「第三話」『破苦』
「思っていたよりも早かったな」
飛鳥さんは腕を組んで俺を見ていた。感情の起伏はなく、暇つぶしにテレビでも見ているかのような虚ろな表情であった。
「この山には、少なくとも『夢喰い』が二十体ほどいたはずだが……お前が来る数分前に、全て気配が消え去った。よくもまぁ一人で、しかも無傷で倒せたものだ」
「二十体同時、とはいきませんでしたけどね」
乱れた髪型を片手で整えてから、俺は飛鳥さんの方へと歩いていく。握った拳がいつまでも楽にならない……体温により熱された手汗が、かつての高揚を呼び起こす。
「これでお前は『破苦』、即ち『夢喰い』を殺す組織の一員となった。最後にもう一度聞くが……お前は、本当に命を賭ける気はあるか?」
「こずえは俺のせいで病院送りになりました。だからケジメを……いや、こずえに謝るチャンスを、俺にください」
飛鳥さんはしばらく俺の目を見つめて来た。綺麗で、怖い目だった。これまで何度も人外を相手にしてきた、暴力を振るう事に感情を持たない人間の目だった。
「……これは、あくまで私の推測だが」
飛鳥さんはゆっくりと瞼を閉じ、それからまた開いた。今度は俺の方を見ないで、地面を見ながら喋り出す。
「お前の夢を喰ったのは、『破苦』の歴史上存在しないとされていた『夢喰い』だと思っている。――名は『カミ』。特徴は純白の翼、白骨化した天使のような姿をしている」
脳裏に、想像として姿が再現されていく。握りしめた拳から肉があふれ出るのではと思った、俺は握るのを止めなかった。殴るべきクソ野郎の姿と名前、そして記憶、大義名分と目的は全て揃った……やられたらやり返す、何十倍にでも何百倍にでも返してやる。
「まぁ、絶対にそうと決まったわけではない。そうだとしても、お前程度の『破苦』が倒せるような敵ではないこともめいか
「……飛鳥さん」
「――ん?」
「俺、『カミ』ってやつ殺したら……その『破苦』って組織、抜けてもいいですか?」
「一定数の『夢喰い』を殺していれば構わんが、何をする気だ?」
「こずえに告白します」
「――」
飛鳥さんは黙った。目を見開いている、驚いたまま固定された表情筋……俺は、何か変なことを言ってしまっただろうか?
「……明日から忙しくなる。せいぜい、死なないように頑張るんだな」
その時だけ、やけに寂しそうな顔をしていた。すぐに踵を返されたため、じっくりとは見れなかったが、やけに激しい風に揺れる赤髪が、夕暮れ時に重なって悲しげな雰囲気を醸し出していた。
俺は、静かに頭を下げた。彼女の足音が遠くに消えていくまで、ずっと頭を下げ続けて、その間にも拳は固く結ばれていて……。
(待ってろよ、こずえ。俺が絶対……お前の夢を取り返してやるから)
今度こそ。そう思った。