西都ヴァルゴ*中
色鮮やかなモザイクに彩られた石畳の舗装が、ファジィ国第2の都市ヴァルゴが近づいたことを音も標識もなく知らせた。
これまでの砂利だらけの山道と異なる平坦な街道を馬車が駆け抜ける。
手綱を操る剣士カインは速度を緩めて少し振り向き、後部座席の男装の女性に声をかけた。
「アリウス殿、まもなくヴァルゴだ。疲れたろうが関所の前で馬車をおりたい。西都には知人が多いから目立つ行為は避けたいんだ」
心地よい風に乗って届く張り上げた声。アリウスは黒髪の後頭部に向けて返答する。
「ええ、私に異論はありません」
「決まりだな。あなたは従順で本当に助かる。では徒歩で幼なじみの屋敷に直行しよう。王女のお気に入りで、立ち寄った可能性が高いんだ。もしかしたら滞在中かもな!」
本当にそうであればいいな、と両者は望んだ。今日の青空のような爽やかな気分に早く浸りたい。
昼下がり、穏やかな風の吹くうららかな春の日であった。
◆
関所の手前で馬車を預け、石造りの門をくぐるとそこは西の都ヴァルゴだ。
今までとは明らかに異なる視界と音。髪も瞳の色も様々、そんな多彩な人種が往来する広い歩道。ざわめき、悲鳴、楽器など耳に届く音も多種多様だ。
賑やかな風情にアリウスは圧倒された。国都アストライアより華やかかもしれない。
興味深げに周囲を眺める男装の麗人。剣士はそんな彼女に好奇心を抱いた。
「ヴァルゴは初めて?」
「幼い頃に何度か。10年ぶりくらいで、ほとんど忘れていたから新鮮だわ」
「観光もしたいだろうが目的を先に果たそう」
「もちろんです」
甘えは許されない。己に厳しく自戒を込めてアリウスは頷いた。
そんな会話を交わしていたふたりだったが、滞在経験もあり道をよく知るカインはともかく、不慣れなアリウスは雑踏の中で同行者を見失った。
何せ長身の彼とは歩幅も速度も大きく違い、だんだん引き離されたのだ。
心がけていたとはいえ、気づいた時にはすでに遅く、迷子になった。
気の強い彼女はカインの無神経ぶりを内心でまず責めた。
『道に不慣れな女を放って先々進むなんて!』
けれど期待を胸に、引き返して来るのを待ってみる。だが待てど暮らせど現れず。
闇雲な行動は避けるべきと自覚しつつも、足は無意識に前進していた。
数少ない目的地情報を思い起こす。屋敷に住む幼なじみの家と聞いている。
おそらく高級住宅街。街を抜けた辺りだろうか。合流できるかもと路地を曲がり、横道をさらに進んだ。
◆
道行く者の9割が男。日中なのに足をふらつかせた酔っ払い、道端に座り込んでウトウトする者。路地には割れた酒瓶が散らばる。
見回す店は酒場ばかりで、アリウスは自分が見当違いの方向に踏み込んでしまったとようやく悟った。
男装しているとはいえ危険区域だ。何であれ事が起こる前に離れたい。引き返そうと振り向いた。
「あっ、すみません!」
いきなり誰かとぶつかり謝罪をする。
しかし今の己の立場を忘れていた。自分は男装をしていて場所は荒くれ者の多い歓楽街なのだ。
相手はふたり組の若い男。互いに頬は赤く酒臭いが、それほど酔ってはいない。
彼らが聞いた声は女のもの。うつ向いてしまったが、覗きこんだ顔も可愛らしい。いや、とんでもない美人だ。
男たちは瞬時に確信した。コイツは男装の女。それもとびきりの美女でひとりきりだ、と。
見かけで人を判断しては気の毒だが、アリウスの瞳には男たちが遊び人風の軟派な人物に映った。長居をして関わりを持ちたくはない。
無言で会釈をし通り抜けようとして、しかし腕を掴まれた。
「何のまねですか!?」
「ぶつかってきたのはそっちだろ?謝礼に一軒つきあってよ」
「謝罪ならすんだはずです」
「アンタ国都の女?真面目だねえ。でもいい女。つきあってよ」
「離してください!」
力一杯腕を振り払うが効果は無し。しまいには腕を組まれ強引に引っ張られた。足に力を込めて踏ん張るも効き目はやはり無し。
ダメを承知で周囲に助けを求めようと試みかけ、店から出てきた男が自分たちの進行を遮るように立ち止まったと察した。
全員の動きが停止したなか、新たに現れた男がゆっくりと口を開く。
「観光客に手荒な真似はよした方がいい。それにヴァルゴの男がみな悪人だと誤解されては迷惑だ。野蛮な行為は見かねるな」
「野蛮だと!?何様のつもりだ!」
「そうだ!役人でもあるまいし偉そうに!」
アリウスの左右で男たちは揃って罵る。
新参者に説教される筋合いはなく、加えて整った顔立ちが気に入らない。
苛立ちを見せ始めるふたり組。故意なのかあるいは鈍感なのか、麗しき若者はお構いなしに会話を続けた。
「私はヴァルゴの男を代表して言ったまでだよ。個人の意見じゃない」
「屁理屈をぬかしやがって!」
余裕を見せるふてぶてしい態度がますます癪に障る。
威勢よく掴みかかろうとしたふたりだが、相手が腰の剣に手をかけたのを機に動きをピタリと止めた。
どこまでも冷静な態度といい、よほどの剣士か貴族様と判断したのだ。
この都では貴族は権力者だ。それは時に冤罪をも生む理不尽な階級社会。
口論でさえ太刀打ちは不可能。下手をすると命すら危ういことは子供でも判断できる、ここに住む者の常識だ。
長いものには巻かれろ、の精神である。男たちには命の保証の方が大事。顔を見合わせて渋々と立ち去った。
*
ハラハラと状況を見つめていたアリウスは、自由になった身で改めて若者の眼前に寄った。
彼女の目にも美しい男ではあるが、同時に性格の方もたいした人物だと思った。したたかで隙がなく、ある意味近寄り難い。
ただし救出のために現れてくれたのは事実。腰の剣もカインを彷彿させ親近感がわいた。警戒を解いて謝礼である。
「助けて頂きましてありがとうございます」
「なに、言った通りのこと。観光客に嫌な思い出を残してほしくなかったのでね」
優雅な言動からして何らかの身分ある人物であろうことは明白。謙遜からの発言だろうが物柔らかな口調が癒やしを誘う。
アリウスも為人を信用したくなって、つい再度の救いを求めてしまった。
「剣士様お頼みが。表通りまで案内して頂けませんか?」
剣士ではないのだが。そう胸中で呟きつつ、美青年は緊張緩和も込めて相手を邪気無くからかった。
「迷子かな?」
「はい。恥ずかしながら」
照れ笑いのアリウスに男も微笑で応えた。旅人なら迷子になるのもよくある話。バカにしては気の毒だ。
単なる笑い話ですませると、彼は快く頷き提案をひとつ口にした。
「目的地があるのならそこまで案内しますよ?」
「お心遣いだけ受け取りますわ。ありがとうございます」
訳ありなだけにこれ以上の干渉は避けたい。
それに目的地の場所や住人の名前など、アリウス自身も詳細を知らぬ身。カインとの再会がまず先だ。
表通りにさえ戻れば彼も探してくれているだろうし、互いにとって発見しやすいはずだ。
やがて入り組んだ路地に目を向け『よくこんな道を来たものだ』と彼女は己に呆れてしまった。無知とは恐ろしいものである。
今更の恐怖心にカインの存在のありがたみを実感。彼がいてくれたおかげで夜の山道も耐えられたのだ。
わき起こる激しい慕情と共に、再会を望んだアリウスだった。
そして表通りに到着。老若男女入り混じった賑やかな通りはアリウスの記憶に新しい。一安心にホッと溜め息である。
「ご親切、ありがとうございました」
「今日の晴天が続くよう私も祈っておきましょう。良い旅を」
おそらく出会うことはもうないだろう。名前も名乗りあわず、ふたりの男女は別れたのであった。
◆
さて彼女の探し人カインはといえば、いるはずの存在が背後になく涼しげな目元を細めて立ち尽くした。
来た道を何度も往復し、左右に建ち並ぶ店にも一軒ずつ顔を見せた。
焦りを感じる反面、短気な男である。アリウスもそうだったように彼も相手を罵った。
『黙って後を付いてくればいいものを!どうやったら離れるんだ!?』
剣士にあるまじき激情。本人も自覚し、国王が実力を認めながらも将軍職に任命しない理由である。
いま一歩精神面の向上を願っていた。それだけ期待しているのだ。
とはいえ剣士としての誇りと、喜怒哀楽揃い踏みの豊かな性格が魅力の男だ。徐々に焦りを強め、捜索範囲を広げようかと思案した。
長身の彼は周囲より目線が高く探し物は見つけやすい。それは対象が人間であっても同様で、黒い瞳に馴染んだターパンを発見した。
その人物は横道から出てきてキョロキョロと辺りを見回している。
表情は険しいが、確かにアリウス。こちらを探しているのだ。
足早に近寄りつつカインは彼女の心情を思った。知らぬ地で心細く怖かったはずだ。
好きだと告白してくれた女性。愛には応えられないが早く声をかけて安心させてあげたい。
「アリウス殿!」
肩を掴んで振り向かせた。すると彼女は一瞬無表情となり、次いで戸惑いを見せた。
感情の整理がつかなかったのだ。見上げる瞳に涙がたまる。
安心感から気持ちがふっと緩んだ。張り詰めていたものがシャボン玉のようにはじけ、そして涙は頬を流れた。
気の強い彼女の隠しもしない涙。耐えられないよほどの感情があったのだ。
彼女の場合、それはカインへの愛。存在の大きさを認め、すべてをさらけ出したのである。
そのカインはいきなり彼女を抱きしめた。互いに驚いた行為だったが、腕を伸ばして胸の中にきつく抱いた。
愛なのか友としてなのか慰めなのか。彼本人にも理由なんて何もわからない。
けれどすすり泣く声を聞きながら優しく頭部を撫でてやる自分に、これでいいのだと言い聞かせた。
いま理由は何だっていい。慕ってくれるこの女性に優しくしてあげたい。気持ちに応えてあげたい。それでいいと思った。
和みや愁い、眺める者の心情によって複数の顔を見せる西日がふたりを照らす。
彼らはそれぞれ琥珀色の夕陽に何を思ったのだろうか。
ヴァルゴはまもなく夕刻。そして夜となり日中とはまた違う一面で人々を魅了する不夜城と化すのであった。