「第七話」土蔵真護
昨日が終わって目覚めても、まだ拳は痛かった。
あの後救急車は呼んだ。死にはしないとは思うが……治るまで時間は掛かるだろうし、もしかしたら何か傷のような物が残っているかもしれない。そう思う度に、体の芯が震えるような彼女の怒気を思い出す。
(理由も無く人を傷つける奴は最低だ。お前がやってるのは、ただの暴力だ!)
頬の傷が、今更疼いている。痒い、痛い、辛い。色々あるが、やっぱり怖かった。
『今から三十分以内に病院前に集合 道之』
携帯にはそんな内容のメッセージが届いたから、今こうして病院前にいる。気分転換には丁度いい、適当な衣服を身に纏い、こうやって病院の前にいるわけ……なのだが。
「よぉ『金獅子』! 待ちくたびれたぜ!」
昨日ボコボコにしたはずの戦闘狂女が目の前にいる。安心したが、普通に、素朴な疑問として……。
「何で生きてるんだお前」
「なー。不思議だよなー。……まぁ体質みたいな? 最近傷の治りが早いっつーか……いくらボコられても寝たら治るっていうか、便利だろ?」
「分かった、取りあえず服を着ろ。ほらこれ貸してやるから……」
冷静に見れば戦闘狂というより露出狂である。俺がコートを投げ渡すと、あろうことかまずそいつは匂いを嗅ぎ始めた……キモい! なぁにしてんだこいつ!? 太陽に透かす、ちょっと振り回してみる……なんだか野性的な行動をいくつか行った後、ようやく袖を通してくれた。
「おお、あったかいな。いいなぁこれ!」
「……」
突っ込んだら日が暮れることをなんとなーく理解した。そう言えばさっきから、俺を呼び出した当の本人がいないが……。
「なぁ、道之ってまだ来てない感じか?」
「ミチユキ? 誰だそいつ」
「ほら……昨日お前がハンマーでぶっ飛ばした奴だよ。刀使ってたやつ」
「……あー、ちっこいアイツか! 覚えてる覚えてる、女のくせに中々強くて殴りがいがあったんだよなぁ……」
「あいつ女じゃなくて男だって。それと、まず俺に謝れ、それから道之に謝れ」
「なんで?」
「なんでって……お前道之になにしたか覚えてねぇのか?」
「んなこと言ったら斬られたぞ」
「あー」
確かに正論である。最初に手を出したのはこいつだが、道之は刃物を使ってしまっている……その理論で行くならば、こいつを半殺しにした俺の方が重罪だ。
「……水に流すか」
「??? ソーメンをか?」
「ん、違う」
深く踏み込みはしなかった。
「なぁ、お前『金獅子』だろ? 拳なんて久しぶりに効いたぜぇ?」
「……悪かったよ」
「? なんで謝るんだ? まぁいいや、そんな事より勝負しようぜ! 相撲、腕相撲、競争……あっ、やっぱ殴り合いがいいか⁉」
「悪いけど、俺はもう喧嘩はしないんだ。昨日のは悪かった、本当に」
何か言いたげな口を、腹に力を込めて睨み返す。頼むからこれ以上、拳を強く握らせないでほしかった……理由も無く、大義名分も無く、ましてや迷いを持ったままの拳など、振るっていい訳が無い。俺は、振るいたくない。
「……わーったよ」
深いため息をついた後、そいつはぼんやりと遠くを見つめ始めた。俺への興味は完全に削がれていて、先程とは別人のようにも見える。まともに見える、というか……普通に可愛らしい顔立ちをしてもいる。初対面のイメージが強すぎたため、人間として見ていなかったのかもしれない。
「……お前、名前は?」
「土蔵真護。へっ、かっこ悪いだろ。『まもる』、なんてさ……弱そうだし」
俺は、そうは思わなかった。真に、護る……真心を以て守る、真実を守る。如何にも道之が羨ましがりそうな雰囲気の名前だ。それを、かっこ悪い? つちくらまもる。歯切れも良く、特に問題は無さそうだが。
「良い名前なんじゃないか? かっこいいだろ、真護って」
「はぁ? 『金獅子』サマが何言ってんだ? いいかよく聞け、守るってのは弱い奴がやる事だ……攻めれない、つまり勝てない。勝つことを放棄してるやつが取る最低の行動だ。どうせならアタシは、セメル! とか……なんだろ、そんな感じのが良かった」
真護。俺は、その名前を頭の中でじっくりと考えていた。自分は勿論、誰かを守れるような人になってほしいと願った両親が、今のこいつを見たらどんな顔をするのだろうか? それを考えると、余計なおせっかいをしてしまいそうになる。
「おーい! 獅子雄くーん!」
意識に滑り込んでくるような声。俺がそちらを向くと、とんでもない速度で走ってくる道之が見えた。それにしてもすごい速度だ、早い……運動神経がどうのこうのの話ではない、余りにも早すぎた。まるでスピードを出したバイクの如く、瞬きする頃には目の前に立っていた。
「ぜぇ、ぜぇ……ごめん! ちょっと職務質問受けちゃってさ、説明するのに時間かかっちゃった――ってかそこにいるのは昨日の露出狂ヴィラン!? ちゃんと服着てるけど!」
下がって獅子雄くぅん! 刀を抜きかけた道之をどうにか静止し、待ってましたと言わんばかりに大槌を構える真護も制止する。二人の興奮を抑えながら、俺はどうにか事情を説明した。
「ふんふん、つまりこういうこと? 『上司に呼ばれた場所に行ったらたまたま昨日戦った露出狂ヴィランがいた、暇なので軽い自己紹介と雑談をしていた』……えーっと、ええ……?」
しばらくその場をぐるぐる回る道之。目だけを真護に向け、下を見て、また真護を見た所で尋ねた。
「何でここだって分かったの?」
「勘」
「ええ……?」
道之の顔が、まるで訳が分から児と言いたげに歪む。それに反比例して真護の顔がにやける……二人には大変申し訳ないのだが、この二人の顔を交互に見比べると大変面白くて仕方ないのである。
「……まぁ、いいや。獅子雄くん、今日も任務達成頑張ろう! 大丈夫、昨日みたいに情けない姿は見せない、ちゃんと先輩として、『夢喰い』をぶった切ってあげるから!」
言葉が上手く出せない。でも、なんだかむず痒い感じがある……悪い気はしない。うん、職場とはこういうものなのだろうか? 思っていたよりも、ずっと明るくて心地がいい。
「……おう、頑張ろう」
「よし! じゃあ早速今回の任務の内容を言うね。今回の仕事場は隣町の森の中、電車に乗って……行きたいところなんだけどね、駅員さんへの職務質問とかそういうので時間かかっちゃうから、歩いていくことになるんだよね……必要だったらタクシーとか呼ぶけど、どうしたい?」
「大丈夫。飛鳥さんには隣町まで歩かされて、山の中にいる『夢喰い』数十体と夕方まで戦わされたし」
「アタシも賛成! 『金獅子』! せっかくだから競争しようぜ!」
道之の顔にしわが寄る。
「何で君も付いてくるんだよ」
「良いじゃねぇかよ~」
二人は睨み合いながら歩き出した。カーテンが開いている病室を見上げ、俺も二人を駆け足で追いかけた。