結ばれる者、悩む者
残すところあと1日となった西都ヴァルゴでの生活。
貴重な時間だというのに王女フレアは昨日の無断外出のお仕置きで屋敷内に閉じこめられていた。
罰を下したのは世話役アリウスで、美人なのに怒ると怖い厄介な存在だ。
「アリウスって絶対魔女よ!魔法の鏡で私の動向をいつも窺ってるんだわ!」
外出できずにイライラが募る王女は屋敷の長男カーラントの部屋で愚痴を零す。
苦笑しつつ作家志望の青年は王女に空想の才能がありそうだと呑気に思案し、口では気の毒な世話役を庇った。
「彼女は王女の心配をしてるんですよ。あんなに忠実で献身的な世話役は他に見ません」
悔しいが納得の事実なので反論の仕様がないフレア。それに言われなくたって承知だ。
アリウスは今までで一番信頼のおける世話役。大好きだけど、愚痴は出てしまうのだ。
しかし明日は国都へ戻る日。親しくなったベルセフォネに挨拶できるのは本日限りだ。
どうにかアリウスを説得して会いに行きたいフレアである。
そこで思いついた作戦に不可欠なのが眼前の貴公子だった。
「カーラント!どうにかアリウスを説得して私をベルセフォネに会わせるようにして!さよならも言わず城に帰れないわ!」
「よろしいですよ。アリウス殿は慈悲深い方ですし私も同行すると言えば許可も下りるでしょう」
穏やかだがきっぱりと言い切るカーラントが頼もしい。
訪問先も酒場と正直に語る必要はなく、ドレス見物とつじつまを合わせる。抜け目のない彼を再びフレアは称賛した。
そして来訪を受けたアリウスはカーラントの指摘通り渋々ながら首を縦に振ったのだった。王女への小言を加えて。
「お気をつけて下さい。カーラント様にご迷惑をかけませんように」
「んー……何だか嵐を呼ぶ女みたいな言い草に聞こえる」
拗ねる王女にアリウスはさすがの貫禄で器用に話をかわした。
「カーラント様のお側から離れませんように。ご自分の身分をわきまえ下さい」
「はーい」
機嫌を損なわせぬよう従順な返事である。
お利口さんになりきって念願の外出を手に入れたのであった。
◆
ベルセフォネの働く酒場『デュオニュソス』訪問を前にフレアは服飾店に立ち寄った。
彼女のためにハンカチを一枚購入。ピンクの花柄でレースも施された可愛らしい品物だ。
「喜んでくれるかな」
「もちろん。生涯大切にすることと思いますよ」
「あまり大事にされてもなあ。どうせなら今日から使ってほしいわ」
肩を並べるカーラントは感服しきって王女を見つめた。
このような傲らない言動が彼女の美点。だからこそ各地の使用人などから親近感を持たれ好かれるのだ。
明日の別れが本当に寂しくなってきた。そしてベルセフォネも悲しむことだろうと予想した。
予想は見事に的中、というより誰でも予想できたことだが、歌姫ベルセフォネは愛しい恋人と可愛い友人の来店を歓迎したのも束の間、その凛とした表情を見る見る強ばらせた。
「今日でお別れなんて急な話ね。寂しくなるわ」
耳障りのいいアルトには明らかな落胆と親愛が含まれていた。
昨日フレアの素性を恋人から教わり驚きに時を止めたものだが、あえて堅苦しくよそよそしい態度は避けた。
これまで通り礼節は尽くしつつも柔和に接しようと思った。
ぎくしゃくした別れより気持ちよく笑顔で別れたいと望んだのだ。
無礼と知りつつ、この天真爛漫な王女様が愛しいから。
それでもハンカチを手渡された際には、あまりの光栄に涙ぐんでしまう一幕も。
だが明るい王女の言葉にすぐさま微笑みを取り戻した。
「宝石はカーラントから買ってもらって。あ!すぐに結婚指輪が貰えるもんね!」
途端に歌姫は頬を朱に染めて傍らの男を見つめた。彼女としても反応を確かめたかったのだ。
カーラントは相変わらず冷静で、けれど否定もしない。
視線の交わった恋人を秀麗な真顔で見つめると、無言のまま肩を抱いて引き寄せた。
挙式の有無は現時点で断言できないが、この行為はベルセフォネを生涯の伴侶に迎えるとの証だ。
肯定を示した彼に、瞳を潤ませた近い未来の花嫁だけでなくフレアも感激したのだった。
そしてハンカチの謝礼としてベルセフォネは歌声を披露した。
出会った日にも歌った田舎に伝わる温かい曲調の民謡だ。
今日も伸びやかに響くアルトにうっとりと耳を傾け、歌唱後は盛大な拍手を送ってフレアはこのヴァルゴでの思い出をまたひとつ増やしたのであった。
「絶対また会いに来るわ!」
そう言い残して別れた王女。
有言実行の彼女は半年後の雪の季節を前に、本当に再会を果たしに訪れたのであった。
◆
さて結ばれる恋人たちがいれば失恋や片思いに悩む者が存在する。
王女様に恋してしまった貴族学校生のバンテートは、彼女に会いたいがために寮には戻らず屋敷に帰宅していた。
今まで恋愛には無縁だった彼にはこれが初恋のようなもの。
異性へのアプローチなんてわからず、恋患いに溜め息ばかりだ。
そして最大の障害は彼女が王女様であること。加えて好みのタイプは兄カーラントであるらしいこと。
バンテートにとっても自慢の兄だ。文武両道で容姿もよく、模倣したって足元にも及ばない。勝っているのは身長くらいだろう。
それでも明日王女は国都に戻るし自分も朝には登校だ。
ゆっくり会話のできる時間は今夜だけ。後悔したくない彼は決意を固めた。
*
身分を超えた友情を剣を通じて深めた王子パウルとの別れ。こちらもバンテートには寂しい出来事。
屋敷から漏れる灯りを頼りに、夕食後の中庭で共に最後の剣術稽古に励んだ。
退屈しのぎにフレアも見物していて、バンテートの神経はドキドキとソワソワだ。
実力は王子より上のはずなのに集中できず、何度か剣を振り落とされた。
「バーン!将来の剣士が情けないわね!パウルなんて簡単にやっつけちゃいなさい!」
フレアの身勝手な叱咤激励が響き、両者はそれぞれ異なる心情を胸に沸かせた。
「それが双子の妹の言う台詞か?」と王子は胸を痛め、バンテートは胸にくすぐったい愛称と厳しい意見の飴と鞭に感激した。
*
気持ちのいい汗を流した青少年ふたり。休憩の合間にパウルは屋敷に一旦引き、チャンスとばかりバンテートはフレアの隣に腰を下ろした。
寡黙とは程遠い性格だがすぐには会話を切り出せず、王女の鼻歌が聞こえると退屈にさせたと妄想が生じて慌てて口を開いた。
「フレア様」
「なあに?」
「オレ、学校を卒業してヴァルゴで一通り仕事を身につけたら国都に出ようと思ってます」
「本当!その時は事前に知らせてね!」
満面の笑みを至近距離で受け、度胸満点なはずの剣士候補生がとっさに戸惑ってしまった。
彼女の無邪気さは罪だ。つい社交辞令と疑ってしまう。
「歓迎してくれるんですか!?」
「当然よ!私が外交デビューしたら護衛役にしたいくらいよ」
「え、それやらせて下さい!オレ、王女様を守りたい」
思いがけない勧誘に身を乗り出す。
願ってもない護衛役。拒絶するなど無に等しい。
そんな彼の前でフレアは己の先走り発言にはにかんだ。
「実のところ私の将来もまだ確定ではなくて憧れなの。けど、ふたりで夢を実現させるため頑張りましょう!」
「オレ、剣技と知識を身につけて必ず国都に行きます」
「待ってるわ!」
バンテートは熱意に燃えた。恋愛より大切なものを見つけた。
フレアの期待に応え、信頼される男になり、それから恋愛を考えるべきと計画変更を定めた。
それは明確な目標だ。実現させたい。
18歳、卒業を控えた若者は未来に瞳を輝かせたのだった。
◆
中庭でバンテートが別離の寂寥を期待の膨らむ未来図に変えている頃。
屋敷内の一室でも別れの場面が展開されていた。
孔雀の仮面を被った黒貴公子と王女をいじめた魔女との挨拶である。
初対面の時から面倒を見てもらった魔女ことアリウスがまず深々と頭を下げた。
「重ね重ねお世話をおかけしました。元はと申せば私の一身上の事情が王女たちを動かしたのです。いらぬご迷惑を」
「堅苦しい挨拶はそこまでに。私は楽しめたし迷惑とは感じていない。あなたや王子たちをまだ引き止めたいほどだよ」
入室するなり謝罪のアリウスには「おやおや」と軽い困惑を覚えてしまうカーラントだ。
王子たちとアリウス、それに城に戻ったカインのヴァルゴ来訪の理由は聞いている。酷い悪事を働いたわけでもないし、生真面目な思考は不要だ。
カフェオレをすすめさり気なく話題を変えた。一足先に国都に戻った友人への伝言である。
「カインに会ったらいつでも遊びに来てくれと伝えてほしい」
「はい。……本当にお世話になりました。平民でしかない私を貴族様のように遇して頂いて感謝しております」
譲り受けた似合いのシルクのワンピースで微笑む彼女。
けれどカーラントは周囲が警戒するほど勘の鋭い男だ。その裏に秘めた不安を敏感に見抜いた。
「カインと会うのが不安かな?」
物静かに確信を突く。
アリウスはそっと視線を落とした。ポツリポツリと本音を明かす。
「不安……です。怖くて」
「これまで通りは無理でも怖れる必要はない。カインは信じるに足りる男だ。友人として保証する」
「失恋した私にはただの剣士様でしかありません。もうお慕いするだけ無駄でしょう。信じていては疲れるだけ」
「でもあなたは信じ続ける」
恐れ知らずで自信家のカーラント。相変わらずの断言口調だが確定率は高い。
「何でも見破ってしまうのですね」
お手上げのアリウスは素直に指摘を認め、思いを再び声に乗せた。
「カイン様はずっと憧れの方でした。次の恋を見つけるまで忘れることはできないでしょう」
「私はカインとあなたの恋が実ると信じているよ」
「ありがとうございます。心強いです」
強がりだな、とカーラントは彼女の痛々しい心に同情した。
この先、国都に戻り彼女はまず苦悩に直面するのだろう。
けれど例え強がりでも覚悟を決めていれば僅かでもダメージ減少に繋がる。
ふと伯爵家の長男は秀でた顔に眉間を寄せた。自身に舌打ちしたい気分だった。そして思考を続ける。
どれにせよアリウスに待ち受けるのは苦悩。ダメージの大小なんて意味もない。
当事者でない者は何だって言える。真摯な激励も気休めに過ぎないだろう。だが言わずにはいられなかった。
そして友人カインの動向と己の発言的中率を心から信じたいカーラントであった。




