「第四話」空梅雨道之
『朝九時、病院の前で集合。 飛鳥』
どうやって連絡先を手に入れたのか……恐怖と疑問に埋め尽くされたメールの内容は、上司の初命令だった。不審ではあったが流石に無視はできないため、軽い朝食とシャワーを済ませた後、俺は着替えて外に出た。
「……あっ」
病院の壁が見えてきたところで、入り口付近に人影が二つ見えた。一つは高身長の赤髪……昨日と同じく派手な着物姿の飛鳥さんだった。もう一つは分からない、飛鳥さんと同じく腰に刀を差してはいるが、彼女ほどの気迫はなかった。……男、だろうか? 整っている顔立ちは、遠くから見ると丸みがあった。……おっと、こちらに気づいたようだ。
「八時五十五分……約束の時間の五分前だな」
飛鳥さんは相変わらず高圧的だった。元々血生臭い学生生活を送っていたからか……この人のいる空間では、どうも拳を強く握ってしまう。対照的に隣の男は弱そうだった、へらへらとした笑み、落ち着きのない態度。芯が無い人間の典型だった。
「まぁいいだろう。逃げずに来ただけでも褒めてやる」
冗談じゃない、殺すぞ。抑える気などさらさらない、睨みつけることによって俺は訴えた。
「まぁまぁ! えっと……獅子雄くん。いや、獅子雄さんなのかな? 君が十七才で僕が十六才、でも僕の方が『破苦』では先輩だから。えーっと」
「……呼び捨てで良いっすよ」
芯どころか、意思も無いように思える。隣にいる飛鳥さんにアイコンタクトを送っている、これは助けを求めているサインだ。情けない、飛鳥さんはなぜ俺を呼んだ?
「呼び方などどうでもいい。獅子雄、私たち『破苦』は基本、二人一組で任務にあたる。今日からお前はこいつとペアを組め。……自己紹介」
「えっ、あっ。か、空梅雨道之です! よろしくね、獅子雄くん!」
「金比良獅子雄です」
まるで母親とその息子のような構図だ。俺は遠慮という形でやんわり断りたかったが、飛鳥さんの手前……仕方なく手を握った。しなやかに見えた手は、以外にもごつごつしていて分厚い、腰の刀は飾りではないようだ。
「では、私は私の任務があるからここで失礼させてもらう。道之、獅子雄に色々教えてやれ」
「はっ……はい! 頑張ります」
嬉しそうな表情は子供のように見えた。飛鳥は道之のそんな様子に瞼を閉じた後、俺が来た道とは逆の方向へと去って行った。去り行く背中に思う存分手を振り、道之はようやく俺の方を向いた。
「じゃあ、行こうか!」
道之はそう言って、飛鳥さんとは逆の方向に歩き始めた。俺は後を追い、隣に並ぶように歩調を合わせた。隣に立ってみて改めて、腰の刀とその風貌が不釣り合いに見えて仕方なかった。
「……」
「……」
「……」
「道之さん」
「……うぇ、えっ!? ああ、何? 獅子雄くん。あと呼び捨てで良いよ」
「……道之、どうして『破苦』に入ろうと思ったんすか?」
単純な疑問、目的地に着くまでのちょっとした暇つぶし。だが、正直言って、この頼りない上司の腹の内を探ろうと思う自分がいたのも確かだ。
「えーっとね、うん。誤解を招くかもしれないけど、そうだね……」
顎に手を当て、暫く考えてから、道之は答えてくれた。
「僕の夢に一番近かったから。ヒーローになりたいんだ、僕」
「……?」
「ピンと来てない顔だね。いやぁ考えても見てよ、人間の命を脅かす『夢喰い』。それを人知れず退治して、平和を守る『破苦』……これをヒーローと言わないで、どうやって表現すればいいと思う?」
「言われてみれば、そんな気がしてきたかもしれないっすね。確かに、ヒーローみたいだ」
幼稚な考えではあるが理解はできる、ある程度の納得もできた。成程、的を射ている。
「危ないし、怖いし、死ぬかもしれない仕事だけど、僕は気に入ってるんだよね、この仕事」
此処に関しては、綺麗ごとだなと思った。俺の心がすさんでいるだけかもしれないが、狂っているとしか思えない。誰も知らないところで他人を助けて、誰も知らないところで命を賭けて、誰も知らないところでいつか死んでしまう……考えるだけで恐ろしい。
「道之に聞きたいことがあるんっすけど」
「何でも聞いて! 大丈夫、僕こんな見た目だけどちゃんと『破苦』やってるから!」
「『カミ』という『夢喰い』について何か知らないっすか」
――重圧。俺は、瞬時に思い出す。隣の男が『破苦』であること、上司である事……いくつもの死線を潜り抜けながら『夢喰い』を斬り続けてきたことを。腑抜けていた拳に喝を入れ、思わず後ろに下がった。
「……どうして、知りたいの?」
怯むな、言え!
「あいつに、好きな女を病院送りにされました」
睨んでいた、違う……きっと俺は怯えている。さっきまでと別人みたいだ、落ち着け……先制攻撃? いいやダメだ、怯えたままじゃ仕留めきれない! 出方を伺え、構えろ、備えろ! ――表情筋が、動く。
「そっか、君は……ちゃんとした理由があってここに来たんだね」
荒れ狂っていた風が、瞬きの間に消え失せる。何も無かったかのように歩き出すそれに、感情の起伏や先程のような危うさは存在しなかった。
「僕は、『カミ』の事は何も知らない。飛鳥さんなら何か知ってるかもしれないけど」
離れていく距離を詰める気には、なかなかなれなかった。彼が振り向いて悲しい顔をした後に、俺はゆっくりと後を追い始めた。歩いて、歩いて……それでも、俺の拳が開くことは無かった。
「着いたよ、ここだ」
視線の先に目をやると、そこには大きく古ぼけた三階建ての建物がある。取り外された看板、とっ散らかったゴミの数々……懐かしく、忌まわしい、かつて俺が「金獅子」と言われていた頃の根城だった。