異世界がブラックだったので、私は悪徳商人と手を組んだ
私は異世界に転移した。
私は異世界で言う錬金術、それも空気でさえ材料に物質を生み出す能力を持っていた。
異世界は、地球で言えば近代に近い程度に技術が発展していた。
具体的には、産業革命を通り蒸気機関が普及した状況に近い。
近い、と言ったのは、化石燃料が使われているわけではなく、魔物から入手できる魔石を燃料として使っていたためだ。地球にあったものとは技術が違う。
そして、それらの動作原理は魔力なのだが、魔石の供給源となる魔物を人為的に産出できておらず、結果として石炭や石油などのように莫大な量を安定的に供給できない。
魔物が絶滅することはあり得ないらしく、魔法自体も廃棄物のようなものを出さないので、地球のように枯渇や環境問題を心配することはないのだが、電気の技術が発展しないためコンピュータのようなものは絶望的。
必然的に技術は魔法へと傾倒していく。昔からある攻撃、強化、治癒、弱化などの他に、様々な用途に応じた魔法だ。
それはそれとして。
私はだらしない人間で、転移前は自分の仕事を他人に押し付け、倍になって返ってくるそれを愚痴を垂れ流しながら片付けていた。
そんな私だったからか、転移した直後はひたすら混乱した。生きるためにどうこうではなく、誰が何をしでかしてこうなったのかと必死に考えた。
自分が錬金術を使えるようになっていたことも、さっぱりわからなかった。それが判明したのは餓死直前になった頃で、水が出てこないかと思ったら砂が水に変わったことで判明した。
砂どころか、空気からでさえも、そしてどんなものでも作り出せることが判明した時も、正直に言えば転移した直後と同じくらい混乱した。だが同時に安心もしたし、ここが地球ではないと判断もできた。
一か月近く砂漠をさ迷う羽目にはなったが、なにしろ欲しいものはなんでも作れるのだ。風呂代わりにと、大量の温水を空気から作った時は凄まじい風が巻き起こったりもしたが、なんだかんだと上機嫌で歩き続け、そして街を見つけることができた。
――私が間抜けでもあったことは認める。
だが、せっかく見つけた人里であんなことになるなどと、予想できるはずもない。
そう、街に着いた。そこからが地獄だった。
--
街はあまり活気がなかった。それは別にいい。
門番もいない門をくぐれば、すぐに大勢の怪我人が目に入った。そいつらはいわゆる傭兵で、街の人々が治療に当たっていた。
漏れ聞こえる話を聞けば、魔物の討伐とやらが行われたものの、被害が大きかったらしい。
初めて見る凄惨な光景に私は青ざめながらも、薬が出せないかと思い、そして思い通りに薬を出せた。小瓶に入った緑色の液体だった。その液体はどことなく煌めいていた。
これが使えるかと聞けば、辺りが別の意味で大騒ぎになり、私は薬をどんどん作った。ゴミからであってもなんでも作り出せる。いやはや、なんと素晴らしく、凄まじく、そして誰もが欲しがる力であろうか。と、その時に考え至っていたなら。
その直後に監禁されることもなかったかもしれない。
私は薬を作り続けた。夜が来て朝が来ても作り続けた。
この時はまだ、自分が監禁されたことに気付いてはいなかった。
自分にしかできないことだと言われては、多少なりともやる気は出た。
「もっともっと人々を救うために必要です」
私は薬を作り続けた。寝る間も無く作り続けた。
「隣の街にも薬が必要です」
私は薬を作り続けた。食事は誰も用意してくれず、自分で作るしかなかった。
「この国の人々はまだまだ魔物に苦しめられています」
私は薬を作り続けた。睡眠時間は無くなった。眠らなくても問題がなくなる薬を作らされ、それを飲まされた。
「隣の国の人々にも薬が必要です」
私は薬を作り続けた。そろそろ休みたいと言ったら、剣を向けられた。私は恐怖した。私は薬を作り続けるしかなかった。
「海の向こうの人々にも薬が必要です」
私は薬を作り続けた。今日も窓から朝陽が入り、陽が高くなると共に私のいる場所が陰り、夕焼けが見える頃には外から楽し気な声が聞こえ、夜になれば風の音と、時折下品な笑い声が届く。
「世界中の人々が薬を待っています」
私は薬を作り続けた。
休まず、延々と、作り続けていた。
私は限界を迎えた。
休ませてくれと言った。外に出してくれと言った。自由にさせてくれと言った。
「死にゆく人々を見捨てるつもりか」
そう言われては作るしかなかった。
「作らなければ殺人罪に等しい」
そう言われては作るしかなかった。
「いつでも死刑にできる」
そう言われては作るしかなかった。
どれだけの時間が、日が、月が……
年までは、経っていないと思うが、わからない。
とにかく私の気持ちが、死んだほうがまし、に変わる瞬間が来た。
「もう嫌、殺して」
薬を作るのをやめたはいいが、単純な話、ひたすら殴られた。
痛かった。ひどく痛かったが、薬は作らなかった。
多分、私の心が、作ろうとしなくなっていた。
私はきっと、見返りを求めていた。
殴打が効かないと見るや、私は数多くの切り傷を受けた。
私が作った薬を使われては、拷問のように斬られた。
気付けば涙も出なくなっていた。それでも、薬を作ろうとは思えなかった。
大勢の人々の前に連れ出され、罵られたり石を投げられたりもした。
水責めを受けたりもした。火あぶりにされたりもした。
心臓を一突きにされてもなお、私の薬を使えば綺麗に治った。
私にいくつの薬を使ったのやら、そんなにあるなら作る必要もないだろうに、と。
そんなことを思いながら、この地獄から逃れる方法を、その時になってようやく考え始めた。
何がきっかけになったのかもわからないが、必死に耐えていたのが変化し、いつの間にか投げ遣りになっていた。
そしてついに、あるいはようやく、思いついた。
私が死ぬ薬を作ればいいんだ、と。
そして、できるなら、そう。
とにかくこんな、こんな。
こんな人間どもから離れたい。
--
あらゆる傷を治し、あらゆる病を消し、あらゆる老いを止める。
その伝説の薬の名は、エリクシア。
かれこれ50年もの間、その薬を世界中に届け続けている、聖なる乙女がいる、らしい。
エリクシアの聖女と呼ばれたその少女は、類稀なる慈愛の心を以て、寝食も惜しまず、この世界の人々のためにエリクシアを作り続けているという。
エリクシア唯一の供給源である砂漠の街は厳重な警備が敷かれ、街の外から来た者が聖女に会うことは誰一人としてかなわない。
本当に存在するのかどうかもわからない聖女だったが、エリクシアの供給量は人々を満足させるもので、そのことに人々は感謝していた。……最初の10年ほどは、だが。
エリクシアの聖女、死去。
その報は瞬く間に全世界へと広まった。
聖女を保護していた街は、聖女の死去は寿命によるものと発表した。
だが究極の薬、不老不死を実現するエリクシアという薬を、際限なく作ることができていた聖女が、何がどうなれば寿命で死ぬのかという疑問が、誰の頭にも残った。
ただ、周りはどちらでもいいと判断したのか、しばらくして街には粛清の嵐が吹いた。
複数の軍隊が集まり、聖女を死亡させた罪で街ごと処刑したのだ。
軍隊が探していた聖女は遺体さえもなかったが、街には膨大な数のエリクシアが保管されていたため、彼らは満足した。
次に、人々が久しく忘れていた、寿命の嵐が吹き荒れた。
エリクシアを抱え込もうとする人々が争い合い、それによって更に怪我人や死者が出ることとなった。
天国と言っても差し支えなかった世界が、一転して地獄へと変わった。
そんなことをやっている間に、否、やっていたからこそ、早々にエリクシアが尽きた。
人々は、不老不死という夢を諦めるしかなかった。
聖女を悼む気持ちは終ぞ出てこなかった。
--
「確かに、下手を打ったな」
葡萄酒をたたえるグラスを片手にそう言う男の体は、控えめに言って肥満体だった。
脂ぎった顔面、後退した淡い金髪。不細工な豚でなければ蛙の名が相応しい見目だが、これでも国家の重役を担う権力者だ。
その対面に座するは、エリクシアの聖女と呼ばれていた少女。
ある日突然、この屋敷の庭に倒れていたのを庭師が発見したのだ。
「だってさ、まさかあんなことになるだなんて、思わないでしょフツー」
「お前のいた世界とやらの話を信じるならな。とは言え、迂闊だったことはわかっているのだろう?」
「そりゃ今となっては、ああなった原因くらいはね」
「結構なことだ。この世は慎重でなければ生き延びられん」
ため息を吐きながら頷いた少女は、肩に触れる程度の黒髪に黒目を持ち、まだまだ大人が遠いと言える程度に若い。
本人が言うには若返っているらしいが、いつからかはわからないとのことだ。
権力者である男にとってのこの少女は、全体的に礼節がなっておらず、態度も良くないように見えたが、不思議と男は安心感を得ていた。
互いに遠慮がいらない相手である、ということを男が理解するのはまだ先のことだ。
「それで、なんで助けてくれたの?」
「儂が助けたわけではないぞ。庭師が拾っただけだ」
「暖かい食事に着替え、綺麗な寝床と風呂まで完備。
何より、薬の話をしても反応がいまいち。何が狙い?」
「性急なことだ。まあ、疑わしいのもわかるが……
そうだな、儂は不老不死というものに興味がない」
男は女がしたように、自分の生い立ちや考えを女に語った。
幼少時、少年時代はまだまだ真っ当だった。父の背を見、母に守られ、立派な大人を志した。
男が多感な成長期に差し掛かった頃、突然に、本当に突然に現れたのが、エリクシアの聖女だ。
あらゆる傷を治し、あらゆる病を消し、あらゆる老いを止める。
そんな薬が大量に出回るようになった結果、人々は堕落した。
かつては死闘であった魔物との闘いは、ひたすら雑なものへと変化した。
かつて恐れられていた流行病は、それを防ぐノウハウごと消滅した。
生物であれば当然であった寿命でさえ、エリクシアによって消え去った。
男の両親もまた、堕落した。
憧れであった両親の堕落は、男にエリクシアへの憎悪を植え付けた。
それから男は男なりに、堕落した世の中を生きられるだけ生き、エリクシアに頼らず死んでしまおうと考えた。
だがエリクシアが普及するにつれ、あらゆる薬が無くなっていったため、何度かかかった病に対しては少々手こずりもした。それでも、エリクシアだけは使わせなかった。
病の後遺症か、どんどんと太ってしまうらしいと。その診断を聞いても、エリクシアは使わないと決めていた。
「人として死にたいとか、そういうの?」
「どうだかな。それに先日までは、死なぬことこそ人の普遍であった」
「……私を恨んでる?」
「全ての者が堕落したわけではないし、エリクシアには心を晴らす力さえある。
ならば、人々の生き様は人々が自身で決めたもの。お前のせいなどでは断じてない」
なんともお優しい、と少女は思った。転移前の数年も含め、これまでで一番優しい人物なのではないだろうか、とも。
さすがに見た目が豚蛙……いや、体脂肪率を考えれば彼らに失礼か。とにかく頭髪が寂しく横に大きく、顔も美男子とは真逆のこの男が相手では、ときめきなどというものを起こすには至難だったが。
しかしながら自分を助けた理由はわからなかったので、あえて避けていた最後の理由を問うてみる。
「体で返せとか、そういう?」
「儂は無理やりを好かん」
「その見た目で紳士すぎない?」
「見目良い男が好色という例もあるだろう」
それもそうだ、と少女は思った。それに相手が恩人とは言え、閨で恩を返そうというのも少女の趣味ではなかった。少々、安心する。
だがそうなると、恩の返し方がなくなってしまう。転移前に過ごしていた例の国での価値観を持つ者として、それはそれで厄介なことだった。
少女にとっては……まあ、使われるにしても限度はあるのだが、自分にできることがないというのは、それなりに辛いことでもあったのだ。
「私に何かできることがあったら言ってほしいんだけど」
「殊勝なことだ。その性格のために自害するほど苦しむ羽目になったのだろう?直してはどうだ?」
「生憎、自己暗示とかって苦手なほうでさ」
「難儀なことだな。しかし、ふむ……人手には困っておらんでな。結局のところは、だ」
そう、結局のところは。
エリクシアを作れる能力を使うしか、少女が役に立つ手段は無かったのだ。
しかし、奇跡的にも少女は思い出した。自分がどこからともなく得ていた力が、エリクシアを作るだけの能力ではないことを。
「えっと、今思い出したんだけどさ……」
少女は語った。どうやら自分の力が、物質を別の物質に変える力であること。
空気でさえも材料になるため、事実上何も無い場所でも何でも作れるということ。
男は眉をひそめながら聞いていたが、少女が語り終えると、男は難しい顔になる。
「…………。お前は学習せんのか。自ら監禁されるような情報を撒いてどうする」
「ぇえ……その、恩返ししたいじゃない?」
「馬鹿正直が過ぎる。一日一回役に立つ、そんな程度の情報に抑えろ。身を守る嘘を厭うな。
……いや、」
男は一旦言葉を切ると、その面倒くさそうな表情を真剣なものに変えた。
「条件を整理するぞ?」
「うん?条件?」
いきなり何だ?と疑問を返した少女に対し、男は疑問への返答をしない。
「お前は行く当てがない。よってここに住みたい。そしてお前がここに住む間、お前の力を儂が使ってよい、ということか?」
「まあ、うん……。行くあてもないし、そうなる、かな。あんまりにもこき使われるのは、ちょっと嫌だけど」
「お前としては、常識内の労働量に収めたい、あるいは常識内の生活がしたい、だな?」
「う、うん。そう。……勝手なこと言ってるのはわかってるんだけど」
少女としては、唐突に現れた(しかも自殺したはずが生きている理由もわからない)自分を、「住み込みで働かせてくれ、常識の範囲内で」と言っているわけで、かなり落ち着かない。
だらしないと自覚のある少女だったが、何ひとつとして後ろ盾のない現状でのその提案は、さすがに負い目があるようだった。
対して男は真剣な表情のままワインをテーブルに置き、右手で自身の腹を撫で始めた。
そうしてしばらく経ち、どうなるかと沙汰を待っていた少女に、男が再び口を開く。
「ひとつ、約束しろ」
「え?……あ、うん、何?」
「エリクシアは一切作るな。ここに住んでいる間だけで構わん。
この屋敷の誰に頼まれようが、あるいはどれほどの者が要求しようが……」
男は再び言葉を切り、少女に鋭い視線を向ける。
「例えどのような目に遭おうとも、ここに住んでいる間はエリクシアを作るな」
少女は男の真剣さにたじろいだが、その条件に否やはなかったため、すぐに頷いた。
「わかった。エリクシアは作らない。
殺されても作らないよ」
「うむ。
……まあ、屋敷の者というのは例えだ。そんな要求をする者はここにはおらん。安心してよい。
外部の者となればそれなりに出入りはあるが、力のことを内密にしておけば問題は起きぬだろう」
「ん……わかった。
てゆっかさ、いいの?」
「お前の力はしっかりと利用させてもらう。言わば契約……雇用契約だな」
「なるほどね。……じゃあ、よろしくお願いします」
「……お前、礼節を持っていたのだな」
「失礼な」
「くっく、まあ、儂に対しては不要だ」
「気さくだなあ。嫌な気分になったらちゃんと言ってよ?謝るし直すから」
「お前も遠慮するでないぞ。そのほうが、面白そうだからな」
――こうして、男と少女は手を組んだ。
男の名は、グァエルド・イェン・ハイゼ。国家権力の犬の一匹であると同時に、国家に莫大な利益をもたらす大商人であり、そして、いわゆる死の商人でもある。
エリクシア喪失の混乱が未だ残る世界は、いつ落ち着くかもわからない様相で。
50年間のエリクシアの存在、それが失わせた様々なものが、更なる混乱を呼び起こす。
そして今、エリクシアの聖女と呼ばれていた少女が、新たなる力を使い……
「――は!?私って50年もあの薬作ってたの!?」
そうだぞ。
--