突然
カーテンを開けると眼下に中庭が広がり、背丈の揃った青々とした芝生が朝陽を浴びて輝いていた。
王女フレアの朝は早い。昨日の夕食時のワインもすっかり抜けて清々しい朝を迎えていた。
隣室にいる双子の兄パウルはおそらくまだ寝息をたてていることだろう。
立ち寄るのはやめてひとり朝陽に眩しい中庭を目指す。テキパキ着替えて廊下に出た。
「おはようっ!いい天気ね!」
「おはようございます王女さま。ええ、とても気持ちのいい朝でございますね。でも外出はお控えくださいね?」
「はーい!」
気さくに挨拶を交わす明るい性格のフレアはすぐに使用人たちに好かれた。可愛がられ、時にはからかわれたりもした。
鼻歌を交えて階段を下りた玄関ホール。すると外側から扉が開いて男が姿を現した。
といってもフレアより年上だろうがまだ10代の少年だ。
貴族学校の制服を着ていて、どうやら学生らしい。
互いに初対面。そして互いに好奇心を抱いた。
先手を打ったのは惚けた面持ちでフレアを見つめていた男の方だった。
「オマエ誰?」
「フレアよ。3日前から世話になってるの。王女よ、よろしくね」
「はあ?王女?」
「そう王女。何か変かしら」
純粋なフレアは疑惑の眼差しを気にもせず当然のように頷く。
本人が名を名乗っただけなのだから動揺など起こり得ないのだ。
だが相手の反応は異なる。王女の顔を拝見したこともなく、実物を知らない身では王女の名を騙る詐欺師としか思えなかった。
不意に男の視線が上に向けてスッと動いた。そのまま声を張り上げる。
「この頭のおかしい女だれ!?」
自分の背後に向けられた声に振り向いたフレアは、そこに大好きな人の穏やかな表情を認めた。家主の長男カーラントだ。
彼は質問に答えるより先に己の思考を口にした。
「おやバーン、早かったね」
「ちょっと!頭のおかしい女って聞き捨てならないわね!カーラント!この分からず屋は何者なの!」
会話を阻む、ホールに響いた怒鳴り声。オマエ呼ばわりには寛容なフレアもこれには憤りを感じたようだ。
忙しく首を左右に振って男ふたりを相手取る。
カーラントは王女に一礼すると、その優雅な動作に相応しい冷静さで対応した。
「先日お話した弟です。バーン、フレア王女様だ。挨拶はしたのかい?」
すると名指しされた弟は兄よりも男らしい顔に唖然やら困惑やら驚愕やらと様々に受け取れる表情を浮かべた。
「えっ本物!なんでウチに!?」
「信じてくれた?」
得意げに胸を張る王女を伯爵家の次男坊はまるで夢の中の想像上の人物に出会ったかのように、心ここにあらずの風情で見つめた。
現実味は薄いが確実に現実世界。王族相手に礼儀を尽くした。
「バンテートといいます。18歳で、剣士見習いの学生してます」
「バンテート?でもバーンって」
小首を傾げるフレアに本人に代わり兄が横から代弁を取った。
「愛称ですよ。みんな親しみを込めてそう呼んでいるのです」
「ふーん、なら私もそう呼ぶわ。ね、バーン、私にも兄がいるの。双子なんだけど、一緒に世話になってるから後で紹介するわね!」
今度はニッコリと微笑む感情豊かな仕草にただただ圧倒のバンテートであった。
「ずいぶん賑やかだな」
早朝の騒ぎに苦笑しながら現れたのは、昨日来たばかりで久々の安眠にすっきり顔の青年だ。
「カイン様!来てたんだ!」
バンテートの弾んだ響きにフレアは自分とのあまりの待遇の差を感じ「この違いは何!?」と軽いひがみを覚えた。
小言のひとつでも漏らそうとして、けれど彼の眼中にはただひとりしか映っていない。
無視が容易に予想され、王女は渋々沈黙を決め込んだ。
熱い視線を一身に浴びるカインは剣士の職業柄常に腰に剣を佩き物騒で、だが本人はいたって普通の青年。
親友の弟に爽やかな笑顔を見せてからかった。
「バーン、学校は休みか?筆記試験が近くて兄に習いに来たのか?」
普段は寮生活のバンテート。単に週末休暇で帰宅しただけなのだが、それより何より重大な頼み事があった。
「カイン様!また剣の稽古してくださいよ!」
頬を紅潮させ瞳を煌めかせて依頼したものである。
彼にとってカインは憧れの存在。いや、27歳の若さで実力を認められ将軍職を期待されるカインは国都アストライアでもここ西都ヴァルゴでも剣士を目指す少年たちの目標なのだ。
王族とはいえフレアはそれだけの存在。興味の対象に叶うはずもなく、扱いに差が生じるのも当然であった。
決断力に長けたカインはサッと行動計画をまとめると、自分にとっても弟のような少年の期待に応えた。
「了解。オレも体がなまってて動きたかったんだ。ただし午前中までだ。午後には国都に戻る」
「えっもう!?アリウスも?」
バッチリ大きな瞳を更に大きく見開かせ、聞き咎めたのはフレアだ。
不都合も多々あるが再会したばかりなのに早々の別離は寂しい。
視線を受ける自称『王女の忠実な臣下』は不安げな眼差しに向けて頭をゆっくりと横に振ってみせた。
「彼女は残します。王女たちの見張り役を任せたい」
見張り役と言われてフレアは拗ねるがカインの悪意のない冗談には慣れている。
本心では世話役として彼女を残したいと考えていることも。
よって憤慨はせず改めて帰還を報告され快く許可を下した。
一致団結に思われた空気。しかし納得できぬ者が存在した。
友人に近寄りカーラントは真顔でひとつ問いかける。
「アリウス殿には話したのか?」
「まだだ。後で話す」
「いいのか?」
「何が?」
不思議そうに問い返され屋敷の長男ははたと思考を切り替えた。
「いや、何でもない」
他人の色恋に首を突っ込むのは野暮だと判断したのだ。
けれどアリウスの気持ちを考慮すると胸が痛む。
昨夜彼女はカインへの恋心を一途に貫こうと決意し笑顔を咲かせたばかりなのに。
一騒動あるな、と悲劇の前触れを予感し、作家志望の青年貴族は現実でもハッピーエンドの脚本を手がけられたらと、重い吐息を漏らしたのだった。