「第六話」獣と獣
対峙したそれは、獣のようにも見える。
白と黒の荒々しく反り返ったツーブロック、鷹のような鋭く大きな目、頬を引き裂いたような大きな口、その向こうに見える鋸のように獰猛な歯並び。美しい顔立ちはしているものの、それよりも不良が持つ独特の危うさが、野性的な部分を強調していた。服装も中々に大胆というか……大きな胸はボロボロの布をきつく結ばれているだけ、下半身はベージュ色のぶかぶかのズボンが、ベルトによってかろうじて留められていた。
「おい、なんか答えろよ!」
女の身の丈ほどもある大槌が地面に振り降ろされる。地面に亀裂が入り、鉄の塊が深く食い込んでいた。実際の重さは分からないが、あの質量をあの速度で降る事が出来ている時点で異常だった。
道之が、霧散していく『夢喰い』を指差す。
「そこにいる『夢喰い』は、君が?」
「んぁ? ったりめーだろ頭ねぇのか頭。そうだよ、アタシが全部殺った……アタシ一人で」
楽しそうに話すそいつの顔は誇らしげで、でも狂気的で……矛先をどこに向けようかと悩んでいるようにも見える。警戒を解く気になれない、解いてはいけない。
「それなら、助かった。僕たちは君と同じ『破苦』……そうか、もう君が全部倒してくれたんだね、ありがとう」
「……あー、それなんだけどよー」
大槌を引き抜き、担ぐ。
「こいつら意外と弱くてさぁ、欲求不満? ってやつなんだよ今、丁度近くに強そうな『夢喰い』がいるから、そっちに行こうと思ってたんだけど――」
――丁度いいから、お前ら潰すわ。横薙ぎに振るわれた大槌を、道之はかろうじて刀の鞘で受け止めた……かのように思えたが、すぐさま鞘は真っ二つに、道之は屋上を囲む鉄柵へと吹き飛ばされていった。
「一回、『破苦』の奴らと戦り合ってみたかったんだよ! ははぁやっぱ人間は良いな、一発で死なねぇし!」
「黄金の――」
目の前の脇腹に防御の意思は無い。容赦などしない、手加減なんてもってのほか! ……こいつは、ただの戦闘狂だ!
「――爆弾ッッ!!」
クリーンヒット、直撃。歪んだ肉は骨の感触を拳に伝え、一瞬遅れてやってきた衝撃は、大槌を握りしめる獣を正確に殴り飛ばした。
吹っ飛んでいく女に目もくれず、俺は鉄柵の傍で蠢く道之に駆け寄った。骨が折れている様子はない……大丈夫だ。
「動けそうか?」
「うん……ッッ! 退いて!」
突き飛ばされる。振り向きざまに見えたのは、今まさに道之に対して振り下ろされようとしている鉄塊だった。
「柔刀流……『視斬』!」
「砕災害、『怒槌』!」
大槌の速度は凄まじかった。だが刀身の上を滑るように流れ、まるで水のように逸らされていく……体勢を崩し、ガラ空きになった胴に道之は跳び蹴りをかまし、宙に刀を掲げた。
「柔刀流……『踏切』!!」
体勢をさらに崩した女に、振り下ろされた刀が迫る。まさに一瞬……女は大槌の柄でそれを受け、突き刺さった刀を、道之ごと振り払った。受け身を取り、再び刀を構えた道之……間合いに入って援護していいものか、迷った末に、俺は言葉による解決を試みた。
「俺は金比良獅子雄! お前も名乗れ! それから、なんで仲間同士で戦わなきゃならない!」
「――待った、シシオ?」
道之に向いていた興味は全て、俺に向いたようだ。襲い掛かられても迎撃できるように、握り拳を鍛え上げ、構えた。
「……黒が混じった金髪、青い目、よく見たら頬に傷がある。――そうかぁ、お前が噂に聞く『金獅子』かぁ……」
「その名で呼ぶなッッ!」
愚かな俺は、間合いに自ら飛び込んだ。待ってましたと言わんばかりに大槌が振るわれる……遅い、遅い。横薙ぎの素振りを避けて、また反対側から来る素振りを避ける……潜り込んだ懐に、俺は思いっきり拳を叩き込んだ。
「黄金の……爆弾ッッ!!」
「――ごおっ」
鉄柵に押し付けるような形で、俺は再び拳を叩き込んだ。それだけでは終わらない……大槌の間合いを外されたこいつは、近接格闘専門の俺を引き剥がすことはできない。
「黄金の……槌! 大槌! 爆弾ッッ!!」
「グぁ、げぇっ……ぶぉっ」
頭に血が上っている事は分かっていた。もう、相手の骨が何本か折れているのは分かっていた。だが……だが……!
(俺はもう、足を洗ったんだ……!)
「爆弾ッ!! 鞭ッ! 爆……」
「やめろ獅子雄! もうそいつに意識は無い!」
「離せっ! ぶっ殺してやる……クソッタレ、ぶっ殺してやる!」
暴れて、暴れて……客観視した自分の顔が、恐ろしい化け物に変貌している事を思考した直後、俺の体に入っていた力は抜け落ちていく。
「……はぁ、はぁ……」
――クソッタレ。自分がボロ雑巾にした目の前の女、そのか細い息に耳を塞いだ。
「……帰ろう、道之」
「うん」
やけに冴えた頭で判断し、口からその言葉が出てきた。俺は立ち上がり、階段の方へと歩いて行った。
(……こずえ)
正当防衛。そう言い張るには余りにもやり過ぎていて、俺はあいつとの約束を、粉々に破り捨ててしまったのだろう。階段を下りる度……罪悪感の渦巻く胸の奥と、表面がボロボロになった拳が焼け付くように痛かった。