届かない思い
王子パウルと王女フレアの双子の兄妹が応援する世話役アリウスの恋の行方。
いま彼らの眼前で展開されている騒動は、そのアリウスと片思いの相手カインとのなかなかに好感触なやりとり。
王子たちは期待を寄せるが、一筋縄ではいかぬ曲がりくねった恋路が進行方向に用意されていた。
カインは入室した目的を果たすべく用件を説明した。皆での夕食を伝えたのだ。
反発したのはいまだ男装の麗しき世話役だった。せっかくの好感触をぶち壊す気の強さで。
「とんでもない!王子様たちや貴族様とお食事だなんて恐れ多いわ!断ります」
「あなたも客人だ。ドレスは用意するから同席してほしいとカーラントも話していた。オレも同意見だ」
「あなたの意見は聞いてないわ。断ってくれたら良かったのに!」
「なっ!あのなあ好意は素直に受け取るものだ。あなたはいつもそうやって反論ばかりだ!」
「昼下がりに従順で助かると言ったのはどこの誰!?」
「うるさい!わかったよ、勝手にしてくれ!」
背中合わせにそっぽを向いてしまった20代の男女。
16歳の王子たちの目からもそれは子供の喧嘩にしか見えなかったが、険悪ムードは避けたい。
一歩前進のフレア。スーッと深く息を吸って勢いづかせると、耳障りのいいソプラノを吐息と同時に威勢よく吐き出した。
「私もアリウスと食事したい!これは命令よ!出席しなさい」
権限を利用し収拾を図る。身分差など気にもせず、またアリウスという女性が大好きだからこその発言。
気持ちを察しただけに、これにはアリウスも渋々ながら頷く。
そうして無邪気に喜ぶフレアに感謝と困惑の入り混じった表情を向けたのだった。
◆
屋敷の当主である伯爵の長男カーラントは秀麗な顔立ちの26歳になる青年だ。
カインとは幼なじみで仲が良く、だからこそカインは遠慮なくここを宿泊先に選んだ。
カーラントはこの都の威張り腐った貴族には珍しい庶民派で、平民と同じ市場や酒場によく出没する。
昼下がりにアリウスと出会ったのも庶民の酒場だった。
気さくな貴族様として、酒の神の名を拝借した馴染みの酒場『デュオニュソス』では店員や常連客に歓迎されている。
そんな美青年が夕食後の談話室の窓辺で中庭にひとり佇む女を見つけた。
屋敷内から漏れる照明に浮かびあがる細身の姿が神秘的で、でもどこか儚い。それは彼女の表情のせいでもあった。
カーラントは一旦テーブルに戻り、数分後には中庭に姿を見せた。
両手にグラスを握っており、その状態で先客の背中に語りかけた。
「ワインはいかが?」
ピクリと肩を動かすと、長い髪をそよがせてアリウスは振り返り、対面する。
瞳には今日知り合ったばかりの貴族と、赤い液体の入ったグラスが映った。
せっかく用意してくれた代物だ。素直に受け取った。
「ありがとうございます。いただきます」
微笑んで赤ワインに口を付ける。「美味しい」と形のいい唇が一言を発した。
高級品なのであろう、舌触りから違う。素人でも気づく質の高さだ。
故に余計に劣等感を募らせた。
「私、ただの世話役の身でこのような待遇を受けるなんて」
借り受けたこのドレスといい何となく悪事を働いているような感覚に陥る。
しかしすぐにそれを上回る驚愕に襲われ、別の理由から今度は落ち着きをなくした。
「親友の恋人に失礼な真似はできないさ」
カーラントは穏やかにあっさり口にする。
諸事情を存ぜぬ彼は親友と同行してきたアリウスをそのように見たのだ。
何せカインとは幼なじみ。過去の交際相手など恋愛遍歴に通じている。恋人だけを側に置く一途な性格も。
よって女連れなど数年ぶりの珍事。恋人と信じるのも自然な流れだった。
もちろんのことアリウスは誤解を指摘した。片思い中なだけに切なさに胸を痛めながら。
「カイン様とは知人でしかありません。一緒に旅をする機会を頂いただけです」
言って、無意識にグラスを左右に小さく傾けて黙り込んだ。
ゆらゆら波打つ液体を虚ろに眺める彼女にカーラントは正直な感情を打ち明けた。
「あなたは綺麗だな」
いまアリウスは貴婦人が着用するワンピースを身にまとう。
彼女から見たらそれは裾が大きく広がらないだけの地味なドレスで、だが貴婦人たちと比較しても遜色ない美しい容姿にはよく似合っていた。
ただしカーラントは日中ターバンを頭部に巻き、男装していた時も容姿に遜色はなかったと思っている。
生き生きとした魅力に溢れた女性だ。
「男装でもそう思った。側に置きたいと」
すると彼女は警戒心を露わに怪訝そうに男を見つめた。
はっきりと気づいたカーラントは己の独りよがりな発言を省みつつ補足した。
「ああ誤解させたようだ。友人になりたいと思ったまで。襲いはしないから安心してほしい」
そして優美な外見に似合わぬ図々しくぶしつけな男は遠慮なしに即決で動き出す。
「カインが好き?暗い表情と関係がおありかな?」
度々見せる彼女の愁いな表情。加えて夕食時のカインとのピリピリとした空気。
これまでの言動や今なお引きずる暗い雰囲気から原因は恋であると作家志望のロマンチストな青年は察したのだ。
アリウスもカインとの険悪ムードのまま迎えた夕食を思い出す。
つまらぬ口論から楽しいはずの時間を台無しにしてしまった。彼にも王女たちにも申し訳が立たない。
それに不安を抱える身だ。レトの街からずっと抱いてきた密かな悩み。
誰にも告げずに胸に秘めてきたが、眼前のカーラントは個性的で多面性にとんだ助言をくれそうな人物。
信頼を込めて肯定がてら相談を持ちかけた。
「恋心を告白したのですが返事がなくて……。たぶんフラれたんだと思います」
ふわりと浮かんだ笑顔は強がりからだろう。胸の内を察し、青年貴族は次に幼なじみの胸中を想像した。
短気な中にも理解力と思いやりに満ちたカイン。積極的な性格でもあるし、嫌なら拒絶するはずだ。現にそんな場面を過去にも何度か見かけた。
何か考えがあり返答を避けているのだろう。
となればアリウスに可能性は残されている。悲観視するにはまだ早い。
「返答が来るまで諦めぬがいい。あなたの一途な気持ちが実る日が来るかもしれない」
平民の恋愛話なんかに真摯に耳を傾け、決して悲観に向かわぬ力強いアドバイスがアリウスにはありがたい。
それでも彼女の胸中は揺れて揺らめき続ける。国都を出発した日に見かけた貴族令嬢の存在だ。
カインとの関係は未だにはっきりせぬまま。よからぬ妄想を生む原因となっている。
彼から見聞したことは内密にと念をおされた以上カーラントに質すのも困難な状態。
カインは容姿も人柄もよく剣士としての知名度も高い。本人に自覚なくモテる身だ
浮いた話題は流れたこともないが27歳の男。恋人の存在がちらついても不思議はなかった。
カインの真意が読めない。けれど恋心は明日への勇気。
前に進まなくてはカーラントの言う実りある日々も来ないのだから。
「そうですね。確実に否定されるまで慕い続けます。ありがとうございます。胸の苦痛がやわらぎました」
強がりから前進。儚さの消えた前向きな微笑がカーラントにも嬉しい。
今後の明るい未来にグラスを掲げ、彼も上質な味を喉に流したのだった。