってしまってもだよ」
猫さんがシッポの先っぽを犬さんへと差し出した。
「たくさんのシロノツキヨチョウが、犬さんの体を引っぱり上げてくれるよ」
犬さんの耳に、鼻先に、シッポに。
たくさんのシロノツキヨチョウがヒラヒラヒラヒラ。青白い翅をふるわせながら舞い降りる。
「ああ、ああ。猫さん」
犬さんの胸は歓喜にうちふるえた。
「なんてすてきな贈り物なんだろう」
猫さんは自慢のヒゲをひとなでして、胸をはった。
「だって今夜は犬さんのお誕生日だからね」




